今回は、東京メトロ東西線葛西駅周辺の神社巡りをします。
海に近いエリアなので、歴史ある神社は少ないと予測して歩き始めましたが、意外にも葛西は、神社や寺院が多い街でした。
歩いてみると、歩数は2万2千歩を超え、1回で紹介しきれないほどの多くの神社がありました。
東京メトロ東西線の北側エリアを前編、南側エリアを後編として紹介します。
出発地点は、環状七号線の古川親水公園というバス停です。
バスを降りたら、古川親水公園(緑道)を新川方向に進みます。
いきなり謎の鳥居に出会う
所在地:江戸川区江戸川6丁目15-35
鳥居はありますが、神社らしきものがありません。
神社の奥にあるのは「二之江中央町会会議所」です。
赤い鳥居なので、昔は、お稲荷さんでもあったのでしょうか。
帰宅後、色々調べてみましたが、ネット上には、何のヒントもありませんでした。
写真の右手前にあるのは電話ボックス。こっちの方が珍しいかも...
水神宮
水神宮の所在地:江戸川区江戸川6丁目29-4
古川親水公園を進み、新川との合流点の手前に「水神宮」がありました。
祠は2つ。
元々、ここに2つあったのか、どこからか遷座して2つになったのか?
謎だらけですが、ネットには情報がなく、何一つ詳細を知ることができませんでした。
稲荷神社
稲荷神社の所在地:江戸川区江戸川6丁目31-4あたり
水神宮の向かい側にあるのが、「稲荷神社」。
こちらの神社も、由緒など一切分からないのですが、多少、ヒントになるものがありました。
祠の中を覗くと、「稲荷神社神璽」と「笠間稲荷神社」と書かれた2つのお神札がありました。
祠の中心に置かれた「稲荷神社神璽」と書かれたお神札は、宇喜田稲荷神社(江戸川区北葛西)で配られているものに似ています。
桑川神社
桑川神社の所在地:江戸川区東葛西1丁目23−19
江戸川区史によれば、昔は「大六天」という名称だったそうだ。創建年月など由緒については、文久年間の火災で焼失してしまったようで不詳となっている。
新編武蔵風土記稿によれば、桑川神社は、桑川村附持添新田の鎮守でした。
境内には、「桑川の富士塚」の説明書きはあるものの、「桑川神社」そのものの由緒書きは見当たらない。
お祭りをするのには、ちょうど良い広さの境内だった。毎年7月に、納涼盆踊り大会が行われているようだ。
新編武蔵風土記稿には、桑川村には、大六天社の他に「神明社」と「八幡社」があったと記載されている。
桑川神社境内社
本殿の右側に鳥居が1つ。祠が2つあります。
特に説明書きもないので、何の神様が祀られているのか分かりません。
ネットの情報によれば、鳥居の正面にあるのが、「竜神社」。氏子の方は「水神様」と呼んでいたとの情報もあります。
竜神様にせよ水神様にせよ、田畑の豊作を祈願したものと推測されます。
赤い祠は、如何にも「お稲荷さん」風なのですが、良く判りません。
桑川の富士塚
江戸川区内の神社で、よく見かける富士塚のひとつ。
江戸川区教育委員会の説明書きによれば、昭和4年に旧桑川村の山玉参拝講の方が築造したそうです。
庚申塔
桑川神社の横に庚申塔もあります。こちらのコンテンツも合わせてどうぞ。
長島稲荷神社
長島稲荷神社の所在地:江戸川区東葛西2丁目28
桑川神社の直ぐ近くにあるのが「長島稲荷神社」。
桑川神社の前の道が、桑川村と長島村の村境だったようです。
江戸川区の資料(江戸川区郷土資料室発行)によれば、旧長島村には、旧家の屋敷神や一族の氏神様として小さな稲荷社が数多くあるそうです。
鳥居の横に、由緒書きの看板がありますが、この看板は長島稲荷神社の説明ではなく、梵音寺のものです。
塀で囲ってはありますが、隣接する梵音寺の境内の一部のように感じます。
新編武蔵風土記稿の梵音寺の項には、「牛頭天王稲荷海上神合社」と「辨天社」の記述があります。
「牛頭天王稲荷海上神合社」の説明書きは、「海上神は、牡蠣を祀りしものと云。縁起あれど、もとより浮言のみにて、たしかならざれば略せり。」となっています。
長島香取神社(茂呂神社)
長島香取神社の所在地:江戸川区東葛西2丁目34-20
鳥居が印象的なのが、「長島香取神社」です。
東京神社庁のホームページによれば、長島香取神社は、別名「茂呂神社」といい、長島村の鎮守でした。
ご由緒については、文久年間の火災により古記録が焼失したため、不明となっています。
鳥居は、銅板で作られているのでしょうか、あまり見かけないタイプのものです。
入り口のところに江戸川区教育委員会が設置した由緒書きがあります。
旧名称が「茂呂神社」。
記録が焼失したため詳細が不明も400年以上前の古社といわれているそうです。
祭神は、下総の香取神宮から分霊したもの。
本殿と拝殿の彫刻は手のこんだ立派なものだそうです。
良く見てこなかった自分を猛反省。
長島香取神社or八雲神社 境内社
何の神様が祀られているか不明な境内社です。
石碑の配置などから、この境内社の左側を境に、長島香取神社と八雲神社を分けている気もします。
私の推測は、この境内社は、八雲神社の境内社なのでは...
