行徳地区のお寺さんにある庚申塔を見るために、市川市河原から市川市新井まで歩き回りました。
この地区の神社にある庚申塔は見終わっていたので、事前にピックアップしておいたお寺さん(養福院、法伝寺、延命寺、新井寺)と、おかね塚(墓地)に行きます。
不動山 養福院の石造物
養福院の所在地:千葉県市川市河原16−22
養福院は、掲示された看板によれば、真言宗豊山派のお寺さん。天文19年(1550年)の創建です。
明治12年の寺院明細表には、下新宿の稲荷神社の関連寺院となっています。移転前の境内は458坪あったと記載があるので、今の姿からは想像ができないくらい大きなお寺さんだったようです。
現在は、無住職で門が閉ざされているため、境内に立ち入ることはできません。

看板には見どころとして、
『移転により境内は狭いですが、地蔵尊・不動尊・「見猿・聞か猿・言わ猿」道祖神等の石仏があります』と書かれています。
早速、門越しに境内を拝見させていただきます。
境内にあったのは、手前に4つの石造物、奥に延命地蔵
奥にある2mほどの延命地蔵は名号塔。
市川歴史博物館による調査資料「市川市の石造物」(以下、手元の資料)によれば、寛文元年(1661年)のものです。
手前にある、石造物を左から順に見ていきます。

左端は、その姿から「聖観音」のようです。聖観音ですが合掌しています。若しかしたら勢至菩薩かもしれません。(大日如来かも、と写真を拡大して手の合わせ方を確認しましたが、忍者のような手の形ではありませんでした)
文字が書かれていますが、部分的に文字が判読できる程度で、何を目的とした石造物か判断できません。
左から2つ目は、如意輪観音です。文字はありますが、遠過ぎるのと劣化で、全く判読できません。
手元の資料に一致する石造物がないので、墓石の類と思われます。
右側の2つは庚申塔と不動明王

写真左の三猿が描かれた石造物が、今日見たかった庚申塔です。
三猿の上部に文字が刻まれています。
判読できるのは「奉造立●●道●」「●月一日●」。右側の年号部分は判読不能です。
手元の資料から刻まれた文字を拾うと「奉造立申●道行」「十一月一日午」「寛文六天丙」。
寛文6年(1666年)の庚申塔でした。
看板のように、この石造物を道祖神に分類するのは、やや無理がある気がします。
次に右端の石造物ですが、像容から「不動明王」と分かります。
写真で見ると、側面に文字が在るような、無いような状態。転倒防止の措置により雑な足先が追加されています。
手元の資料で確認すると、右側面に「亨保廿卯正月廿八日」とあるそうです。左側面は文字なし。
亨保20年(1735年)の不動明王です。
職質!
養福院を出て数歩歩いたところで、「おい、何してた」と声が掛かります。
「職質」です。
「私も仕事なんでね」と警察官。
「まあ、確かに平日の昼間、住宅街で写真を撮っていれば怪しまれるなあ」と思いつつも、不快な時間が過ぎていきます。
5、6分でしょうか。
住所、氏名、電話番号、職業、年齢など個人情報を全部差し出したところで解放されました。
やれやれ...
おかね塚の庚申塔
おかね塚の庚申塔:千葉県市川市押切12−31
おかね塚の石碑の裏に、ブロック塀で囲まれた個人所有の墓地があります。この墓地内に、目的の庚申塔があります。
目的の庚申塔が撮影しやすいポイントに、工事車両が止まっていて撮影の邪魔をしています。
更に、普段は門が閉まっていて入れないのですが、今日はなぜか門が空いています。工事の方の姿もありません。 こんな時、どうされますか。
工事車両とブロック塀の間に身体を入れて撮影しましたが、「車に悪さをしている」と勘違いされないかヒヤヒヤ。「職質」のダメージから抜け出せません。

