今回の石造物巡りは、市川市若宮2丁目の奥之院をスタートして、下総中山駅方面に向かいながら寺院などで石造物を見て歩きます。
出会った石造物は、狛犬・狛狐、弁財天・龍神・水神、馬頭・牛頭など様々。
お寺巡りでも、結構いろいろな石造物に出会えました。
奥之院で弁天様と狛犬を見る
奥之院の所在地:千葉県市川市若宮2丁目21−1
最初の訪問先は、正中山奥之院です。
何度か参拝したことがありますが、法華経寺と違い、参拝客と出会ったことがありません。
奥之院の狛犬
山道を入って直ぐ左横に狛犬が1匹います。
台座が無いので、奉納年は確認できません。
市川歴史博物館発行の調査資料「市川市の石造物」にも記載がない狛犬です。
見た目でいえば、大正時代から昭和の初め頃の狛犬のようです。
奥之院 本殿
山号を正中山といい、「正中山 奥之院」が正式名です。
日蓮宗の寺院で、元徳3年(1331年)の創建。(市川市ホームページより)
入り口付近にある市川市教育委員会設置の説明書きでは、創建年に言及がなく曖昧な表現になっています。
若宮館の主で、法華寺を創建した富木日常は、1299年没といわれる。
太田乗明の居館に創建した本妙寺との合寺の時期が、元徳3年(1331年)。
合寺した時は、本妙法華経寺と号したという。
願満弁財天女尊
境内に「弁財天」の説明書きが出ています。この説明書きで気になった部分のみ抜き出します。
「弁財天は古来より宇賀徳正神と表裏の関係で祭祀されることを思うと、法華経寺の宇賀徳正神と当寺の弁財天も表裏の関係と思われる」
折角なので、後で法華経寺の宇賀神堂も参拝しておくことにします。
願満弁財天女尊は、参拝する場所の左奥に、大掛かりな弁天池があります。
弁天様の像があったり、崖の上にある龍の口から水が落ちてくるようになっていたりと手が込んだ仕掛けがあるのですが、参拝した日は水は流れていませんでした。残念。
妙正寺を案内する道標
道標の所在地:千葉県市川市若宮2丁目21−1あたりの路傍
奥之院の山道方向に曲がる角、郵便ポストの隣にありました。
書かれている文字は、「妙正寺へ十四丁」
奥之院と切っても切れないのが、七経塚伝説がある妙正寺です。
道標は近世のもののようですが、七経塚伝説に従って、奥之院から妙正寺まで歩いてみるのも良いかもしれません。
日英寺の立派なお稲荷さんにビックリする
日英寺の所在地:千葉県市川市若宮2丁目11−22
少し脇道に入りますが、日英寺に向かいます。
日英寺では、見たいものがあります。
お寺の入り口を入ると、正面に、鳥居!
まるで神社のような立派な社殿もあります。
お稲荷さんの前には、狛狐。
更に休憩用のテーブルと椅子が用意されています。
お墓参りに来られた方の休憩所も兼ねたお稲荷さんでした。
日英寺の本堂
日英寺の本堂は、境内に入って直ぐ左横。
意外に地味な本堂ですが、日蓮宗のお寺さんで、文応元年(1260年)の創建です。
(創建年は、市川市のホームページから転記)
本堂の上に掛かった額には「本覚山」と出ています。(本覚山は日英寺の山号)
ん?
