(行徳巡り 第3回) 関ヶ島から伊勢宿、押切まで歩いて神社仏閣巡り

前回は本行徳周辺の神社巡りをしましたが、その続き(第3回)は、関ヶ島と伊勢宿、押切周辺の神社やお寺を巡っていきます。

今回も大好きな古い石造物を求めて、神社仏閣を歩き回ります。
市内で2番目に古い狛犬に出会ったり、卍マークがついたものを神社で発見したりと、今回も刺激的な歩き旅ができました。

教信寺の妙徳白龍辨財天

教信寺の所在地:千葉県市川市本行徳38ー18

権現道を通って、関ヶ島胡録神社に向う途中で、赤い幟旗に気が付きます。
駐車場のようですが、顔を出してのぞき込みます。駐車場の一角に木の祠と石祠がありました。
この場所が教信寺の駐車場ということが分かったので、足を踏み入れて、祠の観察をしてみます。

教信寺の妙徳白龍辨財天
教信寺の妙徳白龍辨財天

幟旗に書かれた文字は、「開運招福」「妙徳白龍辨財天」
木の祠の方が、妙徳白龍辨財天のようです。
石祠の方は文字があるような無いような状態で、年代物と分かる劣化が見られます。

教信寺の石祠
教信寺の石祠

市川市石造文化財調査報告書(市川歴史博物館発行)をベースに調べます。
教信寺にあるとされている石祠は1つで、何も書かれていないが、白龍辨財天の幟がでているとあります。

関ヶ島胡録神社

関ヶ島胡録神社の所在地:千葉県市川市関ケ島5−13

入り口のところに説明書きが出ています。

安土桃山時代 天成3年(1575年)の創建。胡録天神と称していました。

関ケ島胡録神社
関ケ島胡録神社

境内の右横に土俵があります。今でも、ちびっ子相撲が行われようで、先程の案内看板でも多くの部分を相撲の話しに費やしてました。

ところで、関ヶ島胡録神社は昔から、この場所にあるのでしょうか。
明治、大正時代の地図の不正確さもあって自信がないのですが、ここは関ヶ島と伊勢宿の境目付近。
昔と今の境界線が違う気がしてなりません。

関ヶ島胡録神社 拝殿
関ヶ島胡録神社 拝殿

関ヶ島という地名は、
大小の河川に囲まれ島のような地形だったこと、
室町時代に香取神宮(佐原)の関所があったこと(江戸川を通る船から税金を取っていた)、
から、関のある島という意味だそうです。現在の地形は、島と言われてもピンときませんが...

関ヶ島胡録神社の手水鉢

卍マークの付いた手水鉢。
何で、神社に卍マーク? 頭が混乱しそうである。

関ヶ島胡録神社の手水鉢
関ヶ島胡録神社の手水鉢

奉納年は、寛政9年(1797年)。願主は江戸 日本橋の方(3名)です。
神仏習合の時代の奉納だから卍マークなのでしょうか。

ここは、少し離れてますが徳蔵寺が関係する神社なのでしょうか。

更に何故、日本橋の方が、こんなに離れた神社に奉納したのでしょうか。

関ヶ島胡録神社の狛犬

奉納年が不明な狛犬が鎮座しています。
いわゆる飛び獅子型というものですが、おとなし目の構図で作られています。

関ヶ島胡録神社の狛犬
関ヶ島胡録神社の狛犬

関ヶ島胡録神社のキリシタン燈籠(模倣品)

キリシタン燈籠の特徴を模倣した燈籠です。
本物のキリシタン燈籠(本行徳 妙覚寺所有)と比較すると、竿の中央下部に仏像に似せた神父像がないことなど違いはあるが、バテレン文字や中央部のくびれで十字架を表す部分、台石を使わないなど複数個所が再現されています。

キリシタン燈籠(模倣品)
キリシタン燈籠(模倣品)

市川市石造文化財調査報告書によれば、昭和49年の奉納だそうだ。
奉納者は、なぜ、このデザインのものを奉納しようと思ったのだろうか。

関ヶ島胡録神社の境内社 龍神

何の掲示もない境内社があります。
いつも通り、木の祠の中を覗いてみたり、スマホのカメラを押し当てて撮影したりして観察してみます。

関ヶ島胡録神社の境内社 龍神
関ヶ島胡録神社の境内社 龍神

木の祠の中には、小さな賽銭箱と石祠がありますが、石祠の正面に文字が刻まれていません。

某有名サイトでは、この境内社を弁財天としていますがエビデンスが不明です。

手元の市川市石造文化財調査報告書でも弁財天とされていません。
市川市石造文化財調査報告書では、龍神とされ、木の祠に「竜神」の額が出ていたといいます。
私が、見落としたのでしょうか。

資料によれば、側面に奉納年があり「天明二壬寅年」「正月下院八日」と刻まれています。
天明2年(1782年)正月28日の奉納と言えば、本塩の八大龍王の石祠も同じ日の奉納(現在は新品に交換されてしまったようです)。偶然の一致なのでしょうか。

馬頭観音

馬頭観音の所在地:千葉県市川市関ケ島9−8

木の祠があります。
googleマップでは、馬頭観音と表示されていますが、掲示がないことや祠の中が見えないことから、馬頭観音を見たという充実感がありません。

馬頭観音
馬頭観音

市川市石造文化財調査報告書(市川歴史博物館発行)によれば、祠の中に馬頭観音像3面6臂が2体あるはず。

稲荷神社

稲荷神社の所在地:千葉県市川市関ケ島4−9

権現道を歩いていると、少し荒れ始めた「稲荷社」が道の脇にありました。
屋敷神にしては、立派なサイズですが、手入れがされていないようで、朽ち始めています。
稲荷社の横が空き地になっているので、管理されていた方がいなくなったのかもしれません。

稲荷社
稲荷社

社殿には、手の込んだ木彫りが入っていて、お金が掛かっていることが分かります。

狛狐があります。市川市石造文化財調査報告書に記載がないか確認しましたが未記載です。
つまり、屋敷神か、所有者から調査の許可が出なかったか...

