京成線の京成立石駅を出発して、四つ木駅をゴールとする神社巡りです。
京成立石駅は、いま再開発の真っ最中。
駅南側のアーケード街に面白い店が多数あり紹介したいのですが、今回は北側を攻めていきます。
とは言え、京成立石駅の近くの神社で、まだ参拝していないのは、梅田稲荷神社だけです。
梅田稲荷神社を起点に、宝町、堀切、四つ木といった地域の神社を見て回ります。
梅田稲荷神社
梅田稲荷神社の所在地:葛飾区立石4丁目31−3
京成立石駅からは、googleマップを頼りに梅田稲荷神社に向かいます。
歩くこと5分、住宅街の中に梅田稲荷神社は鎮座していました。
妙に太いしめ縄が付いた鳥居をくぐって、境内に入ります。

境内にあるのは、鳥居、手水舎、社殿、御神木、造営奉納者御芳名の石板のみ。
御朱印が欲しければ、熊野神社に来るように書かれた張り紙があります。
由緒書きがありません。いつも通り、ネットを駆使して御由緒を調べていきます。

まず、造営奉納者御芳名の石板の年号から、現在の社殿は平成2年の造営と確定。
今昔マップon the webから、この場所が明治時代に「梅田」と呼ばれていたこと、現在とほぼ同じ場所に神社マークがあることの2点を確認しました。
新編武蔵風土記稿の梅田村の項で、該当する神社がないか調べます。
梅田村は、民戸16の小さな村ですが、稲荷社があり、「村の鎮守、長福寺持ち」と記載されています。
長福寺は元禄2年の起立とも記載があります。
葛飾区神社調査報告を見ると、長福寺が起立された元禄2年頃、梅田稲荷神社も創建されたのではと推測していました。
稲荷神社
謎の稲荷神社の所在地:葛飾区宝町1丁目18
道路から奥まったところに鎮座しているのが、こちらの稲荷神社。
googleマップ上は単に「稲荷神社」と表示されるだけです。
真っ赤な社殿が、稲荷神社らしさを醸し出していますが、神社の名前が分かるものは一切ありません。

境内は意外に広く、右横に自衛消防団の倉庫がありました。
どうやら、ここは個人持ちの神社ではなく、自治会が管理している様子。
明治時代の地図を見ると、既に稲荷社として同じ場所に存在していることが分かります。

明治の地図から、このあたりが寶木塚(ほうきづか)と呼ばれる集落だったことが分かりました。
新編武蔵風土記稿の寶木塚村の項に、八幡神社、稲荷神社が西光寺持ちで鎮座していたことが記載されています。
更に葛飾区神社調査報告(書籍:昭和56年発刊)には、八幡神社の境外末社として皇産霊社と稲荷神社があり、末社は元文4年(1739年)の鎮座と記載があります。
この地区で他に稲荷神社がないことから、上記の資料に記載の宝町八幡神社の境外末社と推測。
神社
謎の神社の所在地:葛飾区宝町2丁目16−1
こちらの神社は、西光寺の前を通る道路わきにあります。
googleマップでは、単に「神社」の表示です。
明治の地図では、表示がありません。

個人持ちの神社にしては、灯篭や立派な鳥居があったりと、少し違和感を感じます。
こちらが、八幡神社の境外末社である皇産霊社なのでしょうか。
宝町八幡神社
宝町八幡神社の所在地:葛飾区宝町2丁目9−3
幹線道路から一本奥に入ったところに宝町八幡神社があります。
広い境内ですが、あるものはシンプル。鳥居、石灯籠、拝殿と本殿、社務所。
狛犬は見当たりません。御神木は枯れてしまったのか、切り株だけが残っていました。
その代わり、お祭りをするのには最適な場所です。

新編武蔵風土記稿に記載がある、
寶木塚(ほうきづか)村にあった八幡社が、現在の宝町八幡神社です。
同書によれば、「村の鎮守、西光寺持ち」ということ。
寶木塚は、屋敷が28の村なので、それほど大きな村ではなかった。
葛飾区神社調査報告では、江戸時代初期の開村時に創建されたと推測していた。
西光寺の山号は「八幡山」。(新編武蔵風土記稿の記載、現在の山号は澁江山)
このパターンの時は、西光寺と八幡社は同時期に創建というのが良くあるやつです。
西光寺の創建年は分からないのかと思って調べたら、元仁元年(1224年)と出てきた。村ができる前である。
色々想像力を働かせてみたが、無駄骨だった...

