石造物を探して市川の国分を巡る

時間が出来たので、ぷらりと市川市の国分あたりを巡って、古そうな石造物を探してきました。

市川橋を徒歩で渡って市川市に入ったので、市川2丁目から石造物探しが始まっています。
コースの途中に神社などもありますが、過去に何度か訪問しコンテンツにしていたので、今回は記載していません。(巻末に参考資料としてリンクを張っておきました)

市川橋スタート、JR総武線市川駅ゴールで、3時間、1万5千歩ほどの散策コースです。

天宮山 観音寺の准四国八十八番標識塔

天宮山 観音寺の所在地:千葉県市川市市川2丁目13−16

以前から観音寺の山門脇にある石柱が気になっていました。まずは、その石柱を見ていきます。

天宮山 観音寺は、真言宗豊山派のお寺さんです。

天宮山 観音寺
天宮山 観音寺

赤茶けた石柱は、山門の外側にあります。
正面に刻まれた文字を確認すると、「南無遍照金剛」。
准四国八十八番標識塔であることが分かりました。

准四国八十八番標識塔
准四国八十八番標識塔

右側面に「四國第四拾番」と入っています。石面の劣化が進んでいるからか、赤茶けているからか、文字を判別するのが難しくなってきています。
奉納年が刻まれていないか丹念に観察しましたが、書かれていませんでした。

市川4丁目の庚申塔

庚申塔の所在地:千葉県市川市市川4丁目13−24

かなり前から、この庚申塔が見たくて、市川4丁目を歩き回っていたのですが、ついに発見。
こんなところに!って、言いたくなる場所にありました。

庚申塔(大黒様)
庚申塔(大黒様)

江戸川の土手沿いにある民家の塀に食い込むように建っています。
実は、この庚申塔の前の道は何度も通ったことがある道。今回初めて、その存在に気が付きました。

庚申塔の正面上部に大黒様が描かれています。その下に、「金」の文字を囲むように3匹の猿。
庚申塔の下半分には、文字(文書)が書かれていますが、文字は読みにくく判読できません。

市川市歴史博物館の資料によれば、庚申塔の側面は道標になっているそうです。奉納年はないが、奉納者の氏名から寛政年間(1789~1800年)あたりの建立としています。

この庚申塔は、元々は、市川公民館がある場所にありました。
道標となっている部分と合わせてみると、ぴったり一致することが確認できます。
現代風に言えば、『右の道(大門通り会)、真間、弘法寺や国分寺へ。左の道(松戸街道経由で)、国府台、総寧寺、流山、小金へ。』という道標になっています。

陸軍と書かれた石柱

石柱の所在地:千葉県市川市国府台3丁目13ー42あたりの路傍

国府台天満神社に向かう途中の坂道で、偶然、見つけました。
石柱に「陸軍」とだけ彫られています。

陸軍と書かれた石柱
陸軍と書かれた石柱

何だろうと思ってネットで検索。全国的にあるようで、必要な情報にスグに辿り着きました。

陸軍の基地と民間の土地の間にある境界石だそうです。
国府台には、「陸軍」や「陸軍用地」と書かれた石柱が他にも3本あるそうです。

じゅんさい池の姫宮(伝里見氏の姫)

姫宮(伝里見氏の姫)の所在地:千葉県市川市中国分4丁目25

じゅんさい池のある緑地公園の入り口横の道路沿いにあります。
私は、姫宮を探して暫し公園の中をウロウロした後、案内板を見て入り口のところに戻りました。

姫宮(伝里見氏の姫)
姫宮(伝里見氏の姫)

説明書きによると、
北条軍と里見軍が戦った時、里見軍の武将の娘が、じゅんさい池(国分沼)に身を投げたことを供養するために、里人が建てたそうです。

何故か祠の前に、頭部だけの石造物が2つあります。どういう意味なんでしょうか。よく見ると2つは、男性と女性のペア。

庚申祠(青面金剛石碑)

青面金剛石碑の所在地:千葉県市川市国分4丁目3

じゅんさい池の前の道を渡ったところにある祠は、鳥居がありますが庚申塔です。
国分にある庚申塔は、どこもこんな感じで、祠の中に納められ鳥居があります。

庚申祠(青面金剛石碑)
庚申祠(青面金剛石碑)

