JR総武線の平井駅(江戸川区)をスタート地点に、東武鉄道伊勢崎線の東向島駅(墨田区)をゴールとする神社巡りのコースです。
平井天祖神社 江戸川区平井7丁目
「平井天祖神社」は、「中平井村(平井村)」の鎮守でした。
鳥居のしめ縄は、銅製の鍛造によるもので、精巧に作られた珍しいものです。
江戸時代に書かれた「新編武蔵風土記」によれば、
元々は、この場所ではなく中平井村の中央にあったようですが、いつ頃か分からないが、この場所に移ったとあります。
江戸時代は、「神明鹿島香取合社」といっていました。
茅葺(かやぶき)の屋根が特徴の本殿です。
拝殿も含め、木彫が見事です。
江戸時代末期の神社建築として貴重な建造物だそうです。
中平井村は、どんな村?
江戸から2里。民家23の小さな村。上平井村から分村した。
荒川放水路が出来たことにより、村の東側が水面下となる。更に村の西側を流れていた中川は、荒川放水路により中川から分断され、現在は旧中川と呼ばれる川となった。
平井諏訪神社 江戸川区平井6丁目
「平井諏訪神社」は、「下平井村」の鎮守でした。
創建は不明ですが、江戸時代の「新編武蔵風土記」において既に「古社」と表現されています。
「平井諏訪神社(下平井村鎮守)」は「平井天祖神社(中平井村鎮守)」とは全く違った雰囲気の神社で色彩がはっきりした神社でした。平井諏訪神社の社殿は、昭和の時代の建造物だそうです。
お神輿が公開されていましたので、ガラス越しで写りが悪いですが、1枚パチリ。
神輿師「後藤直光」(行徳関ヶ島)作とあります。
金ぴかのド派手な神輿でした。
下平井村は、どんな村?
江戸より1里半。東西13町(約1.4km)、南北10町(約1.1km)の村だった。
かつては、下平江村といい、入江で飲料水くみ場があったと言われる。
渡し船場があり、対岸の葛西川村への渡しと行徳への往来があった。
立花白髭神社 墨田区立花6丁目
「立花白髭神社」は、葛西川村の鎮守でした。
創建ははっきりしないものの、1682年(天和2年)や1444年(文安元年)とする言い伝えがあるそうです。俗に「葛西川の白髭神社」と言われているそうです。
大きくはありませんが、立派な社殿の神社です。社殿の左側には、末社と、かつて使われていた鳥居が鎮座しています。この鳥居は、反りの少ない垂木が乗る石造明神鳥居で安永9年(1780年)の刻印がある貴重なものだそうです。
葛西川村は、どんな村?
江戸から一里半。民戸40の比較的小さな村。村の東を流れる中川に渡し船がでていた。渡し船場には、行徳との航路があった。
地蔵堂と大師堂 墨田区立花6丁目
白髭神社に行く途中の道にあったのが、これ。
地蔵堂と大師堂、百度石。
帰宅後調べてみると、それぞれ、立花白髭神社地蔵堂、立花白髭神社大師堂とするブログがありました。確かなことが分からないため、白髭神社の下にぶる下げる形で記事にします。
地蔵堂の横に無縁仏を祀る碑もあります。
地元では、「北向地蔵」と表現しているようです。
中川で水死した人を祀っているとありました。
三輪里稲荷神社(こんにゃく稲荷) 墨田区八広3丁目
「三輪里稲荷神社」は、慶長19年(1614年)の創建。大畑村の総鎮守。
通称「こんにゃく稲荷」。毎年2月、初午の日に「こんにゃく護符」を授与、これを煎じて服用すれば、のどや風邪の病に効くと言われています。
境内を始め、周辺の商店街にも「新型コロナウィルス終熄祈願」ののぼりが出ていました。
社殿左の社務所で絵馬やお守りも売られているようです。
雰囲気の良い神社でした。
三輪里稲荷神社さんは、ホームページをお持ちです。
大畑村は、どんな村?
かつては、大畑新田村といった。江戸より2里。戸数73。東西4町(約440m)、南北8町(約880m)、用水は葛西用水を亀有村で分水し中井堀で引いていた。
日枝神社(八広) 墨田区八広8丁目
荒川放水路の横にある神社です。この神社の入り口に辿り着くのが大変でした。裏参道から入るのが正解かもしれません。
「八広日枝神社」は、木下村にあった山王社でした。創建は慶長19年(1614年)です。
この場所の雰囲気からは、歴史を感じにくいかもしれません。明治の地図を見ると少し荒川放水路寄りの場所にあったようにも見えます。
木下村には2つの神社がありましたが、新編武蔵風土記では、どちらも村の鎮守という表現になっていません。何故なんでしょうか。
木下稲荷神社 墨田区八広8丁目
日枝神社と同一敷地内にあります。
「木下稲荷神社」は、かつて宝蔵寺の境内にあったといいます。
荒川放水路の開削により、移転し現在の場所となりました。
木下村は、どんな村?
もと木下川村の荒れ地を開墾し分村した村です。元の村の名前を下略して木ノ下村としたのが始まり。戸数29。東西3町(330m)、南北5町(550m)の小さな村だった。
荒川放水路の開削により、村の半分が川底となった。
隅田稲荷神社 墨田区墨田4丁目
隅田稲荷神社は、善左衛門村の鎮守でした。
立派な神社ですが、かつては、この場所から300mほど東にありました。荒川放水路の開削に伴い、現在地に移転。かつては「八僧稲荷(はっそういなり)」と呼ばれてました。
参拝時に先客がひとり。私と同じ匂いがする人生の先輩でした。その方が、一通り境内を見られた跡、私も参拝させていただきました。
先人は、神社の横で冷たいものを飲みながら休憩されていましたが、そんな風景が似合う場所でした。写真右の大きな木では、セミが鳴き声をあげていて、私も木陰で一休み。とても気持ち良かったです。
訪問時にお神輿が公開されていました。そこに、隅田稲荷神社の由緒が書かれた看板が立っていました。旅行の安全を祈願するのに良さそうです。
善左衛門村は、どんな村?
天分の昔(今から480年前)、伊豆から逃れてきた江川善右衛門がこの地を開拓。開拓者の名前が村名になった。元禄のころまでは、若宮村と合村。民戸30の村。
長浦神社 墨田区東向島6丁目
長浦神社は、寺嶋村長浦にあった神社です。
創建は不明ですが、新編武蔵風土記稿では「大六天社」と表記されていたようです。
コンクリートと玉石で固めれれた神社は、あまり歴史を感じることができませんが、境内社の稲荷神社は、安産稲荷として崇敬が厚いそうです。
社殿横に社務所があり、お守りや絵馬などを売っていました。
寺嶋村は、どんな村?
新編武蔵風土記稿では「寺島村附持添新田」という長い名前で記載されています。
戸数238と非常に大きな村でした。
村の鎮守は「白髭神社」(東向島3丁目)です。
まとめ
私は、この後、電車に乗らず家まで歩いて帰るという暴挙に出たため、3万歩近い歩き旅になりました。
このコースを冒頭の駅で乗り降りするなら1万2千歩前後の、有酸素運動にちょうど良い距離感だと思います。お試しください。
お神輿は、運が良くなければ見れないかもしれませんが。