JR総武線の下総中山駅からJR武蔵野線市川大野駅まで歩いて、神社を中心とした古いものを見て回ります。
下総中山駅に降り立ったのは平日の10時頃。人通りがまばらで店も開店していない法華経寺に続く参道を歩いて行きます。この参道は、一歩通行でも良いくらいの道幅なのに双方向通行で交通量もあります。車に気を付けて進んでください。
伏見稲荷大善神(蓮行寺内)
伏見稲荷大善神(蓮行寺内)の所在地:千葉県市川市中山3丁目3−2
法華経寺の参道を歩いているときに、道の脇に古く放棄された祠があることに気が付きます。
その場所には、蓮行寺参道と書かれた案内板が出ていました。
気になって蓮行寺に近づいてみると、何やら赤い幟が見えます。
幟の正体は、「伏見稲荷大善神」と書かれたお稲荷さん。
お寺さんの中に、お稲荷さんがあるパターンは時々あるので驚きません。
「大明神」じゃなくて「大善神」と書かれていることに興味を持ちました。
日蓮宗のお寺さんにあるお稲荷さんなので、「大善神」なのでしょうか。
正中山法華経寺
正中山法華経寺の所在地:千葉県市川市中山2−10−1
蓮行寺から法華経寺に戻ったのは、境内の景色が綺麗だからという理由です。
毎回思いますが、法華経寺だけで1つのコンテンツができるくらい色々あります。
でも、今日は遠くまで歩く予定なので、会心のワンショット(祖師堂と五重塔)のみカメラに収めて先を急ぎます。
正中山法華経寺は、鎌倉時代に創建された日蓮宗大本山の寺院。
五重塔、法華堂、祖師堂、四足門など、国指定の重要文化財が見どころ。
駒形堂
駒形堂の所在地:千葉県市川市中山3丁目10−22
泣公孫樹という史跡と同じ敷地内にあります。
駒形堂には2つの石碑があり、左側が馬頭観音です。右は判別不能。
いつもだと、道端の石仏や観音様は気にも留めないのに、なぜかカメラに収めました。
まるで、その後の展開を予想していたかのようです。
法華経寺 奥之院
奥之院の所在地:千葉県市川市若宮2丁目21−1
前回、中山法華経寺に行くなら、「法華経寺 奥之院」「若宮八幡宮」「大六天社」がセットと学びました。今回は、このセットを実行します。
この奥之院は若宮館跡とも言われます。
奥之院があるこの場所には、下総国の守護千葉頼胤に仕えた富木常忍の館がありました。
日蓮は、鎌倉の松葉ヶ谷で焼討ちにあったとき、常忍を頼って若宮に難を逃れました。この時、常忍が館の中に法華堂を建てたのが、正中山法華経寺の始まりとなります。
若宮八幡神社
若宮八幡神社の所在地:千葉県市川市若宮2丁目25-3
法華経寺奥之院からは、徒歩3~4分ほどで到着します。
木々に囲まれた児童公園の一角に若宮八幡神社は鎮座していました。
若宮八幡神社は、富木常忍の館の守護神として創建されました。
日蓮が初めて若宮を訪れた時に、若宮八幡神社の拝殿で説法をしたと言われています。
江戸時代は、奥之院が若宮八幡神社の別当を務めたそうです。
御祭神は、品陀別命と大山咋命です。
八幡神社の奉納記念碑
書いてある内容は、特に紹介する程ものではありません。
但し、これと同じ文面の奉納記念碑が、次に訪問する「大六天社」にもあります。
若宮八幡神社の境内社
社殿の左側に境内社らしきものがあります。
木製の看板があるものの、経年劣化で文字が読めなくなっています。残念。
大きな屋根が付いているように見えますが、大きな屋根の下に本来の屋根があります。
本来の屋根は、茅葺で、かなり古いものであることが分かります。
この境内社以外に、社殿右側の渡り廊下途中の注連縄がある部分を境内社としているサイトもあります。
私の感覚では、境内社らしく見えないので未掲載としました。
大六天社
大六天社の所在地:千葉県市川市若宮2丁目5−2
若宮八幡神社からだと徒歩で7~8分の距離ですが、先ほどの奥之院からは3分程の距離です。
参道の両脇には、様々な木が植えられていますが、どれもこれも立派な太さをしています。
タブノキは、幹回りが3mとか。そんな木を見ていると、かなり歴史のある神社のようです。
尚、このタブノキは市川市で一番太いタブノキだとか。
他のサイトでは、創建など由緒不明としています。実際に境内を見回しても、由緒書きはありません。
社殿に着いたら、賽銭箱と賽銭箱の上にある電球のカサに描かれた家紋に注目してみてください。
「七曜紋」という家紋(神紋)です。
下総国千葉氏の庶流が家紋として使っていたそうなので、千葉氏に関係する神社なのかもしれません。
大六天社の奉納記念碑
若宮八幡神社と同じ文面の奉納記念碑。
要約すると、「昭和48年から51年の間で、若宮八幡神社と大六天社の社殿を新築した」と書かれています。大六天社の狛犬は昭和44年の奉納なので、社殿のみ建て直したのだろう。
お祭り(例祭)は、若宮八幡宮と大六天社で合同開催となっています。
北方観音
北方観音の所在地:千葉県市川市本北方3丁目7−9
数多くの馬頭観音があります。
手前には、由来書きがありました。
「江戸末期の文政年間に、牛馬の供養塔を建てたことに始まる。
