神后社に行ってきました。稲荷木にありますが大和田に関連する場所でした。

googleで「神社」をキーワードに検索しても出てこないのが、稲荷木にある神后社です。
地図上では神社マークが付きませんが、鳥居や手水鉢がある神社のような宗教施設です。
更にネットにも情報が上がっていないので、謎だらけ。

今日は、この神后社に行って、ここが何の目的の宗教施設か確認したいと思います。

神后社がある場所を観察してみます

神后社の所在地:千葉県市川市稲荷木2丁目18

江戸川放水路に掛かる行徳橋の近くにあり、住所としては稲荷木2丁目になります。
細い路地を入った場所にあるため、知る人ぞ知るという感じの宗教施設です。
周囲は住宅街で、雰囲気的には裏のお宅がこの場所を管理されていそうな気もします。

神后社
神后社

背が低く、がっしりした感じの鳥居が特徴的です。
神額には「神后社」と書かれていて、その奥にある建屋は、大正ロマンの香りがする古くて味のある建物になっています。

注連縄の状況から、今でも、ちゃんと管理された施設であることが伺えます。

境内を見渡してみた

境内は狭く、狛犬や灯篭といった神社でよく見かけるものはありません。
あるのは、鳥居、手水鉢、提灯をぶる下げる台が一組。

境内にあるもので年代を推測できそうなものは、手水鉢です。(鳥居には何も書かれていません)
目視で奉納年を確認しようとしましたが、残念ながら、文字があるような無いような状況です。

神后社の手水鉢
神后社の手水鉢

こんな時に役立つのが、市川歴史博物館発行の「市川市の石造物」という調査報告書。
そこから手水鉢は大正7年の奉納と判明します。思っていたより年代が新しそうです。

神后社の由来

由来書きが出ています。折角なので文字起こしをして記録に残しておきます。

神后社の由来
神后社の由来

神后社の由来 (●は達筆すぎて読めませんでした、赤字は推測)

祭神は神宮皇后です
大和田 甲大神社の母屋です
神宮皇后はお産の神社です
●大和田の地(北?)に在ります
大和田とは神に捧げる稲を作る
地として行徳一番古い地●です
古くより●●の人は婦人病に
なりません
又お産も安産ですし婦人の
病にもかかりませんので
良くお参りして下さい

神后社の由来書きから

穴から中を覗く

入り口に空いた穴から中を覗いてみます。
何が見えるのでしょうか。

神后社の中
神后社の中

左の方に、氏子中の書かれた幕が掛かっています。
どうやら神式で宗教行事が行われるようです。
中央の祭壇には、金属製の像が祀られています。御神体のようです。

事前の調査では、絵馬があると聞いていましたが、穴から除く範囲では見つけられませんでした。
絵馬は、「武内宿禰が鎧をまとった勇壮な姿で赤ちゃんを抱き、傍らに武装した神功皇后が描かれている」もので、安産祈願として奉納されているといいます。市川市内では、神后社と葛飾八幡神社にあるそうです。

分かったことから考察

由来書きにあるように大和田という集落と深い結びつきのある場所ということが分かりました。

現在の住所は、稲荷木2丁目ですが、1930年代より前は、この場所が大和田の中心地でした。
年代を追いながら、見ていきましょう。

明治時代の地図(1896~1909年)を見ると、大和田と河原の集落の境(大和田側)に神社マークがあります。
これが昔の神后社なのでしょうか。それとも河原春日神社なのでしょうか。

江戸川放水路の開削(行徳区間は1916年着工、1919年に竣工)により、大和田の大半が水没。
先ほどの神社マークがあった場所も水没します。
市川市の資料によれば、水没したエリアに住む住民は立ち退き命令を受け、現在の甲大神社あたりに移転したといいます。

これを機に田畑だった場所に道路が通り、町の形が大きく変化しました。
大和田の集落も面積が小さくなったものの道路沿いに民家が建ち始めます。

1940年代から1950年代にかけてのどこかで、地名変更がありました。
旧大和田が稲荷木に統合され、大和田の飛び地だった場所(現在 甲大神社ある場所)が大和田の地名になります。

由来書きに「甲(かぶと)大神社の母屋(おもや)」と出てきました。どういう意味なのでしょうか。
今の甲大神社は、拝殿と本殿がある立派な作り。母屋という言葉が合わないものです。
甲大神社は、江戸川放水路開削工事以前から、大和田の飛び地に鎮座していたことが分かっているので、甲大神社の旧社殿(母屋)を移設したと推測。なぜ移設したのか?

さらに推測(エビデンスが無い部分は筆者の妄想です)は続きます、
甲大神社の母屋を移築したのは、水没する神社を建て直すのに社殿が必要だったから。
立ち退き料などでお金を手にした氏子の方々は、甲大神社の社殿を立派なものに建て直したのではないか? (甲大神社の改築年を調べましたが、情報が見つかりませんでした。)
神后社の遷座は、手水鉢の奉納年や江戸川放水路の工事時期と重なる大正7年(1918年)だろう。

甲大神社は、葛飾八幡神社の摂社だそうです。そういう繋がりを考えれば、御祭神が神功皇后(神宮皇后)であることや、「武内宿禰が鎧をまとった勇壮な姿で赤ちゃんを抱き、傍らに武装した神功皇后が描かれている」絵馬が神后社にあることは、何の不思議もありません。

ところで、神后社は神社なのでしょうか。宗教法人の届け出はでていません。
筆者的には、神社なのですが。