江戸川区の葛西駅周辺で神社巡りをしてきました(後編)

「東京メトロ東西線の葛西駅周辺で神社巡りをする」の後編です。

後半では、東西線の南側のエリアを歩き回って、神社巡りをします。
ゴールの神社が駅から離れていますので、神社巡りの後に2000~3000歩くらい歩ける余力を残しておきましょう。

後半のキーワードは「慶安2年」と「妙に低い」です。

東葛西稲荷神社と八幡神社

稲荷神社と八幡神社の所在地:江戸川区東葛西6丁目24-9

駐車場が参道になっているのが、今時風です。
マンションに囲われた、こんな所に!と感じる場所にあるのが、東葛西稲荷神社八幡神社です。

東葛西稲荷神社と八幡神社の参道
東葛西稲荷神社と八幡神社の参道

なぜか門が閉まっていて入れません。
門の向こう側には、小さな石造りの祠が2つ並んでいます。

祠の台座の石には、年号が刻まれており「元禄2年」(1689年)と読めます。
300年以上前からある神社なのに、そんな雰囲気を感じさせないのは、ここの周辺環境のせい。

東葛西稲荷神社と八幡神社
東葛西稲荷神社と八幡神社

祠の台座には、奉納者として、「東浮田村」の文字も読めます。「宇喜田」じゃなくて「浮田」。
年代を感じさせる地名表示です。
「宇喜田」の地名の由来は、田川兵衛の新から来ているので、浮田は変なんですが...

東葛西八幡神社

新編武蔵風土記稿の東宇喜田村の項にある正覚寺持ちの「八幡社」が「東葛西八幡神社」に該当するようです。
江戸川区史によれば、当初は阿弥陀如来を祀っていたが、慶安2年(1649年)にこれを中割に遷座、跡地に八幡大菩薩を祀ったのが創建の由緒という。

余談だが、
江戸川区史には、大正6年の津波で境内のマツの大木が枯れたとある。
これは、東京湾台風と呼ばれた大型の台風によって引き起こされた高潮によって、この地域に大きな被害が発生したことを指している。

東葛西八幡神社
東葛西八幡神社

東葛西稲荷神社

新編武蔵風土記稿の東宇喜田村の項にある正覚寺持ちの「稲荷社」が「東葛西稲荷神社」に該当するようです。

稲荷社が出来たのは、八幡社が出来るより前の時代です。
江戸川区史によれば、寛永年間(1624~1644年)に水田の中央に稲荷大明神を祀ったのが始まりと書かれています。

東葛西稲荷神社
東葛西稲荷神社

中葛西香取神社

中葛西香取神社の所在地:江戸川区中葛西5丁目36-18

葛西駅から5分ほどの場所にあるのが、中葛西香取神社です。

江戸川区史によれば、慶安2年(1649年)に村民の願いにより、法師 邵値阿闍梨が、下総の香取神社の分霊を奉安したのが始まりであるという。

別当は不動院 正応寺。

新編武蔵風土記稿では、東宇喜田村の項で、村内桑川新田の鎮守と記された香取社が該当しそうです。

中葛西香取神社
中葛西香取神社

「東葛西稲荷神社と八幡神社」と同様に、鳥居のかなり低いところに綱が張ってあります。
鳥居を通るときに、自然と頭を下げるようにという意味なんでしょうか?
妙に低くて、通行禁止のようにも感じます。

江戸川区の他地域では見かけたことがないパターンです。

中葛西香取神社 社殿
中葛西香取神社 社殿

写真で見れば判る通り、隣の正應寺と同一敷地内です。どこかに境目がある訳ではなく一体化。

まさかの同一宗教法人?と思い、東京都の宗教法人一覧から調べましたが、別法人でした(当たり前!)。
お寺さんは、住職の方が法人代表。中葛西香取神社は、中割天祖神社の宮司さんが法人代表でした。

