船堀から西葛西、歩いて神社巡り

都営新宿線の船堀駅をスタート地点に、西葛西周辺の神社を巡ります。ゴールは、東京メトロ東西線の西葛西駅です。

スタート地点の船堀駅に着いたのは、午前十時。頼りにするのは、googleマップの地図です。

稲荷神社(個人持ち)

稲荷神社の所在地:江戸川区宇喜田町1021の商店横の脇の道に入る

船堀街道を南に下り、新川を渡ったところで西に向かいます。googleマップを頼りに、路地に入ったところにあったのが、こちらの「稲荷神社」。

稲荷神社
稲荷神社

どう見ても私有地にあり、扉が閉まっているため、立ち入ることができません。遠くから撮影することになりましたが、出会えて良かったです。
遠すぎてお稲荷さんかも確認できません。googleマップでは、「稲荷社 (江戸川区宇喜田町)」の表記です。

七軒町水神宮

七軒町水神宮の所在地:北葛西1丁目20-2

個人持ちの稲荷神社を出たら来た道を戻ります。そのまま、新川沿いの道(棒茅場通り)を西に進み、脇道に入ると「七軒町水神宮」があります。

まず、「棒茅場」が難読地名ですが、「ぼうしば」と読みます。このあたりは、江戸時代は「宇喜田村(西宇喜田村)」という集落でした。棒茅場は字名です。
棒茅場通りというのは、すぐ横を流れる新川の分流で宇喜田川が流れていた跡(川の横にあった道)です。

七軒町水神宮
七軒町水神宮

つまり、こちらの七軒町水神宮は、新川と宇喜田川に挟まれた場所に鎮座しています。

ところで、何で「七軒町」なのでしょうか。
江戸川区史には「七軒」という字名は登場しませんが、今昔マップon the Webで確認すると、明治38年頃には「棒茅場」の東側に「七軒」という地名が登場しています。面白いことに、先ほど見てきた「稲荷神社」のあたりが「十軒」。更に「棒茅場」の西側宇喜田川沿いに「六軒」「十八軒」と続きます。
大正になると更に「十四軒」も登場してきます。調べると、〇〇軒という字名は終戦直後まで続いていました。更に調べると、江戸時代の字名に「十四間」が見つかります。「十四軒=十四間」とも思えます。

この答えは、東都よみうりのWebページに、この地区に住まわれている方の話しとして紹介されてました。
ふたつの説があり、耕地の間口の大きさを表している説、開墾時の家の数説。
私の一押し説は、耕地の間口の大きさです。

七軒町水神宮 社殿
七軒町水神宮 社殿

豊栄稲荷神社

豊栄稲荷神社の所在地:江戸川区北葛西1丁目17−2

七軒町水神宮から徒歩数分のところに「豊栄稲荷神社」があります。
近くには、製薬会社の研究所もあり、とても静かな場所です。

入り口のところに御由緒書きがあります。由緒書きがあるのは助かります。

豊栄稲荷神社
豊栄稲荷神社

由緒書きには、元禄3年(1690年)の創建と伝えられているとあります。
社殿の裏にある製薬会社の研究所とのコントラストが面白い神社でした。

豊栄稲荷神社 社殿
豊栄稲荷神社 社殿

灯篭には昭和の年号、鳥居には大正の年号が刻まれていました。

お地蔵さん

豊栄稲荷神社の境内に社務所兼南船堀町自治会館があります。
そのすぐ脇にあるのが、弘法大師を祀る新四国第五番の霊場です。

弘法大師を祀る新四国第五番の霊場
弘法大師を祀る新四国第五番の霊場

北葛西八雲神社

北葛西八雲神社の所在地:江戸川区北葛西1丁目6-14

棒茅場通りに出て西に進むとあるのが、北葛西八雲神社です。

北葛西八雲神社は、鳥居と社殿、手水舎だけの非常にシンプルな神社でした。

由緒書きなどの看板が出ていないので、自分で調べないと何一つ情報が得られない神社です。

北葛西八雲神社
北葛西八雲神社

北葛西八雲神社の鳥居の脇に、都営バスの棒茅場停留所があります。
このあたりが、棒茅場(棒芦場)という集落でした。江戸川区史によれば、芦生地で、江戸時代に草銭場といった場所を表しているそうです。

