千葉県浦安市は、埋め立てでできた場所が多いため、神社やお寺さんが少ない特徴があります。
神社は、浦安3社とも言われますが、実際に調べてみると
大きな神社が3社、お寺さんと関係がありそうな神社が2社、弁財天が2社でした。
今日は、東京メトロ東西線浦安駅を出発地点にして、浦安市の神社と弁財天の7社を巡ります。
地図の上では、半日かからずに全ての神社を巡れそうです。
清瀧神社
清瀧神社の所在地:千葉県浦安市堀江4丁目1-5
東京メトロ東西線浦安駅から徒歩5分ほどで、早くも最初の神社「清瀧神社」に到着です。
既に、入口付近には七五三詣りの看板が出ていて、準備が着々と進んでいるという感じ。
訪問したのは9月末の月曜日(平日)。七五三詣りは10~12月というのが多いようです。
この神社には、公式ホームページがあります。御由緒などを調べるのに助かります。

七五三の準備のためなのか賽銭箱の両脇に何かをカバーしていて、雰囲気を壊しているのが残念。
そんなことを思いながら、財布から10円玉を取り出していると、白衣に袴の宮司さんらしき方が、拝殿周りを清掃されているのに気付きます。
なんだか「もうちょっと」と言われている気がして、100円玉に変更。
神職の方は、袴の色で階級が分かるのだそうです。よく見ておけば良かった...

清瀧神社の創建年は定かではないそうですが、建久7年(1196年)と言い伝えられています。
御祭神は、大綿積神(海の神)です。本殿には見事な彫刻が施されていますが、龍や浦島太郎、竜宮城などが浮き彫りで描かれているそうです。
本殿の造営は、安政2年(1855年)。ケヤキの大木1本から作られたものです。

趣のある狛犬があります。
お供え物のお菓子が置いてあるのですが、私の好みで言うと、お供えは無い方が絵になるんですが。

台座に書かれた年号は、安政2年。本殿を造営した時からある狛犬のようです。
灯篭は、天保13年の年号がありました。
清瀧神社 境内社 龍神社
さて、ここでまた悩む出会いがありました。
龍神社の御祭神は「豊玉比古神(とよたまひこのみこと)」。
海の神である「大綿積神(おおわたつみのかみ)」の別名です。
本殿にも祀られているし、ここにも祀られているのかい?
それとも、日本神話に登場する神様ですが、別々の神様としているのでしょうか...

清瀧神社 境内社 浅間神社
本殿の裏手の方から、カメラを構えた私と同じ目的と思われる男性が現れました。
カメラの順番待ちになり、何やら気を使ってしまって、説明書きが全然頭に入ってこなかった...
「富士講」は凄く流行ったのに、昭和初期にブームが去ったようで下火になったそうです。

これ以外にも、境内社として「八坂神社」「道祖神社」があるそうです。
浅間神社より、奥に入るという発想が無く、そのまま、帰ってしまったのが悔やまれます。
久助稲荷神社
久助稲荷神社の所在地:千葉県浦安市堀江4丁目14−44
久助稲荷神社は、清龍神社の隣りにあります。隣にあるお寺さんの裏口のような場所にひっそりとあるので、お寺さんの敷地なのかもしれません。
ちなみに、表通りに面しているのが、「宝城院」。その裏手にあるのが「大蓮寺」。

一の鳥居の横に、由緒書きが出ています。少し長くなりますが、由来を書いておきます。
小田原の大蓮寺の境内にあった福徳稲荷の分身として、天文13年(1544年)、堀江村の大蓮寺創建と同時に建てられた。
大蓮寺の住職の弟子に「学誉」というものがいた。
増上寺の法主となっていた「学誉」のところに、「久助」という大蓮寺時代の使用人がやってきて、お稲荷さんが荒れ果ててしまったので、再建したいと願い出た。
「学誉」は、大蓮寺にいたころお稲荷さんに願掛けをしたことがあり、お稲荷さんを再建する手助けをすることにした。
伏見稲荷に使者を出し神位を受取り、復興に必要なお金とともに大蓮寺に送ったところ、実は「久助」は20年以上前に亡くなっていたことが分かった。
亡くなっていた「久助」がお稲荷様の使者としてやってきたことに感銘し、お稲荷さんを「久助稲荷神社」と改称し、享保13年(1728年)に再建した。
江戸時代版のオレオレ詐欺未遂事件でしょうか、高僧になる方がお稲荷さんに願掛けしている点と合わせて、興味深い御由緒でした。