中山四院家よりも古く、法華経寺の創建と同じ時代。
すごく歴史のあるお寺ですが、ネット上には殆ど情報が出ていません。
日英寺の守護神でしょうか
境内の片隅に小さな祠がありました。
お寺さんの守護神でしょうか。何の神様が祀られているかは分かりません。
法宣院で神徳稲荷を見る
法宣院の所在地:千葉県市川市中山3丁目12−1
山号は正中山。正中山法宣院は、日蓮宗のお寺さんで正和2年(1313年)の創建です。
山門に掛かった額には「法宣窟」と書かれています。
法宣院は中山四院家のひとつです。
中山四院家とは、法華経寺を中心に日蓮の教えを守ってきた重要な4つの塔頭のことです。法宣院のほか、浄光院、安世院、本行院が中山四院家とされています。
本堂の前も駐車スペースになっているので、車が停まっています。本殿の雰囲気が良いので駐車車両が邪魔に感じてしまいます。
本堂でお参りしようとしますが、賽銭箱が遠い。
投げろということでもないようですし...困った。
法宣院 神徳稲荷
駐車場奥の小高くなった場所に神徳稲荷があります。
小さな祠程度のものを想像してやってきましたが、意外なことに都心の神社ほどの広さがある立派な稲荷社でした。
日英寺といい、法宣院といい、何でこんなに立派な稲荷神社があるのでしょうか。不思議です。
神徳稲荷の社殿の右横に、壊れてしまった石祠が4つ並べられています。
文字は読み取れないため、何の石祠か定かではありません。
小さな狛狐もあったので、全部お稲荷さんのようにも思えます。
法宣院 白龍大善神
意外な場所に、白龍大善神がありました。
奉納は、昭和51年。
法宣院 牛頭栴檀王
牛のオブジェの上に「牛頭栴檀王」の文字碑が乗った石造物です。
牛頭栴檀王の読みから難しい、牛頭栴檀と書いて「ごずせんだん」。南インドの牛頭山に生える栴檀から作った香料のこと。
でも、ここ(お寺)では意味が違います。馬頭観音との対比で、牛の神様として扱われているようです。
裏側にも文字がありますが、立ち入れないので見ることはできません。
手元の資料では、明治27年の奉納です。
法宣院 馬頭観世音
「牛頭栴檀王」の隣にあります。牛の隣は馬、ということで「馬頭観世音」です。
奉納年は入っていません。
浄光院
浄光院の所在地:千葉県市川市中山3丁目10-4
中山四院家のひとつである浄光院にも立ち寄ります。
筆者が大好きな石造物や境内社が無いことは承知の上で、「中山四院家、全部見て回る」ため参拝していきます。
浄光院の山号は正中山。日蓮宗のお寺さんです。
創建は、定かではなく1300年頃と言い伝えられています。
山門を入ると、趣のある本堂があります。境内には他に何も見るところがありません。
幼稚園(みどり幼稚園)を併設した、今時のお寺さんという感じの寺院でした。
平日に訪問すると園児たちの賑やかな声と、ママチャリが境内に並んでいたりということがあるので、わびさびの世界に浸るのであれば、休日の参拝をお薦めします。
中山法華経寺で龍神、弁天と太田稲荷を見る
中山法華経寺の所在地:千葉県市川市中山2丁目10
山号を正中山といい、正中山法華経寺は日蓮宗の6大本山のひとつに数えられます。
創建年は、市川市のホームページでは元徳3年(1331年)、wikipediaでは文応元年(1260年)としています。中山四院家である法宣院の創建(1313年)より後ってことはないだろう...
写真の五重塔は、国指定の重要文化財。祖師堂や法華堂、四足門も同様。
訪問した日は平日だったが、保育園児たちが遊び回っていて楽しそうにしていた。
これだけ広い境内とトイレが完備された場所なので、小さい子供を遊ばせるには良い場所だ。
宇賀神堂
弁才天と表裏の関係といわれる宇賀徳正神が祀られる宇賀神堂です。
中に安置されているであろう宇賀徳正神のお姿でも観れれば、「へ~」とか「ほ~」とか声も出るのですが、建物の外から見ても何の感動もありません。
龍王池の龍神と辨財天
龍王池の正式名は八大龍王池。
「日照りに苦しむ農民のため、日蓮が八大龍王を祀って祈祷したところ霊験が現れて雨を降らせたという」言い伝えが残っています。
龍神の石祠、石碑、石柱、蛇の像など、多数の石造物が並んでいます。
数えてみると22~23個の石造物があります。
その殆どに奉納年は入っていませんが、年号のあるものでは、一番古いものが明治20年、新しいもので昭和38年となっています。
龍神ばっかりと思っていたが、「妙辨天」と書かれた弁財天の祠もありました。
手元の資料では、「白蛇辨天 根岸家」という別の石祠もあるようですが、私は見つけられませんでした。
太田稲荷大明神
googleマップでは隣の中山病院の敷地内にあるかのような表示ですが、実際は中山法華経寺の境内側にあります。宇賀神堂から清正公堂の方に上がっていきます。(案内板あり)
案内板には、「太田乗明邸守護」とだけ書かれています。
「太田乗明」をWikipediaで調べてみます。
wikipedia
鎌倉時代の武士。自身の館内の持仏堂を改め本妙寺とし、日常の法華寺と合併して法華経寺となった。
太田稲荷の狛狐は、派手な衣装を着ています。目にはアイラインが入って凛々しい顔立ち。
写真に収めたくなるビジュアルでした。
こちらの狛狐や石祠には奉納年が入っていません。石の黒ずみ具合からは、昭和の匂いがするのですが、いつの時代のものなんでしょうか。
中山法華経寺には、庚申塔もあります。2日に渡り、かなり境内を歩き回りましたが見つけられませんでした。次回、リベンジしたいと思います。 ...どこにあるんだ?
