千葉街道沿いにある神社を参拝してきた(本八幡から西船橋)

千葉街道(国道14号)沿い、それも道路の北側に神社が集中している事実に気が付いてしまった私は、前回の続きで本八幡から神社を求めて歩き始めます。
今回は事前学習なしで、千葉街道に沿って歩いて面白そうなものを見つけたら寄り道していくパターンで臨みました。

不知森神社(八幡の藪知らず)

不知森神社の所在地:千葉県市川市八幡2丁目8

不知森神社は、今日の歩きの中で、唯一、千葉街道の南側にあった神社です。

不知森神社(八幡の藪知らず)
不知森神社(八幡の藪知らず)

「八幡の藪知らず」という入ったら出られなくなるといわれている「神隠しの伝説」の竹藪の一角にあります。
不知森神社は、斜め前から参道が続く葛飾八幡宮の境外社だそうです。後ろの竹藪が有名過ぎて、かすみがちですが。
竹藪だと思って見てましたが、後で調べると松や杉など雑木もあるようです。

不知森神社の境内社 八幡大龍神

境内には、石碑が2つ、石柱が1つあります。
この石柱が、実は「龍神」。

不知森神社の境内社 龍神
不知森神社の境内社 龍神

古い上に、達筆の文字なので判読は大変。
市川市石造文化財調査報告書の力も借りながら解説します。
正面右に年号として「慶應二寅年」、正面左に「御縁日毎月一日」
正面中央「妙法八幡大龍神」
これらから、慶応2年(1866年)奉納の「妙法八幡大龍神」と分かります。「妙法」から法華経の関係(仏教系の神様)と推測できます。

ところで、中央の石碑ですが、古文書を読むような難しさ。
書かれた文字は「志ら須はし」。このあたりに橋があったのでしょうか。

真間川(境橋)

千葉街道をしばらく西船橋方面に歩いて行くと、真間川に掛かる境橋にぶつかります。

境橋から真間川を望む
境橋から真間川を望む

境橋を渡る手前には、モニュメントや石碑があります。渡り切ったところには「坪井玄道生誕の地」の看板がありました。

治水とやすらぎの碑
治水とやすらぎの碑

「治水とやすらぎ」と書かれた石碑。この石碑の裏側には、水害対策のために真間川および周辺の大柏川、国分川の改修工事を行ったことが書かれていました。
昔の真間川は万葉集に「真間の入江」と詠まれていました。深く陸地に穿入した溺谷津(低湿地)だったといいます。
市川市の千葉街道沿いには、台地と低湿地があって複雑な地形が興味深い。

鬼越神明社(市川市鬼越)

鬼越神明社の所在地:千葉県市川市鬼越1丁目26−18

千葉街道を歩いていると、脇道を入った京成本線の踏切の先に神社らしきものが見えます。
見えているのは、うっそうとした木々と鳥居のごく一部だけでしたが、雰囲気で神社と分かります。
京成本線鬼越駅近くの脇道にそれます。線路の手前には、「神明寺」というお寺もありました。

鬼越神明社
鬼越神明社

入り口の左に、鬼越神明社の由緒が書かれた看板がありました。
それによれば、元和2年に伊勢神宮から遷宮されて村社として創建、平成28年に創建400年を迎えたとあります。現在の社殿は明治に作られたそうです。

鬼越神明社 社殿は修復工事中
鬼越神明社 社殿は修復工事中

社殿の改修工事が行われていて、その姿を拝むことはできませんでした。
帰宅後に調べると、このあたりは鬼越村字神明と呼ばれた場所だそうです。(後に中山村字鬼越)

一旦、千葉街道に戻って先に進みます。

高石神社(市川市高石神)

高石神社の所在地: 千葉県市川市高石神1−10

千葉街道を進んでいると脇道の先の小高くなったところに、大きな木が2本見えます。
民家の敷地内ではなさそうな場所に樹齢数百年の立派な樹木があるのは、変。「何かある」と気付きます。

