JR総武線の新小岩駅からは徒歩で16分。住宅街の中にあったのが下小松天祖神社です。
すぐ近くの道は何十回も通っていたのに、一本路地を入ったところの神社には全く気付きませんでした。
やはり、表通りばかり歩いていてはダメってことでしょう。
訪れたのは日曜の午後。結構、頻繁に参拝客が来ます。ランニングの途中で寄った男性、熱心にお参りをした後、草刈りをする女性。下小松天祖神社は、地元の方が熱心にお参りする神社でした。
下小松天祖神社の基礎データ
住所
東京都葛飾区新小岩4丁目40-1
アクセス
JR総武線 新小岩駅南口から徒歩16分。
京成タウンバス/都バス 小岩高校入口で下車、徒歩1分。
江戸時代は
このあたりは、下小松村という屋敷が77戸ほどの集落がありました。
新編武蔵風土記稿によれば、末社は富士浅間、稲荷、水神。照明寺持ちと記載があります。
同じ照明寺持ちの神社として、鹿島社、天神社の2つも同村にありました。
下小松天祖神社を見て回る
境内に入って直ぐ左側に神社の由来が書かれた石碑があります。
創建年には触れられていないので、不明なのかと思います。
江戸時代に書かれた新編武蔵風土記稿には、下小松村の項で「五社明神社、村の鎮守。祭神詳しならず」と記載されていました。明治6年に「天祖神社」と改称。その際に、天照大御神、經津主命、武甕搥命が祀られていると神社明細帳に書かれていたそうです。
つまり、天祖神社と香取神社と鹿島神社の3つの神様が祀られていたということが明治の記録にはあるけど、江戸時代の記録にあった5つには足りないってことです。今は、どうなんでしょうか。
現在の社殿は、昭和53年に造営されました。
それ以前では、大正4年の社殿の造営、昭和29年の総武線拡幅工事による遷座と大改修があったそうです。他の資料によれば、昭和53年の造営以前の本殿は文久3年(1863年)の造営だったそうだ。
何か古いものが残っていないか見て回ります。
下小松天祖神社の狛犬たち
狛犬は前後に2組で、社殿を守っています。
手前側の狛犬
手前の狛犬は、大型犬サイズの迫力のあるものでした。
奉納年は、昭和53年。つまり、社殿が造営された時に奉納されたもの。
右が玉取り、左が子取りになった狛犬です。
玉がデッカイ。
社殿の前にいる狛犬
社殿の前を守っている狛犬は、中型犬サイズ。
妙に黒ずんでいますが、火災にでもあったのでしょうか。他の神社でも、このような狛犬を見たことがあります。その時は、戦災で焼けた跡と説明がありました。
先ほどの狛犬と違って、右側が子取り、左側が玉取りです。
奉納年が記載されてません。若しかしたら、戦争前の大正時代のものかも...
台座に奉納者の名前がありますが、傷みが激しさから年代物に見えます。
神社名が入った石柱
天祖神社と書かれた石柱が置かれています。
置いてある場所から想像すると、以前使っていた石柱のようです。
歴史のある石柱かもと思い、シャッターを切りましたが、どうなんでしょうか。
下小松天祖神社の境内社
御祭神が分かる石造りの祠が4つ、その横に詳細不明な小さな祠が1つ。
更に、社殿の奥の方に、富士塚のような小さな山の上にも祠が1つあります。
御祭神が分かりそうな4つの祠を右から順に見ていきます。
一番右の祠は、鹿島神社
黒く変色した祠ですが、はっきり「鹿島神社」の文字が読めます。
右から2つ目の祠は、殆ど読めません。
黒く変色した石の表面を何かで擦ったようで、文字がかすれて読めなくなっています。
何となくですが「●●大明神」と書かれている気がします。
大明神から想像できる御祭神は、お稲荷さん。本当のところは、どうなんでしょうか。
右から3つ目の祠は、北野神社
石の変色もなく、綺麗に「北野神社」の文字が残っています。
台座や屋根は、隣の祠と同じように黒く変色しているのに、この部分だけキレイ。
プロが清掃したかのようです。
一番左の祠は、水神宮
こちらの祠も状態が良く、「水神宮」という文字が判読ができます。
小さな祠は謎、隣は力石
木の陰になって参拝しにくい場所に小さな祠があります。
何をお祀りしているか手掛かりになるものはありませんでした。
祠の材質は、瀬戸物のようです。
小さな山の上に祠、浅間神社
こちらの境内社に祀られている御祭神を特定する手掛かりは、人工的に作られた山の上にあるということです。
登山信仰系(富士塚)となると、浅間神社あたりでしょうか。
神社入り口にあった「天祖神社年中行事予定表」に答えがありました。
7月2日 浅間祭と記載があったので、浅間神社で確定。