江戸川区の資料によれば、西小松川村には道ヶ島に香取神社、下の庭に天祖神社という鎮守がありましたが、五分一には小さな稲荷社が7つあったと言います。現在は、ほとんど残っていませんが、3つの稲荷社が江戸川区の資料では紹介されています。
また、新編武蔵風土記稿の東小松川村の項では、村民持ちの稲荷社が5社あったと記述されています。
実際、現在、小松川親水緑道沿いを歩くと、個人持ちと思われる稲荷社が複数確認できます。
更に、こういった稲荷社を探していると思わぬところで水神宮に出会えます。
今日の神社巡りは、こういった小さな神社(祠)を探して、小松川境川(現在は親水公園)を南下していきます。
東観稲荷と水神宮
最初の訪問地は、江戸川区上一色。ここに殆ど知られていない稲荷社と水神宮があります。
場所的にもJR小岩駅とJR新小岩駅の中間地点。交通の便が不便なところからスタートです。
東観稲荷と水神宮の所在地:江戸川区上一色2丁目5-17
この神社を知るきっかけになったのは、ある学生さんの水神宮を調査したレポートでした。
境内に由緒書きの石碑があります。ひとつひとつ見ていきましょう。
東観稲荷神社(東観稲荷大明神) 東稲荷ともいう
以前は、上一色村字稲荷1006番に鎮座していたという。
祭神は、豊受姫命。由緒は不明だが、稲荷神社の遺跡に寛保2年(1742年)とあった。
昭和60年に、老朽化した社殿の改修復を行った。
上一色 水神宮(越の塚の水神)
以前は、上一色村字越之塚18番地に鎮座していました。
村社である上一色天祖神社の境外末社であった。
越の塚は、小松川境川の船着き場であった。土地の人は「河岸」とも呼んでいたという。
船着き場では、物資の運搬が盛んに行われていた。
越の塚の水神宮は、船の運搬に関わった村民によって信仰されていたという。
高津橋社(稲荷社)
高津橋社の所在地:江戸川区本一色1丁目4-7 フォーレストハウス
小松川境川親水公園の中を歩いて行くと、高津橋のところにあるマンションの一角に「高津橋社」があります。正式名称かは分かりません。
祠の中を覗くと、陶器で出来た狛狐が一対います。屋敷神としてのお稲荷さんです。
フォーレストハウス(マンション)の敷地内ですが、オープンスペースになっているので誰でも参拝できる状態になっています。
マンションを建てるときに、屋敷神の稲荷社を残したって感じでしょうか。
新小岩香取神社
新小岩香取神社の所在地:江戸川区中央4丁目5-23
この神社は、西小松川村の字道ヶ島にあった香取神社です。時代とともに、道ヶ島は堂ヶ島と表記が変化していきます。
今回は、境内社に特に注目してみていきたいと思います。
新小岩香取神社は創建不詳ですが、元和5年(1619年)の棟札を所蔵する古社です。
西小松川村の鎮守です。本殿は、天保4年(1833年)に竣工した建物となっている。
境内には宮司の銅像があるが、宮司の銅像はめったに見られないと思う。
大雷神 (新小岩香取神社境内社)
市川市には雷神が多いと聞いたことがあるのですが、江戸川区の神社で、雷神を見たのは初めて。
元々は東一之江村の福島家にあったが、世話人がいなくなったこともあり、昭和63年、現在地に遷座した。
水神宮(新小岩香取神社境内社)
昭和35年に、松島3丁目26番(旧 道ヶ島)から土地整理で遷座したと言います。
道ヶ島の水神といい、元々は、舟入川の川尻で船の発着所にあったという。
このほかに五分一橋の南にも水神宮があったらしいが、いまは別の場所に遷座しているそうだ。
ネットで、この地区の水神宮を探し回ったが、見つけられていない。
稲荷社(新小岩香取神社境内社)
神社の横にある由緒書きでは、「アリマ稲荷」の俗称で呼ばれていたいたそうです。
松島3丁目27番(旧 道ヶ島)から土地整理で移転したとあります。
アリマイナリは「有馬稲荷」と書いたのでしょうか?
