大野町や大町を巡って路傍の石造物を見て回ります

市川市大野町や大町で、路傍の石造物を中心に見て回ります。
この地区は、多くの庚申塔が道端に残っています。

12か所に立ち寄り出会った庚申塔は13基。庚申塔以外では馬頭観音、微発馬匹記念碑、道祖神・道六神、題目塔、身延講記念碑など多数。

この地区には、もっとたくさんの庚申塔があります。
エリアが広く今回は回り切れなかったり、どこにあるのか分からず探し回っていたり、立ち入り禁止だったり、といった理由で網羅できてません。

大野町2丁目の庚申塔

千葉県市川市大野町2丁目の路傍

明治時代の地図を見ると、この場所は、柏井方面から続く道と、殿台、御門、迎米へ向かう道との交差点。この場所に庚申塔があるのは、当然といえます。
ただ、現在は交通量が多い道路脇にあり、庚申塔をじっくり眺めたり撮影することは通行の妨げになってしまいます。気を付けましょう。

大野町2丁目の庚申塔
大野町2丁目の庚申塔

この石造物が庚申塔と分かるのは、「南無妙法蓮華経」と書かれた下に三猿が描かれている点です。
写真を見て分かる通り、石柱の前にペットボトルが置かれていて、三猿が確認しにくいです。

奉納年は、右側面に「寛政八丙辰年」と刻まれています。
寛政8年(1796年)の奉納ですが、昭和59年に改修をしています。

曽谷山法蓮寺の入口にあった庚申塔などの石造物

千葉県市川市大野町4丁目2994あたりの路傍

曽谷山法蓮寺に続く道の入口に庚申塔など複数の石造物があります。
法蓮寺は健治3年(1277年)創建、日蓮宗のお寺さんです。今日巡る大野町、大町は日蓮宗が強い地域です。この地域にお寺さんは9寺ありますが、8寺は日蓮宗。残る日蓮宗以外のお寺は、このあたりの宅地化が進んだ昭和の時代に創建。そんな地域なので、石造物にも日蓮宗の影響が見られます。

法蓮寺の入口にあった庚申塔、馬頭観音
法蓮寺の入口にあった庚申塔、馬頭観音

この場所にあったのは、庚申塔が2つ、題目塔がひとつ、微発馬匹記念碑が2つ。
看板の後ろに隠れた「曽谷山法蓮寺」の標石は除いて、右端から順番に見ていきます。

「庚申」と刻まれた石造物

「庚申」の文字の下に三猿が描かれています。台座には「講中」とあります。
側面に年号があるのですが、はっきり読み取れません。

「庚申」と刻まれた庚申塔
「庚申」と刻まれた庚申塔

目視では読み取れないので、手元の資料「市川市の石造物(市川歴史博物館発行)」を取り出し照合していきます。
右側面に「天保十二辛丑年」、左側面に「閏正月庚申日造立之」。
天保12年(1841年)の庚申塔でした。

お経の書かれた石造物と「庚申塚」

写真中央はお経の書かれた石造物、その左側に「庚申塚」と刻まれた比較的新しい石造物があります。

題目塔(中央)と庚申塔(左)
題目塔(中央)と庚申塔(左)

お経の書かれた石造物は「題目塔」

正面に刻まれた文字は「南無妙法蓮華経 奉唱一千部供養塔」
右側面に「維持 文化元年甲子十一月」、左側面に「自他倶安帰寂光」
「市川市の石造物(市川歴史博物館発行)」では、「自他倶安帰寂光」としていますが、「同」を「回」の旧漢字「囘」と判読したようです。
お経の一節を抜き出したと思われるので、「自他倶安帰寂光」が正解と思います。

こちらの石造物は、文化元年(1804年)の年号がありますが、後世に造り直された題目塔でした。

「庚申塚」と書かれた石造物は

奉納者以外の情報が得られません。と思っていましたが...
帰宅後写真を確認していると、微発馬匹記念碑の写真に、こちらの石造物の裏側が写っていました。
そこには「昭和49年3月吉日」と奉納年が入っています。
かなり最近の庚申塔です。願主の名前から見て再建ではなさそう。ということは新規でしょうか?
庚申信仰は明治の初めにはブームが去ったので、この年代で新規に造立するのは非常に珍しい。

