江戸川区を街歩きしている途中で見つけた鹿見塚神社に、その石碑はありました。
鹿見塚神社
鹿見塚神社は、注意していないと通り過ぎてしまいそうな小さな神社です。
ここを通り過ぎなかったのは、鹿見塚神社の前の道路に何やら看板が立っていたから。
街歩きに慣れてきたのか、遠くからでも、その看板の色と大きさで江戸川区の教育委員会が建てたか判るようになってきました。
尚、鹿見塚神社の社殿は、昭和48年(1973年)に再建されたものです。創建は不詳。
鹿見塚神社と書いて、「ししみづかじんじゃ」と読みます。
鹿見塚神社の所在地:江戸川区鹿骨3-1-1
鹿骨発祥の地「鹿見塚」の石碑
鳥居をくぐって直ぐ右に、石碑があります。
そこには、「鹿骨(ししぼね)発祥の地 鹿見塚(しかみづか)」
文字の大きさからみて主役は「鹿見塚」、サブが「鹿骨発祥の地」という感じ。
「鹿骨」はこのあたりの地名(江戸川区鹿骨三丁目)
明治のころの地図をみると、この場所は鹿骨という集落の端のほうだった。
古い地図では、神社のマークが描かれていないので、神社は後からできたか、小さすぎて地図に載らないレベルだったかだろう。
さて、ここで気付いた。
石碑はあるけれど「塚」らしきものがない。
ネットで調べてみると、718mに土盛りされた塚が以前はあったらしい。
尚、江戸川区のホームページによれば、塚ではなく、古墳という説もある。
いずれにしても大変な労力が掛かった人工物だ。鹿骨という地名は600年前にはあったようなので、塚を作る人力はどこからやってきたのか不思議だ。
道路のところにある「鹿見塚」の解説を読みます。
要約すると、
戦国時代のころ鹿島大神(古代伝承上の神)が、この辺りを通った時に神鹿が急病でたおれたので、塚を築きねんごろに葬った所という伝説から、鹿見塚があるこのあたりを「鹿骨発祥の地」いっている。
ここで思った。
神鹿(しか)の骨が埋まっている伝説から、地名が「鹿骨」になったは説得力がある。
でも、鹿の骨を埋めた塚なのに「鹿を見る塚」ってどうなのよ。