東菅野と鬼越で庚申塔や十九夜塔などの石造物を見て回る

市川市の東菅野と鬼越で庚申塔や十九夜塔を見て回ります。
今回訪問したのは、お寺さんと墓地。
普段は立ち寄らない場所ですが、何か面白い発見がありそうな予感がします。

鬼越には、路傍に庚申塔があるはずなのですが、どうしても見つけられずにいます。もしかしたら、お寺さんに移設されたのかと淡い期待もありの訪問です。

不動院の庚申塔と十九夜塔

不動院の所在地:千葉県市川市東菅野1丁目16−11

山王山不動院は、真言宗豊山派のお寺さんです。
こちらのお寺に庚申塔と十九夜塔があると聞き、訪問しました。

西山門のところに不動尊と書かれた提灯がでています。

不動院 山門
不動院 山門

市川市のホームページによれば、創建は寛永年中(1624~1643年)。
写真の本堂は平成19年(2007年)に造営しました。本尊は不動明王。

山王山不動院 本堂
山王山不動院 本堂

本堂で参拝を済ませてから、庚申塔と十九夜塔を拝見させていただきました。
庚申塔や十九夜塔は、歴代住職のお墓の周りに並んでいます。

庚申塔

複数の庚申塔があります。中には、庚申塔ぽくないものもあるので見落とさないようにしましょう。

庚申塔 その1

三猿がついているので、すぐに庚申塔と認識できます。
三猿の上に文字がありますが、目視では殆ど判読できません。

不動院の庚申塔(三猿)
不動院の庚申塔(三猿)

文字が読み取れないため、市川歴史博物館発行の調査報告書(市川市の石造物)を用意し、像容から照合していきます。
笠付角柱型で三猿があるのは、寛文12年(1672年)の庚申塔と判断。
刻まれている文字は、「奉造立」「庚申講結衆」「二世安樂攸」「千時寛文十二壬子天」「●●本願●●敬白」だとか。

庚申塔 その2

青面金剛像にプラスして「庚申講社」と書かれた石碑があるので分かり易い、庚申塔です。
青面金剛像の方は、右横に「天明五乙巳歳」と入っています。
庚申講社と書かれた石碑は、「明治十三年二月」となっています。

不動院の庚申塔(青面金剛像)
不動院の庚申塔(青面金剛像)

手元の資料と確認すると三猿や台座の文字「庚申講」が確認できないことを除き、青面金剛像は天明5年(1785年)の庚申塔と一致。庚申講社と書かれた石碑は記載がありません。

庚申塔 その3

最後は難易度が高い庚申塔になります。
像容は大日如来。文字で庚申塔か判断するタイプです。

不動院の庚申塔
不動院の庚申塔

大日如来らしき石仏を発見して写真を撮りますが、文字が目視で判別できないので、その場で庚申塔と判断できません。

こちらの不動院には、次の石仏があります。
如意輪観音:3体、大日如来:1体、青面金剛:1体、延命地蔵(念仏塔):1体、聖観音(念仏塔他):2体、弘法大師(供養塔、四国西国霊場供養塔):4体、地蔵菩薩:2体
とにかく多いのだ!

大日如来像の特徴は、頭に冠を被っていること、髪を結い上げていること。
この特徴を頼りに見つけ出します。

大日如来の像の両脇に文字が彫られています。部分的には読めますが肝心の「庚申」という文字は判読不能です。
手元の資料では、右側の文字は「奉造立大日如来庚申待結衆二世安全攸」、左側の文字は「千時寛文十一天辛亥十一月吉日謹白」
寛文11年(1671年)の庚申塔です。

十九夜塔

十九夜塔は3つあります。
如意輪観音は皆同じデザインと思い込んでいましたが、並んでいる姿を見て結構違うことに気が付きました。

不動院の十九夜塔
不動院の十九夜塔

一番左の小さめサイズの十九夜塔 明和9年(1772年)

手の平側に頬杖をつく如意輪観音です。腕は2本で、左手が植物のようなものを身体の前で抱えている構図です。

不動院の十九夜塔
不動院の十九夜塔

刻まれた文字は読み取り辛いので手元の資料と照合しながら判読していきます。
「明和九 壬辰天」「十一月十九日」
明和9年11月19日ですが、安永に改元したのが明和9年11月16日。厳密には安永元年ですね。

中央の十九夜塔 亨保13年(1728年)

手の甲側に頬杖をつく如意輪観音です。腕は2本で、左手が足の上に手をついている構図です。

不動院の十九夜塔
不動院の十九夜塔

左側の文字は「亨保十三戊申天十月吉日」(手元の資料では「亨保十三戊申十月吉日」ですが、「天」にしか見えません)
右側の文字は読み取れない文字が多いので、資料に頼ります。「奉造立如意輪観自在菩薩 十九夜講結衆三拾七人」

右側の大きな十九夜塔 延宝9年(1681年)