気を取り直して庚申塔を観察します。
おかね塚の庚申塔は、「阿弥陀如来」の像容をしています。
石造物に刻まれた文字を読まなければ、庚申塔と識別できないタイプのものです。
今回は、逆光になる時間帯を避けて訪問しました。
文字は多数刻まれていますが、向かって右側「阿弥陀如来の手のひら」の横あたりに、「奉待庚申」の文字が確認できます。
阿弥陀如来像の左側に年号の記載があり、「寛文五乙巳年十月十五日」と刻まれています。
寛文5年(1665年)の庚申塔です。
法伝寺の庚申塔
法伝寺の所在地:千葉県市川市湊7−1
佛法山東漸閣法伝寺(ぶっぽうざん とうぜんかく ほうでんじ)は、浄土宗のお寺さんです。
創建は天文22年(1553年)といいます。市川市のホームページは永禄11年(1698年)の創建と記述。
他のお寺さんもそうなのですが、創建年の記述が、市川市のホームページ(市川市 寺院一覧)と必ず違うという不思議な状態です。何なのでしょうか。

本堂の前で手を合わせたら、庚申塔を探してキョロキョロ。
本堂の右横を通って奥に行くと、石造物が並んでいる場所がありました。
法伝寺の庚申塔は青面金剛像
青面金剛像に三猿と分かり易い形の庚申塔がありました。

右側面に「明和五戊子霜月吉日」、左側面に「湊村講中」(赤字は推定)
明和5年(1768年)の庚申塔です。
延命寺の庚申塔は見つけるのが大変
延命寺の所在地:千葉県市川市新井1丁目9−2
宝珠山地蔵院延命寺は、真言宗豊山派のお寺さんです。
創建は市川市のホームページでは明暦2年(1656年)、境内の案内板では慶長元年(1596年)です。

本堂で手を合わせた後、庚申塔を探します。
石仏は全部で5つ並んでいます
山門を入って直ぐ右側に、石仏が5つ並んでします。
左から、聖観音、延命地蔵、延命地蔵、阿弥陀如来、聖観音。

この5つのどれかが庚申塔だろうと目星をつけて、彫られた文字をひとつひとつ確認していきます。
「庚申」の文字は見つけられるのでしょうか。

どの石造物も、部分的に文字が判読できないところがあり、その場では庚申塔を見つけることができません。ひとつひとつ写真に撮って、自宅でじっくり確認することにします。
庚申塔はこれ
左から2番目にあった石造物に、「庚申」らしい文字を見つけました。
判読できるのは、「奉待●申●一座二世成就」。手元の資料とも一致するので間違いありません。

年号の部分は左側にあり、目視確認できるのは「千●万治二己亥●●月十二日」
手元の資料では、「千時万治二己亥天八月十二日」なのですが、「時」とは違う漢字にしか見えません。また「八」も「六」のようにも見えハッキリしません。
万治2年(1659年)の庚申塔は、延命地蔵の像容でした。
庚申塔以外では、文字から判別できたのは、一番右の聖観音。「念仏講」の文字が確認できます。
他は文字が読めても、私の知識では分類できないものでした。
新井寺の庚申塔
新井寺の所在地:千葉県市川市新井1丁目9−1
最後に訪れたのは、秋葉山 新井寺。
「あきばさん あらいでら」と読みたくなりますが、「あきはさん しんせいじ」と読みます。
曹洞宗のお寺さんで、新井寺のホームページによれば元和2年(1616年)の開創。(市川市のホームページでは、寛永年間の創建と記載されています)

本堂で手を合わせた後、庚申塔を探して境内を見回します。
探していた庚申塔は山門を入って直ぐ左手に置かれていました。
三猿で確認できる庚申塔だったので、すぐに見つけることができました。

早速、庚申塔を拝見させていただきます。
三猿の上部に文字が書かれている板碑型の庚申塔です。
残念ながら文字は判読できません。
手元の資料によれば、平成15年の市川歴史博物館による調査の時点で既に「摩滅によって判読不能」とあります。このため、「房総の石仏 第11号」からの引用と注意書きの上、記載されていた文字は「二世安楽 寛文八年九月六日」と記述されています。
ここから、寛文8年(1668年)の庚申塔としていました。