両国駅からプラプラ散策をした後、蔵前橋を渡って台東区入りしました。
蔵前橋を渡って少し進むと、蔵前の由来が書かれた看板がありました。
「昔は本当に蔵があったんだ。どれくらいの米を貯蔵していたんだろう」とか思いながら、神社巡りを始めます。
前編では、蔵前から回り始めて寿や元浅草といった場所で神社巡りをしています。
揖取稲荷神社 (かじとりじんじゃ)
揖取稲荷神社の所在地:台東区蔵前2丁目2−11
揖取稲荷神社は「かじとり いなりじんじゃ」と読みます。つい「いぼとり」と読みたくなりますが違います。
慶長年間に蔵前に、コメの貯蔵庫を幕府が作ります。
貯蔵庫建設に必要な石を熊本から運んできたのですが、遠州灘で海難事故が頻繁に起きます。
ある時、稲荷の神の示現を得ると、海難事故が収まりました。
米蔵ができた後、その中に稲荷を祀ったのが、揖取稲荷神社の始まりです。
「商売繁昌」、「火防の神」として信仰を集めたそうです。
ん? 水難防止じゃないのかい。って、ひとりで突っ込みしておきました。
狛狐では良くある金網で防御された状態で鎮座。
狛狐を削り取って財布にでも入れようという不届き者が多いのでしょうか。
御利益があり過ぎるのも、大変です。
「揖取稲荷神社」と書かれた石柱は、上部がぽっきり折れています。裏を見ると奉納年が書かれている部分の内、「年」より上の部分が失われたことが分かります。
古い鳥居の一部を保存しているようですが、何の説明書きもないので良く分かりません。関東大震災で折れたのでしょうか。
藏前神社 (くらまえ じんじゃ)
藏前神社の所在地:台東区蔵前3丁目14−11
蔵前神社ではなく、藏前神社と書きます。
Webの世界では扱いが難しい環境異存文字「藏」をtitleタグに使ったため公式ページの検索結果が残念なことになっています。誰も教えてあげなかったのでしょうか。
藏前神社は、頻繁に参拝客が訪れる人気の神社です。
元禄6年(1693年)、徳川綱吉が京都の男山にある石清水八幡宮を勧請したのが始まりです。
正式な社号は石清水八幡宮でしたが、「蔵前八幡」や「東石清水宮」と呼ばれていたそうです。
明治11年に「石清水神社」に改称するも、明治19年には「石清水八幡宮」に戻します。
昭和26年、「藏前神社」と改称しました。
藏前神社の狛犬
公式ホームページ詳しく掲載されてました。一部を引用させていただきます。
昭和30年に奉納されたもの。台座部分は損傷が激しかったため、平成22年に台座を交換。
狛犬は、「九世八柳五兵衛」作。
元犬 (もといぬ)
もう、この犬の像にくぎ付けです。像のモデルになった犬がいます。当時4才の「ナナちゃん」。
犬の像を見た後、落語の「元犬」の噺を聴いてみましょう。
「元犬」の噺は、蔵前の八幡様で願いを叶えて、人間になった犬が巻き起こす珍騒動の古典落語。
こちらの藏前神社が舞台となった物語です。物語では「ナナ」ではなく「シロ」ですが...。
見るなら、この角度がおススメ。まるで「シロ」から願いを掛けられている気分に。
力持 (ちからもち)
文化年間後期から文政年間に掛けて素人の力持ちを称える文化がありました。
この写真にある3枚の錦絵は、奉納力持の記念で書かれたものだそうです。
奉納力持の舞台になったのが、蔵前八幡宮(現在の藏前神社)でした。
藏前神社 南側の参道にある鳥居
揖取稲荷神社の方から歩いてくると、最初のこの鳥居に気が付きます。
私は不覚にも、ここから入ってしまい仕切り直ししました。
藏前神社の境内社 福徳稲荷神社 (ふくとく いなりじんじゃ)
特に由緒書きもありません。ここに鎮座した経緯とかあると嬉しいのですが...
駒形諏訪神社
駒形諏訪神社の所在地:台東区駒形1丁目4−15
達筆で由緒書きが出ています。由緒書きが長文でしかも江戸絵図から抜きだした絵まで付いた力作です。
覚悟をして読みましょう。
以前境内に掲載されていた由緒とは若干違う文面に変更されてます。変更の理由は分かりませんが...
