大町、大野町、奉免町で庚申塔を探して歩き回りました

北総線の大町駅から歩き始めて、大町~大野町~奉免町~北方町を通って、JR総武線の下総中山駅から帰るルートで、庚申塔を探し回ります。

過去に2回訪問した場所ですが、これまでに見つけられなかった庚申塔(見つけにくい庚申塔)をターゲットにしています。

大町駅

北総線の大野駅のホームに降り立ったのが午前10時過ぎ。
電車から降りたのは、私と男性ひとり。

北総鉄道 大町駅

男性はホームに降りた後、私のことをジッと見ているだけで、階段を下りてきませんでした。
この男性、2つ手前の駅で「警備」の腕章を外したあと、私の前を一往復していたのを知っています。
警察の方でしょうか、どこからどう見ても私は不審者には見えないと思うのですが...

何やら嫌な予感がする始まりになりましたが、気を取り直して先に進みます。

大町の庚申塔

庚申塔の所在地:千葉県市川市大町176あたりの路傍

最初の庚申塔は、大町駅から日枝神社方向に向かって50~60mの路傍にあります。
見つけやすい場所なのですが、とにかく遠い。この庚申塔を見るためだけに北総線を利用しました。

天気の良い日だったので、逆光で撮影に苦労します。
(逆光を避けるため電柱の陰に隠れて撮影する姿は、怪しい人物にしか見えないかも...)
良いアングルで写真を撮るなら薄曇りの日か夕方が良いかもしれません。

大町 路傍の庚申塔
大町 路傍の庚申塔

庚申塔を観察してみます。

石柱の正面に「青面金剛」の文字が刻まれています。台座に三猿の姿も確認できます。
石柱の右側面に「文化十三丙子歳」「十月吉日」、左側面に「大町村」。

文化13年(1816年)の庚申塔でした。

大野町4丁目の庚申塔

庚申塔の所在地:千葉県市川市大野町4丁目2400あたりの路傍

石材店の向かい側の法面(のりめん)に、庚申塔が2基並んでいます。
庚申塔がある場所は、歩道のない道路、カーブの内側でドライバーから見えにくい場所です。
周囲に気を付けて、庚申塔を観察してください。

大野町4丁目の庚申塔
大野町4丁目の庚申塔

写真右側の庚申塔から順番に観察していきます。

笠付角柱型の庚申塔

劣化が少なく、刻まれた文字を目視で読み取ることができます。

大野町4丁目 路傍の庚申塔
大野町4丁目 路傍の庚申塔

刻まれた文字は、
「元禄九丙子」「妙法 庚申供」「十一月」(赤字は推定、は判読不能)
手元の資料「市川市の石造物」では、「元禄九丙年」と記載されていますが誤りです。(時々誤りがあるので、自分の目で確認するようにしています)

元禄9年(1696年)の庚申塔でした。

南無妙法蓮華経と書かれた庚申塔

左側の庚申塔は、「南無妙法蓮華経」の下に横書きで「庚申塔」と刻まれています。

大野町4丁目 路傍の庚申塔
大野町4丁目 路傍の庚申塔

右側面に刻まれた文字は「寛政九丁年」「十月廿五日」。(赤字は推定)
左側面に刻まれた文字は「大野村」「殿臺講中」。

寛政9年(1797年)の庚申塔でした。

礼林寺の庚申塔は見つけられず

礼林寺の所在地:千葉県市川市大野町4丁目3067

これで3度目の訪問です。
何度、訪問しても庚申塔を見つけられません。

まずは、本堂で参拝して「庚申塔が見つかること」を祈願します。

礼林寺
礼林寺

今回は、墓地内をくまなく歩いて笠付角柱を探し回ります。

かなりの時間を掛けましたが、やはり見つかりません。
震災で破損、廃棄にでもなったのでしょうか。それとも私の目が節穴なのでしょうか。

手元の資料によれば、
笠付角柱型で高さが1m50cmほど。文字が刻まれていて「妙法奉修庚申待為二世安楽成就也」と書かれているといいます。
見れなくて、残念!