農耕や重量物の運搬で日夜労苦を共にしてきたので、その死も人間同様に手あつく弔われた。」
と記載されています。
白幡神社 (白旗神社)
白幡神社の所在地:千葉県市川市若宮3丁目47
中山競馬場通用口の直ぐ近くに鎮座していたのが、白幡神社です。
交通量の多い道路に面していて、信号待ちのドライバーが好奇の目で、こちらを見ていました。
由緒書きなどの掲載が無く、ネットにも情報が無いという状況です。
市川市作成の神社一覧にも掲載がありません。
今昔マップon the webによる過去の地図では、現在地とは少し違う場所に神社マークが確認できるので、何度か遷座したようです。
神額には「白幡神社」と出ている上、googleマップの表示も「白幡神社」なのですが、市川市の調査資料では「白旗神社」と表記されています。
少数派ですが他のサイトで、「白旗神社」と表記しているところがあります。なぜ、なんでしょうか。
市川市石造文化財調査報告書によれば、こちらの神社にある石祠は2つ。文字が一切読めないものがひとつ。「稲荷●社」と読めるものがひとつあるそうです。後者は境内社と思われますが、どうなんでしょう。
境内には、神社とは関係なさそうなお経が書かれた石碑(慰霊碑らしい)があります。
側面に「従是左 中山法華経寺道」とあり、道標となっていることが分かる。
中山法華経寺がある中山地区と法典地区間に坂があるため、江戸時代は馬で荷物を運んでいました。
北方十字路近くの白幡神社が、馬や駕籠(かご)かき、馬引きの休む場所になっていたそうだ。
白幡神社の境内社
こちらも何の説明書きも無く鎮座。
駒形神社
駒形神社の所在地:千葉県市川市北方町4丁目
うっそうとした森が神社がありそうな雰囲気を醸し出していました。
階段の一段目が妙に高く、上り下りがし辛い階段を行くと、コンパクトな境内と社殿がありました。
もはや由緒書きなど期待できるはずもなく、出会えただけで幸せと思わなければダメでしょう。
落ち葉が、ふかふかに敷き詰められた境内は、色々な意味で他の神社とは違う雰囲気があってステキ。
ネットも含めて、こちらの駒形神社に関する情報はゼロです。宗教法人の登録もされてません。
狛犬は平成もの。奉納者は個人名で1名。
祠を覗いてみた。紫の布(幕)や注連縄の紙垂の状況から、現在でも定期的な管理がされていることが分かる。尚、紫の幕は右二つ巴紋の神紋だった。
若しかして、個人持ちの神社?
この神社のすぐ近くに、「桜之霊場 龍経山 妙正寺」があります。
最初の頃に訪ねた「法華経寺 奥之院」。奥之院に曲がる角に「妙正寺道」と書かれた道標があります。
これが「妙正寺」と「奥之院」を結びつける「姥神伝説」に繋がり「姥山」という地名にも関連してきます。それはそれで面白い話になるのですが、盛りだくさんになってしまうので、今回は省略。
八幡神社
八幡神社の所在地:千葉県市川市柏井町1丁目1173
姥山貝塚に上がっていく道の途中に八幡神社はありました。
鳥居の先には拝殿のようなものがあります。
ここでは参拝せず、横に回ってみることにします。
拝殿の裏に本殿があり。横から入れるようになっています。
お供え物の飲み物があったり、お賽銭入れのようなものがあるので、この場所で参拝して良さそうです。
市川市の資料で、八幡神社の御祭神は「誉田別命」と分かりましたが、それ以外はさっぱり。
明治の地図では姥山という集落にある「八幡宮」と記述されていました。
姥山貝塚公園
姥山貝塚公園の所在地:千葉県市川市柏井町1丁目1235
折角なので、姥山貝塚公園に立ち寄っていきます。
トイレがどこかにあるらしいのですが、見つけられませんでした。ベンチの数も少ないので休憩には向いていません。
縄文時代中期から後期の馬蹄形貝塚です。
ここが貴重なのは、日本で初めて竪穴住居跡の全容をとらえることができた場所だからです。
説明書きが出ているので、「へー」とか「ほー」とか言いながら楽しみましょう。
観世音堂
観世音堂の所在地:千葉県市川市柏井町3丁目
この場所は、今昔マップon the webで見ると明治から1980年代までは、神社マークで表示されていました。現在も鳥居がありますが、鳥居の先の社殿には「観世音」と額が出ています。
神社が観世音になったのか、神式で儀式が行われる観世音なのか良く分かりませんが、神仏習合として興味深く見ておきましょう。
境内には、所狭しと石柱があります。
馬頭観音が多いですが、軍馬の紀念碑などもあります。
日清戦争(1894年)の時に、この町の馬が軍馬として戦地に送られたそうです。
そのことが紀念碑に刻まれているとのこと。
こちらの建物は、普段は集会所として利用されているそうです。
子安神社 (別名:土神社)
子安神社の所在地:千葉県市川市柏井町3丁目654
これは鳥居なんだろうかと悩む鉄の棒。
大型車両(不法投棄をするけしからん奴)が入らないようにするバーのようにも見えます。
裏側に奉納者の名前が入っていたので、こちらを一の鳥居と数えることにしました。
三の鳥居に出ている神額は、びっくりの「土神社」!
