史跡を訪ねて国府台(千葉県市川市)あたりを散策

江戸川区と市川市を繋ぐ市川橋を起点に、市川、国府台、国分、真間といった町の史跡を巡る歩き旅をしてきました。

最初に訪問したのは市川橋を渡って直ぐの稲荷神社。見落としそうな小さな神社ですが、意外と歴史のある神社でした。
古刹から史跡・古墳まで古いものがザクザクという感じで出会える散策コースです。

稲荷神社(市川市市川3丁目)

市川橋から直ぐのところにある稲荷神社
「市川の渡し」にも近いので、何か由緒ある神社かと思い写真に撮ってみた。

市川3丁目 稲荷神社
市川3丁目 稲荷神社

帰宅後、いくら検索しても、この稲荷神社の情報は出てこない。
市川市のホームページ上にある神社一覧にも掲載なし。自分と同じように検索する人が多いようで、google検索の予測候補に住所+稲荷神社がでてくる。

苦労して辿り着いたのは、千葉商科大学の杤木ゼミ作成の「市川再見記」というパンフレット。

「創建不詳も、安政5年2月銘の木札や明治31年5月奉納の御鏡などが残っている」
現在の社殿は、昭和10年建立

千葉商科大学の杤木ゼミ作成の「市川再見記」というパンフレット
市川3丁目 稲荷神社の狛犬
市川3丁目 稲荷神社の狛犬

狛犬は狐のような細身タイプ。
鳥居の横に神輿庫があるので、町内(三丁目町会)のお神輿が仕舞ってありそう。
3丁目町会の建物は、ここから30mほどのところにある。

この稲荷神社を何て呼べばいいか分からないので、仮に市川3丁目稲荷神社」として、他の方からの検索が可能なようにしておきます。

所在地:市川市市川3-23-4

市川電信電話創業の地

山崎製パンの研究所のフェンス沿いに歩いていくと碑がある。

市川電信電話創業の地
市川電信電話創業の地

昭和53年に市川電信電話局が建てた碑(2代目)のようだが、どのような経緯で石碑に残そうとしたのだろう?
もう一回、碑文を読んでみる「1907年に電報」「1916年に電話交換」業務開始。
いわゆる黒電話が登場したのは1933年。電電公社が出来たのは1952年。
何となく石碑に残そうとしたした理由が分かった気がする。

市川春日神社(市川市市川3丁目)

山崎製パン研究所の斜め前にある。

市川春日神社 鳥居
市川春日神社 鳥居

市川春日神社は、この地域の鎮守だったそうです。
ちょうど、ここいら辺は渡しがあったところで多くの住民がいた集落です。
古い地図では「市川驛(うまや)」とありました。

市川春日神社 社殿
市川春日神社 社殿

参道を突き当たると左に市川春日神社の社殿があります。
参道の正面にないのは何故なんでしょう。

市川春日神社境内の水準点
市川春日神社境内の水準点

境内にあった気になったもの
真ん中の石には「基本」と書かれている。
何のために置かれているのだろう。ネットで調べて「水準点」であることは分かったが。

市川春日神社の境内社 稲荷神社

神額のところに文字が書かれているのですが、達筆で読めません。
「焈問稲荷」?

市川春日神社の境内社 稲荷神社
市川春日神社の境内社 稲荷神社

真間川へ寄り道

市川春日神社からは松戸街道を進んでいく。途中で京成本線の国府台駅に曲がる斜めの道があるが、ここが松戸街道の旧道部分。旧道を進んだ後、真間川で少し寄り道。

真間川
真間川

江戸川の方に流れているように見えたのだが、帰宅後調べてみると江戸川から水が流れ込んでいるとのこと。

真間川から国府台を見上げる
真間川から国府台を見上げる

真間川の方から、これから登っていく「国府台(こうのだい)」方向を見上げる。
今日は、この台地を何度も上り下りすることになる。
地名の「真間」には、「崖」の意味がある。弘法寺前の急な斜面が地名の由来と言われる。

根本水神宮(市川市市川4丁目)

