上平井村は、現在の東新小岩8丁目、西新小岩5丁目あたりを中心とする村です。
今回は事前学習をして、自分で作ったコースを巡る歩き旅です。
いつもの「行き当たりばったりの歩き旅」より、事前に調べてから「コースを歩く旅」は、果たして面白いのか検証してみます。
上平井村はどんな場所?
かつて、「上平井」があった地域は「上平江」と呼ばれていました。
「上平江」は室町時代の資料にも出てくる地名です。戦国時代に「上平井」になります。
後に分村で、中平井村と上平井村に分かれますが、今回は、「上平井村」にフォーカスを当ててます。
「平江」は地形が、入江のような地形だったことから付けられました。
「新編武蔵風土記稿(1804~1829年編纂)」がネット上で読めます。これによれば、
上平井村は、江戸から2里半の場所にあり、東西に6町(約660m)、南北11町(約1200m)、民家132の村でした。
用水は、小合村の小合溜井から引き込まれていました。(*現在の水元公園あたり)
小名としては、「東之庭」「西之庭」「鹽入の庭」がありました。(*「鹽」は「塩」の旧字)
中川の畔に流作場(堤の外側の田んぼ)や渡船場もあった。渡し船は、村民耕作便路で木下川村へ渡っていた。
高札場は村の西にあった。(*人の往来が多かった場所と推測)
神明社が村の鎮守で園成寺持。多賀明神社が東光寺持。上品寺持が氷川社、諏訪社、山王社、稲荷社、浅間社、道祖神水神合社。
現在の地図から拾える気になる地名は「南汐」「汐入」「須磨」「間栗」。これらの地名の由緒も合わせて調べていきます。
現在の地図(googleマップ)で見ると、神社が4つ、寺院が4つ確認できます。
神社が「上平井天祖神社」「三谷稲荷神社」「諏訪神社」「神社(詳細不明)」の4つ、
寺院が「東光寺」「上品寺」「園成寺」「徳正寺」の4つです。
その内、昔からの地図(明治時代の地図)にも掲載されているのは、「東光寺」「上品寺」「園城寺(円城寺)」「大神宮」の4つ。この4つを外さないように、上平井村を巡る旅をスタートさせます。(園城寺は園成寺と同一と推測)
上平井村を東側から攻略していきます。
諏訪神社(葛飾区東新小岩8丁目)
諏訪神社の所在地:葛飾区東新小岩8丁目26-3
アパートと駐車場の間にあったのが、「諏訪神社」です。
大きな木などもないので、遠くから見つけることは難しいです。
地図を頼りに、この神社に参拝してください。
由緒書きはありません。鳥居と社殿だけのシンプルな神社です。
「今昔マップon the web」では、1965年~1968年の地図で、この場所に神社マークが登場します。
それ以前の地図でも、何らかの建造物があったようですが、神社だったかは不明。
新編武蔵風土記稿(1804~1829年編纂)に掲載の上品寺持の諏訪社が、該当するのであれば、1829年以前から続く神社といえます。
(葛飾区の神社調査報告書では、上品寺持の諏訪社で1825年以前から鎮座していると記載されているようです。)
三谷稲荷神社(葛飾区東新小岩8丁目)
三谷稲荷神社の所在地:葛飾区東新小岩8丁目16-3
神社の裏手は、遊具のある公園です。
諏訪神社からは、南汐ふれあい通りを進んで、すぐのところにあります。
「三谷稲荷神社」は、真っ赤な社殿が印象的な神社です。
参拝した時間帯は、境内を清掃されている方がいました。
鳥居をくぐった右側に、由来が書かれた立派な石碑があります。
由来が書きには
「文明9年(1477年)の創建。
上品寺を再建する時、檀家と相談して北東の「汐入之庭」に稲荷神社を造った」とあります。
「当時は、農家が3軒しかなく、三家または三屋稲荷神社と言われた。後に、三谷稲荷神社と呼ばれるようになった。火除け、病気平癒、商売繁盛の神様」と書かれてました。
境内の銀杏(御神木)は、1649年の植樹だそうです。
「汐入之庭」から想像すると、この場所は海水が出た入りする、汽水域の広場だったようです。
実際、上平井では江戸時代から昭和の中頃(平成の始めという説もあり)まで、ふのり(布海苔)作りが行われていました。海からだいぶ離れていると思うのですが、海藻が、そのころまで採れていたんですね。
ここの訪問で、「鹽入之庭」の場所がはっきりしました。また、新編武蔵風土記稿の上品寺持の稲荷社は、この「三谷稲荷神社」が該当しそうです。
