地蔵山墓地(市川1丁目)で十九夜塔を見てきました

非常事態宣言が出る中で、許されることを考えてみました。

自宅から徒歩圏であること、飲食の必要がない時間帯であること、人込みを含む他人との接触がないこと。

この3つを満足できる場所として選んだのが、市川市市川1丁目にある墓地。
ここならば、初詣客と出会うことなく、石造文化財を見ることができます。

以前から見たいと思っていたものが、ひとつありました。
それは、民間信仰のひとつである月待信仰に関する石造物です。

十九夜塔

十九夜塔の所在地:市川市市川1丁目26-24 地蔵山墓地の中

こちらは、お寺さんがやられている墓地ではなく、市川新田共有地管理組合が管理する墓地です。
入り口は、千葉街道に面した場所にあり、市川市消防局西消防署横の細い道を入っていきます。

この墓地の中央に、傘付地蔵と呼ばれる大きな地蔵菩薩(高さ4m強)があります。
この地蔵菩薩の左横にあるのが、見たかった「十九夜塔」です。

十九夜塔
十九夜塔

十九夜塔には、如意輪観音が描かれています。
更に、文字が刻まれていて「奉造立十九夜●」「延宝八申年八月十九日」とあります。(●は判読不能)

延宝8年(1680年)と大変古いものです。ちなみに隣の傘付地蔵は、明暦元年(1655年)の奉納。
こちらの墓地は、歴史的にみて興味深いものが、いくつか揃っています。

墓地の中を見回していただくと気が付くのですが、田中家と書かれた墓石が多い墓地です。
実は、市川新田を開拓したのが、田中さんの祖先。田中家が代々、新田の名主を勤めていたそうです。

ところで、「十九夜塔」とか、「月待信仰」とか、御存知ですか。
私は、六所神社の境内社に「二十三夜塔」があったことがきっかけで知りました。

民間信仰のひとつで、特定の月齢日(十九夜とか二十三夜とか)に集まって飲食をし、月に向かって経を唱えたりする講です。
特定の夜に集まって飲食をするあたりは、庚申信仰に近いものも感じます。

ところで、市川市の場合は、十九夜塔がある場所はお寺や墓地、二十三夜塔は神社の境内という偏りがあります。(一部例外はありますが)
なぜなんでしょうか。

推測ですが、二十三夜塔の多くは路傍にあったと言います。
市川市は、交通量の増加や宅地化が進み、次第に神社の境内に集まってきたということでしょうか。

尚、十九夜塔は千葉県内に2000前後あるそうですが、市川市内にあるのは11。地域的にも大きな偏りがあるようです。

念仏塔

折角の機会なので、傘付地蔵の右側にある石造物についても紹介しておきます。

念仏塔といい、阿弥陀如来が描かれています。

念仏塔
念仏塔

文字も彫られているのですが、読み取り辛くなってきています。
こういう時は、市川歴史博物館の調査資料に頼ります。
明暦3年(1657年)に、新田と平田村の念仏講をやっている方が奉納したようです。