根本水神宮
根本水神宮

真間川と江戸川の合流点付近に「水神宮」がある。
江戸川が大きくカーブしているところなので、水害があったのかもしれない。
「あまびえ」の絵が3枚張られていた。絵に「根本 水神宮」と書かれていた。
明治の地図で、このあたりが「根本」と呼ばれる場所であることが確認できた。

稲荷神社の項でも登場した千葉商科大学の杤木ゼミ作成の「市川再見記」というパンフレットによれば

毎年7月1日に神主を招き、自治会の方が中心となって祭礼が行われている。
また、中央の祠には宝暦3年の記年銘がある。

千葉商科大学の杤木ゼミ作成の「市川再見記」というパンフレット

尚、この「市川再見記」というパンフレット(PDF)は、ネットで読むことが出来るのでリンクを張っておきます。(一読の価値があると思います。ゼミの教授および学生さんに感謝します)

根本水神宮の石祠を観察してみた

根本水神宮のものとしては3つの石祠が確認できます。

祭壇の上においてあるものから見ます。
正面の文字はお神札もあるので確認できません。
右側面に、宝暦3年(1753年)とあり、かなり古いものと確認できます。

祭壇の上の石祠
祭壇の上の石祠

祭壇の左横に、石祠が2つあります。二つのうち、左側のものが、「●神宮」と辛うじて読めました。右側の石祠は、文字の判読ができません。

祭壇脇の石祠
祭壇脇の石祠

市川市歴史博物館の調査資料では、市川4丁目には水神宮の石祠が4つあることになっています。
ここで確認した3つ以外は、どこにあるのでしょうか。
後日、市川4丁目を歩き回ってみましたが、4つ目が、どうしても見つけられません。

國府神社(市川市市川4丁目)

松戸街道沿いにあるのが、國府神社です。
坂道を上る前に、まずは階段を上ることになる。

國府神社 参道
國府神社 参道

道路側にある鳥居をくぐり階段を上る。
正面に見えるのは神輿庫。ここから神輿を道路まで出すだけで大変そうだ。
國府神社の社殿へは、階段の先に更に左に続く細い階段があるので登っていく。

國府神社
國府神社

妙に湿気のある境内に出る。苔むした感じが独特の雰囲気を出している。
神社は1087年の創建だそうですが、元々ここにあった訳ではなく、陸軍兵営設置のためと県道拡幅のため2回の移設があったようだ。
國府神社は、市川根本地区の鎮守だったそうです。

國府神社の境内社

狭いながらも、境内社が複数確認できます。社殿に近い方から順番に見ていきます。

國府神社の境内社 稲荷神社

2020年12月に訪問すると、最初に訪問した時(2020年6月)は無かった幟旗がでていました。
天満神社と区別がつくようになりました。

國府神社の境内社 稲荷神社
國府神社の境内社 稲荷神社

國府神社の境内社 石祠が3つ

一番右の石祠は、ぽっきり折れて、上部が後ろの排水路に落ちてしまっています。
中央の石祠が比較的状態が良さそうですが、読める文字は「●●●社」と最後の1字のみ。
一番左の石祠も、屋根の部分が、排水路に落ちてしまっています。文字も判読できません。

國府神社の境内社 石祠が3つ
國府神社の境内社 石祠が3つ

市川市歴史博物館の調査資料によれば、「●●●社」と読めたものが明治20年の奉納。残る2つの石祠は延亨2年(1745年)と明治9年の奉納。3つとも、御祭神は不明となっている。

國府神社の境内社 天満神社

市川市教育委員会設置の看板に書かれた「稲荷神社と天満神社が境内社」から、消去法で、こちらを天満神社と特定。
左横にある手水鉢は、文化3年(1806年)の奉納。

國府神社の境内社 天満神社
國府神社の境内社 天満神社

境内には手水鉢が3つあります。
稲荷神社の横が明治41年。社殿前は奉納年未記載でした。

真間山 弘法寺と弘法寺古墳

松戸街道から横道(木内ギャラリー方面)にそれて弘法寺を目ざします。
私は近道をしようとして道に迷いました。まるで迷路のよう。

弘法寺 朱雀門
弘法寺 朱雀門

朱雀門。弘法寺の中で最も古い建物だそうです。500年くらい前の建造物。
門の奥に見える真間道場が、昔の本堂だそうです。

弘法寺 大黒堂
弘法寺 大黒堂

大黒堂。「太刀大黒天神像」が安置されています。

弘法寺古墳
弘法寺古墳

古墳だそうですが、正直、標識が無ければ全く気付けません。
見ても、古墳らしさは感じないので、期待しないで見に行きましょう。
全長43mの前方後円墳。台地の崩壊により半壊状態だそうです。