なぜかブロック塀のところに郵便受けがあります。宮司さんのお宅があるようには見えないのですが。
創建年は不明。
「承久の乱の後信濃国諏訪郡小日村の神主が諏訪大社の御分霊を当地に奉斎したのに始まる」との言い伝えがあるそうです。(以前はあった”「後冷泉天皇の御世である」と云われ”の部分が削除されました)
当地は現在、駒形となっていますが、江戸時代以降、諏訪町と呼ばれてきました。
駒形諏訪神社の境内社?
小さな祠が境内にありました。境内社なのでしょうか。
氏子さんの家にあった屋敷神という答えになりそうな気がしますが、木とブロック塀の間にピタッとはまっています。
バンダイ本社前のドラえもん
バンダイ本社前を曲がって、黒船稲荷神社に向かいます。
バンダイ本社の前には、人気キャラクターたちがずらりと並んでいます。
「ヒーローもの」も良いですが、やっぱり「ドラえもん」だな。
のび太やドラえもんがピンチになると友達のジャイアンやスネ夫が助けにやってくるシーン、ワンパターンな展開なのに、何度、涙を流したことか...。(映画の話しです)
黒船稲荷神社
黒船稲荷神社の所在地:台東区寿4丁目3−1
黒船稲荷神社に到着早々、妙に歴史を感じさせる空気が流れてくることに気が付きます。
境内を見渡しますが、由緒書きは出ていないようです。
仕方がないのでネットで情報を探ります。
創建は天慶3年(940年)と伝えられているとのこと、
江戸時代は黒船三社稲荷社と呼ばれていたことが分かりました。
社殿の前にある石灯籠に安永2年(1773年)と奉納年が入っています。
古そうなものが他にもあります。
黒船稲荷神社の狛犬
奉納年や石工の名前が分かるようなものはありません。
ただ、私のような素人にも、良いものだと伝わってくる狛犬です。
ネットで、嘉永7年(1854年)建立、石工が飯嶋吉六と書いている方がいました。
私が見落としたようです。
いろいろ調べると面白いことが分かるもので、昔の写真に写っていないとか、縄張りがあるので横浜鶴見の石工は江戸御府内御府内の狛犬は手掛けられないとか...
狛犬マニアの方の調査力にはびっくり。また、ひとつ勉強になって良かったです。
ここに鎮座している狛犬は昭和50年以降に、別の場所から移設されてきたそうです。
黒船稲荷神社の手水鉢
奉納年が入っています。寛政7年(1795年)です。
黒船稲荷神社の石柱
石柱の上の部分は近年切り取られ、ここに飾られたように見えます。
鳥居の一部でしょうか。
年号があります。寛文11年(1671年)造立、寛永3年(1626年)再建。どういう意味でしょうか。
それにしても、なぜ黒船稲荷神社には、こんなに年代物が揃っているのでしょうか。
本社 三島神社
本社三島神社の所在地:台東区寿4丁目9−1
2階が社殿の神社です。
1階は駐車スペースのようですが、クルマは確認できません。近所の小学生たちが、この場所を抜け道にしているのか一階の暗いところから出てきました。
台東区には、こちらの神社の他にも三島神社という名の神社があります。厄介なので本社付きの三島神社として紹介することにします。
境内には由緒書きはありません。
さて、まずは台東区にある三島神社を紹介しておきます。
ひとつ目が、台東区下谷にある「三島神社」。
ふたつ目が、台東区根岸にある「元三島神社」。
そして、ここ「本社 三島神社」。
この3つは全部ルーツが一緒。
三島神社が遷座する都度、その地に氏子が出来て、社を増やしていったと言います。
弘安4年(1281年)、三島大明神を勧請して上野山(現在の上野恩賜公園)に創建。慶安3年(1650年)に金杉村(現在の台東区根岸)に遷座。宝永7年(1710年)、現在の場所(台東区寿)に遷座した。
金杉村字金杉町の氏子が分霊を勧進したのが、台東区下谷にある「三島神社」
金杉村字根岸の氏子が分霊を勧進したのが、台東区根岸にある「元三島神社」。
本社三島神社の狛犬は、中国獅子
2階に上がって目が行くのは、狛犬ならぬ中国獅子。
中国獅子を目にする機会がなかったので、じっくり観察させていただきました。
こちらの中国獅子が作られた時代や、狛犬ではなく中国獅子となった理由など知りたいことは一杯あったのですが、何一つ分からず仕舞い。
石稲荷大明神、髪稲荷大明神
変わった名前のお稲荷さんです。「石」とか「髪」とかに関係する職業ってなんだろう。
神額には昭和49年 大島屋と奉納者が書かれています。
寿4丁目には大島屋株式会社というベアリングの製造販売をしている会社があるようです。
こちらが奉納者なのでしょうか。「石」とか「髪」に結びつく商売ではなさそうだし...