高石神社
高石神社

数段の階段を上った先には、広場と高石神社の社殿がありましたが、鳥居が見当たりません。
由緒を書いた看板が見当たりません。帰宅後に調べると戦国時代にはあった歴史のある神社ということが分かりました。
広場は、お祭りで人が集まれるくらい広い場所になっています。

不思議なのは、この周辺だけ台地になって一段高い場所になっています。市川市の広報誌によれば砂丘とあります。「立石様」のような巨石信仰があったのではと書かれてましたが、それらしき巨石は見当たりません。

天保年間に発行された江戸名所図会に、高石神社の記載があります。名所としてピックアップされるほどの人気の観光スポットだったのでしょうか。
江戸名所図会では、高石明神社という名称で紹介されています。
別当は日蓮宗 泰福寺だそうです。

高石神社の御神燈

古そうな燈籠があります。燈籠に刻まれた年号は、明和4年(1767年)。
古いのは確かですが、経年数に比べて不自然に綺麗。再建したものかも。

高石神社の御神燈
高石神社の御神燈

高石神社の狛犬

拝殿の前にいる狛犬は、岡崎型で近年(昭和60年)のもの。私は本殿のところにいた狛犬に注目しました。
本殿の方を向いているので、顔が分かりません。しかし、古そうです。

高石神社の狛犬
高石神社の狛犬

市川歴史博物館の調査資料から明治29年奉納のものと判明します。
自撮り棒があれば、狛犬のお顔を見ることができそうですが、残念ながら所持していません。

高石神社の鳥居

高石神社 鳥居
高石神社 鳥居

高石神社の鳥居は、意外なところにありました。
自分が来た道とは反対の東の斜面を降りたところ(木下街道側)に鳥居があります。
鳥居の横には、お墓があったり、石碑があったり。

木下街道から千葉街道に戻り、先に進みます。

天神社(船橋市本中山)

天神社の所在地:千葉県船橋市本中山1丁目9

中山法華経寺の参道の1つ手前の路地に鳥居が見えたので、寄っていきます。

天神社鳥居と社殿
天神社鳥居と社殿

由緒が書かれた看板などもないので良く判りません。境内の木に隠れるように建造記念碑があり、昭和に建てられたようにも見えますが、参道横の天満宮と書かれた古そうな石柱の横には「天保」と読める年号が入っています

天満宮の石柱
天満宮の石柱 横に年号らしき文字が

狛犬は、新しいですが、その台座の石はかなり古そう。「天満宮」と書かれた写真の石柱と同じ年代の石に見えます。ご神体と一部の石を、どこからか移設して、昭和の時代に建造したのでしょうか。

天神社 神牛
天神社 神牛

ブロンズ粘土製(コンクリート製?)なのか、ボロボロになり始めていますが、神牛だと思います。

このまま、千葉街道を離れ、中山法華経寺に向かって参道を進みます。
道が狭いのに、車がバンバン走ります。人も多いので妙に気を遣う参道でした。

安房神社(市川市中山)

安房神社の所在地:千葉県市川市中山4丁目3−25

中山法華経寺の仁王門の横に、市川市が設置した周辺の史跡案内がありました。
仁王門をくぐる前に、看板左手の安房神社に行った方が良さそうです。

安房神社 鳥居
安房神社 鳥居

鳥居の横に、安房神社の由緒が書かれた看板があります。
元々は、現在の中山小学校敷地内(中山村中山字砂原)にあったそうです。江戸名所図会には、「中山の北、池田という より北の岡にあり」と記述されています。どういう意味なのか考えてみます。字名からは「砂の原っぱ」、「岡」から連想できるのは、「砂丘」。