新編武蔵風土記稿の西小松川村の項には、「汐入稲荷」と「小野原稲荷」はありますが、「有馬稲荷」の記載がありません。
道祖神 (新小岩香取神社境内社)
この村ができたころから昭和35年まで、現在の松島2丁目10番の地に鎮座していたが、土地整理があり、この場所に遷座した。
新編武蔵風土記稿には西小松川村の項に「道祖神 村民持ち」と記述がある。
地名である「道ヶ島」は、この「道祖神(道祖が島)」が変化した地名と言われている。
鷲神社 (新小岩香取神社境内社)
鷲神社は別名「大鳥神社」というそうだ。祭神は「ヤマトタケルノミコト」。
それ以上の由緒が書かれていないので詳細が分かりません。
新編武蔵風土記稿では、香取社の末社として「稲荷山王天神合社」の記述があります。
これが、鷲神社なのでしょうか?
東小松川香取神社
東小松川香取神社の所在地:江戸川区中央4丁目25-18
こちらの神社は、東小松川村の香取神社です。新小岩香取神社からは400mないくらいの距離です。
東小松川香取神社も境内社に注目してみていきます。
由緒書きの看板があります。
東小松川村の鎮守。建治3年(1277年)の勧進と言われます。
東小松川村は、北の端が東小松川香取神社があるあたりで、南の端がボートレース場のあたりと南北に距離がある大きな村でした。そういった関係からか、村の鎮守は、東小松川香取神社だけでなく、南の端にある東小松川白髭神社の2社となっていました。
安政9年に建立された大鳥居は、現在は本殿左側に記念に残されています。
本殿は平成8年に建替えられました。
日枝神社 (東小松川香取神社境内社)
境内の右奥に日枝神社があります。
こちらの方は、特に由緒書きなどもなく詳細は不明です。
新編武蔵風土記稿も調べましたが、この神社の記述は見つけられませんでした。
末社 (東小松川香取神社境内社)
平成30年に境内社の改築が行われました。
以前は、この台座の上に5つの祠、うち1つにはお稲荷さんと判る狛狐がありました。台座の外側にも1つ祠がありましたが、3つに整理されたようです。
写真の通り、みんな同じ祠なので、外見からは、何の神様が祀られているのか、全く判断ができません。
五分一にあったという稲荷社のいくつかは、東小松川香取神社か新小岩香取神社に遷座しているんじゃないかと思っての訪問でしたが、何の答えも見つけられませんでした。
他の方のブログを拝見していると、末社の改築前は稲荷社と水神宮があったようです。
謎の祠が1つ 東小松川香取神社境内社
本殿左横にある安政9年の鳥居の後ろに隠すように置かれていたのが、写真の祠です。
これは、整理しきれず残したのか、歴史的に貴重なので残したのか謎です。
祠には、「山王大権現」と読める文字が残っていました。(最初の1文字目は、読み取り辛く自信なし)
大六天
大六天の所在地:江戸川区松島3丁目37-1
東小松川香取神社を出たら、一旦、小松川境川を離れ、平和橋通りを北に向かいアコレ(スーパー)の横の道に入ります。
脇道に入って150mほど進んだところに「大六天」と書かれた大きな石碑と鳥居、小さな祠があります。
祠の中を覗いてみると、狛狐が1対。お神札があるのが見えます。
お神札をよく見ると、「一之江」「等覚院」といった文字が確認できました。
「一之江」、院号「等覚院」といえば「妙覚寺」。
「妙覚寺」の別院は「大六天宮(一之江3丁目)」です。
信者の方が、一之江まで行かなくても参拝できるようにしたということでしょうか?
それにしても、立派な石碑です。
道ヶ島稲荷
大六天から南に200~300mほど行ったところに「道ヶ島稲荷」があるとgoogleマップが教えてくれますが、そこに行くと鳥居と祠は見えますが、私有地(個人宅)にあり近づくこともできません。
以前は、自由に入れる場所だったのでしょうか?