無事冨稲荷大明神
無事冨稲荷大明神の所在地:台東区浅草1丁目14−2
浅草のアーケード街から脇道に逸れたところに、無事冨稲荷大明神はありました。
メイン通りではない場所ですが、周囲は飲食店だらけです。
平日だし、外国人観光客が来ない浅草の町は、飲食店にとっては厳しいようです。
ランチ営業の客引きが、期待に満ちた目で、こちらを見ています。
由緒書きはありません。
「無事」と「富」を得るという願い事を社名にしたのでしょうね。
手洗稲荷大明神
手洗稲荷大明神の所在地:台東区浅草1丁目14−8
無事冨稲荷大明神の直ぐ近く、徒歩30秒くらいでしょうか。
路地裏も路地裏のごちゃっとした場所に手洗稲荷大明神は鎮座していました。
こういう路地裏がちょっと苦手。
店先と近いせいか、店の中から刺すような視線を感じて変な汗がでてきます。
立派な鳥居に期待が高鳴りますが、門が閉まっていて入れません。
社殿も鳥居を入った先を左に曲がったところにあるため、その姿を拝むことも叶いません。
熊谷稲荷、吉見稲荷(本法寺境内)
本法寺の所在地:台東区寿2丁目9−7
お寺さん(本法寺)の塀一面に奉納者名が刻まれています。赤い文字で目立つ上に、そこにあるのは、「落語協会」「小咄を作る会」「末廣亭」「日本文化放送」「日本放送協会」「ラジオ東京」など
もうこれは寄っていくしかないでしょう。
こちらのお寺さんの正式名称は「日蓮宗 長瀧山 本法寺」。
落語協会を始めとする業界の方から寄進が多い理由は、境内にある「熊谷稲荷」「はなし塚」「お伽丸柳一の碑」で知ることができました。
熊谷稲荷
江戸中期に朝倉の武将「熊谷安左衛門」が、菩提寺である本法寺に勧請した稲荷社です。
狩猟の折に狐の命を救い、その後幸運に恵まれたことから、熊谷稲荷を創建したそうですが、祀られているのは、白狐。
白狐は、信心深い人にしか見えないのだそうです。疑い深い私には一生見えそうもありません。
江戸時代から人気のあった稲荷社だったそうですが、明治、大正、昭和という時代に掛けて、芸界や花柳界に信仰が篤かったそうです。境内には「はなし塚」など落語界に由来するものもあります。
吉見稲荷
徳川幕府の茶碗用達町人「高原平兵衛」の屋敷にあったのが吉見稲荷です。
本法寺は、明暦2年(1656年)に江戸の大火で焼失、再建したのが「高原平兵衛」の屋敷があった場所でした。
境内に吉見稲荷があったため、本法寺が引き継ぐことになったそうです。「高原平兵衛」の屋敷神として鎮座したのは今から600年ほど前。熊谷稲荷を本法寺に勧請する前からあるお稲荷さんです。
このお寺さんの近くに美味しそうなケーキ屋さん(洋菓子レモンパイ)がありました。
神社巡りの途中だったので、買えなかったことが心残りです。
後で調べると土曜日は予約販売のみ、平日もあればラッキーくらいの人気店だそうです。
折角、白狐がチャンスをくれたのに生かせませんでした。
稲荷社(個人持ち)
稲荷社の所在地:台東区元浅草3丁目19−9
オフィスビル(M.I BLDG)の敷地に鎮座しています。
googleマップ上は「稲荷社」の表示です。
孫三稲荷神社の近くを丹念に探していただければ見つけられると思います。
祠には、2つの御神札が結ばれています。
2つとも同じもので「伏見稲荷大社商売繁昌御守護」と書かれています。
孫三稲荷神社 (まごぞう いなりじんじゃ)
孫三稲荷神社の所在地:台東区元浅草3丁目19