中葛西香取神社と正應寺
中葛西香取神社と正應寺

中葛西香取神社 境内社

石造りの祠が3つあります。

何の神様をお祀りしているかは不明です。
狛狐が置いてある祠はありませんでした。

中葛西香取神社 境内社
中葛西香取神社 境内社

中葛西稲荷神社

中葛西稲荷神社の所在地:江戸川区中葛西5丁目28-10

中葛西香取神社の直ぐ近くにあるのが、中葛西稲荷神社です。

本日というか、3連続で鳥居の綱が妙に低いところにあるパターンです。
この3つの神社に共通するのは、場所の近さ、宮司さんが同じ方。

中葛西稲荷神社
中葛西稲荷神社

江戸川区史によれば、創建は不詳。「十五面稲荷」と言っていたようです。
今昔マップon the webで確認すると、この場所は「桑川新田」と呼ばれる集落だったようです。
実は、この「桑川新田」も私の中では謎の場所。桑川村の村民が開墾したらしいのですが、新編武蔵風土記稿では、東宇喜田村の字名で登場。
明治38~42年頃の地図で、現在地に神社があることが確認できました。

江戸川区史によれば、桑川村の字名に「十五面」があったことが記載されています。
「十五面」は、地積(土地の面積)を表す地名だそうです。

中葛西稲荷神社の境外社? 大六天と道祖伸

境外の道路わきに、石碑が3つあります。

中央と右側の石板には、大六天と書かれています。
置かれ方から見て、どこか別の場所から理由があって移設されたものに見えます。
一番大きい「大六天」の石碑には、東京市深川区亀住町、明治37年とあります。

大六天 石碑(中央と右)
大六天 石碑(中央と右)

丸い石に刻まれているのは、「道祖神」と読める文字です。
江戸川区内では、ありそうで無いのが「道祖神」。こちらも、どこからやって来たのか...

道祖伸
道祖伸

玉崎稲荷神社

玉崎稲荷神社の所在地:江戸川区東葛西7丁目1-12

狭い敷地に、ギュギュっと鳥居3つ、狛狐2対、灯篭、社殿を詰め込んだのが玉崎稲荷神社です。

創建年や由緒など全て不明です。
地図上で、神社の存在を確認できたのは1990年代の地図ですが。狛狐の台座に大正6年の年号を見ることができました。

玉崎稲荷神社
玉崎稲荷神社

大正6年頃の、このあたりは、玉崎稲荷神社がある側は東宇喜田村中割(中ノ割)という集落で住宅が立ち並び、道路を挟んだ南側は、桑川新田、堀江といった地名で田畑が広がっていました。

玉崎稲荷神社 社殿
玉崎稲荷神社 社殿

東葛西八雲神社

東葛西八雲神社の所在地:江戸川区東葛西8丁目5-12

玉城稲荷神社から、ほど近い場所にあるのが、東葛西八雲神社です。
玉城稲荷神社から東葛西八雲神社に向かう道は、かつて堀江道と呼ばれた道です。
道路を挟んで北側に住宅、南側に田畑が広がっていましたが、左近川や海岸線が近くにあり、かなり低地であったと思われます。

東葛西八雲神社 鳥居
東葛西八雲神社 鳥居

江戸川区史によれば、
元禄元年の創建当時は、水神社だったそうです。
安政年間になり、悪疫が流行した際に、下総の八雲神社の分霊を受けて祈願した。
水の守り神、五穀豊饒、漁労、悪疫退散の神として信仰されている。

新編武蔵風土記稿では、東宇喜田村の項で「水神社」として記録されている。(詳細説明なし)

東葛西八雲神社 社殿
東葛西八雲神社 社殿

中割天祖神社

中割天祖神社の所在地:江戸川区東葛西7丁目17

以前は、東葛西9丁目(東宇喜田村中ノ割)にありましたが、平成元年に、こちらに遷座しました。
宗教法人としての住所を変更していないようで、2020年時点で、東京都の宗教法人一覧では、東葛西9丁目のままでした。30年以上、変更していないようですが、問題ないことにビックリ。

