台東区で神社巡り(後編)~三筋から浅草橋方面に向かいながら神社との思わぬ出会いを求めていきます

神社巡りの前編では13の神社を巡りました。
後編では、浅草橋駅に向かいながら、更に神社巡りを続けていきます。

神社巡りでは、スマートフォンのgoogleマップを使い神社を探し回りながらい歩き回っています。
そのため、巡る順番が効率的でないところがありますが、ご了承ください。
その変わり、思わぬ出会いもある神社巡りになっています。

清川稲荷神社、梅森稲荷神社

清川稲荷神社、梅森稲荷神社の所在地:台東区三筋1丁目6−12

神社の塀のところに木の看板が出ています。木板が古く、ほとんど文字が読み取れません。
心の目も動員して、やっと「●●稲荷神社」「●●●●神社」の2社の名前が書かれているのが分かりました。
googleマップでは、「梅森稲荷神社」としか表示されない神社です。

こういう時は、google検索です。

清川稲荷神社、梅森稲荷神社

検索の結果、木板の右側に「清川稲荷神社」、左側に「梅森稲荷神社」と書かれていたことが判明。
昔の写真をネットにアップしていた方に感謝です。

ただ、清川の方は、この時点で滲みも出ていて「滑川」という説もある状態。
何枚も写真や動画で確認しました。2010年頃の映像だと「滑川」って読んでも可笑しくない感じ、2012年を過ぎたくらいから「清川」にしか読めなくなって、2014年を過ぎるあたりから判読不能に。

一応、当サイトでは多数派と思われる「清川稲荷神社」という表記にしておきます。

清川稲荷神社、梅森稲荷神社 社殿

由緒は全く分かりません。

焼け落ちた電柱

梅森稲荷神社の斜め前にあります。
東京大空襲で焼け落ちた電柱が、モニュメントとして保存されています。
案内の看板も出ています。

焼け落ちた電柱
焼け落ちた電柱

すごいインパクトのある存在です。戦争の怖さや悲惨さを、この一本の電柱が感じさせてくれました。

鳥越神社

鳥越神社の所在地:台東区鳥越2丁目4-1

かなり大きな神社です。
訪問時は平日のせいか、参拝者は私一人。境内では小さい子供を遊ばせる若いお母さん。カッパを着て銀杏を洗っている若い男性だけです。

鳥越神社は、Facebookで積極的に発信を行っている神社です。きっと若い宮司さんがいるんだろうなとは思っていましたが、なるほどね。

鳥越神社 鳥居
鳥越神社 鳥居

歴史のある神社なので、見どころがたくさんあります。
上の写真に写る社号の書かれた石柱には、「文部大臣 鳩山一郎」と書かれています。
ここから入って西参道に抜けるのがおススメ。私はコースの関係で西参道から入ってしまいました。

鳥越神社 社殿
鳥越神社 社殿

孝徳天皇白雉二年(651年)創建と伝えられ、白鳥明神として奉祀したのが始まり。
その後、鳥越大明神と改称したそうです。
鳥越神社には、関東大震災後に松平神社が合祀された関係で、関連する古いものが残されています。
松平神社は、蔵前にあった神社で寛永12年(1635年)に創建されました。徳川家康を祀った神社だったため、松平神社から移設された石灯籠には葵の紋が入っています。(西参道入り口にあるそうです。私は見落としました。)

鳥越神社の狛犬

身体はマッチョなのに、頭が小さい、珍しいデザインの狛犬です。
石工がへたくそで、こうなった訳ではなく計算ずくで作られている感じ。

鳥越神社の狛犬
鳥越神社の狛犬

ちゃんと、石工が名前を入れています。
昭和7年奉納、石工が八柳五兵衛。年代的には8代目 八柳五兵衛。大正の時代に秋田から東京に出てきて彫刻家を目ざしたと言います。石工という言い方は失礼ですね。狛犬の台座には「狛犬彫刻 八柳五兵衛」となっています。
9代目作の狛犬は、蔵前神社にあります。見比べるのも面白いかも。

鳥越神社の境内社 志志岐神社

藩主宗対馬守の屋敷にあった神社で寛永年間(1624~1645年)に対馬國下縣郡久田村の志々岐社を勧請したもの。昭和20年代に社殿を失ったようだが、平成13年に復興。鳥越神社の末社として鎮座。

