散歩中に偶然見つけた「三之宮胡録神社」。それだけだったら、勝手な推理をしてお終いだったのに見つけてしまいました。「一之宮日枝神社」と「二之宮須賀神社」。
謎が謎を呼ぶ展開に、好奇心が掻き立てられます。
最初に見つけた「三之宮胡録神社」
三之宮胡録神社の所在地:江戸川区鹿骨5丁目15あたり
googleマップの表示を頼りに「三之宮胡録神社」辿り着いたのは、2020年8月。
その時は、謎の神社が1つ増えたぐらいの気持ちでした。
だって写真を見てください、狭い敷地に鍵の掛かった扉。神社の名前を書いた石柱以外、手掛かりらしいものは、ひとつもありません。
この神社が、稲荷神社であれば、個人持ちの屋敷神くらいに思って、興味を持たなかったと思います。
心に引っ掛かったのは「三之宮胡録神社」という名前。
「新編武蔵風土記稿」には、鹿骨村には、この三之宮胡録神社の近くにある密蔵院持ちで大六天があると書かれています。最初は、この線を疑っていました。
そこから2週間が経ち、あるブログで近隣に「一之宮」や「二之宮」があることに気が付きます。
どちらも、googleマップ上では、神社として表示されてません。
機会を作って訪問したのが、2020年9月。「あるブログ」から所在地の住所を入手していたものの半信半疑で現地を訪問します。
こんなところに?「一之宮日枝神社」
一之宮日枝神社の所在地:江戸川区鹿骨5丁目20あたり
鹿島神社入口という交差点から小岩方面に進んだ道沿いに「一之宮日枝神社」はあります。
交差点の名前の通り、直ぐ近くには、鹿骨鹿島神社があります。
実は、この場所は、何度も通ったことがある道。何度も通っているのに、その存在が全く目に入ってきませんでした。
まるで忍者。あるのに目に入らない存在感。それは、民家の一部のように存在しているからに違いありません。
神社の敷地としては、幅1m強、奥行き4mくらいでしょうか。
敷地面積いっぱいいっぱいに建てられた民家の軒先に食い込むように鎮座しているのが、「一之宮日枝神社」です。
こちらの民家の屋敷神であれば、道路側からしか入れないようにしている理由が説明できません。
それに、屋敷神で日枝神社というのも無いだろうと思います。三之宮は胡録神社だったし何だろう?
住所は分かるのに辿り着けない「二之宮須賀神社」
二之宮須賀神社の所在地:鹿骨5丁目14あたり
非常に分かり難い場所にあります。
路地裏にある江戸川鹿骨郵便局を見つけて、更に郵便局の右横にある人と自転車しか通れない幅1m強の路地に入ります。
路地の奥に住む住民くらいしか通らない道の奥にあるのが、「二之宮須賀神社」です。
「二之宮須賀神社」まで来て、ふたつのことに気が付きます。
「二之宮須賀神社」と書かれた石柱が、外から見やすい場所に設置されています。
何かを感じます。
もしかして、私のような人が、3つの神社を巡って楽しめるようにしているんじゃないかと。
この神社で初めて鳥居の裏側を見ることが出来ました。
そこには、「平成10年4月吉日建立 氏子中」の文字があります。
「三之宮胡録神社」に戻り、ブロック塀越しに鳥居を確認してみると、同じことが書かれていました。
作りもそっくりで、木祠、鳥居、石柱は同じものを使っています。ブロック塀で囲って金属の扉があって一般の人が入れないのも共通です。
そうです。この3つの神社は、平成10年4月に何らかの意図を以って3つ同時に作られたもの。
ここから謎解き
全体の位置関係を見ると、「一之宮」は、鹿骨鹿島神社に一番近い場所ですが、「二之宮」と「三之宮」は、ほぼ同じような距離感で、順番に回るという関係性を無視しているようにも思えます。
「猫の足あと」様のホームページを見ていて謎の一部が解けます。
鹿骨鹿島神社の説明ページに、摂社:日枝神社、須賀神社、胡録神社と記載があります。
ここまで分かったら、鹿骨鹿島神社に行って追加情報を得るしかありません。
2日後、行ってきました。鹿骨鹿島神社。
それぞれの建物や摂社・末社がいつの時代のものか書いた看板がありました。何度も鹿骨鹿島神社には足を運んでいるのに見落としてました。
看板によれば、摂社の日枝神社、須賀神社、胡録神社は昭和63年2月造営。
「平成10年4月にも建替えた(造営)したけど看板は書き換えていない」ということのようです。
まだ、一般の人が入れない理由、一之宮から三之宮まで作った理由など分からないことが残っていますが、一回調査をクローズしておきます。