中割天祖神社
中割天祖神社

この社殿の造りは、私が好きなタイプのやつでした。
知識が無いので、プロぽくは、言えないですが、ガンダム顔風の拝殿と屋根が好きです。

中割天祖神社 拝殿
中割天祖神社 拝殿

中割天祖神社は、東宇喜田村中割の鎮守でした。以前(江戸時代)は、神明社と言っていました。明治5年に天祖神社と改称。創建は慶安2年(1649年)に法師 邵値阿闍梨が天照大神の分神を勧請したのが始り。

法師 邵値阿闍梨は、大活躍ですね。1649年で、二つ目の神社を勧請!
今度は、伊勢まで行ったのでしょうか。

中割天祖神社 境内社 疱瘡守護神社ほか

境内社は、形や大きさが様々ですが、5つありました。

江戸川区史には、「境内の疱瘡守護神社は石造の小祠で「文化十一甲鮪戊歳五月吉日、願主鳳順敬白」と刻まれている」と記述があります。

私が見た範囲では、これらの年号が読み取れる祠はありませんでした。
祠は、金属のカバーで側面と背面が補強されたようなので、見えなくなったのかもしれません。

中割天祖神社 境内社
中割天祖神社 境内社

中央の祠は、龍の顔のような彫り物があります。竜神でも祀っているのでしょうか。

一番手前の祠は、注連縄に付いた紙が赤です。この紙のことを、紙垂(しで)って言うんですね。
赤い紙垂というのは、どんな意味があるのでしょうか

調べてみると、疱瘡神社で使われていることが分かりました。

つまり、一番手前の祠が「疱瘡守護神社」です。

富士塚

よく見かける、江戸川区教育委員会設置の「富士塚」の説明書き看板はありません。
変わりに、中割天祖神社の由緒書き看板の後半部分に、ちょろっと説明があります。

富士塚
富士塚

昭和初期に葛西講(富士山信仰)の方によって造営されたもの。平成元年の神社移転時に、富士塚も移転されたとあります。

雷香取神社

境内に、雷香取神社落成記念碑があり、そこに雷香取神社のお由緒も書かれています。
江戸川区史や新編武蔵風土記稿には書かれていない内容まで記載があり、大いに助かりました。

雷香取神社は、妙に新築感がある綺麗な神社ですが、道路工事に伴った移転で平成2年に再建されたものです。(神社横の太い道路が開通したことによって、雷不動側に移動)

創建年かどうか微妙な書き方をしていますが、明和5年(1769年)には鎮座していたそうです。

江戸川区史によれば、創建は慶安2年(1649年)に、法師 邵値阿闍梨が下総の香取大神を勧進したとある。

何か同じ話を聞いたことがある...
そうです、中葛西香取神社でも同じことを書きました。ふたつ纏めてエイ!って感じですかね。

この神社の隣にある真蔵院持ちだった時期があります。

東宇喜田村雷組の鎮守でした。

雷香取神社 鳥居
雷香取神社 鳥居

お金が集まらなくて再建もままならない神社も多いと聞きます。
結構なお金が集まったんだろうなと....思わせる立派な社殿です。

雷香取神社 拝殿
雷香取神社 拝殿

色鮮やかな玉に、思わずシャッターを切りました。

雷香取神社 狛犬
雷香取神社 狛犬

雷香取神社 境内社

社殿の左横に、2つの祠があります。
境内の石碑によれば、「水神社」と「八雲神社」だと思われます。
但し、某有名サイトでは「水神社」ではなく「竜神社」としています。まあ、ハッキリ言って、見た目で区別できないので神社の関係者に確認するのが一番ですが...