下総総社跡(国府台公園内/市川市国府台1丁目)

弘法寺を出て近道をしようと千葉商科大学の裏を回りましたが、結果として大失敗。

下総総社跡 石碑
下総総社跡 石碑

下総総社跡と書かれた石碑がありますが、それだけ。
何か古い歴史を感じるものがあれば良いのに残念。

下総総社跡 説明書き
下総総社跡 説明書き

市川市教育委員会設置の下総総社跡と六社神社跡の説明書き。

付近では、ちょうど「ポールウォーキング」の教室が開かれていました。
教室を眺めながら、しばし休憩をとります。

里見公園(市川市国府台3丁目)

里見公園に向かう途中にある東京医科歯科大学のキャンパス内にも「古墳」があるそうです。こちらも崩壊していて見る価値がないそうです。

里見公園
里見公園

かつて北条と里見の戦いが行われた場所です。2度の戦いは北条が勝ち、この地は北条が支配したとあります。
負けた方の里見(房総軍)の名前が付いた公園です。実に面白い。

里見公園に咲くマリーゴールド
里見公園に咲くマリーゴールド

マリーゴールドでしょうか。綺麗に咲いてました。
バラ園の方は、そろそろ季節が終わるのか花も疎らな感じに。

国府台城跡

国府台城跡
国府台城跡

今回も国府台城跡の石碑と説明書きだけがあります。
それらしいものを見たかっただけに残念。

紫烟草舎(しえんそうしゃ)

紫烟草舎(しえんそうしゃ)
紫烟草舎(しえんそうしゃ)

北原白秋が小岩に住んでいたころの離れだそうです。この離れで創作活動をしたそうです。小岩からここに移築したとのことでした。
中が見学できれば良いのに、と思ってしまいます。

江戸川区を望む

江戸川区や葛飾区を望む
江戸川区や葛飾区を望む

江戸川を挟んだ対岸の江戸川区や葛飾区では、平地しかないのに、ここは台地が続いている。川一本で風景や地形が一変してしまう不思議を感じながら対岸を眺めた。
そういえば、古墳がゴロゴロあるこちら側に対し、江戸川区や葛飾区では古墳があると聞いたことがない。

夜泣き石

夜泣き石
夜泣き石

夜になるとこの石から悲しい泣き声が聞こえるという伝説の石。
本当だったら怖い。
この近くに「里見群亡の碑」もあるので余計に怪談のよう。

里見群亡の碑

里見群亡の碑
里見群亡の碑

里見側の戦死者が5000人と言われる戦いの亡霊を弔うもの。

市川市最高標高地点

市川市最高標高地点
市川市最高標高地点

折角なので登ってみた。
眼下に現在のお墓が一杯見える。

明戸古墳石棺

明戸古墳石棺
明戸古墳石棺

これが見たくて、ここに来た。
妙に興奮する。石棺を見て興奮するのは何故なんだろう。棺桶じゃ興奮しないのに。

明戸古墳石棺
明戸古墳石棺

2人並んで埋められたってことかぁ。
まさか、一人は生き埋めって訳じゃないよね。
自分の中では、古墳は1人で埋葬されるものと思っていたが、合葬という形で2つ石棺があるのは珍しくないとのこと。
兄弟で入る、夫婦で入るのパターンがあったようだ。

国府台天満神社(市川市国府台3丁目)

国府台天満神社
国府台天満神社

国府台天満神社は、この地域の鎮守様だっという。
場所は、明治に大学を建てるために現在地に移転したようだ。(大学建設の話は、その後、とん挫したとか)
古い地図を見ると、このあたりは「国府臺村(国府台村)」とある。
今でも古い民俗行事の「辻切り」が行われているという。見たいと思ったが、部落の出入り口になる四隅の辻の場所が分からず藁で出来た大蛇を確認することができなかった。残念、次回は場所を確認してから訪問しよう。