大野町3丁目の庚申塔

庚申塔の所在地:千葉県市川市大野町3丁目1520−1 市川の杜霊園 北西角交差点付近

大野町三丁目の端、道路の向かい側は松戸市です。
直ぐ近くには、梨畑や霊園などがありますが、徒歩で来るような場所ではありません。
明治時代の地図を確認すると、突柵(くぐりませ)という集落との境に建つ庚申塔でした。

大野町3丁目 路傍の庚申塔
大野町3丁目 路傍の庚申塔

庚申塔を観察していきます。

石柱の正面に刻まれた文字は「庚申」。
台座の2段目には、三猿が在るような無いような感じで彫られています。
一番下の台座には「講中」。「講中」の右横に小さく「大野御●」(は判読不能。資料では御)

石柱の右側面は「天下泰平 國土安穏」「五穀豊饒 萬民快樂」
左側面は「維持 萬延元庚申」「六月吉日」。(は判読不能)

万延元年(1860年)の庚申塔でした。

奉免町の庚申塔

庚申塔の所在地: 千葉県市川市奉免町326あたりの路傍

前回訪問時に庚申塔を見つけた場所からは30mほど。「こんなところに」と思うような場所に探していた庚申塔はありました。
共同墓地から見ると西側の道路沿い。木と木の間にしめ縄が張られています。その奥に祀られた庚申塔は新品の台座の上に鎮座していました。

奉免町の庚申塔
奉免町の庚申塔

この庚申塔を見つけ難くしている理由は、2つあります。庚申塔がある道の先は行き止まり、更に、木の近くには複数の車が駐車していて表通りからの視界を遮っています。

ところで、今回の庚申塔は、近くにある青面金剛像の庚申塔とは、扱いがエラく違います。
複数の石がお供えされていますが、どういう意味があるのでしょうか。

奉免町の庚申塔
奉免町の庚申塔

庚申塔の板面を確認していきます。

浅く彫られた文字は、目視では読み取り辛く、手元の資料の力を借りることにしました。

右から順に
「奉 庚申佛開眼処」「妙法蓮華経」「寛文九己酉天十月廿五日」(赤字は資料で補完)

寛文9年(1669年)の庚申塔ですが、いまでも熱心にお参りされる方がいる庚申塔でした。

馬頭観世音

馬頭観世音の所在地:千葉県市川市北方町4丁目1774あたり 共同墓地入り口付近

わかたけ幼稚園のところから坂を下っていく途中に墓地があります。
墓地の入り口付近の法面(のりめん)に馬頭観世音が複数、微発馬匹記念碑がひとつありました。

北方町4丁目 路傍の馬頭観世音
北方町4丁目 路傍の馬頭観世音

馬頭観世音に混ざって、如意輪観音がひとつ。文字が彫られていますが、目視では読み取れないほど劣化しています。
その近くに、石碑がありましたが、文字を読むと戒名さしきものが刻まれています。
如意輪観音も墓碑の類だろうと判断して、先に進むことにしました。

法華経寺の庚申塔は見つけられず

正中山法華経寺の所在地:千葉県市川市中山2−10−1

庚申塔を探して訪問するのは、これが3回目。
今回は見つけられるのでしょうか。

今回探す場所は、法華経寺の墓地です。祖師堂で参拝後、庚申塔を探し始めます。

法華経寺 祖師堂
法華経寺 祖師堂

他人が眠る墓地の中を、庚申塔を探して歩き回るのもどうかと思いますが、探していない場所は、そこだけ。
運が悪いことに龍王池付近で木の伐採工事が行われていて、風に流された木くずが頭の上から降り注ぎます。

小一時間程、墓地を探した結果、ついに諦める決断をすることになります。
見つけられなくて、本当に悔しい。

歩き終えて

路傍の庚申塔は、予定通り出会うことができました。

路傍の庚申塔の探し方ですが、
市川市の北部であれば、昔からの場所にあることが多いので、今昔マップon the webで集落と集落を結ぶ古い道を探し、実際に集落の境目あたりに行ってみるのが一番。
googleのストリートビューで事前学習することも良いのですが、なぜか庚申塔のあるあたりにボカシが入っていたり、画像が無かったりします。
市川市の南部は、住宅地化により遷座していることが多いので、その手が使えません...

さて、お寺の中の庚申塔は、今回も全滅でした。
お寺の中で庚申塔を探すのは、本当に難しいです。探す順番は、参道脇 → 無縁塔 → 墓地。
墓地の中をウロウロして不審者扱いされても、責任は持てませんが...