一の鳥居と二の鳥居の間に、お地蔵さんがいます。
お地蔵さんの前には、男根を思わせるようなものがひとつ。
何やら、お寺の匂いがプンプンするお稲荷さんのようです。

社殿の前には、狛狐が一対。三の鳥居だけが赤くなっています。
狛狐は、金網の中に鎮座。
最近、ある神社で「狛狐の台座を削るな!」って張り紙を見たのですが、そういった心無いことをする人への対策なのでしょうか。
旧宇田川邸住宅
旧宇田川邸住宅の所在地:千葉県浦安市堀江3丁目4-8
月曜日が定休日ということで、残念ながら見学することができなかった。
邸宅というより、商店のような作りに興味津々。
調べてみると、明治2年に作られた、商店兼住宅。道路に面した方が商店、奥が住宅になっているとのこと。関東では、こういった住宅はあまり残っていないので貴重なものだそうだ。

旧大塚家住宅
旧大塚家住宅の所在地:千葉県浦安市堀江三丁目3-1
こちらも、月曜日が定休日ということで、残念ながら見学することができなかった。
茅葺屋根の古い住宅で、こちら側(北側)に窓らしきものが見当たらない構造になっている。
興味津々なので、次は公開日を調べてから来るようにしたい。

江戸時代末期の建物。
表からは分からないが、屋根裏に2F部分があるそうだ。
東学寺境内に稲荷神社を発見 福好稲荷大明神
東学寺(福好稲荷大明神)の所在地:千葉県浦安市堀江2丁目4-27
豊受神社に向かう途中で出会ったのが、東学寺というお寺さん。
普通のお寺さんなので、そのまま通り過ぎようとした瞬間、赤い鳥居が目に入ってきました。
お寺さんに、稲荷神社があるパターンは、時々、経験しているので驚きはしません。

神額には、「福好稲荷大明神」と書かれています。
東学寺の山号は、「医王山」。
「福好稲荷」とは結び付かないので、由来が知りたいところですが、ネット上には、全く情報がなくお手上げ状態。まあ、こういう時は、「へー」とか「ほー」とか言って楽しむのが一番。

こちらのお寺には公式Twitterのアカウントがあります。このお稲荷さんについて、何か呟いてないか見ましたが、残念!
もし、この記事を住職さんが見ることがあったら、「福好稲荷大明神」について、呟いて欲しいなぁ。
公式Twitterのアカウントでは「浦安やくしさま(東学寺)」と、地域の方から呼ばれている愛称も併記されてます。
紹介が遅れましたが、ご本尊は「亀乗り薬師如来」。ネットの情報によれば、小岩にある善養寺の末寺ということ、「へー」。
小岩の善養寺と聞いて、急に親しみが湧いてきました。
豊受神社
豊受神社の所在地:千葉県浦安市猫実3丁目13-1
訪問日は9月末の月曜日でしたが、早くも七五三のシーズンに入ったようで、ちょうど御祈祷が終わった家族が、拝殿前で記念撮影タイムになっていました。
神主さんらしき姿も拝見。
おや?、確か、清瀧神社でも宮司さんらしき方が拝殿を掃除をされてましたが、ご兄弟なのでしょうか。
そう、今日巡る清瀧神社、豊受神社、当代島稲荷神社が同一経営。兼務社というやつです。
清瀧神社、豊受神社、当代島稲荷神社の3社のことを「浦安三社」といい、4年に一回、「浦安三社祭り」が行われている。

社務所が常にオープンしていて、アルバイトの巫女さんがいる、3社の中で一番人気なのが「豊受神社」です。
こちらの神社には、twitterの公式アカウントがありました。2018年頃、神職募集の呟きをしてました。
神職も、家業を継ぐのではなく、転職有りのサラリーマンみたいに雇われる時代なのでしょうか。
拝殿は、階段を登った2F部分にあります。
この場所は、過去より度々、風水害にあって再建を繰り返してきました。
現在の社殿は昭和49年に造営されたものです。
創建は、保元2年(1157年)といわれている。
浦安市最古の神社だそうだが、浦安市は、神社の数が少ないので、古さを競っても無意味かも。

年代が不明な狛犬。左側の狛犬は、妙に黒い。台座は、比較的新しそうだ。
社殿と同じような年代(昭和49年)の奉納だろうか?