微発馬匹記念碑(右側)

明治28年3月奉納の微発馬匹記念碑です。台座には「村内安全」と刻まれています。
左側面に、経緯として日清戦争時の話しが書かれています。

微発馬匹記念碑(右側)
微発馬匹記念碑(右側)

微発馬匹記念碑(左側)

「微発馬匹記念碑」、台座に「殿臺」と刻まれた石造物です。
奉納は明治39年。日露戦争(明治37~38年)の際に軍馬として愛馬を差し出したことが書かれています。

微発馬匹記念碑(左側)

曽谷山禮林寺の庚申塔は見つけられず

禮林寺の所在地:千葉県市川市大野町4丁目3067

曽谷山禮林寺の境内に庚申塔があると聞いてやってきました。
実はお寺さんで石造物を探すのは、路傍の石造物を探すのと同じくらい大変。

まずは、本堂で手を合わせて、庚申塔が見つかることを祈ります。

曽谷山禮林寺 本堂
曽谷山禮林寺 本堂

ここの庚申塔は、難易度が高い文字だけで庚申塔か判断するタイプ。
形状は笠付角柱型という、お寺という場所では、一般的な形状の石造物です。

結局、願いが届かず、庚申塔を見つけられませんでした。リベンジを誓って、禮林寺を後にします。

梨畑に囲まれた場所で庚申塔を発見

庚申塔の所在地:千葉県市川市大町411あたりの路傍

駒形大神社の方から歩いてきて、動植物園方面に行く道路とのT字路に庚申塔があります。
立派な祠の中に収められた庚申塔は、不自然なくらい石の状態が良く、側面にある文字も確認できます。

大町411あたりの庚申祠
大町411あたりの庚申祠

青面金剛像に三猿と分かり易い庚申塔です。
側面の文字は、右側に奉納年「天保十三壬寅年二月吉日」、左側に奉納者「大町村」
天保13年(1842年)の庚申塔ですが、側面の文字はどう見ても機械で彫ったようなシャープさで、近年になって再建した感じ。

動植物園前の庚申塔と道祖神

動植物園前の庚申塔の所在地:千葉県市川市大町350−8

先ほどのT字路を右に曲がり、動植物園の駐車場を目ざします。
駐車場入り口付近の小屋の裏に、大きめの石造物と小さい石祠があります。
大きさが違い過ぎて並んでいるのが不自然な感じがしますが、どちらも集落の端で見かける石造物です。

動植物園前の庚申塔と道祖神
動植物園前の庚申塔と道祖神

明治時代の地図で確認すると、この場所は駒形という集落の入口。庚申塔や道祖神が祀られている理由が分かります。

動植物園前の庚申塔

「帝釋天」と彫られた大きな石造物は、庚申塔です。
明治28年奉納のものですが、既に石の表面が剥離し、一部が欠損している状態です。

動植物園前の庚申塔
動植物園前の庚申塔

台座には、奉納時の地名だった「大柏村大町」と刻まれていました。

小さい石祠は道祖神

劣化の進んだ石祠ですが、奉納は明治15年。
正面の文字は「道祖●」と一部読めなくなっています。(●の部分は剥離し欠損)

動植物園前の道祖神
動植物園前の道祖神

不動尊堂にあった石造物

安置不動尊堂の所在地:千葉県市川市大町72

しめ縄がある建物なので気になって立ち寄ってみます。
googleマップでは、「安置不動尊堂」と表示されています。
境内にあるのは、不動尊堂と石柱、記念碑だけ。無人の建物です。

不動尊堂
不動尊堂

記念碑には、昭和60年3月28日の日にちで「不動尊堂」改修記念と記されています。

「安置不動尊」と刻まれた石造物は何?

この石造物に書かれた文字から、解析を始めます。
石柱の正面に「安置不動尊」、右側面に「明治廿五年」「身延年参結社會之●建立之」「十二月吉日」
左側面に「南無妙法蓮華経 ●●」、裏面に「天下泰平 國土安穏」

身延講の記念碑
身延講の記念碑

身延講が結衆されたことを記念した記念碑でした。
身延講は、日蓮の忌日である10月12、13日に日蓮宗の総本山である山梨県 身延山久遠寺に参拝する宗教行事です。

左側面と思っていた「南無妙法蓮華経 ●●」の部分が、この石柱の正面であることが分かりました。また、●●部分は「日蓮」と書かれているそうです。

ところで、googleマップは「安置不動尊」と建物の名前のように表示してますが、この石柱に書かれた文字をそのまま地図に反映したようです。よくあるパターンですが、安置が付かない「不動尊堂」が、こちらの建物の正式な名前ではないかと...

