JR総武線の本八幡駅からは徒歩20分ほど。
「千葉県市川市稲荷木3丁目2−8」にあるのが、『稲荷木小学校発祥之地』の碑。
立派な石碑の横には、由来が書かれた石碑もあります。
ところで、「稲荷木」の読み方は、ご存じですか。
『とうかぎ』と読みます。難解地名ですね。クイズ番組の問題になりそうな感じです。
由来の石碑に書かれていることを、要約(かなりの意訳)すると
『大正時代に行われた「江戸川放水路」を作る工事で、今まで陸続きだった行徳と川で分断された。これによって、この地域の子供たちが、学校に通うのが困難になったので、ここに小学校が新設(当時は、行徳の分校という形で)された。』
大正という時代
まあ、今風に言えば洪水対策のために、このあたりに住んでいた方が犠牲になって移転したり、いろいろあったということです。この記述から想像できるのは、複数の集落の中心地は『行徳だった』ということです。
これを記録として残すため、昭和61年に石碑が作られたようです。
さて、ここで問題です。
稲荷木小学校は今どこにあるでしょうか。
ヒント:ここにはありません。
『千葉県市川市稲荷木1丁目14−1』が答えです。
発祥之地の石碑からは、徒歩で4分です。京葉道路(自動車専用道)の下を通るトンネルを通っていきます。
では、いつ移転したのでしょうか?
『昭和61年(1986年)』ですか
ぶっ、ぶっ、ブ~~~
ネットで調べても移転の正確な情報は出てきません。
でも、こういう時は「今昔MAP」の出番です。
いつの時代に、移転したか見ていきましょう。
この場所を、表示して年代を変えていくと、「文マーク」が移動する時期が明確に分かります。本当に便利なマップです。
昭和という時代
変化があったのは、「1944-1955」と「1965-1968」のマップの間。
「文マーク」が石碑のあった場所から現在位置に移動しています。
この時代のマップは、「文マーク」が移動しただけではありません。大きく町の様子が変化しています。
何だと思いますか?
・・・
京葉道路(自動車専用道)が開通して、街を分断します。
これによって、江戸川と京葉道路に挟まれた街になりました。
人口が増え、東京のベッドタウンへと変わる瞬間を見ているかのようです。
平成・令和の時代
そして、2018年に外環道が開通しました。
すでに『稲荷木(とうかぎ)』の2丁目と3丁目は、外環道・京葉道・江戸川という3つに挟まれトンネルや橋を使わなければ外部にアクセスできない地域になっています。
実際に歩いてみて、
高速道路の高い壁に囲まれていて、遠くが見渡せないことで、方向感覚を失いそうな不安を感じました。
ところで、何で昭和61年に石碑を建てたのでしょうか
稲荷木小学校が、行徳小学校の分校として作られたのが大正5年(1916年)。
開校70年の記念かな?