境内には、奇抜な形をした大銀杏の木がある。樹齢数百年と言われているが、調査によれば、真ん中にあった銀杏の大木(幹)が枯れ、周辺に生えていた木(萌芽枝)が大きくなって残っている状態だとか。

豊受神社は、今の場所より西寄りのところにあったそうだ。
大銀杏の樹齢から見て、数百年前の話しなので定かではないが、字大宮前(中道右端の小丘稲荷の付近)にあったということだ。
豊受神社の境内社 浅間神社
いつもと同じパターンで、富士塚とセットで浅間神社がありました。
浦安3社は、全ての境内社に名札が付いていて助かります。

御由緒と書かれた説明書きがありますが、富士宮浅間社の御由緒について書かれたもので、この境内社に関するものではありませんでした。
富士塚の説明書きには、富士塚が作られたのは大正12年。もともと豊受神社には浅間神社が祀った小さな山があったと書かれてました。
豊受神社の境内社 津島神社、風神
祠の中に2つのお神札が見えます。
祠の左側が、津島神社。右側が風神。

豊受神社の境内社 稲荷大権現(伏見稲荷)、秋葉大権現、金比羅大権現
石造りの祠が3つ。
左から、稲荷大権現(伏見稲荷)、秋葉大権現、金比羅大権現です。

豊受神社の境内社 三峰神社
説明書きに、三峰神社。御本社は三峯神社(埼玉県)と表記されてます。

それにしても、ずいぶん色々な神様を祀っているもんだなと感心。
左右天命辨財天
左右天命辨財天の所在地:千葉県浦安市猫実2丁目23−2
豊受神社の横の道を横断し、案内板を横目に見て細い道を進むと左右天命辨財天があります。
案内板の矢印の向きに合わせて進むと永遠に左右天命辨財天に着きません、注意しましょう。
左右天命辨財天には、由緒書きがありました。とても助かります。

明治17年に川島さんという方が建立した。
猫実の弁天様といい、左右天命をお祀りしてある。
「灰やのくるわ」に災害が起こる前に災害を予告してくれると信じられ、「くるわ」の人の信仰を集めていた。
浦安市文化財審議会の議事録によれば、
「灰や」は、この辺りに川島さんの「貝灰工場」があったことから来ているらしい。
「くるわ」は、「遊郭」ではなく「寺のうしろ」という意味で使われてらしい。
と記述があった。

社殿の三方は、池になっています。池には亀が1匹。
弁財天には、池という決まりがあるのでしょうか。
モニュメント「べか船」
境川に掛かる江川橋のところにあったモニュメント。
「べか船」と言われる船をモチーフにしたモニュメントです。

「べか船」は、一人乗りの船で「海苔採り船」として使われていた船です。海苔採りがしやすいように船の幅が84cmと狭かったのが特徴でした。
江戸時代の浦安は、漁業の盛んな場所でした。主には、海苔採りと貝(アサリ、ハマグリ)の養殖と言われています。
ここ境川は、海への玄関口として利用され、べか船を中心とした小型船、二千艘が係留されていたそうです。大型船の方(貝の養殖などに使用)は旧江戸川に係留されていました。
清瀧弁財天
清瀧弁財天の所在地:千葉県浦安市堀江5丁目6-17
清瀧弁財天に着いたら、神額を見て欲しい、そこには、「清滝弁財天」とある。
次は、鳥居を入ったところにある石柱だ。そこには、「清瀧弁財天」と書かれている。
清瀧弁財天は、「せいりゅうべんざいてん」と読む。
浦安市文化財審議会の議事録によれば、
清瀧弁財天は、「清滝弁財天」とも書くが、通常は「清瀧弁財天」としている。
2つの表記がある理由は分かっていない。昔は、単に「弁天様」と呼ばれていた。
現在、清瀧弁財天は、宝城院が管理している(いた?)ようだ。

境内に由緒書きの看板が出ています。
明治44年に村民2人が、このあたりで白蛇が松の根元に入っていくのを見かけた。
行者にお伺いしたところ、白蛇は弁財天の使いと言われた。
そのため、祠堂を建て弁財天を祀るようになった。
現在の社殿は、昭和55年に東京都江東区深川の冬木弁財天をモデルに新築されたもの。
昔は、「生身蛇形弁財天」と言っていたが、後年になって「清瀧弁財天」と呼ぶようになった。
以上が由緒書きですが、ネットで、創建のきっかけになった明治44年の村民の口述を見つけました。
要点だけ紹介しておきます。口述の全文は、こちら(外部サイトへ)
お伺いをした行者は、大六天様の行者、高石光司先達。「雨除けのお宮を建ててもらいたくて姿を現した」と行者は言った。
白蛇を見た場所の地主である宝城院に話をしたところ田んぼをくれた。宝城院の住職が「生身蛇形弁財天」と命名した。
大正6年までは、宝城院が管理していたが、その年の大津波以降は管理を放棄してしまった。
大正13年にお宮を再建。昭和11年に商工会に管理を引き継ぎ。商工会の目的は、外貨獲得のため。