地理院の地図では、何とこの場所には神社マークが付いています。今昔マップon the webで確認してみると、1992年以降が神社マーク、1983~87年は卍マークです。昭和60年の改修で何があったのでしょうか。

マンション角にある庚申塔

庚申塔の所在地:千葉県市川市大町431ー1 ロイヤルプラザ市川大町の角

マンションの敷地の外、見上げるような位置に庚申塔が2つあります。
何で、こんな場所にって感じですが、気にせず写真を...と思ったのですが、逆光に悩まされます。
撮影をするなら、曇りの日か、太陽が東の空にある内が良いでしょう。

大町431の庚申塔
大町431の庚申塔

何で、こんな場所に」という話題に話を戻します。
明治時代の地図を見ると、庚申塔がある場所は、大町という集落の中心地
庚申塔は、集落の入口に置かれるものという先入観があるので、違和感を感じます。

左側が青面金剛像、右側が文字タイプの庚申塔です

左側が青面金剛像、右側が文字タイプの庚申塔
左側が青面金剛像、右側が文字タイプの庚申塔

左側の青面金剛像は

青面金剛像の下に三猿が描かれています。
板面にある文字は、金属のバーと逆光で非常に読みにくいですが石の状態が良いため判読ができます。「元禄十四巳年」「十一月十三日」、奉納者名が多数。
元禄14年(1701年)の庚申塔でした。

右側の文字タイプの庚申塔は

文字の下に三猿が描かれています。
文字は「妙法蓮華経 庚申尊神」「天和二壬戌年」「十一月五日」、「講衆」奉納者名。
手元の資料では、の文字は「廿」だそうですが、どうやっても「廿」に見えません。
天和2年(1682年)の庚申塔でした。

中古車販売店の隣で庚申塔を発見

庚申塔の所在地:千葉県市川市大町506

庚申塔が中古車販売店の隣にありました。立派な祠の中に収められた庚申塔です。
最初に言っておくと、天明の年号が刻まれていますが、どう見ても近年の石造物です。

大町506の庚申堂
大町506の庚申堂

左側面に奉納年と奉納者名があります。「天明三卯」「二月吉日」
天明3年(1783年)の庚申塔でした。

右側面は、くずし文字で道標になっています。達筆すぎて読めないので資料に頼ります。
「向てか祢ヶさく」。今時風に言うなら、「向かって金ケ作(松戸市)」
台座も道標になっていて、台の右側面に「行徳道」、左側面に「印西道」だそうです。

殿台入口バス停の道六神

道六神の所在地:千葉県市川市大野町4丁目3919あたり 殿台入口バス停付近

「殿台入口」というバス停を見た時から、出会いの予感がありました。
集落の入口なので、庚申塔か道祖神があるのではと思い、キョロキョロしていました。
祠を見つけた時は、やった~って感じでしょうか。

殿台入口バス停の道六神
殿台入口バス停の道六神

台座のところに「道祖神」「農道 祈願主 中村 弥」「昭和47年3月吉日」と書かれたプレートが張られていました。
石祠の状態から判断しても、比較的新しい道祖神です。

大野地域ふれあい館横の庚申塔

庚申塔の所在地:千葉県市川市大野町3丁目1625−1 大野地域ふれあい館角

大野地域ふれあい館の角に庚申塔がありました。
台座に三猿と「庚申塔」の文字があるので、庚申塔とすぐに判明。
刻まれた文字や奉納年を確認しておきます。

大野地域ふれあい館横の庚申塔
大野地域ふれあい館横の庚申塔

石柱の正面に刻まれた文字は「南無妙法蓮華経」
右側面は「天下泰平國家安全」「五穀豊饒萬民快樂」
左側面は「維持 天保十二辛丑天」「四月大吉辰日」
天保12年(1841年)の年号がありますが、後世に造り直された庚申塔でした。