祠の中の石柱には、「青面金剛」「文化十三丙子年」「十一月吉日」などの文字が確認できます。
手元の資料と照合してみると文化13年(1816年)の、この庚申塔は左右の側面が道標になっているそうです。右側面に「大はし道」、左側面に「向 右國分寺 左松戸 道」。

青面金剛
青面金剛

手水鉢は、明治42年のもの。

手水鉢
手水鉢

お地蔵さん(地蔵菩薩)

お地蔵さんの所在地:千葉県市川市国分3丁目28−5あたり

交差点のところにお地蔵さんが3体いました。
市川市歴史博物館の資料(市川市の石造物)によれば、宝暦8年(1758年)、天明3年(1783年)、明治10年(1877年)の3つ。が、何か変!

お地蔵さん(地蔵菩薩)
お地蔵さん(地蔵菩薩)

向かって右の地蔵菩薩の年号は「天●三」と読めるので、天明3年と分かりました。

向かって左の地蔵菩薩ですが、かなりの年代物でボロボロ。てっきり、宝暦8年のものかと思いましたが、右側面に年号が入っています。「明治十丑年」と読めるので、明治10年(1877年)。

宝暦8年のものがありません。中央は最近の「延命地蔵尊」

その後の調査で、宝暦8年の地蔵菩薩は、下総国分寺の近くにある仙元宮にあることが判明。

石碑群(馬頭観世音)

石碑群(馬頭観世音)の所在地:千葉県市川市国分4丁目20 国分尼寺跡公園

国分尼寺跡公園の一角に、多数の馬頭観音が集められた場所があります。
直ぐ近くに、市川市が「国分の石造物」という看板を出していました。(今日のテーマにぴったりの看板です)

石碑群(馬頭観世音)
石碑群(馬頭観世音)

説明書きによれば、
国分尼寺跡公園の脇に馬捨て場があった関係で、馬の供養のために建てられたと思われる馬頭観音があるそうです。

馬捨て場って何? 亡くなったら、人間ならば墓地ですが、馬の場合は解体業者のところに持っていきました。 業者は、馬の皮をはぎ取り、太鼓などに利用できるようにしたそうです。 無論、亡くなった馬だけでなく、人の役に立たなくなった老馬も、また運び込まれたのでしょう。 つまり、馬捨て場とは、生死にかかわらず、馬の皮を剥ぎ取る専門家がいた場所です。

庚申堂 2か所(国分4丁目、5丁目)

次の目的地である腹切様に向かう途中に、庚申堂が2つあります。
今回は立ち寄らず通過しましたが、詳細は下記のコンテンツに詳細を記載しています。
よろしければ、どうぞ

腹切様(光明真言塔)

腹切様(光明真言塔)の所在地:千葉県市川市国分2丁目23−9あたりの路傍

日枝神社へ曲がるT字路のところにあります。

通称「腹切様」。風邪、咳の神様として信仰されているそうです。

腹切様(光明真言塔)
腹切様(光明真言塔)

侍が酒に酔って腹を刺してしまったので「腹切様」だそうですが、すごいネーミングです。

奉納年が入っていないため、年代は不明。
「光明真言塔」と市川歴史博物館の資料では分類していますが、光明真言は密教系で仏教を唱えることなのだそうです。そのため、梵字という特殊な文字を使うようですが、この石造物は梵字を使っていません。
石碑には「光明真言50万遍」とあるので、梵字の発音で50万回読誦しろってことでしょうか。

宝珠院入り口にある准四国八十八番標識塔、境内には巨大なヤカン

宝珠院の所在地:千葉県市川市国分2丁目24−11

「南無遍照金剛」の文字に足を止めました。
観音寺のものに比べて妙に綺麗な石造物ですが、文化4年(1807年)のもの。

准四国八十八番標識塔
准四国八十八番標識塔

下総四郡八十八ヶ所霊場のひとつ。
宝珠院は46番札所。(最初に訪問した観音寺は40番札所です)
千葉郡西部、葛飾郡、相馬郡、印旛郡南部にある大師堂を巡る札所として、文化4年(1807年)に開創したと言われています。