名も無き神社(葛飾区東新小岩8丁目)
名も無き神社の所在地:葛飾区東新小岩8丁目9
南汐ふれあい通りを進んだ突き当りにあります。美味しそうなパン屋さんが近所にありました。
この神社の裏は、中川の土手です。「今昔マップ on the web」で明治時代の地図を確認してみると、南汐ふれあい通りは、昔は用水路だったことが分かります。この場所で、堤の下をくぐり中川に繋がっていました。満潮時に、ここから塩分を含んだ水が用水路に入り込んでいたのでしょうか。
葛飾区施設維持課の隣にある、祠です。
googleマップ上は、単に「神社」と表記されています。
由来書きもなく、まったく分からない神社です。
フェンスはボロボロになっていますが、明らかに管理されています。
それ以上、分からないので、先に進みます。
上平井天祖神社(葛飾区東新小岩8丁目)
上平井天祖神社の所在地:葛飾区東新小岩8丁目6-20
平和橋通りのところにあるのが「上平井天祖神社」です。
いきなり現れた「大鳥居」に圧倒されます。
と同時に、想像をしていなかった立派な神社だったので驚きました。上平井村は裕福な村だったのでしょうか。
境内の右手に「社殿造営記念の碑」があります。
それによれば、
この場所に移ったのが昭和14年。
平和橋通りの開通により、境内を道路が貫通することになり移転した。移転に際し、東光寺により、場所を提供していただいたとあります。
「今昔マップ on the web」で確認すると、移転前は現在地よりも少し道路側にあったことが確認できます。
こちらの社殿は、昭和43年造営(昭和46年完成)です。
明治時代の地図では、「大神宮」と記載されています。
これで、上平井を代表する3つ目の場所を巡れました。
大型の狛犬なので、結構、迫力があります。
盛大にお祭りが行われたんだろうなと思わせる、立派な神楽殿があります。
上平井天祖神社の維持管理を行われている「天祖神社崇敬会」の方と思われるブログを見つけました。そこから一部を抜粋させていただきます。
江戸時代には「神明社」「皇大神宮」「葛西明神」「三社権現」とも尊称されています。
ご祭神は、伊勢の大神(大日霊尊)、春日大神(天児屋根命)、八幡大神(誉田別命)の参柱です。
神社の創建は、鎌倉時代で源頼朝の家臣従五位下壱岐守平清重(葛西三郎・葛西領の領主)が、勧進したと伝えています。境内末社
葛飾 天祖神社(tensozinja.exblog.jp)より
・多賀神社 – 明治22年 上平井根通り2546番地より奉還
・浅間三峰神社 – 明治 上平井字川崎2446番地より奉還
・道祖神社 – 昭和55年 上平井2428番地(西3-34-4)より奉還
・稲荷神社 – 殖産興業・商売繁盛の神
境内末社は4つ+石碑1つの計5つ確認しました。が、説明書きがないものもあり、ネットから情報を広って補完しました。(間違った情報も多々あって正解は不明)
上平井天祖神社の拝殿横にある2つの末社ですが、2009年頃には木の看板が出ていました。
現在は、右側の末社にだけ「多賀神社」の石柱が建っています。
他の方のブログの写真を参考にすると、左側が道祖神社、右側が多賀神社。
先ほどの末社の横に「清水稲荷大明神」と書かれた石柱があります。末社とは、少し距離があるので、末社の説明書きではなさそうです。清水稲荷大明神と書かれた横に「陸軍大将男爵荒木貞夫」の文字が読み取れます。荒木貞夫は皇道教育を推進した人物で第一次近衛内閣の文部大臣。A級戦犯として終身刑となった人物です。
この末社は本殿の横にありますが、何か分かりません。
ある方のブログでは上平井天祖神社の「旧本殿」とありましたが、「浅間三峰神社」であると言っている方もいます。
ここも以前(2009年)は看板が出ていたようですが、残念ながらネット上にある写真が不鮮明で、看板の文字を読み取れませんでした。
先ほどの不明な末社と同じ敷地内には「星 富士山」と書かれた石碑があります。
石碑には、大正6年と読める年号も見られます。富士山信仰の関係の末社と思われます。
本殿裏にあるのが、「笠間防宗稲荷大明神」です。
新編武蔵風土記稿に記載の東光寺持の多賀明神社、上品寺持の浅間社、道祖神までは現存が確認できました。
残りの「氷川社」「山王社」は何処?
道祖神水神合社のうち、水神はどうした?
