立石周辺(立石村、川端村、澁江村、原村)の神社巡りをしてきた

葛飾区立石、東立石、東四つ木と巡って、村の鎮守様を見て回りました。
JR小岩駅から歩き始めたので、1万7千歩の歩き旅になりました。

神社を6か所巡る歩き旅です。
自宅を出る前に地図を見て、大体の場所を覚えます。歩いている最中は、地図を見ない方が自由で楽しく歩ける気がします。気分は、江戸時代の旅人。

本奥戸橋を渡って、「立石」へ

手前の「奥戸」から中川を渡って「立石」に入ります。

本奥戸橋
本奥戸橋

梅雨の中休みで急に暑くなった一日でした。中川を走るモーターボートが気持ちよさげです。

立石諏訪神社(葛飾区立石8丁目)

立石諏訪神社の所在地:葛飾区立石8丁目2-6

中川を渡ったら2つ目の信号を右折です。
京成電車の踏切を渡る前にあります。参道(正面)は裏側なので、ぐるっと回りこみます。
いま歩いてきた大通りは、後から出来た道。裏側の小道が、立石村の集落から繋がる昔からある道です。

立石諏訪神社
立石諏訪神社

右横に鳥居の建設記念碑があります。そこには、元文4年(1799年)には、諏訪社殿か祠があったと記述されています。立石諏訪神社の鳥居や社殿は昭和の時代に建てられたものです。

立石諏訪神社 社殿
立石諏訪神社 社殿

写真では分かり難いですが、狛犬の口や足先、玉は白や赤で着色されていてキリっとした感じになっています。

「立石」という地名は、この神社から東へ600mほど行ったところにある「立石様」に由来したものです。葛飾区のホームページによれば、古墳時代後期には、立石に人が暮らすようになっていたようです。立石には、古墳時代後期の古墳や遺跡があります。

明治時代の地図を見ると、「立石諏訪神社」がある場所は集落の西の端、ここから中川沿いに立石様の少し先くらいまで人家がありました。現在の立石駅周辺は田んぼが広がっていたようです。

川端稲荷神社(葛飾区東立石4丁目)

川端稲荷神社の所在地:葛飾区東立石4丁目8-13

立石諏訪神社の前の道をひたすら南下します。

川端稲荷神社
川端稲荷神社

入り口脇に、由緒が書かれた看板があります。
創建から200年以上たっているようですが、現在地に移転したのは昭和45年(1970年)の本田中学校の用地拡充がきっかけ。
川端稲荷神社の社殿が出来たのは平成9年です。

川端稲荷神社 社殿
川端稲荷神社 社殿

「川端」という集落は、江戸時代に新田の開発でできました。
中川沿いにある集落なので、「川のほとり」という意味で、「川端」という地名になったと言われています。

川端水神社(葛飾区東立石1丁目)

川端水神社の所在地:葛飾区東立石1丁目22

川端稲荷神社を出て南下。中川にぶつかったら右折して、川沿いを少し進むと、小さな公園の中に、川端水神社があります。

灌漑用水の守護神、農作物運搬の安全祈願、水難事故防止が目的の水神社です。

川端水神社
川端水神社

質素な水神社ですが、立派な「しめ縄」があります。
鳥居の左横には、由緒が書かれた看板が設置されています。(看板を設置したのは川端諏訪神社)

その看板によれば、2回、この祠を移動したようです。(地盤沈下による水没。)
元々は、もっと中川に近いところ(中川河畔)にあり、昭和49年と昭和63年の2回に渡り移設されたとあります。

クネクネ道
クネクネ道

川端水神社の裏の階段を降りたところに、「昔、水が流れてました」って感じの遊歩道があります。このクネクネした道に惹かれて、進んでいきます。(予定のコースではないですが、何とかなるだろうという気持ちで、コースを変更します。)

