江戸川区の新堀に行く用事があり、神社巡りをしながら散歩してきました。
謎の多い神社や史跡がゴロゴロと出てきました。
新堀日枝神社(江戸川区新堀1丁目)
新中川側の道を歩いてきたので、鳥居のところまで大回りすることになりました。
新堀日枝神社は、新堀村の鎮守だったそうです。
古い地図を見ると、新堀村の端の田畑に囲まれた場所でした。
村の規模も大きくなかったこともあり新堀という地名は一回消滅したことがあります。
現在は「にいぼり」と読みますが、消滅前の時は「しんぼり」だそうです。
新堀村(しんぼりむら)となる前は、荒張村だったという有力な説があります。「荒張」とは新しく開墾された土地という意味だそうです。
神社の左となりには小高い丘のようになっていて公園があります。
そのため、うっそうとした木々や、妙に湿気のある境内が印象に残ります。
最初の鳥居をくぐると、狛犬、二の鳥居、灯篭、社殿と続いています。
左側の狛犬は子犬の頭を押さえつけていますが、「子孫繁栄」の意味がある「子取り」
左側の狛犬は毬の頭を押さえつけていますが、「家運隆盛」の意味がある「玉取り」
社殿は新しそうです。
「新小岩香取神社に連絡してね」という地元でよく見かける看板です。
電話番号が語呂合わせになっていますね。
西中稲荷神社(江戸川区鹿骨5丁目)
「西中稲荷神社」にも寄ったのですが、あまりに衝撃的だったので写真も撮らず、スルーしてしまいました。(後日、撮影したので追加しておきました)
鳥居が無ければ、神社とは気付けない近代の神社という感じです。
稲荷神社だけど、鳥居は赤くありません。
かつてこのあたりは鹿骨村でした。「西中」という地名(字名)は、江戸川区の資料を探しましたが出てきません。明治の地図上では、村の西に位置しているので「西中」という字名があっても変ではないのですが...
自治会の名前に昔の名称が残っている場合もあるのですが、この地区の自治会名は「鹿骨5丁目町会」でした。残念。
結局何もかも謎の神社です。
ヒントは
江戸川区立図書館のデジタルアーカイブスに収容されている明治13年「市川駅」の地図。
その地図に、現在地とほぼ同じ場所に神社マークがあります。
新編武蔵風土記稿の鹿骨村の項には、現「鹿骨香取神社」の末社として稲荷神社があったとの記載があります。鹿骨地区で現存する稲荷神社はここだけです。鹿骨香取神社の本殿裏に境内社として稲荷神社がありました。境内末社の稲荷神社も調査した方が良さそうです。
隣のビニールハウスも含め、近隣には、まだ畑をやられている農家があります。
ある方のブログで2009年撮影の西中稲荷神社の写真が掲載されてました。赤い鳥居、昭和か大正時代の建設と思われる瓦屋根の社殿(社殿の入り口に下駄箱のようなものがあります)。建て直されたのは、2020年までの10年の間ということが分かりました。
馬頭観音と石碑(江戸川区鹿骨5丁目11)
西中稲荷神社のある一角を半周ほどすると、農地の一角に2つ石碑があります。
小さい方の石碑には「馬頭観音」、大きい方は、文字の大半の部分が剥げ落ちていて読むことが出来ませんが、奉納者の名前(夫婦)が読み取れます。
土地の持ち主が建てたようですが、謎です。
三之宮胡録神社(江戸川区鹿骨5丁目15)
西中稲荷神社の近くに、更に衝撃的な神社を見つけます。
人の家の神社かもという疑念はあります。
でも、ちゃんと、神社の名前「三之宮 胡録神社」を刻んだ石柱もあるんです。
祠は古そうですが、石柱は新しそうです。
江戸川区史を調べましたが、鹿骨の字名に「三之宮」はなさそうです。
また一つ謎の神社が増えてしまいました。
ヒントは、
新編武蔵風土記稿の鹿骨の項で、「密蔵寺」持ちで「大六天社」があったとの記述があります。「密蔵寺」はここから100mほどの場所です。「大六天社」が「胡録神社」に改称するパターンは見たことがあります。良い推理だと思うのですが...
残念ながら全部外れ!
この三之宮胡録神社の近くに、「一之宮日枝神社」や「二之宮須賀神社」がありました。
全部同じパターンで! 早急に調査し直しです。
中曽根天祖神社(江戸川区南小岩4丁目)
小岩五中通り商店街から一本入ったところにあるのが、「中曽根天祖神社」です。
木々に囲まれた歴史ある神社です。
鳥居の横に立派な石碑が建っています。
この神社は、狛犬がいません。
少し判り難いですが、竜の彫り物がされた立派な拝殿です。
さらによく見ると竜の木彫りがある両端に狛犬のようなものも彫られています。
鳥居の横にある石碑の裏に、由来のようなものが書かれています。
昼でも暗い境内なので、そこに書かれた文字が殆ど読めません。
読める範囲で理解できたのは、
当地「中曽根」はかつて「中曽裲」と呼ばれていた。平安の末期、豪族葛西氏の領地であった。領主は敬神の念厚く、伊勢皇大神の小祠を建立した。当社も鎮守として里人の崇敬を集めたが、戦国時代に荒廃した。(享保拾七巳年?)島田弥左衛門他によって再建された。
「島田弥左衛門」をgoogleで検索すると、南葛飾郡小岩村元下小岩の豪農で、東京府会議員。1892年に衆議院議員選挙に東京11区で立候補し落選であったことが分かる。
但し、石碑に書かれた年号は、明治より100年以上前。謎である。
ネットの情報によれば、このあたりは室町時代には中曽根村だった。その後、下小岩村字中曽根耕地となったようだ。
南小岩諏訪神社(江戸川区南小岩4丁目)
中曽根天祖神社から100mも離れていない場所に、もうひとつ神社があります。
商店街から信用金庫に向かう途中にあるのが、「南小岩諏訪神社」
地元民でありながら、この神社の存在を知ったのは、今日が初めて。驚きしかないです。
いつものように新編武蔵風土記稿を調べても、南小岩諏訪神社はでてきません。
どうやら、昭和になってから創建された神社らしいのですが、詳細が分かりません。
また、謎が多い神社を見つけてしまいました。
毎年9月に地域まつりと例祭が行われているという情報しか見つけられなかった。
境内には、石碑がありますが、文字の部分がボロボロでこの石碑がいつ建てられたかが分かりません。内容は、本殿や鳥居を奉納した方の名前が刻まれています。多分、今の綺麗な本殿(平成の終わりの頃に改修工事がされた)ではなく、その前だと思います。
青面金剛塔(江戸川区南小岩4丁目)
江戸川区立南小岩小学校の角にあります。
今頃になって、存在に気が付きました。
詳しいことは分かりません。
この場所に、小学校ができたのは1960年代。
どれくらい前のものかも分からないですが、小学校ができる以前からあったのでは?