志志岐神社
志志岐神社

鳥越神社の境内社 福寿神社

創建年は定かではないそうです。伏見稲荷辺りの山の途中にある福寿社よりの御分霊を祀ったと言い伝えられています。

福寿神社には、お稲荷さん以外にも、大黒天神・恵比寿神や天神様が祀られています。

福寿神社
福寿神社

お稲荷さんが主祭神なので、狛狐があったり鳥居や社殿が赤かったりしています。

甚内神社

甚内神社の所在地:台東区浅草橋3丁目11

甚内神社に着くと先客がいらっしゃいます。
初老のご夫婦ですが、私と同じ匂いがする方です。
案の定、この後巡る神社で何度も遭遇することになりました。

甚内神社
甚内神社

台東区教育委員会設置の説明書きが出ています。教育委員会の説明書きは読みやすいので助かります。

江戸初期に創建されました。創建当時は「甚内霊神」と呼ばれていたそうです。

幕府に捕まって処刑される時の一言で、こうして祀り上げられるって、有り得ない話。
幕府側にしたら反逆罪的な重犯罪人な訳で、良く甚内の名が付いた神社を作ることを許可したなって思います。絶対にヒーロー扱いしたくないだろうし。

甚内神社 社殿
甚内神社 社殿

「甚内霊神」は、鳥越処刑場に向かう途中の甚内橋の近くにありました。
甚内神社が先にあって、橋の名前が後からだそうです。

扇稲荷神社

扇稲荷神社の所在地:台東区浅草橋2丁目7−6

一目見て、個人所有の屋敷神と思ったのですが、見当違いに気が付きます。

幟旗には、扇稲荷神社奉賛会と名が入っています。
更に社殿の横には、御由緒書きまで用意されていました。

扇稲荷神社
扇稲荷神社

桑名藩松平家の江戸屋敷(上屋敷、中屋敷、下屋敷)の邸内に鎮座していたものらしい。
遷座の歴史みたいな話が続けて書いてあるのだが、私の理解を超えていて...。
いや、江戸屋敷(上屋敷、中屋敷、下屋敷)と、3択みたいになっているとこで理解力を超えました。

正確に理解できたのは、
関東大震災で社殿も御神体も失ってしまったが、御神霊は消滅しないと考え、昭和6年に再建した。
の部分のみ。理解力の無さが恥ずかしい。

圓福殿辨財天

圓福殿辨財天の所在地:台東区浅草橋1丁目33-6

ビル(マンション)の入り口に鎮座しているのが「圓福殿辨財天」。
屋敷神が、弁財天というのは珍しいと、お馬鹿なことを考えていました。
どうせ、圓福殿辨財天の由緒には辿り着かないだろうと...

圓福殿辨財天
圓福殿辨財天

驚いたことに、辨天湯というお風呂屋さんのサイトに、人づてに聞いた話として載っていました。

戦災で焼けてしまったそうですが、このあたりに池とお不動さんがあって弁財天が祀られていたそうです。戦後になって、古老が、どこからかは知らないが弁財天を持ってきて再建したのだとか。

以前は縁日が出たり、弁天講があったりしたが、廃れてしまい今は年に一回、お坊さんがお経をあげるだけだそうです。

辨天湯が先か、弁財天が先かは分からないようですが、辨天湯は創業100年以上と謳っています。

圓福殿辨財天は、googleマップでは神社マーク付きで表示されますが、ここに書いたように仏教系の弁財天です。

銀杏岡八幡神社

銀杏岡八幡神社の所在地:台東区浅草橋1丁目29−11

銀杏岡八幡神社は、JR総武線 浅草橋駅のすぐ近くにある神社です。
周辺は飲食店などの商店が並び賑やかな場所に鎮座していました。

場所柄か参拝者も頻繁にやってきます。

銀杏岡八幡神社
銀杏岡八幡神社

こちらの神社もFacebookで情報発信をするなど、今までにない取り組みをされる神社のようです。
アサクサバシフードフェスティバルもそのひとつ。コロナが収まったら、是非、フードフェスティバルにも足を運んでみたいです。

銀杏岡八幡神社 拝殿
銀杏岡八幡神社 拝殿

平安時代の康平5年(1062年)に創建。
源義家が奥州征伐へ出向く途中、この地で、銀杏の枝を地面に刺し勝利を祈願した。
戦いに勝利し戻るとき、銀杏の木が生い茂っているのを見て神恩を感じ、八幡宮を勧請したという逸話がある。

銀杏岡八幡神社の狛犬

平成の時代に奉納されたらしいマンガチックな狛犬が鎮座しているのだが、私が注目したのは、それとは別の狛犬。対ではなく1匹だけで鎮座。
古そうな雰囲気に、何かを感じてシャッターを切った。