川端水神社 参道入口
川端水神社 参道入口

道なりに進んでいった最後に、「川端水神社(参道入口)」の看板がありました。
この親水道の名前は分かりませんが、結構、楽しめました。

川端諏訪神社(葛飾区東立石2丁目)

川端諏訪神社の所在地:葛飾区東立石2丁目13-13

予定のコースから外れてしまったので、川端水神社(参道入口)からは感を頼りに西の方向に歩いて行きます。

川端諏訪神社
川端諏訪神社

拝殿の横に由来が書かれた看板があります。
天正元年の創建。現在の社殿は昭和48年に建てられました。
「今昔マップon the web」では、古い地図に神社マークを見つけられなかったのですが、この由来書きの看板を見て、疑問が解消しました。
昭和48年以前は、川端村の飛び地だった葛飾区東四つ木4丁目(白髭神社向かい)に鎮座していたそうです。その場所は、現在、「東四つ木諏訪児童公園」として残っています。

川端諏訪神社 拝殿
川端諏訪神社 拝殿

川端諏訪神社は、川端村の鎮守だったそうですが、立派な社殿で、びっくりです。

立石も諏訪神社でしたが、川端も諏訪神社。何か、あるのでしょうか。

澁江白髭神社(葛飾区東四つ木4丁目)

澁江白髭神社の所在地:葛飾区東四つ木4丁目36-18

川端諏訪神社を出て、神社前の道から左折後。真っすぐいくと、澁江白髭神社があります。

澁江白髭神社
澁江白髭神社

明治時代の地図にも記載(神社マーク)があり、同じ場所にずーと澁江白髭神社が鎮座していたことが分かります。
「澁江」という地名は、室町時代の資料にも出てくる古い地名です。
このあたりに、東京湾の海水が入り込んでいたことから、「江」という文字がついた地名になったようですが、「澁」の由来が分かっていないようです。(葛飾区のホームページより抜粋)

由来の看板もあるので、じっくり読ませてもらいました。
創建は不明も、澁江村が出来たころからあるそうで、延徳3年より前だそうです。

澁江白髭神社 拝殿
澁江白髭神社 拝殿

澁江白髭神社には、ホームページがありました。
トップページには、周辺に「白髭神社」が他にもあるので間違えないようにと注意書きがあります。確かにGoogleマップを見ると「王子白髭神社」や「四つ木白髭神社」が周辺にありました。機会があれば、「白髭トリオ」として神社巡りしてみたいです。

境内をプラプラしている間、参拝客がひっきりなしに来られてました。
殆どが、地元の方と分かる方で熱心にお参りされているのが、印象的な神社でした。

原稲荷神社(葛飾区東立石4丁目)

原稲荷神社の所在地:葛飾区東立石4丁目42-1

澁江白髭神社から本奥戸橋をめざして戻ります。
裏道を歩き続け、さらに、こんな住宅街ってところで右の脇道へ。
私は、よそ見していて通り過ぎてしまいましたが、そんな感じのところに鎮座しているのが、原稲荷神社です。(結構、迷って到着)

原稲荷神社
原稲荷神社

「原」という場所は、立石村から分離して「原村」となった場所です。その地名の由来は、「大きな原っぱ」があったからとされています。明治時代の地図では、この辺りは、田んぼが広がっていました。

原稲荷神社 拝殿
原稲荷神社 拝殿

参道を進んでいくと左手に由緒を書いた看板(起源の碑)が建っています。
それによれば、
文政5年に、個人名(2名)と村の繁栄、広大無辺のご加護を願い創建された。
現在の社殿は昭和7年に建てられたとあります。
原稲荷神社は、原村の鎮守様だったということです。周りを見渡しましたが、狛犬はいませんでした。

駅(京成立石駅)への向け道になっているようで、地元の方が、境内を通り抜けていきます。

日曜日の午後に訪問しましたが、缶ビール片手にご機嫌の方を結構見かけました。
「立石」は、呑んべいの天国って感じでしょうか。