google上に複数の写真の投稿が見られます。
五分一の水神宮
「五分一の水神宮」の所在地:江戸川区松島1丁目10-10あたり
道ヶ島稲荷を横目に見ながら、南下を続け、五分一通りに出たら西に進みます。
五分一橋跡の交差点を左折して、南に50mほど進むと、「五分一の水神宮」があります。
五分一水神宮は、以前は、五分一橋の南にあったそうです。
いま、五分一橋交差点を曲がってやってきた道は、昔は、舟入川という小松川境川の支流の川でした。
祠は2つあり、右側の台座には大正の年号。祠の扉には水神と書かれています。
左の祠にも、年号があり延享元甲子(1744年)6月15日とあり、かなり古いものであることが分かります。
ここの祠は珍しいことに、扉が開いています。めったやたらとご神体を見せてはならないようなことをネットで見ていたのでビックリです。
五分一の水神宮を出たら、今は道路になっている舟入川に沿って小松川境川との合流点に向かいます。
緩やかに曲がりくねった道は、かつて川だったことを表しています。
祠(個人持ち)
祠(個人持ち)の所在地:江戸川区松島1丁目43あたり
再び小松川境川親水公園に戻ったら、道路側を注意しながら下流方向に進みます。
道路の端にひっそりあるのが、次のターゲット「謎の祠」です。
謎の祠ですが、ちゃんと守主の名前が住所付きで書いてあります。
祭神や由緒などが一切不明ですが、究極の個人持ちの祠です。
祠は2つありますが、中央が昭和56年に建てられたもの。右側は老朽化が激しく、昔使っていた祠と思われます。
いつ行っても、お供え物が置いてあるので、いまでも管理されているようです。
島原そうめんがお供えしてありますが、誰の好みなんでしょうか。
倉前稲荷神社
倉前稲荷神社:江戸川区松島1丁目43-23
謎の祠から数m先にあるのが「倉前稲荷神社」。
門があって、一般の人は入れません。
個人持ちの稲荷神社と思いますが、謎の神社です。
入り口の横には住所表記が出ていたり、門の内側に大きなポストが置いてあったりと不思議な感じです。
所在地は東小松川村のエリアになります。
上之庭の水神宮
上之庭の水神宮:江戸川区松島1丁目44あたり
東小松川村には7つの水神宮があったと言われているが、その内の一つが「上之庭の水神宮」
このまま、小松川境川親水公園を下流に進みながら、脇道に入ったりすれば「中之庭の水神宮」「大江川の水神宮」「入之庭の水神宮」「渡し場の水神宮」がある。
半冨稲荷神社
半冨稲荷神社の所在地:江戸川区松島1丁目21
上之庭の水神宮を見た後は、一旦、小松川境川親水公園を離れ、脇道に入る。
道が分かり難いのでgoogleマップに頼って、「半冨稲荷神社」に進もう。
西小松川村五分一でも川端と言われる地区の長谷川様が祀った稲荷神社です。
この川端地区で残っている長谷川一族9軒のお宅で現在でも稲荷講が行われているそうです。
半冨の由来は、長谷川家に半七という方がいて、最初の頃は、半七稲荷と言われていたそうですが、数代後に半冨稲荷と呼ばれるようになったそうです。
江戸川区の無形民俗文化財・風俗習慣となっています。
尚、現在の社殿は平成2年に新築したものです。
この近くの松島2丁目には、「目晴稲荷(めはれいなり)」と呼ばれる個人所有の稲荷社もあります。こちらは個人宅の敷地内のため訪問はしません。
その他、五分一橋の北のたもとには「杉林稲荷」があり、五分一橋の北側の住民で稲荷講が行われていたそうです。現在は、個人宅の敷地内にあると江戸川区史に書かれてました。
「半冨稲荷」は人名や屋号で呼ぶ稲荷社、「目晴稲荷」はご利益にちなんだ呼び名となっています。
天明稲荷神社
天明稲荷神社の所在地:江戸川区東小松川1丁目4-14
半冨稲荷神社を見た後は、再び、小松川境川親水公園に戻り、下流に進む。
天明稲荷神社も分かり難い場所にあるので、googleマップを頼りに進むのが無難です。
天明稲荷神社の隣は駐車場になっています。
公道に面しているようにも見えますが、駐車場で入り口(私道)から入る場所にあります。
奉納は平成18年。奉納者の氏名を見ると、この地域に多い姓の「中里」様となっていました。
中里一族の守り神様なのだろうか。
所在地は、東小松川村のエリアです。