手の平側に頬杖をつく如意輪観音です。腕が6本あります。

不動院の十九夜塔
不動院の十九夜塔

刻まれた文字は読み取り辛いので手元の資料と照合しながら判読していきます。
「奉造立如意観世音菩薩 十九夜講結衆五十二人為二世安樂也」「延宝九辛酉天八月十九日 敬白」

市川市内の十九夜塔を考察

市川市内には、9か所、11個の十九夜塔があります。
場所別の内訳では、お寺が6か所、墓地が2か所、神社が1か所です。
お寺ですが、宗派に極端な偏りがあるという特徴があります。

不動院(東菅野1丁目):真言宗豊山派
観音寺(市川1丁目) :真言宗豊山派
国分寺(国分3丁目) :真言宗豊山派
龍珠院(国分5丁目) :真言宗豊山派
安養寺(高谷2丁目) :真言宗豊山派
総寧寺(国府台3丁目):曹洞宗

十九夜塔とは
旧暦十九日の夜に女性が寺や当番宅に集まり、飲食をしたり、経や和讃、真言を唱え、安産や子供の無事成長を祈る月待信仰の一つ。
女性は月経や出産といったことで出血があるため、血の池地獄からの救済者として如意輪観音を信仰の対象とする。十九夜塔は、文字だけのタイプもあるが、市川市内の十九夜塔は全て如意輪観音像があるタイプです。

法華経寺(日蓮宗)の布教活動によって、市川市内の多くの村は旦那寺が日蓮宗系寺院。
十九夜塔があるのは、教義の違いから、村の旦那寺が真言宗や曹洞宗のお寺の地区になります。

鬼越霊園前の馬頭観音

鬼越霊園の所在地:千葉県市川市鬼越1丁目2−14

鬼越駅の駅前にある鬼越霊園。その入り口の横に、馬頭観音があります。
霊園の中にもあるらしいのですが、墓石をひとつひとつ確認するのは大変なので行いません。

入り口の横にある馬頭観音は2つ。
巨大な「馬頭観世音」と書かれた石造物と表面の剥離により文字が欠損し始めた「馬頭観世音」です。

鬼越霊園前の馬頭観音
鬼越霊園前の馬頭観音

私が注目したのは、右側の表面剥離が始まっている方の馬頭観音。
「馬頭観世音」の文字の下に、馬の姿が線画で描かれています。
線画を見るなら、今のうちって感じでしょうか。

馬の姿が線画で描かれた馬頭観音
馬の姿が線画で描かれた馬頭観音

明治40年の奉納で、奉納者が馬糧商(馬の飼料屋さん)とあります。
草と人参だけ食べているイメージの馬ですが、馬専用のエサがあるんだ。と思ってネットで調べると、真空パックされた栄養価の高い干し草とか売られてました。

神明寺の庚申塔

神明寺の所在地:千葉県市川市鬼越1丁目11−8

鬼越山 神明寺は、真言宗豊山派のお寺さんです。
市川市のホームページによれば、創建は元和2年(1616年)。
神明寺に来た目的は、庚申塔を見るためです。

神明寺 山門
神明寺 山門

庚申塔を拝見する前に、本堂(不動堂)で参拝を済ませます。
本殿に上がる階段のところに「小栗判官厄除出世不動」と書かれています。
寺の縁起にもなった、この昔話に出てくる小栗小太郎は実在の人物ではないとのこと。

ご本尊は不動明王。寺宝は阿弥陀如来像らしい。他サイトで、ご本尊を阿弥陀如来としているが、勘違いだろう。

神明寺 本堂(不動堂)
神明寺 本堂(不動堂)

祠の中には弘法大師が鎮座

祠の中を覗くと弘法大師の座像がありました。

神明寺の弘法大師祠
神明寺の弘法大師祠

庚申塔

三猿で庚申塔と認識できました。
三猿の上に文字が書かれています。石の劣化により文字が読み取り辛いですが、「●成就庚●」「●文七丁未暦」といった文字が判読できます。

神明寺の庚申塔
神明寺の庚申塔

資料で確認した結果、彫られた文字は、右から「寛文七丁未暦」「奉成就庚申供養」「九月十八日」と判明。
寛文7年(1667年)の庚申塔です。

念仏塔

庚申塔の左横にあるのは、念仏塔です。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)といわれる形状をしています。
塔の裏に年号があるらしいですが、祠があるため、裏側は確認できません。
また台のどこかに「鬼越村中 念佛」と書かれているらしいです。(筆者は未確認)

神明寺の念仏塔
神明寺の念仏塔

手元の資料によれば、明和3年(1766年)のものだそうです。
台座のところに、猿が1匹描かれています。猿は柿のようなものを手にして座り込んでいます、どういう意味なのでしょうか。対でカニが描かれてたらウケるのに...

歩き終えて

結局、鬼越の路傍にあるはずの庚申塔(昭和8年の「猿田彦大神」)は見つけられませんでした。
ネット上で探っても、2009年頃の記事(個人ブログ)を最後に姿を現した形跡がありません。
どこに行ってしまったのでしょうか。