【調べてみたらこうだった】「上庭」って何?

以前から気になっていた「上庭発祥の地」と書かれた石碑。
この石碑は、江戸川区南小岩3丁目にあります。

「上庭発祥之地」の石碑
「上庭発祥之地」の石碑 (2020年5月撮影)

最初に「上庭」って文字を見たときは、テニスみたいなスポーツの発祥の場所なのかなと勘違い。何といっても、この石碑の文字を書いたのは、横綱 栃錦。

今回は、この石碑に刻まれた「上庭」の謎を調査します。

「上庭発祥の地」と書かれた石碑

石碑の台座に刻まれた碑文には

東京府下南葛飾郡小岩村大字下小岩字上庭これが往時の地名にして記録に残る文書によれば明治廿六年住民が協力龍吐水を購入せしとあり、以後何事にも相互扶助の精神を伝統とし昭和四年上庭町会を創立後に町制、市制の変革を経て昭和四十一年住居標示変更に伴い南小岩司町会となる

「上庭」は、地名だということですが、それだけなら「発祥の地」って日本語の使い方は変じゃない?

昭和41年の住居表示変更では

まずは、町会名が変更になった理由である昭和41年の住居表示変更について調査します。

江戸川区のホームページに資料があります。

この石碑がある南小岩3丁目6番13号は、昭和41年9月以前は
「江戸川区小岩町1丁目1206番地」でした。

昭和41年よりも前から「上庭」という地名が消滅していたことは分かりました。
「大字下小岩字上庭」の消滅は、昭和3年の町制移行のタイミングと推測しましたが、確かなことは調べきれませんでした。

「下小岩」は
現在の東京都江戸川区南小岩及び東小岩あたりにあった村。
千葉街道の左右に広がる村であった。明治38年の地図によれば、石碑のある地区は街道沿いに家が並んでいるが、そのすぐ裏手は田畑だったことが分かる。
明治22年に下小岩村や上小岩村など5村が合併し小岩村となる。この際に住居表記が、小岩村大字下小岩となる。現在でも、小学校の校名や親水緑道、自治会名などに、その名が残っている。

「江戸川地名の変遷とその集解」から調べてみる

「江戸川地名の変遷とその集解」という書籍がデジタルアーカイブで読めます。

そもそも、字(あざ)という地名は何の目的で使われてきたのでしょうか。
ネットで調べてみると

  • 年貢を納めるために、田畑を区別するために付けられた
  • 集落が拡大してきたために、村の中を地域に分ける必要がでてきた

ってことらしい。

江戸時代の江戸川区は、新田開発によるお米の生産、葦(あし)や萱(かや)の生産が盛んだったとか。

そのためか、江戸時代の下小岩村の子字名は、「○○耕地」ばっかり。
明治になると下小岩村でも、さまざまなパターンで小字名が付けられるようになっていました。

が、しかし
「江戸時代の小字名」、「明治中期までに現れている小字名」のページのいずれにも下小岩村の「上庭」は記載されていません。

今昔マップ on the webで調べる

ネットサービスの「今昔マップ on the web」でこのエリアの古地図を見てみます。

すると、1896~1909年、1917~1924年の地図に字名らしき記載がありました。

そこには、現在の小岩郵便局から小岩消防署(南小岩出張所)あたりまでの千葉街道沿いの集落を「上」、南小岩小学校周辺集落が「中」、小岩図書館から江戸川病院あたりまでの集落が「下」だったようです。

「上」という地名まで行きついたものの、「上庭」は見つからずじまい。
まあ、今昔マップ on the webの古地図は全ての字名が記載されてないぽいので。

デジタルアーカイブで調べなおし

「中」という字名にひっかりを感じ、もう一度、デジタルアーカイブに戻ります。

地図上に「中」と書かれた地域は、室町時代に中曽根村があった場所です。
江戸時代には下小岩村の中曽根耕地と呼ばれています。

もし、地図上の「中」が江戸時代以前の「中曽根」を表すのであれば、「上」は下小岩村の上耕地、「下」は下馬木耕地か

結局、「上庭」は

さて、肝心の「上庭」ですが、先ほどの「江戸川地名の変遷とその集解」の中にヒントがありました。

「庭」とは、「広場」の意味があり、「組(仲間)」と同義に使われる。
連帯社会的な意義から生まれた字(あざ)である。

いつ、この地名ができて、いつまであったのか、はっきりしない結果になりました。

でも、「上庭」が何だか判ってスッキリ。
「相互扶助の精神を伝統とする組織が、ここにあったんだよ」「その精神を引き継いでいるのが南小岩司町会だぞ」っていう町内会の方向けの碑でした。

近隣の東小松川村には、江戸時代から「上之庭」「中之庭」「下之庭」があったので、「発祥の地」は言い過ぎかも...

相互扶助の精神に思う

明治廿六年住民が協力龍吐水を購入

「龍吐水」は、江戸から明治に掛けて使われた消防用の手押しポンプ。屋根に水を掛けて延焼を防ぐために使われた。(燃えている家の消火まではできない)

買っただけじゃなくて、日ごろから、自衛消防団的な活動もしてたんでしょうね。
今なら小岩消防署南小岩出張所の消防車が1分で駆けつけてくれる距離ですが、当時だと深川消防署あたりが管轄かな。電話も普及してなさそうだし、大変な時代だったんですね。

きっと、下小岩村全体が相互扶助の精神に溢れていたと思います。
いい街じゃん、小岩