東墨田白髭神社。対岸の葛飾区にも関係する神社でした。

荒川放水路沿いにある東墨田白髭神社は、川沿いに様々な工場がある中に、鎮座している神社です。

近くにある建設資材工場から、砂利のようなものを満載したダンプが鳥居の前を走る道路を爆走してきます。道幅もあり、ガードレールもあるのですが、路駐の車がいたりして、安心して歩けない通りです。

まずは東墨田白髭神社を参拝

道路沿いに、大きな鳥居があるので、迷わず辿り着けます。
神社前の道路上には、商用車が1台駐車していましたが、撮影の邪魔にならない位置で助かりました。

入り口には、ラジオ体操会場の看板が出ています。

東墨田白髭神社 鳥居
東墨田白髭神社 鳥居

鳥居をくぐると、そこには、斜め後ろ向きの社殿が姿を現します。更に境内の右手には、多数の車が駐車、と言っても、参拝客の車ではありません。

東墨田白髭神社 社殿
東墨田白髭神社 社殿

一瞬、入り口を間違えたのかと錯覚しますが、これで正しいのです。
荒川放水路側の方にしか鳥居はありません。鳥居のところで一礼して、顔を上げると神様はそっぽを向いている感じですが、それが東墨田白髭神社の参拝方法。

東墨田白髭神社 拝殿
東墨田白髭神社 拝殿

参道を歩いて行くと拝殿の前に出ます。
拝殿前は、とっても狭いスペースしかありません。なぜ、こんなレイアウトになったのでしょうか。

今昔マップ on the webで時代を遡ってみます。
明治の地図をみると、このあたりが下木下川という集落だったことが分かります。
そして、東墨田白髭神社の場所は、なんと現在地より300mも東側。荒川放水路が出来て、下木下川という集落の大半が水没。集落の移転先に神社も遷座したということです。
更に時代を進めると、1950年代までは、現在地ではなく、先ほど歩いてきたダンプが通る道路上にありました。つまり、川沿いに道路が出来て、2度目の遷座をし、今のようなレイアウトになったと考えられます。

境内にある由緒書きを見てみましょう。2つの石板に詳しく掲載されています。
荒川放水路が出来る頃、上木下川(現葛飾区東四つ木)と下木下川(現墨田区)の2つの集落で、この神社の維持運営をしていました。
その割合が、上木下川が4分、下木下川が6分だったので、下木下川に移したのだそうです。

さて、ここで問題です。由緒書きには続きがあります。以下、原文のまま掲載
又同時に上木下川にあった天満宮の御社を下木下川に移社し、現在王子、白髭両神社の社殿となす。大正四年...」
何か変...この謎解きは、一番最後に記載しました

東墨田白髭神社の狛犬

境内の狛犬には、奉納年が入っていませんでした。

東墨田白髭神社の狛犬(右)
東墨田白髭神社の狛犬(右)

左右の狛犬は、口の開け方の違いだけでなく、目の見開き方も違う作りになっています。
毛の生え際も違うのは、意図したのか、下手なのか...

東墨田白髭神社の狛犬(左)
東墨田白髭神社の狛犬(左)

頭と体のバランスや細部の作りなどを見ると、後者かも。

境内のすみっこの方に「富士講の碑」もあります。折角なので、石碑を見て「へー」とか「ほー」とか言っておきます。

東墨田白髭神社の基本データ

鎮座地:

墨田区東墨田3丁目13-24

交通アクセス:

JR総武線平井駅より徒歩24分
JR総武線新小岩駅より徒歩36分
京成押上線八広駅より徒歩14分

御祭神

猿田彦命

御由緒 (境内の由緒碑より抜粋)

貞観2年3月(860年)に創建。旧社号は白髭明神。
別当天台宗木下川薬師。木下川薬師の守護神として霊験あらたかと言われていた。

注)墨田区史によれば、「創建年は不明。嘉暦2年(1337年)以前の創建と伝えられる」としています。

江戸時代の資料、新編武蔵風土記稿から読み解く

東墨田白髭神社は、新編武蔵風土記稿において、上木下川村の条に登場します。

白髭社
太神宮山王を相殿とす。當村及び下木下川村の鎮守なり。白髭は前に云唱翁を祀り、白髪老翁の像及ひ慈覚大師の作なり。不動を本地佛とす。太神宮に雨実童子の像、本地佛恵心作の弥陀、山王の神体は丸石なり。縁起に云、此山王の本地垂跡の像とも兵乱の時失せしより、天正五年の夏良完と云僧、法を修して其像を需めしに、六月八日の夜夢の告ありて枕の邊に此石降れり。よって神体とせし事をのす。(原文まま)

荒川放水路が出来たことで、様相が変わってしまいましたが、荒川放水路の開削前は、上木下川村と下木下川村の境目当たりにあった万福寺と木下川薬師の境内に鎮座していました。この場所は、上木下川村の範囲でしたが、両村の鎮守として信仰を集めていました。

墨田区の資料によれば、荒川放水路の開削により白髭神社が東墨田3丁目に移転したこと、下木下川村の住民のほとんどが移転の対象となったそうです。

さて、先ほどの何か変の答え探しを始めます

同時に上木下川にあった天満宮の御社を下木下川に移社し、現在王子、白髭両神社の社殿となす

どういう意味なのでしょうか。

「王子」と言っているのは、葛飾区東四つ木にある「王子白髭神社」しかないと思われます。
であるならば、上木下川に移社ではないのか?

そこで、ひとつ仮説を立てました

元々の白髭神社(上木下川)の社殿は、葛飾区東四つ木(上木下川)に移転し、王子白髭神社と称することにした。かつ、元々の白髭神社の分祀とした。

東墨田3丁目で白髭神社(東墨田白髭神社)を名乗る方の社殿は、上木下川に鎮座していた天満宮の社殿を移設して使うことにした。かつ、元々の白髭神社の御神体(丸石)を継承する形にした。
これで、2つの集落の氏子が納得できる妥協点を見出した。

まあ、仮説ですが良い線いっているかと...