こちらの准四国八十八番標識塔は、下総四郡八十八ヶ所霊場を開創した当初に建てられたものが、綺麗な状態で残っていました。

折角なので境内に入ります。

宝珠院
宝珠院

宝珠院の創建は、元和7年(1621年)といいます。
玉王山宝珠院は、真言宗豊山派のお寺さんです。

宝珠院の巨大なヤカン

本堂の前に巨大なやかんがあります。
オブジェなので実際にお湯は沸かせませんが、すごい迫力。

宝珠院のやかん
宝珠院のやかん

なんか良く分からないけど、良いものを見られて得した気分です。

宝珠院の境内にある稲荷大明神

お寺さんですが、稲荷大明神の石祠があります。しかも、かなりの年代物。
明和5年(1768年)と安政5年(1858年)の年号が刻まれていますが、どちらも再建された年。

宝珠院の稲荷大明神
宝珠院の稲荷大明神

お寺らしく、お稲荷さんの前には、綺麗なお花が飾られています。

下総国分寺の石造物(清瀧権現や馬頭観音)

下総国分寺の所在地:千葉県市川市国分3丁目20−1

下総国分寺の境内に、石造物が多数あると聞いて、立ち寄りました。
見たいと決めていたのは、「清瀧権現」「疱瘡神」「蔵王権現」「十九夜塔」。

下総国分寺
下総国分寺

供養塔のようですが謎の石造物

「大正五年一月」「正光院妙慶善童女」の文字が読めます。
市川歴史博物館の資料「市川市の石造物」に未掲載の石造物です。

供養塔のようですが謎の石造物
供養塔のようですが謎の石造物

戒名のようなものが書かれていることから供養塔、墓塔の類だと思われますが、墓地ではなく本堂の真ん前という一等地に鎮座しています。何故なんでしょうか。

馬頭観音

左側面に「安永三●●●三月」と文字が確認できます。
市川歴史博物館の資料によれば、安永3年(1774年)の馬頭観音。
尚、「市川市の石造物」という市川歴史博物館の資料に誤記があり、安永2年と記載されているが、正しくは安永3年です。

馬頭観音
馬頭観音

清瀧権現

五輪塔に龍がとぐろを巻いている絵の下に「清瀧権現」の文字が入っています。
寛文2年(1662年)と大変古い石造物です。

清瀧権現
清瀧権現

清瀧権現は、お寺さんに祀られる時の名前。
神社に祀られる時は、大綿積神という名前になりますが、元々は同じ神様。明治時代に行われた神仏分離の影響です。

近隣だと浦安にある清瀧神社が、大綿積神を祀る神社です。
浦安の清瀧神社に行くと本殿の装飾などに龍の姿が見られるそうです。

毘沙門天

市川七福神のひとつ、毘沙門天がありました。
折角なので、手を合わせていくことにします。

毘沙門天
毘沙門天

蔵王権現

位牌堂の前に石祠が2つ並んでします。右側が蔵王権現の石祠。
正面に書かれた文字は「藏王大●●」●●部分は剥離し文字はありません。

蔵王権現
蔵王権現

右側面に年号「天明五乙巳● 九月吉祥日」●は剥離し年の上の部分が少し残っている状態。
左側面は「國分村」
天明5年(1785年)の蔵王権現でした。

疱瘡神

正面に書かれた文字は「疱●●」と一文字しか判読できません。

疱瘡神
疱瘡神

左側面に年号がありますが、一部しか判読できません。
判読できるのは、「寛政七卯年」「吉日」。
寛政7年(1795年)の疱瘡神。近くにある日枝神社にも寛政9年(1797年)の疱瘡神があります。

十九夜塔

墓地の方に如意輪観音がありました。
「奉 造立」「十九夜念佛講中」「元禄九年十月目」と刻まれているようです。

国分寺の十九夜塔
国分寺の十九夜塔

「目」って何?というのはさて措き、元禄9年(1696年)の十九夜塔です。

関連コンテンツの御紹介

下総国分寺を出て坂を下ると、仙元宮があります。
このほか、腹切様の周辺には、日枝神社や平河稲荷神社も。
国分や国府台は、石造物や史跡が豊富にあります。下記のコンテンツも参考にして、お好きなようにコースをアレンジしてみてください。