草銭場というのは、多少のお金を払って馬や牛などの飼料や肥料にする草を刈らせてもらう場所。

北葛西八雲神社 社殿
北葛西八雲神社 社殿

稲荷神社

稲荷神社の所在地:江戸川区北葛西1丁目10

北葛西八雲神社のすぐ近くに、googleマップで「稲荷神社」と表示される場所があります。
確認すると民家の駐車場から入れる稲荷神社らしきものが確認できます。

私有地のため立ち入り不可ですが、遠くから眺めるくらいはできそうです。

十八軒水神宮

十八軒水神宮の所在地:江戸川区北葛西2丁目12−24

棒茅場通りからは一本奥の道沿いにあるのが、十八軒水神宮です。

この十八軒水神宮には、記念碑が建っているので、由緒がその場で分かります。

この辺りは、農業や漁業の盛んな場所でした。そのため、水神宮に関する信仰が厚かった。
十八軒水神宮は最初、十八軒川河口にあったが、都市計画などによりこの地に移ったとあります。

十八軒水神宮
十八軒水神宮

十八軒川河口とは、どのあたりだったのでしょうか。
今昔マップon the WEBから見てみましょう。

棒茅場通り沿いを流れてきた宇喜田川は、現在の小島児童公園で南西に流れを変え東京湾に流れていきました。十八軒には、宇喜田川から分流した小川のようなものが集落の横を通っていたようです。
この宇喜田川との分流(合流)点付近に、十八軒水神宮があったのではないでしょうか。まあ、推測ですが。

お地蔵さん

小島八幡神社に向かう途中で出会ったのが、こちらのお地蔵さん。
お地蔵さんの台座のところに、新四国 第廿四番(第24番)の文字が読み取れます。

お地蔵さん
お地蔵さん

この新四国88か所巡り的なやつは、今でも流行っているのでしょうか。
もし、ちゃんと88か所分整備されているなら、一度チャレンジしてみたい...

旧葛西海岸堤防

旧葛西海岸堤防の所在地:江戸川区西葛西2丁目17あたり

堤防の跡だけでなく、石碑もあります。
クルマの人からは見えてるけど見てない遺跡。歩きの人からは見えてるけど近づけない遺跡という感じでしょうか。

旧堤防跡
旧堤防跡

昭和32年(1957年)に完成した葛西海岸堤防ですが、地盤沈下などにより、かさ上げ工事が繰り返し行われたと言います。写真にある堤防は、昭和42年にかさ上げ工事が行われた後のもの。
その後、昭和47年(1972年)から葛西沖埋め立て工事が行われ、堤防としての役割を終えることになりました。

小島八幡神社(西葛西八幡神社)

小島八幡神社(西葛西八幡神社)の所在地:江戸川区西葛西2丁目1-26

旧葛西海岸堤防の近くにあるのが、小島八幡神社です。
googleマップでは、このあたりの旧地名である小島八幡神社と表示されます。お祭りなどの案内にも小島八幡神社と表記されてます。
但し、現在の地名から西葛西八幡神社とも呼ばれることもあるので、本サイトでは併記することにしました。

小島八幡神社の境内には、由緒書きは出ていません。改修の記念碑にも由緒書きが無く、一番困るタイプの神社でした。

小島八幡神社(西葛西八幡神社)
小島八幡神社(西葛西八幡神社)

社殿や鳥居、灯篭など綺麗で、比較的新しいことが伝わってきます。
改修記念碑から昭和37年の改修と判明。58年前とは思えない綺麗さでした。

小島八幡神社(西葛西八幡神社)拝殿
小島八幡神社(西葛西八幡神社)拝殿

灯篭には、鹿の彫刻がされていました。
八幡神社(はちまんじんじゃ)は、神鹿と何か関係があるのでしょうか。
春日大社(奈良)や鹿島神宮(茨城)なら分かるのですが...
ネットで調べてみると、八幡神社の神の使いとされる動物は、「鳩」でした。

小島八幡神社 灯篭
小島八幡神社 灯篭

様々な情報から、御由緒は不明。
唯一、小島町の鎮守ということが分かりました。
新編武蔵風土記稿に、それらしきものが見当たらないのが、どうも納得がいかないところ...

