金海稲荷神社に行ってきた。予想通り謎だらけの稲荷神社で楽しめそうです。

前から一度訪問したいと思っていた「金海稲荷神社」。

交通が不便な場所の上、周辺に私が大好きな古いものが少ないので、なかなか足を運べていませんでした。

それでも、ここを訪問したのは、「金海稲荷神社」の情報量の少なさが魅力的だったから。
そう、私はガイドブックに載らない場所が大好きなのです。

金海稲荷神社のある場所は、どんな所?

金海稲荷神社の所在地:江戸川区東篠崎2丁目4

篠崎街道沿いの旧江戸川側に金海稲荷神社はあります。
左隣は、造船所。右隣はスポーツ施設です。道路の反対側は王子製紙の工場です。

訪問時は、隣の造船所では、川などで資材を運ぶ台船がドックに入っていました。
工場が近隣にあるので、静かにお参りとはいかない場所です。

金海稲荷神社
金海稲荷神社

道路横の歩道から階段を下って、金海稲荷神社に入ります。
気を付けて歩いていないと見落とすかもしれません。

金海稲荷神社

金海稲荷神社は、とても小さな神社です。
階段を下りたら数歩で本殿の前まで進めます。

金海稲荷神社
金海稲荷神社

江戸川区の資料によれば、金海稲荷大神が本尊とあります。それ以外で判ることと言えば、「篠崎浅間神社」の境外末社であることぐらい。由緒に謎が多いところに魅力を感じます。

金海稲荷神社 社殿
金海稲荷神社 社殿

本殿は古そうですが、目に見える傷みは無さそうです。大切にされてきたことが伝わってきます。

金海稲荷神社 狛狐(右)
金海稲荷神社 狛狐(右)

狛狐さんの古そうですが、鼻の部分が左右ともに欠落しています。猫みたいな顔です。

良く見ると、右の狛狐縄のようなものを咥えています。珍しい。

金海稲荷神社 狛狐(左)
金海稲荷神社 狛狐(左)

左の狛狐は、一般的な玉取りというやつです。

それにしても、この2匹の狛狐の雑な作りは、素人が手彫りで削り出した感じさえします。
かなり古いものではないでしょうか。狐を見たことがない石工が想像で作った?参考にしたのは猫ってことは無いでしょうが...

それとも石工の腕が単に...

多分、後者でしょう。

最後に社務所の看板を確認して、情報収集を終えます。

社務所兼東篠崎共栄町会館
社務所兼東篠崎共栄町会館

社務所に出ている看板は「東篠崎共栄町会館」。江戸川区のホームページで確認すると、このあたりの町会ですが小規模な町会です。

現地で収集した情報を整理し、推測してみる

最初の疑問)ご本尊の「金海稲荷大神」とは?

ネットで調べても「金海稲荷大神」は、出てきません。

但し、対岸の行徳に「金海法印」という修行僧(山伏)がいました。時代はハッキリしないものの1500年代~1600年代と言われています。

金海法印は、が高くいが正しかったっことから「行徳さま」と呼ばれたと言い伝えられています。
土地の開発や神明(豊受)神社を勧進したと言われています。

神明(豊受)神社まで、直線距離で400~500m。旧江戸川を挟んだ対岸ですが、何らかの影響を受けたと考えても良いかもしれません。

ふたつ目の疑問)狛犬(狐)が綱を咥えるのには、何か意味がある?

狐が咥えていると言えば、巻物。今回は綱。
広島の方に狛犬が綱を咥えているパターンが存在することは確認できました。

しかし、どんなに調べても答えに辿り着きません。

狛犬であれば、神様を守るためにそこにいますが、狛狐神様の世話をしたり、神様と人間の橋渡しをするためにいます。

どんなに想像力を働かせても、綱が必要なシーンが思い浮かびません。なので妄想するしかありません。

川辺の綱と言えば、舟を繋いでおく綱(ロープ)が思い浮かびます。
もしかして、ここは行徳の飛び地(田んぼ)?で、村民の行き来があったとか。対岸からの渡し船で!

唯の妄想とも言い切れません。ここから西に行ったところに「當代稲荷神社」があります。ここは対岸の當代島(浦安)の飛び地だったくらいです。

今昔マップ on the webでみると、この金海稲荷神社がある場所は「中洲」と呼ばれる集落で、渡し船らしき絵も描かれています。対岸との交流が地図の上でも確認できました。

更に調査を進めると、江戸川区立図書館デジタルアーカイブスに収録された明治38年の地図にハッキリと「行徳飛び地」と記載されてました。新編武蔵風土記稿をいくら探しても、この金海稲荷神社の記載が無い理由が分かりました。

場所は不便でしたが、「金海稲荷神社」は充分楽しめました。