稲荷社の社殿
稲荷社の社殿

権現道を挟んだ隣は、お寺さん。
もしかして、神仏分離前までは、お寺さんの境内にあったのでしょうか。
折角です、関ヶ島胡録神社の手水鉢の卍マークも気になるので、隣の徳蔵寺に寄っていきます。

徳蔵寺

徳蔵寺の所在地:千葉県市川市関ケ島8−10

徳蔵寺は、真言宗(真言密教)のお寺さんです。
天正3年(1575年)の創建。
境内の宝篋印塔には、関ケ島の別称である「六軒」が刻まれていると案内板に記載されてます。
関ケ島の別称が「六軒」であるエビデンスを知りたかったのですが、ネットでは見つかりません。

徳蔵寺 山門
徳蔵寺 山門

案内板によると、昭和31年に、関ヶ島の宝性寺を合併。宝性寺のあった場所が知りたかったが、今昔マップ on the webでは場所が特定できなかった。残念。

境内左手には、不動堂があります。
ホームページによれば、宝性寺から移された不動明王を中心とした五大明王、童子を祀っているそうです。
赤い幟旗に記載されている文字は「行徳不動尊 南無大日大聖不動明王」。

徳蔵寺 不動堂
徳蔵寺 不動堂

不動堂の扉は閉まっているので、さい銭箱の前で手を合わせて、先に進むことにしました。
どうも、お寺さんは苦手です。

伊勢宿豊受神社

伊勢宿豊受神社の所在地:千葉県市川市伊勢宿6−11

入り口が分からず、グルグルしてしまいました。
行徳街道沿いに伊勢宿豊受神社の入り口を見つけ、参道を進みます。
小さいお子さん連れのお母さんが、鳥居のところに座り込んでスマホ中。写りこんでしまうので、鳥居の写真を諦め、境内へ。

伊勢宿豊受神社
伊勢宿豊受神社

境内に案内板が出ています。
神明社を豊受神社と改称。
御祭神は、行徳界隈の神社に多い豊受大神(伊勢神宮の外宮)。
本殿の建立は元禄年間(推定:元禄7年(1694年))。

伊勢宿豊受神社の手水鉢

文政4年(1821年)奉納の手水鉢です。
古いものですが良い状態です。

伊勢宿豊受神社の手水鉢
伊勢宿豊受神社の手水鉢

伊勢宿豊受神社の狛犬たち

拝殿の前に鎮座している狛犬は、台座のところに奉納年があり昭和17年と判明。
奉納者のところに「四代目」とあります。市川市石造文化財調査報告書では「四丁目」。
四代目と書いて四丁目とは読まないと思うのですが、何なんだろう。

伊勢宿豊受神社の狛犬(拝殿前)
伊勢宿豊受神社の狛犬(拝殿前)

拝殿と本殿の間の隙間から、本殿前を覗くと、狛犬が鎮座しています。
かなり古そうですが、近づけないので、詳細は、市川市石造文化財調査報告書に頼ります。

伊勢宿豊受神社の狛犬(本殿前)
伊勢宿豊受神社の狛犬(本殿前)

亨和3年(1803年)の奉納と判明。市川市内で2番目に古い狛犬でした。

伊勢宿豊受神社の境内社 辨財天、稲荷、妙見菩薩

赤いペンキで文字が入っているので分かり易いです。
境内社は、1つの石祠に3つの神様仏様が同居してました。

妙威徳辨財天、羽田徳力稲荷大善神、妙見大菩薩と書かれています。

妙威徳辨財天、羽田徳力稲荷大善神、妙見大菩薩
妙威徳辨財天、羽田徳力稲荷大善神、妙見大菩薩

この神様の書き方だと、仏式でお参りする神様仏様なのですが、ここは神社の境内。
どんな作法が良いのでしょうか。

尚、こちらの祠は昭和49年の奉納で、伊勢宿自治会が再勧請したもの。

おかね塚にある庚申塔を探して

おかね塚の所在地:千葉県市川市押切12−31

おかね塚に、庚申塔があると聞いてやってきました。

おかね塚の碑が公道上にありますが、庚申塔は立ち入り禁止の私有地(墓地)の中です。

おかね塚
おかね塚

墓地の左手前に、2m強の高さがある阿弥陀如来があります。
これが、庚申塔です。

目が良ければ、阿弥陀如来像の右側面、多数の文字が刻まれている中に「庚申」という字が発見できるでしょう。私には見えませんが...

田中稲荷大明神(ぽっくり稲荷)

田中稲荷大明神の所在地:千葉県市川市押切11

googleマップでは、「田中稲荷社」と表示されます。
個人持ちのお稲荷さんですが、立ち入ることが出来ます。
衆議院議員の方が、この地の開発に奮闘した先祖の生誕の地に建てました。
石碑などに平成14年の奉納年が入っているので、その頃の創建だと思われます。

田中稲荷社
田中稲荷社

通称「ぽっくり稲荷」。
同じ敷地に、銅像があったり、「ぽっくり蛙」があったり。

続きはこちら。次回は、行徳駅周辺で神社や公園の祠を巡ります。