三社宮(神社)境内の馬頭観音

馬頭観音の所在地:千葉県市川市大野町3丁目1625−1

先ほどの庚申塔を見つける前に、フェンス越しに馬頭観音があるのに気が付きます。
大野地域ふれあい館の裏の空き地ですが、隣接する三社宮(神社)から入れました。

三社宮(神社)境内の馬頭観音
三社宮(神社)境内の馬頭観音

かなりの数の馬頭観世音が並んでいますが、まるで存在を忘れられているかのように置かれていました。
ここの馬頭観世音は、市川市の石造物(市川歴史博物館発行)には一切掲載がありません。
調査すらしてもらえなかった馬頭観世音たちです。

市川大野駅の近くにある庚申塔

庚申塔の所在地:千葉県市川市大野町3丁目1667向かいの墓地

共同墓地のような名も無き場所(番地もありません)の一角に庚申塔があります。
そこは、墓地の方からも行けますが、道路から専用の階段を上ると屋根もある整備された場所です。
庚申塔が4つ、小さな石祠が1つ、手水鉢がひとつ確認できました。

市川大野駅の近くにある庚申塔
市川大野駅の近くにある庚申塔

左端から順番に見ていきます。

左端の庚申塔は文政2年(1819年)

台座に三猿が描かれた庚申塔です。
石柱の正面は「南無妙法蓮華経」、左側面に奉納年があるのですが...

文政2年(1819年)の庚申塔
文政2年(1819年)の庚申塔

左側面に刻まれた文字は、「維持」「文●二己卯歳」「霜月大吉日」
文政の年号と思いますが、「」の字は、見えていても読めない変な漢字が使われています。

右側面は、先ほどの庚申塔と同じ「天下泰平國家安全」「五穀豊饒萬民快樂」。

文政2年(1819年)の年号がありますが後世に再建または修理された庚申塔です。

左から2番目の庚申塔は延宝8年(1680年)

形状は笠付角柱型、文字で庚申塔か判断するタイプです。
早速、文字を確認していきます。(右隣も文字タイプなので慎重に...)

延宝8年(1680年)の庚申塔
延宝8年(1680年)の庚申塔

正面の文字は「妙法 奉修庚申待為二世安樂成就」「延寶八庚申天」「十月吉日」
手元の資料によると「成就」の下に「也」がついているそうだが、目視では確認できません。
更に側面にも文字があるというが、気が付かなかった。
延宝8年(1680年)の庚申塔でした。

左から3番目の庚申塔は延宝2年(1674年)

形状は笠付角柱型、文字で庚申塔か判断するタイプです。
早速、文字を確認していきます。(左隣と似ているので...)

延宝2年(1674年)の庚申塔
延宝2年(1674年)の庚申塔

殆ど文字が読めないほど、細い線で文字が彫られています。
「延宝二甲天」「十月庚申吉祥日」「●●立●●三戸●●●」

肝心の部分が判読不能なので、資料に頼ります。
●●ばかりで判読できない中央に書かれた文字は「奉起立垂迹三戸鬼寶前」
言葉の意味はさっぱり分かりませんが、延宝2年(1674年)の庚申塔と判明。

右から2つ目にある謎の石祠

庚申塔と庚申塔の間にある謎の石祠です。
部分的ですが文字が読み取れます。

謎の石祠
謎の石祠

「亨保」「妙法 蓮休●」「六月廿三日」(赤字は推定)

手元の資料「市川市の石造物」にも出ていない石祠のため、正体が分かりません。
諸供養塔のような気がしますが...

右端の庚申塔は道標になっています

三猿の上に文字が刻まれた庚申塔です。
正面に刻まれた文字は「南無妙法蓮華経」と「東 船橋道」「安永五丙申十月吉祥日」

安永5年(1776年)の庚申塔
安永5年(1776年)の庚申塔

安永5年(1776年)の庚申塔ですが、道標にもなっていました。

正面「東 船橋道」、右側面「右 金ケ作道」、左側面「左 行徳道」、裏面「西 松戸道」。
今昔マップon the webを使って、この道標が元々あったであろう場所を探してみました。本光寺と生コン会社の間にあると丁度良い道標です。

石や刻まれた文字の状態から、近代になって修繕または再建された庚申塔と思われます。