みなさんは「宝」と聞いて何を思い浮かべますか...
では、「タカラ」と書いたら...
はい、宝町は、リカちゃん人形で有名なタカラ(現タカラトミー)の創業の地です。
宝町八幡神社の境内社
本殿の右横にひっそりと鎮座していました。
何の神様をお祀りしているか分かるヒントを探しましたが、全く見つかりません。
澁江白髭神社の兼務社ということらしいですが、澁江白髭神社で聞けば何か分かるのでしょうか?

堀切天祖神社
堀切天祖神社の所在地:葛飾区堀切3丁目11−2
境内を見まわしましたが、由緒書きなどが出ていないようです。

新編武蔵風土記稿を見てみます。
堀切村の条に「神明社 村の鎮守なり。極楽寺持ち。永禄3年(1560年)勧請」とあります。
ところが、東京都神社庁のホームページでは
「当社の創祀は永萬元年(1165年)、伊勢の皇大神宮の御分霊を勧請した」
とあります。
どう言うことなんでしょう?

葛飾区教育委員会作成の神社報告書も合わせて読むと、専門家は、鎌倉時代中期以降に伊勢皇大神宮の神領地となった関係や堀切の地名が出てくる応永5年(1398年)以降の勧請とみているようです。
堀切天祖神社の境内社 堀切豊受稲荷神社
ミニ参道がついた稲荷社です。他の境内社と一線を引く拘りが面白いです。
神額で、堀切豊受稲荷神社ということが分かりました。

堀切天祖神社の境内社 太宰府天満宮
天満宮の幟旗と真新しい石柱、祠があります。
最近、リニューアルしたばかりという雰囲気。

堀切天祖神社の境内社?
古いお札を返す場所のようです。
お札がひとつ、台の上に置かれていました。
正面の石柱には、神主がお払いの時に使う大麻(おおぬさ)を模した絵が描かれています。

堀切天祖神社の境内社 出雲大社
縁結び祈願の幟旗がでています。社殿の右下の石柱に「出雲大社」と出ています。

堀切天祖神社の境内社 堀切八幡神社
幟旗で「堀切八幡神社」と判別出来ました。

天祖神社祖霊社
天祖神社祖霊社の所在地:葛飾区堀切3丁目1−6
商店街を歩いてくると、天祖神社祖霊社があります。
周辺に、しょうぶ七福神のでっかい像が建っているので、目印になります。

さて、この建物は神社なのでしょうか?
鳥居こそありますが、その先にあるのは拝殿とは違うものに思えます。
私が、その名前と建物の雰囲気から推測したのは、神式の葬儀を行う会場。
正解は何?

狛犬はいません。
キョンシーにでてくる中国の僧みたいな像があります。

菖蒲祭りの頃に、イベント会場みたいになっている写真をネットで見ました。
「堀切のパワースポット 神様と祖先に感謝」という幟旗が出ていたこともあるようです。
この場所で、商店街主催の豆まきも行うようです。
堀切天祖神社の境外末社 菖蒲七福神
大正12年に天祖神社の摂社として毛無池弁天社が鎮座されたが、平成6年に七福神として新しく建てられた、と記念碑に記述がありました。