国府台天満神社の手水鉢
国府台天満神社の手水鉢

手水鉢の奉納年を確認すると、文久2年(1864年)とあります。

狛犬がいないなぁと思っていましたが、本殿の前に鎮座しているそうです。(私は見損ないました)
狛犬は文久3年(1865年)の奉納と手元の資料にあります。

国府台天満神社の境内社

三連の祠とその右手後方に1つの計4つの境内社があります。

3連の祠は、御祭神が不明

祠の中には木の棒に紙垂が巻かれたものが納められています。
木の棒には、字が書かれていますが、紙垂が巻かれているため読み取ることができません。
氏子さんか宮司さんに聞けば分かりそうです。

3連の祠は、御祭神が不明
3連の祠は、御祭神が不明

国府台天満神社の境内社 三峯神社

こちらは掲示が出ていたり、御神札が張られていたりと、非常に分かり易いです。

国府台天満神社の境内社 三峯神社
国府台天満神社の境内社 三峯神社

道明寺飛地天満宮(市川市国府台4丁目)
別名:国府台道明寺天満宮

道明寺飛地天満宮
道明寺飛地天満宮

道明寺飛地天満宮へは緑地と呼ばれる山道を抜けてきた。こんな緑豊かで、どこに繋がっているか分からない抜け道を歩くのは、小学生以来である。何といっても、抜け道を使わないと、国府台天満神社からは、かなり大回りしないと着かないのだ。
神社の周りは住宅に囲まれ始めていて、平成の時代に訪れた方の写真とは趣がだいぶ違ってきている。

googleマップ上は、道明寺飛地天満宮と表示されるが、市川市の資料では、国府台道明寺天満宮と表記されています。

じゅん菜池(市川市中国分4丁目)

じゅん菜池
じゅん菜池

国府台と国分の台地に挟まれたこの場所に「国分沼」がありました。
この「国分沼」でじゅん菜が採れたことから、沼を整備し緑地整備した際に「じゅん菜池」と名前を変えました。じゅん菜は昭和の時代に絶滅したとあります。

折角なので、ここで休憩していきます。公園の入り口あたりに、セブンティーンアイスの自動販売機があります。

青面金剛石碑(市川市国分4丁目)

青面金剛石碑
青面金剛石碑

じゅん菜池の向かい側に青面金剛石碑があります。
小さな祠の中に収められています。祠の前には鳥居もあります。

ところで、青面金剛って仏教の関係と思っていたので、鳥居があることに驚いています。

お地蔵さん

お地蔵さん
お地蔵さん

お地蔵さんを見ると交通事故でもあったのかと思ってしまいます。
村の守り神の方かな。
このあたりは「国分村」の入り口あたり。

下総国分尼寺跡(市川市国分4丁目)

下総国分尼寺跡
下総国分尼寺跡

広い原っぱのような公園の真ん中に石碑がぽつんと。

原っぱに建物の位置を示すマーカー
原っぱに建物の位置を示すマーカー

建物のあった場所を示すものと「金剛堂」と書かれた文字盤があります。

青面金剛石碑(市川市国分4丁目)

青面金剛石碑
青面金剛石碑

境内が綺麗にされていて、今でも参拝する方がいるようです。
御神木なのでしょうか、左の木の根元にしめ縄が付けてあります。

こちらの青面金剛も鳥居にしめ縄と神道系です。
詳しい方の話しによると、庚申信仰における礼拝対象は、仏教系が「青面金剛」、神道系が「猿田彦」ということらしい。
神社の一角に青面金剛があることもあるらしいので、このあたりは厳密ではないのだろう。

下総国分寺(僧寺)跡(市川市国分2丁目)

下総国分寺(僧寺)跡
下総国分寺(僧寺)跡

またもや広い原っぱに石碑と説明版だけがポツンと。
こういうのと出会うと残念な気分しかないです。

天満宮(市川市国分5丁目)

天満宮
天満宮

入って直ぐ右側に碑があります。「山崎茂右エ門家の歴史」とあります。
んっ?