という疑問は残りましたが、これにて神社巡りは終了。
ここから先はお寺巡りと、いつもの気ままな歩き旅をしていきます。
上品寺(葛飾区東新小岩7丁目)
上品寺の所在地:葛飾区東新小岩7丁目8-2
上平井天祖神社から平和橋通りを新小岩駅方面に進むとあるのが、「八幡山 上品寺」。
「上品寺」と書いて「じょうほんじ」と読みます。
この看板にぶっとびました。「江戸名勝ゑんま大王安置堂」。
いかにも、ご自由に参拝くださいって感じで好感。観光気分で境内に入っても怒られなさそうです。
なんだか分からないけど、お寺って入り難いので助かる。
折角の機会なので、閻魔様に手を合わせておきます。手を合わせる場所の横に売店があり、何かグッズを売っているようでした。
ところで、閻魔様には何をお願いすれば良いのでしょうか。
境内の説明書きによると、江戸16閻魔のひとつとして江戸中期に栄えたとあります。
この閻魔堂は昭和47年の建設。
上品寺境内にある八幡神社
境内に「八幡神社」がありました。「八幡山 上品寺」の境内に「八幡神社」があるって面白いです。どんな関係なんだろう。
この「八幡神社」は新編武蔵風土記稿の「上品寺」の項目のところに記載があります。
東光寺(葛飾区西新小岩5丁目)
東光寺の所在地:葛飾区西新小岩5丁目21-20
お寺では良くあるパターンですが、門が閉まっています。用事がある人は通用口へどうぞって感じ。何となく入場を拒否されている気がして、写真だけ取って退散。
何で門を閉めるのでしょうか?
夜間だけ閉めるなら、分かるのですが。
上平井小学校開校の碑
上平井小学校開校の碑の所在地:葛飾区西新小岩5丁目19−25あたり
圓成寺に向かう途中で偶然に見つけたのが、「上平井小学校開校の碑」。
フェンスに囲まれた資材置き場のような場所にあります。
大正3年に開校したようです。
比較的新しい碑なので、開校100周年を記念して建てたのかも。
葛飾区立上平井小学校のホームページにある沿革によれば、小学校が現在地に移転したのは昭和5年だそうです。
圓成寺(葛飾区西新小岩5丁目)
圓成寺の所在地:葛飾区西新小岩5丁目28-18
バス停の表記は、「円成寺」でした。
「圓成寺」と書いて「えんじょうじ」と読みます。
境内に「七面神明社」があるはずですが、門から先に入らなかったので...
「黄金山 圓成寺」って、なんかワクワクする名前です。ここで参拝すると宝くじに当たりそうな...。門から先に入らなかった私にはご利益は無さそうです。
外谷汐入庭園
外谷汐入庭園の所在地:葛飾区西新小岩3丁目42−3
「外谷汐入庭園」は、看板を見て急遽訪問を決めた場所です。
米穀商の外谷氏の邸宅の庭を公開しているものです。
関東大震災後の造園で、中川から水を引き入れている池があります。
潮の満ち引きで池の水面の高さが変わる仕掛けになっています。
手入れをされてるような、されてないようなという微妙な感じで保存されています。
旧安田庭園のような期待で見に行くと、がっかりするかも...
モンチッチ公園
モンチッチ公園の所在地:葛飾区西新小岩5丁目7−2
名前に魅かれて、寄り道してみました。さぞや全国から集まったモンチッチ・ファンで埋め尽くされた公園なんだろうと期待して。
普通の公園です。サボり中のOLと外国人の親子が数組いるだけでした。
正式名称は「西新小岩五丁目公園」。モンチッチで有名な株式会社セキグチの工場の跡地にできた公園です。
上平井水門(上平井の渡しがあったあたり)
上平井の渡しがあったあたり(水門と上平井橋の間)は、残念ながら近づくことができません。
少し下流側から渡しがあった方向にカメラを向けますが、上平井水門がジャマです。
ここら辺は、河川の改良工事と荒川放水路の関係で大きく様子が変わった場所です。
現在は、水門の耐震工事中です。
総武線から、水門が見えるそうですが、気が付きませんでした。20数年間、総武線で毎日通勤していたのに。
中川、綾瀬川への高潮遡上を防ぐ目的で作られた水門です。
徳正寺(葛飾区西新小岩3丁目)
徳正寺の所在地:葛飾区西新小岩3丁目6-6
荒川放水路(中川)の土手沿いを下流に進み、押しボタン式の信号機のあるところで、土手下に降ります。
新編武蔵風土記稿の上平井村の項に掲載されていないお寺さんでした。
調べると関東大震災後の昭和2年~8年に、押上からこちらに移転したとあります。
徳正寺の角を曲がり、更に左に折れると、JR新小岩駅方面に向かう道になります。
道の途中には、石碑になっていた、「上平井小学校」もあります。学校の前では、平日のお昼前だったので、子供たちの元気な声も聞こえてきました。
「上平井村巡りコース」のまとめ
今回の事前学習してから歩くパターンは、歩く時間より調べている時間が長くて、梅雨時ならではの歩き旅かもしれません。
お寺さんも鑑賞のポイントと思って、歩きコースの中に入れましたが、私の趣味には合わない気がします。上品寺の閻魔様みたいのは大歓迎なんだけどね。
「須磨」や「間栗」など調べ切れないこともありましたが、満足できる歩きコースでした。
私の中で、外せないポイント(見どころ)を上げるなら
三谷稲荷神社の真っ赤な社殿、上平井天祖神社鳥居から入って拝殿までの雰囲気、上品寺のえんま大王、上平井水門の4つです。
今回渡らなかったけど、「上平井橋」を渡った先の世界も見てみたい。