七福神の弁財天は、女性のハズなんですが、ここでは大仏顔。なかなか面白い。
妙徳稲荷
妙徳稲荷の所在地:葛飾区堀切2丁目27あたり
極楽寺の近くにgoogleマップで妙徳稲荷と表示される場所に行ってみました。
個人のお宅の屋敷神です。立ち入ることはできません。
公道の方に向いていないので、神額などで名称の確認も行えない状況でした。

若宮八幡宮
若宮八幡宮の所在地:葛飾区四つ木3丁目10−1
googleマップを頼りに、妙徳稲荷から結構歩いてきました。
こんなところに神社がって場所に、若宮八幡宮はありました。右隣の建物は看板が出てませんが、町内会の会館ぽいです。
由緒書きは出ていません。今日の歩き旅は、ここまで由緒書きの看板に出会っていません。
これも、また珍しい。

境内を見ると、絵馬があります。社殿のところに未記入の絵馬が置いてあり、書いたら絵馬掛けに掛けるセルフ方式です。絵馬掛けには「若宮町会」と記されてます。
よく見ると絵馬は全て「若宮田中稲荷神社」となっています。八幡宮でないのは何故?

由緒書きがないので、いつも通り、江戸時代の村名調べから入ります。
今昔マップon the webで見ると、このあたりは田畑で集落はありません。しかし、少し離れた場所に「若宮」という集落がありました。現在の自治会名や神社名に「若宮」とついているので、「若宮村」に間違いないでしょう。
若宮という集落は、荒川放水路の開削でほとんどが水没しました。住民は、こちらのエリアに移転したと思われます。明治の地図では、若宮の神社は別の場所にありました。荒川放水路の開削のタイミングで現在地に遷座したのでしょう。
新編武蔵風土記稿を見ていきます。
若宮村という村名は若宮八幡鎮座の地だからと書かれてます。若宮八幡宮の説明書きは、書き写すのが嫌になるくらい長文です。
今の私に必要な部分だけ抜き出すと、「村の鎮守で、末社が稲荷社。創建のきっかけは、文治5年の泰衡征伐で勝利したこと(創建年は記載なし)」
若宮八幡宮の境内社 若宮田中稲荷神社
社殿の横にひっそりあるのが、地元で人気?の「若宮田中稲荷神社」。
新編武蔵風土記稿に記載があった、若宮八幡宮の末社にあたる稲荷神社だろうか?

新編武蔵風土記稿では、若宮村は墨田区の村のことが書かれている21巻のところに記述があります。
面白いですね。
久蔵稲荷大明神
久蔵稲荷大明神の所在地:葛飾区四つ木4丁目17−6
門柱のところに「久蔵稲荷大明神」と書かれていたので、稲荷神社であることは分かりましたが、鳥居が無いシンプルなお稲荷さんです。

一見すると個人持ちのように見える久蔵稲荷大明神ですが、門のところに刻まれていている奉納者名の状況から、この地域の氏神様のようにも見えます。
ただ、「久蔵」という名前は、個人名のようでもあり、何とも言えない神社でした。
篠原稲荷神社
篠原稲荷神社の所在地:葛飾区四つ木4丁目19−33
慈眼院の横の道を抜けていくと、寺の奥ともいえる場所に、篠原稲荷神社がありました。
最後の訪問先で、やっと神社の由緒書きに出会えました。

境内に掲示された由緒書きから、簡単に抜粋
「一説によると篠原村開村(元禄10年(1697年))当初に村の鎮守として勧請されたという。その後、安永6年(1777年)に伏見稲荷大社より再勧請されたとも伝えられる」
「新編武蔵風土記稿 篠原村の条に、「稲荷社、村の鎮守なり、慈眼院持ち」と記述されている。」
「明治初年から稲荷神社と称してきたが、昭和40年、住居表示変更により「篠原」の地名が失われることになったため、社号を「篠原稲荷神社」と改めた」
「現在の社殿は昭和40年の造営。同じ時期に鳥居と狛狐を新設」

ゴールは四つ木駅なんですが...
私は歩き足らなくて、そのまま次の目的地に向かいました。