小さな神社ですが、台東区教育委員会が設置した由緒書きが出ています。
石碑の方にも由緒書きありますが、教育委員会の方が分かり易く書かれてます。
天正十八年(1590年)に関東入国の際、家康の命により駿河國安倍川(静岡県静岡市域を中心に流れる一級河川)の鎮守「孫三稲荷」を神体ごと川村某の手により江戸にもたらされ、慶安年中(1648~52年)に当地へ遷座したそうです。
このあたりは、そういった経緯で「安倍川町」と称していた。
関東大震災、戦災で記録や社殿は失われたが、昭和26年に町会によって再建された。
廣澤稲荷社(広沢稲荷神社)
廣澤稲荷社(広沢稲荷神社)の所在地:台東区寿3丁目5−9
都営大江戸線 蔵前駅に近い場所に、廣澤稲荷社がありました。
町会が設置した由緒書きが出ています。
神額に書かれた神社名は「廣澤稲荷社」ですが、町会の看板では「広沢稲荷神社」となっています。
このため当サイトでは、両方の表記を併記します。
由緒書きから引用
広沢稲荷神社は語り継がれる処に依りますと「宇迦之魂神」を祭神とし古くは田原町(旧町名、千束郷広沢新田のうち紙漉町部分を改名)あたりに鎮座されたのを浅草寺門前町の発展に伴い当時佐倉藩堀田家の屋敷の馬場の一隅の現在地に移転されたといわれます。鎮座されて以来町民先達に依り厚く守護され本日迄町内安全、火防の神様としてお守りを頂いて居ります。
上記の文面からすると、江戸時代に遷座して来たようです。「屋敷の馬場の一隅」という扱いは、どういう意味合いなのか知りたい。
吾右ェ門稲荷
吾右ェ門稲荷の所在地:台東区蔵前4丁目32
googleマップを頼りにして、たどり着いたのが「吾右ェ門稲荷」です。
残念ながら、門が閉まっていて入れません。
普通だったら、個人持ちのやつね、スルーとなるのですが、「吾右ェ門」という名前が気になって、周囲をウロウロしてみました。
お神酒がお供えされてます。誰かが定期的にお参りしている様子が伺われます。
結局、グルグル回っただけで、何の手掛かりを得ることもできないまま退散。
門は閉まっていましたが、鍵は掛かっていない状態。境内に入って撮影する方もいるようですが、私有地ぽいので入るのは遠慮した方が良いです。
尚、神社データベースとも言える某有名サイトは、こちらの神社を「宗右エ門稲荷神社」と紹介しています。
単なる誤字なのか、昔は「宗右エ門」だったのか。
謎の神社なんだから、これ以上、謎を増やさないでと言いたい~。
二守稲荷神社
二守稲荷神社の所在地:台東区蔵前4丁目21−5
路地裏に入り、小さな住宅が並ぶ一角を歩いて行くと「二守稲荷神社」がありました。
家と家の隙間に挟まるように鎮座しています。
googleマップでは「三守稲荷神社」と表示されます。
ネットでは、ここを「二守稲荷神社」としている方が多数。
その理由は、もう何年も神額の上が壊れていて「二」か「三」か判らなくなっているからです。
既に木製の鳥居は傾き、ブロック塀も心なしか倒れかけています。
祠の前には、ゴミ袋がふたつ、不法投棄されたスーツケースがひとつ。
完全に管理放棄されていると思った瞬間、祠の前にお供えがあるのに気付きます。
そう、こんな状態でもお参りされる方はいるんですね。
ところで、私的には「二守」でも「三守」でも良いです。どっちにしても、何も分からないので。
後編へ続く
後半の神社巡りは、JR総武線 浅草橋駅周辺の神社を訪ねて回ります。