妙覚寺でキリシタン燈籠のお話を聞いてきました

妙覚寺の所在地:千葉県市川市本行徳15-20

本行徳で神社巡りをした帰りに、ふらっと立ち寄ったのが日蓮宗のお寺さんである妙覚寺。

妙覚寺は、日蓮宗中山法華経寺の末寺で、山号を正覚山といいます。
天正14年(1586年)の創建です。

妙覚寺
妙覚寺

普段はお寺さんを巡ることはないのですが、今回は表の看板に書かれていた「キリシタン燈籠」が妙に気になって妙覚寺の境内に入りました。

妙覚寺 説明書き
妙覚寺 説明書き

説明書きによれば「キリシタン燈籠」は東日本では大変珍しく、房総には、この一基しかないのだそうです。

最初に出迎えてくれたのは、赤い幟と鳥居、祠

ぱっと見は、お稲荷さん。いや、どこから見てもお稲荷さん。
でも、幟旗や神額に書かれた名前は「正覚寶珠大善神」。

正覚寶珠大善神
正覚寶珠大善神

妙覚寺の守り神という感じでしょうか。

キリシタン燈籠

住職のご自宅の前に、キリシタン燈籠がありました。
看板が出ているので、すぐに燈籠は見つけられます。
燈籠のある近くに休憩コーナーがあり、「キリシタン燈籠」の記事が張ってあります。

キリシタン燈籠
キリシタン燈籠

キリシタン燈籠の特徴は、
・四角い形をしていること
・竿の上部に膨らみと括れがあり、十字架を模している
・上部のふくらみの部分にバテレン文字がある
・台石を用いず直接土に埋める方式になっている
・竿の下部にお地蔵さんのようなもの(神父だそうです)が彫られている

写真を撮ったり説明書きを読んだりして立ち去ろうとした瞬間です。

ガラガラっと住職の自宅の玄関が開き、住職がこっちに向かって叫んでいます。

怒られてる...思い当たる節があります。
そう、本堂のお参りせずに帰ろうとしてました

が、違いました。

住職は、「掘ってないだろ!。掘らなきゃダメだ!」って教えてくれていたんです。

そんな私の勘違いがあったものの、住職から貴重な話をお聞きすることができました。
とても寒い日だったのですが、薄着で飛び出してきた住職が風邪を引かれなかったか心配です。

住職に「キリシタン燈籠」の話を聞きました

住職が小学生の頃(今から60数年前)の話です。
多少の記憶違いもあるようで、パンフレットと違う内容もありましたが、60年以上前の出来事を聴けたのは、良い経験になりました。

キリシタン燈籠と龍神
キリシタン燈籠と龍神

ある日、大学生がやってきて、キリシタン燈籠なので足元を掘ってお地蔵さんの足元を確認してみるよう言われたそうです。

当時は、キリシタン燈籠は、もっと深く埋められていて、手で掘れるような状態ではありませんでした。ちょうど、お地蔵さんのような像が描かれているところの半分くらいまで土の中だったそうです。

数日後に、現住職のお父さんが、燈籠を掘り出してみると、日本のお地蔵さんと足先の向きが違っていることが、確認できたそうです。
日本のお地蔵さんは、足の先が前を向いた形で描かれます。キリシタン燈籠はバテレン(神父)が描かれているので、足先は不自然に横向きで靴を履いているのだとか。

:先代は、(言い伝えなどで)キリシタン燈籠があることを知っていたのですか。

住職:知らなっかったな。御禁制だった時代に、お寺に隠すように置いて行ったんじゃないかな。まさか、お寺にって感じで隠すのには良い場所だよな。

:誰が置いて行ったか分からないのですか

住職:無住職だった頃があったので、誰にも知られずに置くことができたんじゃないかな。キリシタン燈籠の後ろにあるのは龍神だけど、キリシタン燈籠は昔からこのあたりにあったな。

:無住職という期間があったのですか?

住職:私が小学生だった頃は、小さなお寺で、今の裏口(権現道側)から入って自宅のある前あたりに小さなお堂があった程度。(それくらい、さびれた寺だったという意味での発言)

住職:燈籠の蝋燭を灯すところは、私が追加した。昔は、その部分がなくて笠の部分がそのまま上に乗っかていた。修復した部分の石の破片というのを、燈籠の足元に置いてるが、竿の部分と石の質が違うので、本物か分からないな。

住職:バテレン文字は「FP」だな!「Pは横向きでさ」

そんな話をしながら、住職がキリシタン燈籠の根元を手で掘ってくれました。
土が乾いていると神父の足元の形がはっきり見えるんだけど...と言われてましたが、私には良く確認できました。充分です。
そうこうしていると、住職の奥様がキリシタン燈籠のパンフレットを持ってきてくださりました。

ありがとうございました。
最後は、権現道のところまで見送っていただきました。

 あれっ?

結局、本堂にお参りするのを忘れたので5日後に再訪問

前回とは違って、気温が高い穏やかな日になりました。
今回は表門から入って、本堂で手を合わせます。

妙覚寺 本堂
妙覚寺 本堂

表門側には説明看板がないので、こちらから入るとキリシタン燈籠の存在に気が付かないなあと思いながら、本堂の一段高くなったところから境内を見回します。

こちら側から見ると、立派な本堂があって、墓地が広がる普通のお寺さん。
お墓参りの方は表門、観光客は裏門から入るのが良さそうですが、私のように本堂にお参りするのを忘れる人が多そうです。

キリシタン燈籠に似たもの

まずは下の写真を見てください。
関ヶ島胡録神社の燈籠です。(妙覚寺から権現道を通って徒歩8分ほどの場所)

関ヶ島胡録神社の燈籠
関ヶ島胡録神社の燈籠

竿の部分のふくらみと括れ、台石を使わず埋める方式、バテレン文字の部分が再現されています。
神父が描かれていないかったり、竿が真四角ではなく長方形だったりと違いはありますが、デザインが模倣された燈籠です。こちらの燈籠は昭和の時代に奉納されたもの。

都内の寺院や神社でもキリシタン燈籠(本物)を見ることができます。
中には、本物のキリシタン燈籠なのに足の先が描かれていないものもあります。
興味があれば、「切支丹灯籠 東京」で検索してみてください。

妙覚寺の龍神について

キリシタン燈籠の後方にある石祠に、龍神が祀られています。
祠には、「龍神」が祀られていることを示す文字はありません。住職が言うことが全てです。
祠の裏に奉納年があるそうです。
手元の資料(市川市石造文化財調査報告書)では、「昭和17年11月吉日 三十九世 日進代」

行徳における大きな水害の歴史をおさらいすると
大正6年(1917年):東京湾台風による高潮で、塩田に壊滅的な被害がでる。
大正5年~9年(1916~1920年):江戸川放水路開削工事。行徳村は放水路で分断される。
昭和24年(1949年):キティ台風による高潮が、復活しかけていた塩業の終焉につながる。

どのような経緯で、龍神が祀られるようになったのでしょうか。