(行徳巡り 第2回) 本行徳で神社巡りをします

前回は、東京メトロ東西線 妙典駅周辺の神社や龍神を見て回りましたが、今回は、その続きとして本行徳あたりの神社と龍神を見て回ります。

この旧行徳村に属するエリアの特色は、八大龍王(龍神)と豊受大神の多さに尽きます。
それ故に、名前が似た神社が多いので勘違いしやすい場所です。

南無八大龍王

南無八大龍王の所在地:千葉県市川市本塩8

「八大龍王」がある場所は、上道公園(本塩7)北西側の月極駐車場の中です。
私有地なので立ち入りを躊躇しますが、市川歴史博物館の調査対象となった石造物があることから参拝可能な場所と判断しました。

祠や鳥居が真新しいので、最近建て直されたことが分かります。

八大龍王(本塩)
八大龍王(本塩)

神額には「八大龍王」。祠が置かれた台には「南無八大龍王」と書かれています。
南無」から判るように、鳥居はありますが、参拝の作法は仏式です。

由来などの説明書きはありません。
手元の資料によると、昔使っていた石祠には天明2年(1782年)の奉納年が刻まれていたそうです。

龍神を祀った祠ですが、日蓮宗のお寺さんが強い地域で且つ、塩業が盛んだった地区に多くみられる神様です。

馬頭観音

馬頭観音の所在地:千葉県市川市本行徳24−8

入り口のところに石柱が建っています。
そこには、「史跡 馬頭観世音 内匠堀」とあります。
明治、大正時代の地図から、鎌ヶ谷~稲荷木の方から続く用水路として「内匠堀(たくみぼり)」が、このあたりを通っていたことが分かりました。

馬頭観音
馬頭観音

馬頭観音の説明書きが出ています。
そこには、「嘉永七年甲寅二月七日」「佐原飛脚問屋吉田氏」と刻まれた馬頭観音があると記述されています。

でも、ちょっと変なんです。
全部で7つある石造物のうち、後列中央にある石柱は「馬頭観世音」と書かれています。
手元の資料で推測すると、側面に「嘉永七年」「吉岡氏」と刻まれた正真正銘の馬頭観音。

他の6つは、馬頭観音と判断するあるものが、ありません。
つまり、「馬頭観世音」といった文字または馬頭像などが無いんです。
唯の墓石ではないのか...故に、下から馬の骨が出てきたのでしょう。

小御嶽神社(本行徳浅間神社)

小御嶽神社の所在地:千葉県市川市本行徳25

本行徳八幡神社の境内社と扱うサイトが多いようですが、当サイトは単独の神社として扱います。

平成11~12年に市川歴史博物館が行った石造物の調査では、単独の神社として扱うとともに名称を本行徳浅間神社としていました。

富士塚の上にある祠に「冨士浅間大神」。
一部崩落していますが、参道左側にある石碑に「浅間神社 新築記念」と書かれていたといいます。
当時から、参道右側に「小御嶽神社」の石碑はありましたが、「浅間神社」を正式名としていたようです。

小御嶽神社
小御嶽神社

柵があるため、富士塚がある敷地内に入れません。
このため、石造物の奉納年などは、市川歴史博物館の調査資料に頼ります。

石祠および新築記念碑に刻まれた年号は昭和8年。9月が石祠、新築記念碑が10月です。
「小御嶽神社」の石碑や富士塚に奉納されている自然石には、年号はありません。

本行徳八幡神社

本行徳八幡神社の所在地:千葉県市川市本行徳25−20

説明書きによれば、創建年は不詳三丁目の鎮守として創建したとあります。
神仏分離までは、近隣の本久寺が別当を務めたと言います。

本行徳八幡神社
本行徳八幡神社

ところで、「本行徳の3丁目」とか言われてどこだか分かりますか?
この後に行く「神明社」は4丁目の鎮守だそうです。
3丁目、4丁目という表記は住居表示にありません。この3丁目とか4丁目とかは自治会の名称に現在でも残っていますが、強烈にややこしいのです。

本行徳八幡神社 拝殿
本行徳八幡神社 拝殿

説明書きでは、創建年が不詳となっていますが、市川市が作成したパンフレットでは「天正元年(1573年)、鎌倉の八幡神社を勧請したのが始まり」とされています。

境内のイチョウ2本が、市川市の保護樹に指定されています。
訪問したのは冬だったため、葉が落ちていますが、その大きさは感じることができました。

本行徳八幡神社 本殿
本行徳八幡神社 本殿

本行徳八幡神社の境内社

三連の祠は水神神社、八雲神社、道祖神社

三連の祠には、祀られている神様が書かれた額が出ていました。
左から順に、道祖神社、八雲神社、水神神社です。

右から水神神社、八雲神社、道祖神社
右から水神神社、八雲神社、道祖神社

石碑タイプは天満天神

天満天神と書かれた石碑が奉納されています。
石碑のある場所には、力石らしきものもあります。

天満天神
天満天神

天満天神の石碑には、明治35年の年号が刻まれているそうです。
石碑の裏は見ませんでしたが、「神官 近藤吉左衛門」の69年間の歴史が書かれているようです。
天保5年生まれの近藤吉左衛門は、私塾の後、小学校の先生をし、69歳で病気で亡くなったのですが、その功績を記念碑に残しすとともに、先生が信仰していた菅原道真の碑を建てるといった趣旨の内容が書かれています。

横町稲荷神社

横町稲荷神社の所在地:千葉県市川市本行徳31−3

権現道から一本入るので横町なのだそうです。「アメヤ横丁」や「のんべい横丁」など、なじみのある「横丁」の文字を使わず「横町」としたところに、何か拘りがあるのでしょうか。

