帝釋道と帝釋枝道を使って、柴又帝釈天(葛飾区柴又)に参拝してきました。
旧道歩きは、青砥駅周辺で地図と睨めっことなって、意外と大変でした。
スタートは本奥戸橋です
ここから江戸時代の住民になったつもりで歩き始めます。

本奥戸橋は、葛飾区奥戸と立石を繋ぐ中川に掛かる橋です。
この辺りに「奥戸の渡し」があったと言われてますが、手元の地図(明治のもの)では、この渡しは確認できませんでした。
馬頭観世音、子育地蔵尊
馬頭観世音、子育地蔵尊の所在地:葛飾区立石8丁目7−10

江戸初期に建造された地蔵尊です。
もともとあった場所ではないそうです。

道標。
「右 江戸みち」
「左 おくとミち まか了か○○」(解読できない文字が2文字あるが曲金のことか)
その下に「渡し場道」

道標の表面には「羽黒山大権 現湯殿山大権現 月山大権現」とあります。
立石 母の愛ってナニ?

ペスタロッチって誰?
この碑がある場所は、ペスタロッチ広場です。
橋の改架記念の石碑とか。
完全にカオスです。この謎を解こうとされた方のブログも読みました。やっぱり謎は謎のまま、それもまた楽し。
立石道を歩き始める

中川沿いに立石道(旧道)があります。
先ほどの道標によれば、奥戸道というのが正しいのかもしれませんが。

歩き始めて程なくすると地蔵堂があります。
地蔵堂の後ろにあるのが、「立石勘助児童遊園」。
気になるものが、2つありましたが、今回はそのまま通り過ぎます。
昔は、ここいら辺を「勘助入江」と言ったそうです。それ以上のことは分かりません。
帝釋道へ
「帝釋天王」の道標の所在地:葛飾区立石8丁目38−1

道路の左側に「帝釋天王」の道標が見えたら、帝釋道の始まりです。
ここを左に曲がると帝釋道。
曲がらず、まっすぐ行って「とげぬき地蔵」のところで左に曲がれば帝釋枝道です。
実は、このあたりを数日前に歩いたばかり。
帝釋枝道の方は、少し面白みに欠けるので、今日は、ここで曲がります。

「帝釋天王」の道標の反対側にあるのが、折れた道標です。
道標の正面が、立石道側に向いています。
現地では、折れた道標の下の方に「王」の字が残っているように見えたのですが、写真を見返してみると、目の錯覚だったかもしれません。

この地区の帝釋道は、このような、くの字に曲がった道が続きます。

5分ほど歩くと中川にぶつかります。また、中川沿い進んできた帝釈枝道との合流点でもあります。
本来、ここで帝釋道は、「諏訪野渡し」で対岸に渡るのですが、今回は、ここからは帝釋枝道の方を進みます。
その理由は、一言でいえば、旧道の雰囲気が一番残っている道だからです。
帝釋枝道を行く

川沿いの道は、車道と歩道が分離された感じです。
別に車道専用ではないので、下の道を歩いても良いのですが、ワザと歩行者に幅寄せしてくる車もいるので安全のため一段高いところを歩きます。
福森稲荷神社
福森稲荷神社の所在地:葛飾区青戸1丁目11-6

中川の直ぐ脇にある神社です。
福森稲荷神社は、このあたりにかつてあった「淡之須村」の鎮守です。

福森稲荷神社の社殿隣にある町会の会館で集まりがあるようで、人が集まっています。
境内では、骨董市も開かれるようです。骨董市は「淡之須骨董市」という名前で行われているそうです。

鳥居の横に移動された、狛犬たち。手と手の間に綱が張ってあります。
ここに移動された経緯は分かりません。

「帝釋天王通」の石碑。石碑の裏には安政の文字が読めます。
表は寄付金の額と名前がずらっと。
後世まで、いくら出したか残るのはちょっと嫌だな。いっぱい出してれば別だけど。

水神宮と書かれた石碑。
やはり水害が多かったのだろうか。しかし、このパターンの水天宮の表示は初めてだ。
ここで、手を合わせていたのだろうか。
対岸には帝釋道

対岸では、護岸の耐震工事が行われています。
対岸の土手沿いに「帝釋道」がありました。
先日、こちらの道を歩いてみましたが、護岸工事でところどころ歩けない場所があります。
気分は「曲金の渡し」。高砂橋で中川を渡る

中川に掛かる「高砂橋」。葛飾区青砥と葛飾区高砂の間を結ぶ橋です。
斜張橋という構造だそうで、独特の美しさを感じます。

高砂橋と京成本線の間。ちょうどこのあたりに渡しがありました。渡った先にお寺(大光明寺)の屋根が見えています。
中川の土手辺りに帝釋道があり、ここで帝釋枝道と合流していました。
大光明寺(葛飾区高砂)
大光明寺の所在地:葛飾区高砂2丁目11-4

門が特徴的なお寺さんです。
ここにあった極楽寺が廃寺になり、平成の時代に大光明寺になったそうです。(宗教法人が変わったということでしょうか)
帝釋道を進み始める

大光明寺前の細い道に入ると、そこが帝釋道。
旧道らしく、くの字にジグザグした道が続きます。
高砂天祖神社
高砂天祖神社の所在地:葛飾区高砂2丁目13−13

帝釋道を入って直ぐにあるのが、高砂天祖神社。
石柱にある通り「村社」、
かつて、この辺りにあった曲金村の鎮守でした。

社殿は、村社らしい落ち着いた感じの建物です。
現在の社殿は昭和の建造だそうですが、歴史のある神社とのこと。

鳥居の直ぐ脇にある石仏。
かなり古そうだが私には良く判らない。
隣の公園では、工事現場で交通整理している方が休憩をとられている。
私が、ぶつぶつ言いながら写真を撮っているので、居心地が悪そうである。スミマセン。
旧道歩きは続く