鯉が泳いでいる池に囲まれた弁天堂です。弁天池などというものもあるくらいなので、弁天様と池はセットなのかとも思ったが、決まりがある訳ではないようだ。
清瀧弁財天は、なかなか雰囲気のある弁財天でした。
さて、清瀧神社に続いて、弁財天でも「清瀧」という名前がでてきました。「清瀧」とは、何を指しているのでしょうか。宝城院の山号も「清瀧山」なんですね。確か、清瀧神社の隣に宝城院がありました。
「んっ!」全部が、つながった気がします。
当代島稲荷神社
当代島稲荷神社の所在地:千葉県浦安市当代島3丁目11−1
浦安駅を通り過ぎて、北上したところにあるのが当代島稲荷神社です。清瀧弁財天からは、かなりの距離を歩くことになりますが、浦安駅からなら徒歩15分です。
創建は定かではないとのことですが、元禄2年(1689年)に、小岩の善養寺から移し祀ったものと言われています。
本日2回目の、小岩の善養寺登場です。
善養寺の対岸は市川市ですが、善養寺が何かしたという話を聞いたことがありません。
それが、浦安では2回も登場するなんてビックリ。
何か縁でもあるのでしょうか。

稲荷神社ですが、狛犬です。
ネットでは、狛狐じゃないと話題になったりしていますが、実は狐もいるんです。

狐のいる場所はここ。
常夜燈の台座部分にしっかり狐が描かれています。

お稲荷さんらしい、色使いの拝殿でした。
当代島稲荷神社は、当代島村の鎮守でした。
ホームページにある由緒書きによれば、現在の社殿は昭和59年の建造。
神社の記録によれば、少なくとも大正時代には、相殿の神さまとして応神天皇と春日大神をお祀りする神社だった。それ以前には当代島で元村長の高梨氏所有の屋敷神の稲荷さまを氏神としていた。
さて、良く判らなくなりました。
「元禄2年(1689年)に、小岩の善養寺から移し祀ったもの」は、社殿だけだったのでしょうか。
御神体は?、元村長の高梨氏所有の屋敷神との関係は?

当代島稲荷神社 境内社
拝殿の横のところに看板が出ていて、「大鯨は右」。大鯨って何?
興味津々で、拝殿横に進んでいきます。出てきたのは4つの石造りの祠。右から順に見ていきます。

当代島稲荷神社の境内社 金刀比羅宮
一番、右端は分かり易く、「讃岐国 金刀比羅宮」と書かれてました。

当代島稲荷神社の境内にある石碑 大鯨
右から2番目は、読みにくいですが、「大鯨」と彫られてます。これは、石碑だそうです。
明治8年、東京湾で鯨を捕まえた漁師がいて、大金を手にした上、有名人になったそうです。
仕事が手につかなくなったが、そこから脱出するため、当代島稲荷神社に石碑を奉納しました。

当代島稲荷神社の境内社 八幡神社 八幡大神
こちらの2つの祠は、何の神様を祀っているのか分かりません。
どちらかが、「八幡神社 八幡大神」です。
(左端が八幡神社。右側は大鯨に関係した祠ではないかと推測)

当代島稲荷神社の境内社 浅間神社と富士塚
拝殿の左側にあるのが、浅間神社。例の通り、富士塚とセットです。

富士塚の説明書きによれば、昭和4年に今のような形に改築された。
それ以前は、泥土を盛った小山の上に浅間神社があった。

ゴール(浦安市の神社を制覇)
予想に反し、2時間半で浦安市の神社を制覇してしまいました。
ゴールの当代島稲荷神社で歩数を見ると、およそ8000歩の歩き旅だったことが分かります。
比較的コンパクトなエリアに、神社があるので神社巡りがしやすいです。
しかも、浦安3社と呼ばれる歴史ある神社だけでなく、明治以降に出来た弁財天にも物語があって楽しむことができました。
神社巡りの後は、浦安名物の焼き蛤でもお土産に如何ですか。
焼き蛤の名店は、何故か月曜日が定休日のところが多いので、それ以外の曜日に出掛けましょう。
私が出掛けたのは、月曜。旧宇田川邸住宅にも入館できませんでした。
「月曜が休み」は「観光地あるある」ですね。覚えておくことにします。