銀杏岡八幡神社の狛犬
銀杏岡八幡神社の狛犬

ネットの情報によれば、文化11年(1814年)の奉納らしい。(奉納年を確認し忘れました)

銀杏岡八幡神社の境内社 此葉稲荷神社

此葉稲荷神社は「このは いなりじんじゃ」と読むそうです。
Facebookによると、宮元町会地区をお守りする神様だそうです。

銀杏岡八幡神社の境内社 此葉稲荷神社
銀杏岡八幡神社の境内社 此葉稲荷神社

此葉稲荷神社の鳥居の横には祠が2つあります。
名も無き祠なので、調べようがありません。

銀杏岡八幡神社の境内社 小祠
銀杏岡八幡神社の境内社 小祠

第六天 榊神社 (だいろくてん さかきじんじゃ)

第六天 榊神社の所在地:台東区蔵前1丁目4-3

榊神社は、大六天社の総本宮になります。
大きな神社ですが、公式ホームページがない上、境内の由緒書きは至ってシンプルです。

第六天 榊神社
第六天 榊神社

境内の説明書きは、
御鎮座:景行天皇御字四十年 日本武尊御創祀
と僅か16文字。

「景行天皇40年(西暦110年)に日本武尊が創建」。つまり古すぎて良く分からないと理解しました。
創建については諸説色々あるようなので、とにかく古いんだくらいの気持ちで聞くのが良いでしょう。
また、大六天社の総本宮に関しても諸説あります。とにかく古いんだ...(以下同文)

かつては、鳥越神社の広大な社地にあったといいます。その時代は、鳥越神社が本社、大六天社が末社の関係だったそうです。

第六天 榊神社 拝殿
第六天 榊神社 拝殿

江戸時代は大六天社と称していました。明治6年神仏分離により、榊神社と改称しました。
現在地に鎮座したのは、昭和3年。
境内には明治14年まであった官立図書館「浅草文庫」跡の碑がある。

享保4年(1719年)から昭和3年までは、柳橋にある篠塚稲荷神社の左隣あたりに鎮座していた。

第六天 榊神社 狛犬

良い感じの狛犬が拝殿前と西参道の2か所に鎮座しています。
西参道側の狛犬は、奉納年が入っていて昭和15年であることが分かりました。

第六天 榊神社 拝殿前の狛犬
第六天 榊神社 拝殿前の狛犬

拝殿前と西参道前の狛犬はデザインが一緒に見えますが、奉納年が異なるそうです。
狛犬マニアの方に言わせると、大正から昭和の初めの頃の狛犬に良いものが多いのだそう。
拝殿前の狛犬は左右で尾の形が違うとか。西参道前の狛犬の胴の方がほっそりしているとか。そんな細かなところを見て楽しむのが通らしいです。

第六天 榊神社 西参道前の狛犬
第六天 榊神社 西参道前の狛犬

第六天 榊神社の境内社 七福稲荷神社

鳥居をくぐった先には2つの祠があります。
手前側が、七福稲荷神社の祠です。
御利益や祭神などの説明書きがないので、それ以上は不明。境内社によくあるパターンです。

七福稲荷神社
七福稲荷神社

第六天 榊神社の境内社 豊受神社、事比羅神社の合殿

豊受神社は、豊受姫大神が御祭神なのでしょうか、事比羅神社は、大物主神が御祭神なのでしょうか。

第六天 榊神社の境内社 豊受神社、事比羅神社の合殿
第六天 榊神社の境内社 豊受神社、事比羅神社の合殿

第六天 榊神社の境内社 繁昌稲荷社

商売繁盛を願っているお稲荷さんかな。柳橋にあった時代からあるのでしょうか?

繁昌稲荷社
繁昌稲荷社

浅草橋 須賀神社

浅草橋須賀神社の所在地:台東区浅草橋2丁目29−16

第六天 榊神社を出て、石原稲荷に向かう途中で、2社、立ち寄り忘れていることに気が付きました。
既に浅草橋の駅を過ぎたあたりでしたが、戻ることにしました。
皆様は、銀杏岡八幡神社の参拝後に、浅草橋須賀神社→加賀美久米森稲荷神社→第六天 榊神社と巡る方が効率的です。

浅草橋須賀神社
浅草橋須賀神社

境内が駐車場になっています。出入りは鳥居のところからするようです。トラックの荷台が鳥居を擦らなければ良いのですが...

