先月両国駅から築地まで新大橋通りの右側にある神社巡りをしてみました。
前回のルールが細か過ぎて面白くなかったので、もっと単純にすることにしました。
今回のルールは単純です。
コースとミッション
JR総武線両国駅を出発して、ゴールは築地本願寺とする。
隅田川に掛かる新大橋を渡り、中央区に入り、隅田川の西岸エリアを対象とした神社巡りをする。
ミッションは設定しません。楽しく歩くことを第一にしました。
両国駅を出発し新大橋を渡ります
今日は、秋晴れの一日。気持ち良いくらいの青空が広がっています。

金刀比羅宮
金刀比羅宮の所在地:中央区日本橋中洲11−1
首都高速道路の直ぐ脇にあり、横を清州橋通りが通る場所に、金刀比羅宮はありました。
境内には、慈愛地蔵尊もあります。
社号は「日本橋中洲金刀比羅宮」と書かれたサイトがありますが、境内では、そのような表記のモノは見つけられませんでした。

参道の右手に記念碑があり、由緒のようなものが書かれています。
残念ながら、一文字読めないところがありましたが、本サイトに記録しておきます。(句点は当サイトが読みやすいように追加しています)

「中洲は江戸時代隅田川の浮洲なりしを明治初年に埋立、此の地に船玉琴平宮が祀られ産業振興の神として廣く崇められたり。
境内設置の記念碑より
しかし惜しくも大正12年関東大震災のために鳥有に帰し、再建の機運に至らざれりし處、湯沢勘次郎の夢枕が機縁となり、同士相諮り此の地を●として、四國琴平宮の御霊を遷座奉祀し、広く繁榮の守護神として茲に神殿を建立し奉る。 昭和29年12月吉日」
尚、他のサイトでは中央区史からの引用という形で、「創建が天明3年(1783年)、隅田川往来の船人の守護神として、又商家、とりわけ飲食遊芸を職とする大衆の信仰をあつめている」と掲載されてます。
金刀比羅宮の狛犬
なかなか素敵な狛犬が鎮座しています。奉納年など分かるものはありませんでしたが、記念碑と同じ年代ではと想像しています。

八大龍王元宮
八大龍王元宮の所在地:中央区日本橋箱崎町44−8
googleマップ上では、神社マークと共に表示される場所ですが、いわゆる神社とも異なる宗教になります。
宗教法人 大星教会を調べてみると、所在地が八王子市の宗教団体でした。


参拝の作法も一般の神社・お寺と異なるので、立ち入る場合は注意が必要です。
八大龍王社
八大龍王社の所在地:中央区日本橋箱崎町41
先ほどと同じ宗教団体の施設が100mほど離れた場所にあります。


八大龍王元宮および八大龍王社は、写真での紹介に留めます。
参拝の作法も一般の神社・お寺と異なるので、立ち入る場合は注意が必要です。
永久稲荷神社
永久稲荷神社の所在地:中央区日本橋箱崎町22−11
ビックリするような場所に鎮座していたのが、永久稲荷神社です。
googleマップと赤い幟が無ければ、絶対に存在に気が付かないお稲荷さんです。

隣の家と1mも無いような隙間を入ると永久稲荷神社の社殿です。
鳥居はありません。かつて鳥居だったと思われる石柱が残っています。
昭和の匂いがする建屋ですが、カーテンが閉められ中の様子が見えないようになっています。

東京都神社庁のホームページに出ていますが、御由緒不明となっていました。
御祭神は、倉稲魂命と猿田彦神です。

神額は、かなりの急角度でついてます。無理やり感が半端ない。
拝殿手前の屋根は後から増設した感じです。
高尾稲荷社
高尾稲荷社の所在地:中央区日本橋箱崎町10−7
駐車場の一角に近代的な姿で鎮座していたのが、高尾稲荷社です。
永久稲荷神社との落差の大きさにびっくりします。