長島香取神社 境内社 八雲神社
昭和26年に長島村の西部にあったものを遷座したそうです。
新編武蔵風土記稿の長島村には、この神社(八雲神社)の記載がありません。
正圓寺持ちで神明社、湯殿山権現社。清光寺持ちの天神社の何れかが該当するのでしょうか?
正圓寺や清光寺はこの場所より東側にあり、長島村の西部に神社を持たないような気がします。
境内に、八雲神社の由緒書きの石碑があります!
言い伝えによれば、八雲神社は、徳川中期のおよそ300年前に創建。創建当時は稲荷神社だったそうです。遷座していたのは、長島町227番地(現在の東葛西2丁目28-16)
おやっ?
この住所は、梵音寺の住所です。
さあ、判らなくなりました。では、梵音寺の境内と思われる場所にある稲荷社は何もの?
長島香取神社 境内社(石造り祠)
3連タイプの祠が2つあります。
ひとつ目は、「三峯神社」「稲荷神社」「龍神社」。
ふたつ目が、「天祖神社」「御嶽神社」「事比羅神社」。
他の方が書かれている数年前のブログでは、祠が3連タイプでは無かったので、最近、作り直されたようです。
この6つの神社の内、新編武蔵風土記稿で境内社として記載があるのは、龍神宮、三峯権現、金比羅の3つです。
江戸川区内で、龍神宮に出会うことはめったにないのですが、今日は2つも出会いました。
長島の富士塚
明治41年に作られた後、再建されたとあります。
塚の高さが4mあり、江戸川区内でも大きい方の富士塚になります。
長島香取神社 境内社 諏訪神社(建造中)
本殿右奥に、建造中の境内社がありました。
どうやら、以前からあった諏訪神社を建て直しているようです。
庚申塔
長島香取神社の前には庚申塔もあります。庚申塔の詳細はこちら
大当稲荷神社(馬場稲荷)
大当稲荷神社の所在地:江戸川区東葛西2丁目35-14
入り口を見つけるために、グルグル回ってしまいました。
一の鳥居から細長い参道を進むと、「大当稲荷神社」があります。
何とも、縁起の良さそうな名前の稲荷神社です。
江戸川区史によれば、大当稲荷神社は、もともとは、馬場稲荷と称していたそうです。
創建は不詳ですが、300年以上の歴史ある稲荷神社だそうです。見えませんが...
長島香取神社の境外摂社だそうです。
住宅に囲まれた場所にあり、質素な稲荷神社でした。
先ほどの長島香取神社にあった「長島之碑」に長島村の歴史が刻まれていました。
それによれば、長島村には足利時代に長島高城があり、字名として「表門」「裏門」「馬場」「宿」「堂屋敷」などが記録に残っているそうだ。
つまり、ここは「馬場」という場所にあった「稲荷神社」ってことです。面影は全くないですが。
稲荷神社
稲荷神社の所在地:江戸川区東葛西2丁目32-2
名も無きお稲荷さんが、道路わきにありました。
赤い鳥居、祠の前の小さな狛狐で稲荷神社という判別はつきましたが、それ以上のことは分かりません。
長島村の旧家の氏神様なのでしょうか?