天満宮
天満宮

拝殿以外は全部新しそうです。
この近所を歩いていて気が付きました。この神社の隣の立派なお宅に「山崎茂右エ門」の表札が出てます。

国分日枝神社(市川市国分5丁目)

国分日枝神社
国分日枝神社

国分日枝神社は、いかにも村の鎮守様という感じ。
鳥居が1689年に作られた記録があることから、いまから300年以上前の創建といわれている。

境内に国分日枝神社の由来を書いた紙や神事に関する説明書きが貼ってあります。
境内社も多数あります。参道の脇に木製の祠が3つ、自然石のものが1つ。
更に本殿の裏に7つの石祠。歴史のある神社だけに境内社も、てんこ盛りです。

国分日枝神社 社殿
国分日枝神社 社殿

境内の銀杏が立派。もの凄い年月を感じさせる。
境内から隣のお寺(護国山龍珠院)に繋がる道がある。現代の世の中で、お寺が国分日枝神社を持っているという話ではないと思うが、気になる道だ。

こちらの国分日枝神社は、別の記事に詳細を纏めました。1年間通って集めた情報です。

下総国分寺(市川市国分3丁目)

下総国分寺の山門
下総国分寺の山門

立派な山門。
今まで見てきた下総国分寺跡、下総国分尼寺跡の後継寺院である。
山門の横では、お墓の新規募集をするプレハブと営業マン。くそ暑い日なのにプレハブ小屋で待機は辛そうだ。

下総国分寺 本堂
下総国分寺 本堂

良い感じの本堂。歴史を感じることができます。
ところで、山門のところに、この場所も下総国分寺跡と書かれた看板がある。
だとすると先ほど見た「下総国分寺(僧寺)跡」は何なのか。
良く判らない説明である。
高校生のころ日本史が嫌いになったのと同じパターン。

仙元宮

仙元宮の所在地:千葉県市川市国分3丁目19

下総国分寺から続く道の坂を下ると、山の斜面にへばりつくように鳥居と石造りの祠があります。

仙元宮
仙元宮

石の祠には「元宮」。「もとぐう」って何だろうと興味津々で見回します。
実は、この祠に彫られた文字は「仙元宮」。妙にバランス悪く、上の方に偏った文字配置のため私が早合点しました。
「仙元(せんげん)」は「浅間(せんげん)」と同じこと。つまり、富士登山講碑です。
市川市の調査資料では、天保4年(1833年)のものとなっています。

仙元宮 石祠
仙元宮 石祠

鳥居の手前のところには、出羽三山供養塔もあります。
市川市の調査資料では、文政12年(1829年)のものとなっています。

出羽三山供養塔
出羽三山供養塔

これ以外に石仏のようなものと石板もあります。
こちらは、何の手掛かりもありません。(冬に再訪問したところ、お地蔵さんの方に文字が入っていることが判明)

石板と石仏
石板と石仏

お地蔵さんに入っている文字は、「宝暦八●●」「下総國分村●●」。
手元の資料と照合して、年号の部分は「宝暦八寅三月」と判明。
宝暦8年(1758年)の地蔵菩薩でした。

真間稲荷神社(市川市真間4丁目)

真間稲荷神社
真間稲荷神社

真間稲荷神社は、かなり歴史のある神社らしい。
境内の看板には、1860年に再建。1935年に現在の場所に遷座とある。

隣の池からカエルの鳴き声が聞こえてくる。ウシガエルだろうか。
昔の地図によれば、このあたりは真間川を挟んで湿地帯だったようだ。
明治のころはもう少し山側に神社マークがある。また「手見奈神社」の記述も見られる。「手児奈霊神堂」と分けて考えるのはダメみたいだ。

真間稲荷神社 社殿
真間稲荷神社 社殿

明治の地図を見る限り、総武線より北側は農作物を育てるのに適した場所ではなかったようだ。総武線より南に田んぼが広がっている。
そんな場所に、食物や穀物を祀る神様がいる神社があるのは面白い。