立石の帝釋道を歩いてみる

帝釋道と帝釋道枝道を歩いてみました。
今回歩いた場所は、葛飾区立石と高砂です。

江戸時代(18世紀末)ころから、帝釈天が信仰を集めるようになり「柴又帝釈天」として人々が集まるようになりました。参拝客が増えたことで出来た道の一つです。

帝釋道を歩いてみる

「帝釋天王」の道標
「帝釋天王」の道標

スタート地点は、立石道(旧道)にある「帝釋天王」の道標です。
道標としては、不親切。距離の表示もないし、右とか左とかも書いてません。
しかも、表記は「帝釋天」じゃなくて、「帝釋天王」です。

同じ位置の写真を少し引いて写したのが、下の写真です。

帝釋天道
帝釋天道

写真の左下から右に向かう道が中川沿いを通る立石道(旧道)です。
江戸の方から歩いてくると、道路の左側に道標が見えます。ここを左に曲がると帝釋道と呼ばれる「帝釈天」へとつながる道になります。

ここで曲がらず、さらに立石道を進むと「帝釋道枝道」と呼ばれる道との分岐があります。

最初は、この「帝釋道」を進んでいきます。

帝釋道
帝釋道

途中で「立石様」や「立石熊野神社」が見えますが、今回は寄らずに前に進みます。

旧道らしさを、緩やかに右に左にカーブしながら進んでいくところに感じます。
5分ほどで、中川とぶつかるところに到着。このあたりに諏訪野渡しがありました。

中川
中川

中川は護岸工事中のため、工事の幕が張られています。しょうがないので、幕の隙間から写真を撮りました。対岸は、中川と新中川が分岐する高砂の町です。後で、対岸にも行ってみます。

帝釋道枝道

一旦、「帝釋道」の出発点に戻ります。そこから立石道(旧道)を東に進みます。

帝釋道枝道
帝釋道枝道

道路の角に大きな木と「とげぬき地蔵」が見えたら、そこが「帝釋道枝道」への分岐点です。ここは、少し高台になっていました。
このまま、まっすぐ進めば、立石道の「新渡し」です。
左に曲がって、「帝釋道枝道」を進んでいきます。

帝釋道枝道
帝釋道枝道

先ほどの「帝釋道」よりも直線的に進む道で、旧道らしさはあまりありません。
程なくすると中川とぶつかります。そのまま中川沿いに行くと、先ほどの「帝釋道」と合流しますが、枝道の方はそのまま川沿いを進みます。高砂橋のあたりの「曲金渡し」で中川を渡るルートですが、今日は、「帝釋道」と合流したところで引き返し、奥戸橋を渡って対岸に向かいました。

諏訪野八幡神社(葛飾区高砂)

諏訪野八幡神社の所在地:葛飾区高砂1丁目18-1

諏訪野八幡神社は、高砂八幡神社とも言うそうです。

諏訪野八幡神社
諏訪野八幡神社

諏訪野の渡しを渡ってきたあたりにあった神社です。「諏訪野」の集落の氏神だったと言われています。
比較的新しい建造物のようです。
明治の地図と見比べると、中川の拡幅工事で、こちらに移転しているようにみえます。

赤と白のコントラストに黄色が鮮やかな賽銭箱。さらに紫のポールと色彩に目を奪われます。

謎 (高砂阿弥陀堂 南葛八十八箇所霊場 第三番札所)

googleマップ上で「高砂阿弥陀堂 南葛八十八箇所霊場 第三番札所」と表示される場所です。門には、外から南京錠が掛けられ中に入ることはできません。
民家のような建物とお墓のようなもの数基、祠のようなものがひとつあります。

謎です。

水神社(葛飾区奥戸7丁目)

水神社の所在地:葛飾区奥戸7丁目19

水神社
水神社

環状七号線のすぐ横にある水神社です。
明治の地図を見ると、この辺り一帯は、湿地だったようです。
また、湿地帯にも関わらず「新渡し」や、それに繋がる道もありました。
中川の急カーブの外側ということで、氾濫も多かったかもしれません。

水神社 祠
水神社 祠

小さな祠があります。
境内には石碑もありましたが、奥戸橋建設の経緯が書いてあるものでした。