浅草橋須賀神社 拝殿
浅草橋須賀神社 拝殿

社殿では、創建年は推古天皇9年(600年)。江戸名所図会など複数の記録では天暦年間(947~957年)なので創建年は不詳と表記した方が良いかもしれない。

江戸時代には、牛頭天王社、祇園社、蔵前天王社、団子天王社と呼ばれていた。
明治になり神仏分離で、須賀神社と改称しました。

社殿は戦災で焼失、昭和36年に再建。(現社殿となっている)

須賀神社の狛犬

社殿の前に鎮座する狛犬は、大量生産品の匂いがするのでパス。
境内の片隅に1匹だけで鎮座する古そうな狛犬を発見。銀杏岡八幡神社と同じパターンです。
残念ながら、トラックがジャマで、これ以上狛犬に近づけません。

ネットの情報によれば、江戸中期の延享元年(1744年)奉納だそうです。

須賀神社の狛犬
須賀神社の狛犬

驚いたのは、1年前の写真にも同じ車が駐車していたこと。平日の午後に稼働していない商用車って、何の商売をしているのだろう。浅草橋と言えば、問屋街だが。

加賀美久米森稲荷神社

加賀美久米森稲荷神社の所在地:台東区浅草橋3丁目16-8

何やら歴史のありそうな稲荷神社ですが、由緒書きが出ていません。(社号の掛かれた石柱の裏面に書かれているそうです。私は見落としました。)
稲荷神社の長い名前も「加賀美」「久米森」と並べて書いているあたりに興味が湧いてきます。
そういう時は、ネットに頼ることにしています。

加賀美久米森稲荷神社
加賀美久米森稲荷神社

「加賀美」の方は、猿回しの加賀美太夫の屋敷神「加賀美稲荷」。
「久米森」の方は、猿回しの久米森太夫の屋敷神「粂森稲荷」。

後に、小島屋西之助の持地になったため、合祀したのだそうです。
ところで、この2人に関する逸話には2説あります。祈祷により将軍の病気を治したという話と、馬の病気を治すと武家の間で評判だったという話。

鳥居の右横に、古そうな石柱が2本立っています。
見た感じだと折れた鳥居。年号は天保5年(1834年)と読めます。
古いことは分かりましたが、それ以上分かりません。先に進むことにします。

石塚稲荷神社

石塚稲荷神社の所在地:台東区柳橋1丁目1-15

石塚稲荷神社には由緒書きは設置されてません。
でも、直ぐに、何の関係のお稲荷さんか分かります。

門柱に「柳橋藝͡姑組合」「柳橋料亭組合」とあります。
柳橋といえば花街で有名だった場所。現在は、その面影がありませんが、このお稲荷さんに少しだけ残っているようです。

石塚稲荷神社
石塚稲荷神社

神額に、火伏神「石塚稲荷神社」とあります。

柳橋芸妓組合は、1999年に解散。いま、この街には芸者さんや芸子さんはいません。

石塚稲荷神社 社殿
石塚稲荷神社 社殿

奉納者名に、芸者さんや芸子さんの名前がずら~と並んでいます。
こちらの石塀ですが、道路側(表から見えるところ)には料亭の名前。境内の方は芸妓さんにしているようです。若干例外がありそうですが...

石塚稲荷神社 奉納者
石塚稲荷神社 奉納者

篠塚稲荷神社

篠塚稲荷神社の所在地:台東区柳橋1丁目5-1

御由緒が書かれた石碑があります。
柳橋ぶらぶらMAPというチラシが置いてあったので1部いただきました。

篠塚稲荷神社
篠塚稲荷神社

柳橋は江戸時代中期から花街として賑わった場所です。先ほどの石塚稲荷神社のような花街に関係するお稲荷さんなのでしょうか?

由緒書きを見ると、
創建年は不明。正平年間(1346~1356年)に篠塚伊賀守重廣がお家再興を祈願したことから篠崎稲荷大明神と言われるようになったとあります。御祭神は倉稲魂命。

御府内寺社備考では、御祭神が咜枳尼天と仏教系のお稲荷さんなんです。確かに石碑の方でも、篠塚伊賀守重廣が出家したと書かれてました。明治の神仏分離で御祭神を変更したのでしょうか。

篠塚稲荷神社 社殿
篠塚稲荷神社 社殿

ゴールは、浅草橋駅

後編では10の神社と、1つの弁財天を巡りました。
前編では13の神社を巡りましたが、前後編合わせ2万歩、時間にして4時間ほどで巡れます。

浅草橋駅近隣の飲食店は、サラリーマン相手のお店が多いので、リーズナブルな価格で美味しいものが食べられるお店がいっぱいあります。ランチや夕食にいかがですか。

前編はこちら(蔵前から巡り始めて元浅草や寿あたりを歩いています)