くの字に曲がった道ですが、迷うことなく進めます。

京成青砥駅前に続くバス通りに出たら、駅に向かって行きます。
駅横の踏切を超えたら、すぐに右に曲がります。
さあ、ここからしばらくは、旧道らしさがなくなり、地図を睨みながら歩くことになります。

こんなところにって感じで「子育地蔵尊」。
googleマップでは、「子育地蔵 南葛八十八箇所霊場 第十六番札所」とある。
斜め奥にある民家のような建物は「妙栄院」。「観蔵寺」ではない。
「観蔵寺」は先ほどの「高砂天祖神社」の線路を挟んだ向こう側にあるお寺。

京成金町線の踏切にぶつかったら手前を左に折れると、旧道らしさが復活。
この踏切がある道も、佐倉道と呼ばれる旧道です。
佐倉道は、葛飾区新宿(にいじゅく)で水戸街道と分かれ、北小岩にある渡しで千葉に入る街道でした。
さらに、この手前で小岩用水(現在は小岩用水緑道)とクロスしていたりで、旧道マニアにはたまらんスポットです。

程なくすると柴又駅手前の踏切にやってきます。京成金町線は単線じゃなかったっけ?と不思議に思いながら、踏切を渡ります。
ここを渡れば、もうすぐ到着です。

「柴又親商会」という商店街です。
人が疎らなので、商店街という感じではないですが。
柴又に到着。寅さんが迎えてくれた。
柴又駅に到着。この駅は、京成金町線の駅です。
東京の電車なのに単線。しかも路線としては2.5kmの区間しかありません。

ここへ来ると、いつも、この角度から写真を撮っている気がします。
成長が無いというか、工夫が無いというか...
何だろう「寅さん、ひさしぶり!」って声を掛けたくなるくらい自然な感じで、そこに居るんだよなあ。

参道入り口の右には「渥美清贈呈の常夜燈」があります。そのほか映画の中の名セリフ「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎。人呼んでフーテンの寅と発します」の石碑もあります。

参道左側には「帝釋天王安置」の石碑があります。
その石碑が何でこの場所にあるのでしょう。
明治の地図を見ながら考えてみました。明治時代は、柴又街道はありません。
矢切の渡しと葛飾区新宿(にいじゅく)を結ぶ国分道(帝釋道)がありました。柴又八幡神社の前あたりに脇道があり、このあたりまでつながっていました。
また、立石から歩いてきた帝釋道は、ここで脇道とぶつかります。
このあたりの理由で、当時の商店街の人々が、帝釋天の入り口(参道)のランドマークを作ったのかもしれません。
今もそうですが、こういうのがあると、何か美味しいものを食べてやろうとか、お土産を買わなきゃとか思うしね。
寄り道して、柴又八幡神社へ
柴又八幡神社の所在地:葛飾区柴又3丁目30-24

柴又駅にあった周辺の史跡・名所の案内板を見て、急遽、この神社に寄り道してみることにしました。松やイチョウなどの木々が立派です。しかも、教育委員会設置の看板が境内のあっちこっちにあります。
柴又八幡神社の拝殿。

柴又村の鎮守だっとと言います。
村の鎮守とは思えないほど、立派な社殿です。
調べると、この社殿は昭和の時代に建てられたそうです。
柴又八幡神社の本殿。

本殿の反対側から裏に回ろうとしたら、大きな蜂が飛んできたので、急いで逃げた。
こちら側は、安全です。

境内で古墳の石室が発見されたと書かれています。石室と聞くと、妙に興奮してきます。
是非見たいと思って、境内をくまなく見て回りましたが、それらしきものが見つかりませんでした。残念。

「島俣塚」(島俣と書いて柴又と読む)
「柴又」は、昔「島俣」と表記していたんですね。
社殿の地下から出てきた骨をここに祀ったとあります。
千数百年前の(古墳の)骨をここに埋葬したそうです。
ということは、古墳の上に社殿を建てたということか、石室を探しても見つからない訳だ。

「柴又用水の碑」
石碑がボロボロになってしまっています。どうしたのでしょうか。「根府川石」が使われていると横の看板に書いてあります。根府川石は、小田原あたりでとれる石です。石碑などに使われることが多い石で、耐久性、耐火性に優れると言われてます。
この場所「柴又」の土地がやや高いため、農業用水に苦労した。「柴又用水」ができたことで、これの解消と洪水対策が進んだと碑には書かれています。
帝釈天参道

平日の午前中なので、人出は少なめです。
コロナの影響で、ガクンと観光客が減っています。以前だったら、平日でも観光バスがやってきて、川魚料理の店などで昼食される方が多かったと記憶。
柴又帝釈天に到着。

「二天門」
総欅作りの門は、いつみても素晴らしいと感じさせてくれます。
この門の先に見える本堂「帝釋堂」や参拝者の姿、すべてがあって、私のイメージする「柴又帝釈天」なんだよな。
それほど頻繁に来るわけではないですが、映画で繰り返し見てきたせいかな。そんな気持ちにさせるのは。

いつも通り、境内には、あの映画の音楽が流れていました。
時が止まったように、いつもの光景が広がっています。なんか安心するんだよなあ。