(行徳巡り 第5回) 香取の源心寺からスタートして相之川香取神社がゴールの寺社巡りをします

行徳界隈を歩いて、神社仏閣を見てきましたが、今回は、香取にあるお寺さんからスタートして、相之川の香取神社がゴールのコースです。

行徳界隈巡りのシリーズも、妙典から始まりましたが、今回の相之川で終わりです。
歩き回ってみると、意外な発見があったりします。今回でいえば、閻魔様や民家の表札。

源心寺で狛犬を見る

源心寺の所在地:千葉県市川市香取1丁目16−26

行徳街道を歩いていると、大きなお寺さんの境内に、大きな六地蔵があるのが見えます。
予定していなかったのですが、急遽、立ち寄ることにしました。

西光山 源心寺は慶長16年(1611年)創建の浄土宗のお寺さんです。

源心寺の六地蔵

私が目を奪われた六地蔵は高さが3m近いので迫力満点。
6地蔵の内、5体は創建者の娘が寄進したと言い伝えられています。
1600年代に作られたお地蔵さんですが、石の加工技術や道具が未熟な時代に、よくここまでのものが作れたなという感じです。

源心寺の六地蔵
源心寺の六地蔵

源心寺の閻魔大王

六地蔵の向かい側には、閻魔大王が鎮座しています。
亨保3年(1718年)の奉納。

源心寺の閻魔大王
源心寺の閻魔大王

ところで、市川市内で閻魔大王が祀られているのは、どれくらいあるのだろうか、調べてみると
・源心寺(香取) 石造物
・法伝寺(湊) 石造物
・徳願寺(本行徳) 本堂に湛慶作と伝えられる閻魔大王像を安置
となぜか行徳の地に集中していました。

源心寺の不動堂

イボトリ不動として霊験あらたかと伝えられる。

源心寺の不動堂
源心寺の不動堂

不動堂の前で見つけた、小型犬サイズの狛犬

お寺で狛犬を見ても驚かなくなりました。
最初は、江戸川区東小岩にある善養寺(小岩不動尊)。
おや?良く考えると、不動堂の前で出会うことが多い気が...

源心寺の狛犬(左)
源心寺の狛犬(左)

お堂の前で睨みを利かせている番犬というよりも、ご主人様がお堂から出てくるのを待っているワンちゃんのような感じです。

源心寺の狛犬(右)
源心寺の狛犬(右)

2匹の狛犬の奉納年は不明です。頭の上に宝珠を載せたデザインなので、古そうな感じがします。

欠真間三峯神社

欠真間三峯神社の所在地:千葉県市川市欠真間1丁目16(私有地)

お隣の個人宅の方が管理されているようで、こちらの神社と隣のお宅が行き来できるように繋がっています。一瞬、屋敷神かと思い立ち入ることを躊躇しました。
三峯神社と書かれた石柱の裏に「奉納 平成二年五月吉日 欠真間三峯講」と書かれているのを発見。
一般人でも、立ち入れそうと判断しました。

欠真間三峯神社
欠真間三峯神社

由緒書きなどは出ていません。無論、ネット上にも情報はありません。
個人宅にあるものなので、いつ非公開になるか分かりません。私のように立ち入らず、塀の外から「へー」とか「ほー」とか言っておくのが無難です。

日枝神社

日枝神社の所在地:千葉県市川市相之川1丁目2−19

日枝神社は、行徳界隈の神社には珍しく、創建年が明確です。
相之川の鎮守として、万治2年(1659年)9月10日の創建と伝えられます。

日枝神社
日枝神社

日枝神社の手水鉢は2つもあります。

向かって右側の手水鉢は文化3年(1806年)の奉納。左側は奉納年が不明。

日枝神社の手水鉢
日枝神社の手水鉢

日枝神社の境内社(社殿の左側)

同じような祠が3つ並んでいます。左から順に眺めていきます。

日枝神社の境内社(社殿の左側)
日枝神社の境内社(社殿の左側)

日枝神社の境内社 馬頭観音

一番左は、木製祠の木札に「馬頭観音」と書かれています。
祠の中には、真新しい馬頭観音3面8臂。
手元にある市川市石造文化財調査報告書では、表面が剥離した古い馬頭観音があったようなので、買い替えたのだろう。

日枝神社の境内社 馬頭観音
日枝神社の境内社 馬頭観音

日枝神社の境内社 道祖神

中央の祠は、木札に「道祖神」と書かれています。
祠の中には、男女が寄りそうデザインの道祖神があります。
こちらも市川市石造文化財調査報告書(平成15年調査)では、判読不能になった石祠があったとされ、買い替えられたことが分かります。