道を間違えたのかと思って、思わず振り返ってしまった。
明治の地図では「土神社」と表記されているので、それ以降に「子安神社」になったのだろう。
長い参道の先にあったのは、集会所のような拝殿。
ここで手を合わせそうになりますが、建物の裏に回ってみます。
何気なく置かれてますが、この手水鉢には、元文五年(1740年)の年号が入っています。
子安神社の本殿というか社殿と言うのか...
横から出入りができます。
賽銭箱があったり、鈴緒があるので、普段からこの場所で参拝するスタイルなのだろう。
社殿前の御神燈は、文政十年(1827年)と年号が入っています。
とにかく古く伝統のある神社ということは分かりましたが、創建年や由緒などは不明なままです。
庚申五層塔
市川市指定の重要有形文化財になっている庚申五層塔です。
元禄3年(1690年)に建てられたもの。
五重塔を模した庚申塔は非常に珍しく、千葉県下では、ここだけです。
子安神社の境内社
本殿の裏手の空き地に石造りの祠が2つあります。
左側の小さな方には「大日」と文字が刻まれていましたが、右側は文字がありません。
「大日」の方は、大日如来を祀っているのでしょうか。
天満神社
天満神社の所在地:千葉県市川市柏井町3丁目549
道に迷ったおかげで、天満神社の参道はスグに見つかりました。
それくらい参道の場所が分かり難い「天満神社」です。
社殿に上がるところに、お年寄りのために手すりがついています。見た目は、小さな一軒家。
中の様子は分からず、本殿が別棟になっている訳ではないので、どこで参拝して良いのか分からない。
何気なく置いてある、ごく普通の手水鉢。嘉永6年(1853年)の奉納。
石造りのものの中でも、手水鉢は特に丈夫なので、古いものが残っていることが多い。
由緒書きが無く、正確なことが一切分からない。
他のサイトの情報では、子安神社と同年代の創建と言い伝えられているそうだ。
そもそも、子安神社の由緒や創建年が定かでないので、どうしようもないが。
水神社 (別名:御井神社)
水神社の所在地:千葉県市川市柏井町4丁目441
神額の表示やgoogleマップでは「水神社」となっている神社です。しかし、宗教法人としての登録は「御井神社」となっている関係で、他サイトは、この神社を「御井神社」と表示しています。
この名称の違いに迫れるのでしょうか。
鳥居からまっすぐ進むと、集会所のような小屋にぶつかる。
木製の看板が出ています。文字が薄くなっていますが「柏井四丁目自治...」まで読めました。
ここが、拝殿という雰囲気ではないので、裏に回ってみます。
小屋の裏に、水神社の社殿がありました。
小屋の裏からも出入りできる構造になっているので、拝殿のような使い方もしているようです。
若しかして、手水鉢が凄い古いものでは?と思い、年号を確認したが昭和でした。
神社の社殿で、神社名を判断できるものがないか見て回りますが、全く何もありません。
それにしても、先ほどの「土神社」といい、こちらの「水神社」といい。名称不一致が多過ぎです。
最後に、今昔マップon the webで、柏井町の明治時代の地図を見て回ります。
水神社がある場所は、新田(しんでん)という集落でした。他も見てみます。
子安神社(土神社)と天満神社は、本村(ほんむら)という集落。
観世音堂は歩橋(かちばし)という集落。
八幡神社は姥山(うばやま)という集落。
柏井村には、もうひとつ集落(瓜作/うりさく)がありましたが、そこには神社が見当たりません。どういうことでしょう。
どの集落も農業が中心だったそうですが、作っていたものが違うようです。
水神社がある新田は、その名の通り、水田があったのでしょう。(現在は梨園が広がっていますが)
土神社があるあたりは、地図の上では果樹園のマーク。
そういったことが、土や水への信仰に繋がっていったのかもしれません。
市川大野駅まで歩く
水神社での参拝を終えたところで、帰路につくことにしました。
ここまでの歩数は2万歩あまり。
普段なら、まだ歩ける歩数ですが、アップダウンのあるコースを歩いてきたので、体力の限界が近づいている自覚があります。
最後のひと頑張りで、市川大野駅まで歩くことにしました。(バスも走ってます)
市川大野駅周辺に飲食店がありません。途中にあったロードサイド店のとんかつ専門店かファミレスに寄れば良かったと最後の反省。(中山競馬場のあたりで早めの昼食がおススメ)
今回の歩き旅のキーワードは、アップダウンのある地形と馬。
法華経寺のある中山と法典や柏井間で、物の運搬手段として馬が活躍していた理由が実感できる散歩コースでした。