JR小岩駅から8000歩の散歩道。神社と親水緑道を堪能する。

JR総武線小岩駅を起点に、三谷八幡神社(小岩田八幡神社)と親水緑道を巡る散歩コースです。

今回の散歩コースは、前回「北小岩で江戸時代の小岩を知る旅」で巡らなかった江戸川区最北端の神社をめざします。

三谷八幡神社(別名:小岩田八幡神社)

所在地:江戸川区北小岩8丁目23-19

JR小岩駅を東北方向に歩くこと25分。もう少しで北総線の新柴又駅という地点です。
江戸川区の北の端にある「小岩田八幡神社」に到着します。

小岩田八幡神社をめざしていたはずなんですが、裏参道にあったのは「三谷八幡神社」の看板

いつもの通り、神社の入り口を探してウロウロ。社務所の裏口みたいなところに「三谷八幡神社」のポスター(看板)が張ってありました。

三谷八幡神社 ポスター
三谷八幡神社 ポスター

小岩田八幡神社が、三谷八幡神社に改称したのでしょうか。謎を感じながら、参道のある入り口を探します。この看板の横からもいけそうな感じですが、鳥居をくぐって正面から入りたいという気持ちを優先します。

三谷八幡神社の表参道に到着

旧佐倉道まで戻ってから路地に入ると、三谷八幡神社の鳥居のところに出れました。

三谷八幡神社 鳥居
三谷八幡神社 鳥居

一目見た瞬間に、良い神社に出会えたって感じました。

周りが閑静な住宅街のため、セミの鳴き声と...
カラスの威嚇するような鳴き声だけが聞こえます。(ちょっと嫌な予感が...)

神社を入って最初にあったのが、白秋の石碑

鳥居をくぐって直ぐ右側に、北原白秋の歌碑があります。歌碑の脇には説明書きの看板も立ってます。

北原白秋 歌碑
北原白秋 歌碑

北原白秋が、北小岩に住んでいたことは知っていましたが、ここの説明書きを見て、やっと全ての情報が繋がりました。

大正五年、ここが小岩村字三谷と呼ばれていたころに移り住んだこと。
住んでいた家は、対岸の市川市にある里見公園に復元されていること。などが書かれています。

三谷八幡神社を探索開始

三谷八幡神社
三谷八幡神社

社殿横のマツの木と銀杏の木が見事です。

鳥居を入った左側に神社の由緒などが書かれた看板があります。
創建は不詳も、元禄8年(1695年)の記録に神社の名前が載っているそうです。

この神社が、「小岩田八幡神社」と言っていたのか不明なままだが、間違いないだろう。

良いもの発見。この狛犬は、新しいパターンです

狛犬(右)
狛犬(右)

かなり、ユニークな顔つきの狛犬です。サル顔の狛犬と言えば伝わるかな。
目には、ガラス玉が入っています。材質は、砂を固めたような質感です。(コンクリート製かも)

狛犬(左)
狛犬(左)

狛犬の台座のところに昭和八年と読める文字が辛うじて残っていました。

本殿は、想像以上に立派

三谷八幡神社 本殿
三谷八幡神社 本殿

江戸川区史によれば、本殿は明治45年に新築とある。

地蔵菩薩庚申塔

本殿右側の神楽殿と書かれた場所に、江戸川区最古の庚申塔があります。
格子の間から覗き見ることができますが、遠いのでハッキリ分かりません。

境内社は、水神宮

詳細は不明ですが、江戸川に近いので、水神が祀られているのでしょうか。
近隣には水神碑もあります。実は江戸時代は水不足に悩んだのだそうです。

境内社は、水神宮
境内社は、水神宮

カラスは、本殿左のマツの木の上から、鳴き続けていたが、攻撃を受けることもなく無事参拝することができました。

散歩を再開。旧佐倉道を歩き始めると...

旧佐倉道が、凄くいい感じなので、少し寄り道をしていくことにした。
歩き始めてすぐに、「三谷橋」と書かれた石柱を発見。橋も川もない場所にあった。

三谷橋跡
三谷橋跡

帰宅後、今昔マップ on the webで調べてみた。

三谷という集落は、明治の地図では、小岩田と同列の扱いの集落だった。
江戸時代は小岩田村というひとつの集落だったが明治の頃にはふたつの集落に分かれたようだ。
なので、先ほどの神社も小岩田の八幡神社ではなく、三谷の八幡神社と名乗るのだろう。

大正の終りから昭和5年に江戸川の拡幅工事が行われた。
これにより、三谷という集落の大半が江戸川の河川敷になり、多くの人が移転することになった。

さて「三谷橋」の謎だが、旧佐倉道の横を用水路が流れていた。この用水路に掛かった橋の跡のようだ。

上小岩親水緑道

このまま、旧佐倉道を歩き続けるか迷ったが、この先は歩いたことがある道。ならばと、わき道の上小岩親水緑道に進路を変更することにした。

上小岩親水緑道 看板
上小岩親水緑道 看板

何やら楽しそうな雰囲気がする看板にそそられます。
ただ、上小岩親水緑道の後半部分の絵が手抜きましたって感じになっているのが、心に引っ掛かります...