日枝神社の境内社 道祖神
日枝神社の境内社 道祖神

日枝神社の境内社 船霊宮

右の祠は、木札に「船霊宮」と書かれています。
船の守護神ですが、陸上にあるのは少なくて、「船玉神社」という名前で全国にポツンポツン。

日枝神社の境内社 船霊宮
日枝神社の境内社 船霊宮

日枝神社の境内社(社殿の右側)

社殿の右側にも境内社が2つあります。
右側には赤い鳥居と参道。左側には参道のみあります。
赤い鳥居の方から見ていきます。

社殿の右側にも境内社が2つ
社殿の右側にも境内社が2つ

赤い鳥居がある境内社は相徳稲荷

赤い鳥居に狛狐。木製祠には木札が出ていて「相徳稲荷」と書かれています。

赤い鳥居がある日枝神社の境内社は相徳稲荷

祠の前にいる狛狐の奉納年の確認を忘れました。手元の資料で出ていない狛狐なので、平成15年以降の奉納でしょうか。

左側の境内社は「相之川辨天」

祠の中を覗くと一対の白蛇の置物がありました。
木製の祠についた木札には、「相之川辨天」とあります。

左側の境内社は「相之川辨天」
左側の境内社は「相之川辨天」

相之川水神宮

相之川水神宮の所在地:千葉県市川市相之川1丁目6

説明書き、神額、いずれも出ていません。
祠は新調されたようで、綺麗な状態です。
以前の石祠は正面に「水神宮」と書かれていたようですが、それもなくなりました。
googleマップの表示がなければ、謎の祠で片づけてしまいそうです。

相之川水神宮
相之川水神宮

ネットで調べても、何の情報も出てきません。
祠が新調されたということは、誰かが管理しているのでしょうか。
隣の建物は看板がありませんが、ネットで調べた結果「相之川自治会館」と判明。
どうやら、水神宮は、相之川自治会で管理しているようです。

富士浅間神社は幻の神社でした

富士浅間神社の所在地:千葉県市川市相之川1丁目15

googleマップで、富士浅間神社と表示される場所があります。
ストリートビューで見ても、民家があるだけの場所。とにかく行ってみることにしました。

塀の外から、富士浅間と書かれた石碑と祠が見えますが、公開はされていません。
平成15年に市川歴史博物館が行った石造物調査時は、一般公開されている神社の扱いだったように見えます。手元の資料によれば、弁財天の祠、富士浅間神社の石碑があるそうです。

残念ながら非公開なので、先に進みます。

さて、ここで、ぼそっと一言
この民家に出ていた表札に注目しました。
近隣の神社(相之川香取神社、日枝神社、押切稲荷神社)の宗教法人代表者も同じ苗字...。

相之川香取神社

相之川香取神社の所在地:千葉県市川市相之川1丁目26−7

行徳界隈歩きの最後に到着したのは、相之川香取神社。
小さな境内に、鳥居、手水舎、社殿があります。
説明書きの看板もしっかりあって、由緒が明確です。

相之川香取神社
相之川香取神社

今井の渡しの水上安全祈願の祠。文化の頃(1804~1817年)、渡し場9軒持ち。
当初、上今井村香取社(江戸川区江戸川3丁目44番8号、別当圓照寺)と上今井村が渡しの権益を持っていたが、正保元年(1644年)の久三郎とイネの駆落ち事件で、権益が欠真間村(相之川側)に移り、香取社を分社(年不詳)して小祠を建てた。江戸時代後期には延命寺の管理下になった。

境内掲示の説明書きより

相之川香取神社の手水鉢

右側面に奉納年があるそうですが、確認できません。
明治の年号らしいのですが、市川市石造文化財調査報告書でも、年の部分が判読不能となっており、年代の割に劣化が進んでいる様子です。

相之川香取神社の手水鉢
相之川香取神社の手水鉢

相之川香取神社の境内にある念仏塔

聖観音が描かれた念仏塔がありました。
聖観音の横に文字があり、色が付いているので読みやすいです。
「奉造立念仏講結衆 寛文八年」と刻まれています。1668年の奉納でした。

相之川香取神社の境内にある念仏塔
相之川香取神社の境内にある念仏塔

念仏塔ですが、
「誰でも念仏を唱えれば極楽浄土に行ける」という浄土宗の教えが広まったことで念仏講も広まったといいます。念仏講の結衆を記念して奉納された観音さまでした。