社殿の横に、富岡八幡宮の家内安全と書かれたお神札が立て掛けられています。
もやっとした違和感を感じますが、気に留めるのはやめておきます。

手の込んだ由緒書きが張られています。作成したのは、箱崎北新堀町会。
よく読むと、この社殿は仮の社殿。2022年春に完成予定の新社殿に移転予定とありました。

由緒書きには、「稲荷社としては全国でも非常に珍しく、実体の神霊(実物の頭蓋骨)を祭神として社の中に安置してあります」とあります。
新吉原の遊女・二代目高尾太夫の頭蓋骨が、祠の中にあるのでしょうか...夜、ひと気のないときに来たくない場所です。
大栄稲荷神社
大栄稲荷神社の所在地:中央区新川1丁目2-14
建物の裏手それも人が通らないような路地裏にあり、かなり分かり難い場所に大栄稲荷神社はあります。

例のごとく、境内には由緒書きはありません。
仕方ないので、ネットで検索。
「明和4年(1768年)に霊岸島に新たにできた埋め立て地の守護神として、伏見稲荷の分霊を勧請して創建」
歴史ある稲荷神社だったことにビックリ。

霊岸島って何?と思い調べてみたら、今いる隅田川、日本橋川、亀島川に囲まれた新川1丁目から2丁目のエリアだそうです。江戸時代の初期まで、箱崎と陸続きだったとか、箱崎はその頃は島だったとかビックリすることがゾロゾロ。
新川大神宮
新川大神宮の所在地:中央区新川1丁目8−17
オフィスビルに囲まれた場所に、新川大神宮は鎮座しています。
境内には、由緒書きがありますが、公式ホームページもあります。

新川大神宮は、
寛永2年(1625年)に、慶光院周清上人が徳川2代将軍から江戸代官町に屋敷を賜り、邸内に伊勢両宮(内宮・外宮)の遥拝所を設けたのが始まりの神社です。

この地に隅田川につながる水路(新川)ができ、酒問屋が軒を並べるようななり酒類の一大市場となりました。そういった縁があり、新川大神宮は酒問屋の守護神として信仰されたそうです。

於岩稲荷田宮神社 (おいわいなりたみやじんじゃ)
於岩稲荷田宮神社の所在地:中央区新川2丁目25−11
基本的にgoogleマップを頼りに歩くのですが、ここへ来る途中でGPSの調子がおかしくなり、道に迷ってしまいました。周辺を2周してたどり着いたのが、於岩稲荷田宮神社。
「東海道四谷怪談」の主人公お岩にまつわる神社です。

境内を清掃している女性がいます。お岩でしょうか...
挨拶を交わすと、すーと消えてしまいました。(消えた先は、社務所でしたが)

狛狐の子取りの方ですが、子狐の首が...
お参りをしようとすると、さい銭箱が妙に遠いことに気が付きます。妙な格好で賽銭を投入します、みなさん、こんな姿で賽銭を入れてるのでしょうか。
中央区教育委員会設置の看板に由緒書きがありました。
於岩稲荷田宮神社は、四代目鶴屋南北の戯曲で、文政8年(1825年)に初演された「東海道四谷怪談」の主人公、お岩の伝承を持つ神社です。社地は歌舞伎俳優の初代市川左団次の所有地であったと伝えられ、花柳界や歌舞伎関係などの人々の参詣で賑わいました。
中央区教育委員会設置の看板
境内には狐塚があります
境内をキョロキョロ見て回りましたが、狐塚の説明書きはありませんでした。

金刀比羅神社
金刀比羅神社の所在地:中央区新川2−15−14
於岩稲荷田宮神社の駐車場に面した参道から這いつくばって出ると、そこに金刀比羅神社があります。
本日、2社目の金刀比羅神社ですが、中央区の方は金刀比羅神社好きなのでしょうか。

由緒書きなど、何もありません。境内も至ってシンプル。
鳥居をくぐると左手に手水舎、参道を進むと(金)と書かれた大きな賽銭箱と、小ぶりな社殿があります。
由緒が分からないので、ネットに頼ります。

天保年間に、讃岐本宮より武蔵国山岡吉右衛門邸に分霊したのが始まり、その後、この場所に遷座したことは分かりました。
賽銭箱に書かれた文字は、一見すると「金」なのだが、よく見ると違う。デザインなのだろうか。別の字なのだろうか。
徳船稲荷神社
徳船稲荷神社の所在地:中央区新川2丁目20
亀島川に掛かる南高橋のたもとに、徳船稲荷神社はあります。
小さな稲荷神社ですが、縁起が書かれた看板がでています。
鳥居には、「鉄砲洲稲荷神社」のお神札が縛り付けてありました。