健康の道
健康の道

「健康の道」というのは、江戸川区では用水路跡に整備された道か河川の土手に整備された道の何れか。
この道は、元は用水路ってことが分かります。

江戸川の土手
江戸川の土手

親水緑道の始まりは、江戸川の土手が迫るこの場所からです。
旧佐倉道の横を流れてきた用水路は、ここで旧佐倉道と別れを告げ、親水緑道がある方向に流れていったと思いましたが、どうやら違うようです。

地蔵堂菩薩像と道標

親水緑道を歩き始めてすぐに、看板が2つでています。
ひとつは、「慈恩寺道の道標」と書かれた看板、もうひとつが「善兵衛樋と水神碑」と書かれた看板です。

地蔵堂菩薩像
地蔵堂菩薩像

看板のある所から一般道に出たところに地蔵堂があります。三体の地蔵の一番右側が、看板に書かれていた「慈恩寺道の道標」がある地蔵菩薩です。江戸川区内で最も古い道標だそうです。

慈恩寺道の道標
慈恩寺道の道標

写真の通り、地蔵菩薩の左側に道標が刻まれています。説明書きの看板では、右面とあるのは、地蔵さんになったつもりで表現すると右側。見ている人からは左の関係です。毎度思いますが、分かり辛い。

刻まれている文字は
是より右岩附慈恩寺道岩附迄七里
これより左千手道 新宿迄壱里
         千手迄三里半

善兵衛樋と水神碑
善兵衛樋と水神碑

江戸時代からこのあたりは、小合溜から用水を引いていました。しかし、水量が少なく、目の前に川が流れているのに水不足に悩んでいました。明治10年の大干ばつで大きな被害を受けたため小岩田村の石井善兵衛と仲間が江戸川から掘割を作り一帯の水田に給水した。と書かれています。

先ほど土手の写真を撮った辺りに、善兵衛樋管という名前で江戸川への排水管が通っていますが、単に名前を頂いただけだろうと思います。

大正の終りから昭和5年に江戸川の拡幅工事後に、このルートで水が流れるようになりましたが、明治の地図だと善兵衛樋は、親水緑道上は流れてないようです。

モニュメント

エコへの創造
エコへの創造

近所の中学校の美術部の方の作品です。中学生とは思えない出来です。こういう才能が自分にもあったら人生変わっていたのに...
作品名の「エコへの創造」ってのが、中学生ぽい感じ。

北小岩遺跡跡

北小岩遺跡の碑
北小岩遺跡の碑

中学生が裏庭で土器を発見したのがきっかけって、この中学生は、どんな大人になったのだろうか。
吉村作治みたいに世界で活躍する考古学者になってたりして。

マンホールの蓋も土器のデザイン
マンホールの蓋も土器のデザイン

マンホールの蓋も土器のデザインです。こういう特注のマンホールの蓋は高いのだろうか?

昔の人々の生活の様子
昔の人々の生活の様子

古墳時代、奈良時代、平安時代、江戸時代の4つに分けた生活の様子を描いた絵が出ています。
子供だましの絵みたいですが、意外と面白い企画です。博物館に行きたくなりました。

唐突に親水緑道終了

上小岩親水緑道の終点
上小岩親水緑道の終点

上小岩親水緑道の終点は、京成本線の線路で突然終わります。
この道を左に出て、京成本線の線路を渡ることにします。

ならば、仲よしこみちだ

先ほどの上小岩親水緑道が縦に走る緑道ならば、こちらは横方向に走る緑道

仲良しこみちの看板
仲良しこみちの看板

戦前の1930年代に碁盤の目のように道(あぜ道)が出来ました。道の一部は用水路だったようです。
戦後に住宅が立ち並ぶようになり、用水路には、生活用水が流れ込み「どぶ川」となります。
江戸川区では、こういったどぶ川無くし親水緑道や、こういった小道として整備しています。

仲良しこみち
仲良しこみち

車が通らないので、散歩には最適な道です。いかにも下町の道って感じでしょ。
生活感が溢れる場所でした。

中小岩新道
中小岩新道

手書きの看板があります。中小岩新道って正式な道の名前なのかな?
「中小岩」は、このあたりは江戸時代「中小岩村」と言われていた場所でした。
看板があった場所は戦前までは、用水路だった場所です。

仲良しこみちを抜けたら散歩コースも終わり。
蔵前橋通りを通ってJR小岩駅に戻るも良し。歩き足りなければ、そのまま東小岩あたりを散策するのもありです。