本行院の守護神、妙徳弁財天
本行院の所在地:千葉県市川市中山2丁目7−18
中山法華経寺の裏にあるのが、本行院です。
八大龍王池は目と鼻の先に位置する寺院です。その参道に複数の祠があるのに気が付きました。
折角なので立ち寄っていきます。
本行院は、日蓮宗のお寺さんで、創建は永和3年(1377年)です。
山号は玄妙山、中山四院家のひとつです。
本行院の妙徳弁財天
参道にある石祠には、次のように書かれています。
正面に「妙徳弁財天」、右側面に「本行院守護神」、左側面に「昭和二十六年五月五日」
お寺の守護神として、弁財天が祀られていました。
本行院の祠
参道脇には、他にも木製祠が2つあります。
中を覗いてみましたが、何が祀られているか分かりません。
2つとも綺麗にされており、いまでも現役で使われていることが分かります。
何の神様が祀られているのでしょうか。
私の予想は、上の写真が龍神、下の写真が稲荷。(日蓮宗のお寺さんで見かけることが多いという理由だけです、根拠はありません)
安世院は、渋い感じのお寺さんでした
安世院の所在地:千葉県市川市中山2丁目5−1
赤い山門(赤門)と赤い賽銭箱が印象的な安世院です。
中山法華経寺から法華経寺の山門(赤門)に続く参道にあります。
参道の両脇には多数の末寺がありますが、その中でも、安世院は中山四院家のひとつとして歴史あるお寺さんになります。
安世院は山号を護国山といい、日蓮宗のお寺さんです。創建は正和2年(1313年)。
こんな感じの草木に囲まれたお寺さんの方が、私は心が落ち着きます。
可能なら、本堂で横になって、ボケーっと空でも見ていたい。
安世院 妙法大善神
石柱には「當山守護 妙法大善神」とあります。
安世院 妙喜霊神
妙法大善神の祠の左横、目立たない場所に、何かが祀られています。
文字が判読し辛いですが、「南無妙法蓮華経 奉勧請 妙喜霊神」「●無量神力」(右側の文字は判読不能)
手元の資料では、明治39年の奉納。
判読できなかった部分は、「為悦衆生故」「現無量神力」。お経の一節です。
意味は、「衆生を悦ばしめんが為の故に 無量の神力を現じたもう」。
安世院 南無水神明王
「南無水神明王」と書かれた石柱があります。
日蓮宗のお寺さんでは珍しい水神が祀られていました。
手元の資料では、裏面に「維持 昭和49年...」と年号が入っているそうです。
安世院 南無八大龍王
「八大龍王」もありました。水神も龍神もあるのか...
手元の資料によれば、昭和52年の奉納。水神の方が昔からあるようです。
山王大権現の石碑
山王大権現の所在地:千葉県市川市中山3丁目3-23の隣
柵があり近づくことができません。
誰が、いつ、この石碑を建てたのか石碑の裏側を確認したいのですが、近寄れないので、諦めるしかありません。
何で空き地に、ぽつんと石碑があるのか、想像してみました。
この場所に神社があったのではないか?
そういえば、中山法華経寺の近くにある安房神社の境内に他の神社と合祀された碑がありました。
その石碑の写真がこれ。
安房神社と、大宮大権現、山王大権現、妙見大権現が合祀された記録です。更に安房神社の由来書きの写真を取り出して確認すると、山王大権現が中山3丁目にあったことが分かりました。
この「山王大権現」の石碑は、
大正4年まで、この場所に「山王大権現」があったことを示す記念碑と思われます。
観音堂で馬頭観音と龍神を見る
観音堂の所在地:千葉県市川市中山4丁目17−3
法華経寺の山門前にあった案内板に「祠」と書かれていた場所にやってきました。
小さな祠を想像してやって来たので、観音堂を見過ごすところでした。
ガラス戸のところから観音堂の中を覗いてみます。
提灯には馬頭観世音菩薩とあります。
正面の白い幕に「妙●寺より」と書かれていることから、日蓮宗のお寺さんが関係する観音堂のようです。(妙円寺と書かれている様子。妙円寺は住所は船橋市ですが、観音堂から一番近い場所にある日蓮宗のお寺さんです)
境内左側にあった石碑です。
「南無妙法蓮華経 馬頭観世音菩薩」「正中山本院」「明治廿一年十二月十五日建之」
境内社 龍神
境内の右側に龍神と書かれた石柱があります。
文字の下には、蛇の像容があります。
石柱の右側面に年号がありますが、一部判読できません。
手元の資料で確認すると、「昭和三年五月」。