徳川期この地新川は、越前松平家の下屋敷が三方掘割に囲われ、広大に構えていた(旧町名越前堀はこれに由来する)。その中に小さな稲荷が祀られていたと言う。御神体は徳川家の遊船の舳を切って彫られたものと伝えられる。
新川二丁目越一町会崇敬会設置の看板より
明暦3年、世に云う振袖火事はこの地にも及んだが御神体はあわや類焼の寸前難を免れ、大正11年に至るまで土地の恵比須稲荷に安置された。関東大震災では再度救出され、昭和6年隅田川畔(現中央大橋北詰辺り)に社を復活し町の守護神として鎮座したが、戦災で全焼。昭和29年同処に再現のあと平成3年中央大橋架橋工事のため、この地に遷座となる。
鉄砲洲稲荷神社 (てっぽうず いなりじんじゃ)
鉄砲洲稲荷神社の所在地:中央区湊1丁目6−7
参道を入る横に、鉄砲洲稲荷神社が設置した長文の由緒書きが出ています。一応、一通り読みましたが長すぎて頭に入ってきません。子供の頃から国語が苦手だったことが思い起こされます。
いきなり苦手意識を感じてしまった鉄砲洲稲荷神社ですが、この地域では大きな神社で、宮司さんが常駐しています。

七五三の時期ということもあり、結構来客があり宮司さんが忙しそうです。
アルバイトで巫女さんを雇えば良いのにと、こちらが気をもんでしまいます。

中央区教育委員会設置の看板によれば、現在の社殿は昭和10年に再建されたもののようです。
鉄砲洲稲荷神社の狛犬は中々良い感じ
拝殿前に鎮座する狛犬も、昭和10年頃のものでしょうか。
非常にバランスが取れた体つきや、作りの細かさが見事な狛犬です。

奉納年らしきものは、皇紀で記載されていたので、お手上げ。(奉納年は昭和11年でした)
原型が彫刻家の三木宗策で、石工の名前も3名が連名で書かれています。
どういうことでしょうか。左右で石工が違うなんてこともないでしょうし...
三木宗策は、木彫界の中心的作家として活躍された方だそうです。

摂社 八幡神社
何だろうと思うくらい大きな社殿ですが、摂社の八幡神社だそうです。

他にも富士塚があるそうです。
富士塚のところに、狛狐がいるようで、見ておけば良かったと反省。来月、再訪しよう。
湊の社
湊の社の所在地:中央区湊1丁目14−13
googleマップ上は、「湊の社」と表示されていますが、神額が出ていないため、「湊の社」が正式な神社名かは分かりません。
どう見ても、左隣の民家の屋敷神です。

私は、斜め前のラーメン屋さんで昼食。
「湊の社」が、ラーメン屋さんとの出会いを作ってくれました。
稲荷神社と汐見地蔵尊
稲荷神社と汐見地蔵尊の所在地:中央区湊3丁目18−22
汐見地蔵尊がメインで稲荷神社がおまけで付いてるように見えますが、汐見地蔵尊の柱が鳥居風になっているのがミソ。
汐見地蔵尊の方は説明書きが出ています。
歯の病になったらお参りすると良いことがあるかもしれません。

言われなければ、お稲荷さんとは気が付かないでしょう。
由来書きも出ていない上に、ネット上での情報も皆無です。

ネットで、他の方が祠の中を撮影した写真を見ていて、(神道系では見かけない)お輪があることに気が付きます。
ゴールの築地本願寺
ゴールの築地本願寺に到着。両国駅からは9000歩という歩数でした。
以前に比べれば人出は少なめですが、三連休初日ということで、結構な人出です。
人込みを避けるため私は本堂での参拝は行わず、次の目的地に向かうことにしました。

神社巡りのゴールがお寺さんという毎度のパターンです。
まあ、神社巡りと言いながら、新興宗教系のところに立ち寄ったり、仏教系のお稲荷さんに立ち寄ったりと、かなり自由にさせて頂いているので許してください。
さあ、築地からの帰り道には、どんな出会いが待っているのでしょうか。