妙にデカくて背の低い鳥居があります。(昭和47年奉納)

横町稲荷神社 鳥居
横町稲荷神社 鳥居

鳥居の横に説明書きがあります。気になった部分を抜き出します。
「昔は隣接する寺院本久寺の保護下にあったというが、町内自治の制度が布かれて後は3丁目八幡宮とともに神官による...」

横町稲荷神社
横町稲荷神社

文面からは歴史のある稲荷神社のようですが、古い石造物がありません。
手水鉢は、見た目から新しい、昭和56年の奉納。
狛狐は手元の資料では、昭和56年の奉納。

横町稲荷に隣接する場所に気になるものが

横町稲荷と同じ敷地内に仏教系の石造物があります。
書かれた文字を確認すると、かなり古い慰霊塔や墓標のようです。
なぜ、この場所にあるのでしょうか。本久寺の境内に置いた方が...

まあ、考えても分からないので次に進もうとした時に気が付きます。

仏教系の石造物
仏教系の石造物

横町稲荷神社の手水鉢とは別の手水鉢が置かれています。年代は文政3年(1820年)。
刻まれた文字を頼りに手元の資料を調べると、本行徳 八幡神社で使われいていた手水鉢と判明します。

本行徳 八幡神社で使われいていた手水鉢
本行徳 八幡神社で使われいていた手水鉢

本行徳神明社

本行徳神明社の所在地:千葉県市川市本行徳32

本行徳八幡神社からは、僅か80m。
この近さに驚きますが、同じ町内(本行徳)には、更にもうひとつ神社があります。
どこも立派な社殿というところに、氏子の財力を感じます。

本行徳神明社
本行徳神明社

説明書きの看板によると、創建年は不詳。
食べ物を司る神様の豊受大神が祀られています。
行徳地区(旧 行徳町)は、豊受大神(伊勢神宮の外宮と同じ)を祀った神社が多いのも特徴的です。

本行徳神明社 拝殿
本行徳神明社 拝殿

4丁目の鎮守として創建したとありますが、創建した当時から4丁目という単位だったのでしょうか?
エビデンスが不明ですが、江戸時代中期に行徳は1丁目から4丁目までの4地区があったと書いているサイトがありました。

本行徳にある神社は、御祭神が同じものもあり名前も似ているので、勘違いしやすいところです。
神社系の有名サイトでも間違っているものが見受けられます。ここで一回整理しましょう。

本行徳神明社 本殿
本行徳神明社 本殿

本行徳1丁目から4丁目の地区割が、現在の自治会の単位と同じと想定して整理します。
本行徳1丁目の鎮守が、行徳神明(豊受)神社。(本行徳1-10)
本行徳2丁目には、神社がありません。
本行徳3丁目の鎮守が、本行徳八幡神社。(本行徳25−20)
本行徳4丁目の鎮守が、本行徳神明社。(本行徳32)

なぜ、本行徳2丁目に神社が無いのか。
ここは、私の推測ですが、本塩にある「本塩豊受神社」が関係していそうです。
本塩は昭和53年にできた新しい町名。それまでは「本塩豊受神社」がある場所も本行徳でした。

本行徳神明社の手水舎

本行徳神明社の石造物は、例外なく文字の部分や神紋の部分にペンキで色が入っています。
写真の手水鉢は、亨和3年(1803年)のものですが、非常にコンディションが良いように感じます。

本行徳神明社の手水舎
本行徳神明社の手水舎

ただ一つ惜しいことが...

本行徳神明社の手水鉢
本行徳神明社の手水鉢

ぱっと見、「亨和三 九月吉日」のようですが、実際に彫られている文字は「亨和三癸亥 九月吉日」。字画が多いからなのか「癸亥」に色を入れるのを省略しています。

本行徳神明社の狛犬

まるまるとした狛犬は、文化2年(1805年)の奉納。

頭の上に宝珠が乗っています。

本行徳神明社の狛犬(左側)
本行徳神明社の狛犬(左側)

良く見ると味のある顔をしています。目なんかカメレオンのような...

本行徳神明社の狛犬(右側)
本行徳神明社の狛犬(右側)

本行徳神明社の境内社

水神社、稲荷神社、三峰山三神

水神とお稲荷さんがひとつの祠、三峰山の三神がひとつに纏められて祀られています。
注連縄は、ふたつ纏めてエイって感じなのは、御愛嬌ということで...

左から水神社と稲荷神社、三峰山三神
左から水神社と稲荷神社、三峰山三神

不明社 (推定:水神宮)

鳥居があって、立派な木の祠の中に石祠があります。
石祠に何か書かれていないか目を凝らしますが、確認できません。

本行徳神明社の境内社 不明社
本行徳神明社の境内社 不明社

最後まで手を抜かず、何の神様が祀られているか分かるようにして欲しかった...

最終手段として、市川歴史博物館の調査資料を端から端まで見ていきます。
そこには全部で3つの石祠が記載されてました。
「稲荷神社 水神社」奉納年不明
「三峰山 伊邪那伎大神 伊邪那美大神 大●眞神」明治21年奉納 平成元年修復
「水神宮」奉納年不明
消去法でいくと、こちらの不明社は「水神宮」。石祠にライトを当ててのぞき込めば、「水神宮」の文字が読めるかも...

本行徳神明社は、きっちりしている部分と、妙な手抜きが混在する神社でした。

続きはこちら。次回は関ヶ島から伊勢宿、押切の神社仏閣巡りです