祠は平成27年に建立されたものでした。
稲荷神社(正圓寺)
正円寺の所在地:江戸川区東葛西3丁目4−22
江戸川区教育委員会設置の看板が気になって足を止めたお寺さんです。
文明年間(1469-1486)以前の草創と伝える旧長島村の古刹です。
写真を撮っていると、境内の左に鳥居と祠があるのに気が付きました。
赤い鳥居。祠の中を覗くと「家内安全」と書かれた御神燈。狛狐らしきものが見えます。
どうやらお稲荷さんのようですが、詳細が分かりません。
荼枳尼天を祀っているのでしょうか。
庚申塔
正圓寺の境内には江戸川区登録有形民俗文化財の庚申塔もあります。庚申塔の詳細はこちら
明和五子天(六臂青面金剛像)
六臂青面金剛像の所在地:江戸川区東葛西3丁目14あたり
「明和五子天」って、何ですか?
googleマップ上に「明和五子天」と表記され、史跡のマークが付いていたので、立ち寄ってみました。
住宅の一角に、その石仏を発見します。
かなり風変わりな石仏です。
石仏の向かって右側面に「明和五子天」、左側面に「十月吉祥日」
googleマップに表示される「明和五子天」は、名称ではなく建造年月のような気がします。
明和が年号だとすると、明和5年は、1768年になります。
「明和五」の後ろが干支と思いますが、干支なら1768年は「戊子」や「子」です。「天」は、時間を指すこともあるようですが、年の意味として使われるのかは、私には分かりません。
この石仏は、庚申塔のひとつである「六臂青面金剛像」というものらしい。
踏みつけているのは、邪鬼だろうか。手にも邪鬼をぶら下げています。
首の周りには、ドクロの首飾り。おどろおどろしいにも程がある!。夢に出てきそうです。
詳細を調べました。手にぶら下げているのは邪鬼じゃなくてショケラ
下今井香取神社(境の宮)
下今井香取神社の所在地:江戸川区東葛西1丁目45-29
下今井香取神社は、境の宮とも称し、下今井村の総鎮守だったそうです。
境内には、氏子の方が建てた御由緒の看板があります。
それによれば、下今井香取神社のある場所は、
長島村や桑川村との村境にある下今井村の神社のため、「境の宮」と呼ばれていたそうです。
創建は不明ですが、境内に宝永四丁亥年九月と刻まれた石碑があることから300年以上前から祀られているとされてます。
本殿の造営は記録がないが、江戸時代の中期と言い伝えられている。
明治6年に改修が行われ、平成7年に大改修が行われている。
下今井香取神社 境内社 水神宮
鳥居の向こう側には、石造の祠が2つあります。
境内の由緒書きにあった水神宮が祀られているようです。
ふたつとも水神宮なのかは分かりませんが、毎年7月15日に水難防止を祈願しているそうです。
下今井香取神社がある場所からは、数十mで江戸川です。
もうひとつの祠は、変わり種の庚申塔
水神宮の横にあるのは、かなりの変わり種の庚申塔です。
妙見神社
妙見神社の所在地:江戸川区東葛西3丁目17
今日一番楽しみにしていた、妙見島に上陸します。
産廃処理、ラブホテル、マリーナ、食品工場、社宅がある江戸川の中州にある島、それが妙見島です。
トラックやダンプがバンバン走り回っているので、車道を歩くのは危険きわまりないのですが、マリーナから先の妙見神社までは、歩道がありません。休日に行く方が安全かも。
妙見島にある神社だから妙見神社かと思ったが、違うようです。
妙見神社が先にあって、妙見島という名前になったのだとか。
新編武蔵風土記稿の東一之江村の項にある妙見堂が関係しているようだが、何で、この場所から離れた東一之江村の項に登場するのか、私の理解を超えています。
更に言えば、江戸時代は、この島は、対岸の欠真間村(千葉県)の飛び地でした。
そんな事情もあって、新編武蔵風土記稿には、妙見神社そのものは登場しません。
御祭神は、妙見様。
妙見様は、北極星と北斗七星の御神霊なんだそうです。
神社巡りは大好きなんですが、神様の話しになった途端、理解不能になる自分がいます。
後編に続く
ここまでで1万歩超えになるので、一回区切って、後編へ。
後編は、東京メトロ東西線の南側を巡ります。