尚、新編武蔵風土記稿に書かれている末社は「稲荷天神」「大六天」「水神」の3つです。

雷香取神社 境内社
雷香取神社 境内社

浅間神社(真蔵院)

浅間神社(真蔵院)の所在地:江戸川区東葛西4丁目38-9

真蔵院(別名:雷不動)の境内に、浅間神社があります。

雷香取神社の隣に、雷不動がありますが、何か関係があるのでしょうか。

雷不動の由来は、お不動さんが大雷雨の時に雷を退治したという伝説から(雷除け不動として)名付けられたと言われています。

この雷不動から、この地域は、雷(いかずち)という地名で呼ばれていたようです。

浅間神社(真蔵院)
浅間神社(真蔵院)

お寺の中の神社ですが、浅間神社のパターンは初めてです。
浅間神社と書かれた石碑は鳥居の左側に2枚。手前の石碑が古そうですが、残念ながら劣化が進んでいて文字が判読できません。

雷不動明王石造道標
雷不動明王石造道標

雷不動明王石造道標がお寺の左端にひっそりとあります。
説明板によれば、この道標は新川河口南岸にありましたが、倒壊したため修復して、この場所に移設したそうです。

左側面に、「従是南十三丁」と書かれています。

稲荷神社

稲荷神社の所在地:江戸川区南葛西2丁目20−14あたり

googleマップで、稲荷神社と表示されていたので来てみました。
残念ながら、立ち入ることができない個人持ちの稲荷神社でした。

立ち入ることができないので、遠くから撮影させていただいて立ち去ります。

稲荷神社
稲荷神社

清瀧神社

清瀧神社の所在地:江戸川区南葛西4丁目18−9

本日最後の訪問先は、清瀧神社です。

この神社は、由緒などの情報が皆無で、良く分からないことだらけです。

清瀧神社が地図上に登場するのは、明治38年の地図。
この場所は、田んぼだったり湿地帯だったりと、人が住むような場所ではなかったようです。

そんな場所ですが、田んぼだらけの場所にポツンと神社マークがあります。
この時の住居表示は葛西村堀江。新編武蔵風土記稿には登場してこない集落の名前です。

明治28年に葛西村に編入されたが、それ以前は「葛西村堀江」は、対岸の行徳領にあった「堀江村」の飛び地
このため、千葉県が調査対象になっていない新編武蔵風土記稿には記載がありません。

江戸川区史によれば、葛西村堀江には、「稲荷」や「稲荷元割」という字名がありました。
この神社のことを指しているのかは不明ですが、今後のために記載しておきます。

清瀧神社
清瀧神社

鳥居の正面にあったのが、3つの祠。

特に何の神様が祀られているか分かりものはありません。
普通に考えれば、田んぼの真ん中にあった神社なら、稲荷神社なんですが、どうなんでしょう。
狛狐はいません。

そこで、清瀧神社という名前に注目してみます。
清龍神社で検索すると出てくるのは、千葉県浦安市堀江4丁目に鎮座している「清龍神社」。

私の推測は、こうです。
このあたりに農地を持っていた浦安市堀江の農家の方が移り住んできた。信仰していた浦安市の「清龍神社」に行くのには川を渡らなければならず不便なので、ここに「清龍神社」を分霊した。
移り住んできた来た人たちは、半農半漁で生活していた(清龍神社は、海路安全、漁業繁栄、海の神を祀っています)。左右の祠は、龍神社と浅間神社か?

清瀧神社 祠
清瀧神社 祠

清瀧神社は、東京都の宗教法人に登録されていません。
地域住民に支えられた神社だと思いますが、もう少し、色々な情報が分かるとテンションが上がるのですが、残念。

清瀧神社 境内社(稲荷社と弁天堂)

鳥居正面の祠の左横には、とても小さな祠が3つ。花が飾っているお堂が1つあります。

小さな祠をよく見ると、祠の前に小さな狛狐が1対置いてありました。
どうやら、こちらが、お稲荷さんのようです。

他の方が書かれたブログなどを参考にすると、お花が飾ってあるお堂には、弁天さまが書かれた木札が納められているようです。(弁天堂)

清瀧神社 小さな祠とお堂
清瀧神社 小さな祠とお堂

地蔵堂

一番左端にあるお堂には、石仏がいました。
花も飾られていて、小さいながらも、ちゃんと管理している方がいらっしゃるようです。

清瀧神社 お堂
清瀧神社 お堂

色々な神社を半日かけて巡ってきました。
ゴールは何故か謎だらけの神社が続いてしまいましたが、十分楽しめました。