安房神社 社殿
安房神社 社殿

御祭神のひとつとして「里見安房守」があります。
先ほど立ち寄った高石神社も、砂丘の上にあり、「里見安房守義弘の弟の墳墓」と言われてました。
市川市の広報誌によれば、国府台合戦が国府台だけで終わらず、この地に逃げてきた里見軍と追いかけてきた北条軍が、高石から中山のあたりで再び戦ったそうです。

中山法華経寺(市川市中山)

中山法華経寺の所在地:千葉県市川市中山2−10−1

中山法華経寺 仁王門
中山法華経寺 仁王門

仁王門では、赤い仁王がにらみを利かせていました。
ここからの参道がまた長い。正直、ここまで大きなお寺さんだとは思っていませんでした。

中山法華経寺 大祖師堂
中山法華経寺 大祖師堂

見どころが沢山ある「中山法華経寺」ですが、意外にも、ホームページでの情報発信が少なくて、集客に力を入れてない感じです。もったいない。
かく言う私も、人生初訪問。

道標(奥之院道)

中山法華経寺横の道を、道標に従って進んでいきます。

奥之院道の道標
奥之院道の道標

この道標は、昔のものなんでしょうか、現代のものなんでしょうか。
「洋服を着た、指のマーク」は分かり易いのですが、雰囲気的に昭和の時代か。

若宮八幡神社(市川市若宮)

若宮八幡神社の所在地:千葉県市川市若宮2丁目25−3

奥之院を通り過ぎて、更に進みます。

若宮八幡神社 西口の鳥居
若宮八幡神社 西口の鳥居

「中山法華経寺」仁王門前の史跡案内に出ていたので、来てみました。
若宮八幡神社の由緒を記載した看板がでていませんが、参道の左側に建設記念碑があります。
それによると、昭和の時代に新築したとあります。

若宮八幡神社 社殿
若宮八幡神社 社殿

帰宅後、いろいろ調べた結果、先ほど前を通り過ぎた「奥之院」も見ておけば良かったことに気が付く。後の祭りである。

後世のためにキーワードだけ残しておきます
「富木常忍」「若宮館(奥之院)」「中山法華経寺」「若宮第六天社」

さて、帰りの道が分からなくなった。
太陽の方向を見て、あっちが駅だろうと予想して、南に向かって歩き出す。

葛飾神社(西船橋)

葛飾神社の所在地:千葉県船橋市西船5丁目3−8

迷いながらも千葉街道に戻ることができた。西船橋の駅に向かって歩いていると道路の反対側(北側)に鳥居があった。道路の北側を攻める歩き旅なのに、南側を歩くなんて、油断し過ぎた。

葛飾神社 鳥居

階段の右横に葛飾神社の由緒が書かれた看板が出ています。
書かれている内容が難解で...間違っていたら、ゴメンナサイということで
「勝間田の池(現在の勝間田公園)の畔の丘に熊野権現社があった。葛飾大明神御手洗の井戸(現在の葛羅の井戸)に一郡総社の葛飾大明神があった。葛飾大明神を熊野権現社に合祠し、場所を現在のところに移した。この時に神社の名前を村社 葛飾神社とした」

葛飾神社 社殿
葛飾神社 社殿

階段を登ると、そこにあるクロマツの大木と社殿の姿に驚かされます。

いかした狛犬
いかした狛犬

階段を登り切ったところにある狛犬が、なかなか良い感じです。
特に左側の狛犬は、木陰から突然現れる感じで、まさに獲物を狙う姿が迫力満点。

木陰から獲物を狙う狛犬
木陰から獲物を狙う狛犬

右側の狛犬は、木に隠れ過ぎていて、顔をよく見ることができません。

クロマツの大木
クロマツの大木

境内に説明板が出ていたが、このクロマツが船橋市内で一番太いクロマツだそうです。
写真では迫力が伝わりませんが、一見する価値はあります。

前回歩いた、市川橋から本八幡のコースもクロマツだらけでした。確か防砂林としてクロマツが植えられていたかと思います。
このコースは、砂と松に縁があるようです。実に面白い。

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