小島八幡神社 本殿
小島八幡神社 本殿

小島八幡神社の境内社 稲荷神社

社殿の右横に、境内社の鳥居と社殿があります。
祠の中に、狛狐が3対いたので、稲荷神社と判りました。

小島八幡神社の境内社 稲荷社
小島八幡神社の境内社 稲荷社

小島八幡神社の境内社 石造りの祠が2つ

お稲荷さんの左横には、石造りの祠が2つありました。
何の神様を祀っているのか、手掛かりになるものはありませんでした。
他の方のブログを見ていると、「水神宮」としている方と「富士塚」としている方がいます。

小島八幡神社の境内社 石造りの祠が2つ
小島八幡神社の境内社 石造りの祠が2つ

見た目は「富士塚」ですね。富士塚の上の「浅間社」と言っても信じてくれそうだし、
場所柄、「水神宮」もありそうで、説得力があります。
真実は、お酒をお供えされている氏子さんに聞けってことでしょうか。

河中稲荷

河中稲荷の所在地:江戸川区中葛西7丁目15

googleマップで「河中稲荷」と表示される場所に行ってきました。

地図を頼りに、現地に行ってみると、個人宅の敷地内の神社でした。
着いたときに、玄関先からお母さんと小さいお子さんが出てきました。私自身、敷地の中のお稲荷さんに興味津々だったのですが、不審者扱いされたくないので、知らんぷりして通り過ぎました。

結構、歩いてきたのに無駄足でした。
誰が、屋敷神のようなお稲荷さんをgoogleマップに登録するのでしょう?

宇喜田稲荷神社

宇喜田稲荷神社の所在地:江戸川区北葛西4丁目24-16

宇喜田稲荷神社に到着した時の歩数は1万5千歩。時間にすれば2時間ほどなのですが結構歩きました。

こんなに立派な神社が、この神社巡りの旅の最後に待っているとは思いませんでした。

境内をくまなく見ていきます。
鳥居の前にある灯篭は、年代物。灯篭の裏側に「文政8年」の年号を見ることができます。

宇喜田稲荷神社
宇喜田稲荷神社

江戸川区史には、天明2年の鳥居があると書かれてますが、昭和62年に建替えられたため、残っていません。

拝殿下のところまで進んできました。下の写真を見てください。

宇喜田稲荷神社 拝殿下
宇喜田稲荷神社 拝殿下

まるでコンピュータグラフィックスで書き込んだかのような灯篭です。
こちらの灯篭は、令和の灯篭です。
灯篭の後ろにある木は、まだ9月だというのに、枯れ木のように葉を着けていません。
時空がゆがんだ不思議な空間にいる気分になりました。

階段下のお賽銭箱に、お賽銭を入れてから、階段を登ってみました。
階段の上にもお賽銭箱があります。こういう時は、どうすれば良いのでしょうか。

宇喜田稲荷神社 拝殿
宇喜田稲荷神社 拝殿

ここで、宇喜田稲荷神社の御由緒を紹介します。
創建は寛永20年(1643年)です。西宇喜田村の鎮守でした。
昭和50年代にあった区画整理を機会に、大規模な改修工事が行われ、現在のような形になったそうです。

宇喜田稲荷神社 社殿横
宇喜田稲荷神社 社殿横

宇喜田稲荷神社の境内社

鳥居の先に石造りの祠が2つ。祠の左右に1つ石碑があります。

説明書きの看板によれば、祠の左側が弁天社、右側の祠が黄金山神社です。

宇喜田稲荷神社の境内社 (左)弁天社 (右)黄金山神社

祠の右側にあったのが、黄金山大神と書かれた石碑と、2つの祠に関する説明書きの看板です。

黄金山大神と書かれた石碑
黄金山大神と書かれた石碑

祠の左側にある石碑は、その位置から弁財天の関係と思いましたが、違います。
黄金山神社の祭神である「金山毘古神」「金山毘賣神」と彫られてます。

「金山毘古神」「金山毘賣神」
「金山毘古神」「金山毘賣神」

新編武蔵風土記稿には、末社 水神の記述がありますが、どこにあるのでしょうか。

終わりに

実は、宇喜田稲荷神社の参拝で、江戸川区内の全ての神社を制覇しました。半年ほど掛けて江戸川区内を歩き回りましたが、区内の神社を網羅するために使ったのは、googleマップや他の方のブログ。
今日も3つの個人持ちの神社(屋敷神)を訪問することになりましたが、大変さも含め、充分堪能しました。

宇喜田稲荷神社の参拝を終えて、東京メトロ東西線の西葛西駅に着いたのが12時40分ころ。
昼食は、次の目的地・浦安で摂ることにして東西線で移動することにしました。
浦安では、午後の時間だけで浦安市内の全ての神社を巡る予定です。
夜は、浦安名物の焼き蛤とビールで乾杯だ。