地図を見ていた時に「千葉街道(国道14号)の北側に神社が集中している」ことに気が付きました。
面白そうなので、市川橋から本八幡まで千葉街道沿いを歩いてみました。時々、裏道に入ったりして街道ばっかり歩いたわけじゃないですが、結構面白い体験ができました。
稲荷社(個人持ち)
稲荷社(個人持ち)の所在地:千葉県市川市市川2丁目13あたり
千葉街道の直ぐ脇に、生け垣に囲まれた中に稲荷社があります。
周辺は、分譲地に比較的新しく建てられた建物が建っています。
地主の方が、周辺の土地を売る際に、屋敷神を残していった感じに見えます。

敷地の中は、赤い鳥居と祠。
祠の中を覗くと一対の狛狐と徳利のようなものが確認できました。
鳥居は、本来の位置から移動されたような痕跡があります。
観音寺前の庚申堂
観音寺前の庚申堂の所在地:千葉県市川市市川2丁目13-16 観音寺前

中にある庚申塔の側面に「これより行徳道」と彫られているらしいが、薄暗くて確認できない。
市川胡録神社
市川胡録神社の所在地:千葉県市川市市川2丁目21-2

市川橋を渡った先にあるのが市川胡録神社。
情報不足で、細かいことが不明です。明治の地図には現在地に掲載されていた。

狛犬がでかい。
しばし境内にいると小銭を持った近所の方が自転車でやってきて参拝していた。

写真では判り難いですが、社殿の屋根の隅に逆立ちした狛犬がいます。
木彫りの細工といい、手の込んだ仕事ぶりが分かります。
市川胡録神社の境内社
境内社の祠が2つあります。
左の祠が、道祖伸。祠の中に自然の丸石に道祖神と刻まれて収まっています。
右の祠は、3つの神様を合祀。稲荷神社、天満神社、八幡神社。

市川八幡神社
市川八幡神社の所在地:千葉県市川市市川1丁目19−1

市川駅前から伸びた道のY字路のところに市川八幡神社があります。
昭和初期に創設された比較的新しい神社です。
千葉街道の3本松の根元ところにあった150年前に作られた祠が道路の拡張工事でなくなることになり、この場所にあったクスノキを神木とする神社を作って移転させたそうです。

社殿の横のところに由来が書かれた木板があります。
祭神は慶神天皇と書かれています。ところどころ擦れて読めないところがあります。

御神木のクスノキがすごく良い感じで鎮座しています。
境内社はありません。
三本松跡

市川駅を少し過ぎた千葉街道の中央分離帯に三本松跡の石碑があります。
近付けないので写真に苦労します。この石碑以外に、「市川○○」と読み取れる道標のようなものも中央分離帯にあります。もう少し、じっくり観察できる場所に設置してくれたら嬉しいのに。ネットで調べた結果「市川町道路原標」らしい。
とにかく、交通量が多い幹線道路の中央分離帯に石碑を置くってありえない対応。
青面金剛の道標(市川市市川一丁目)

歩道に突然と現れる感じで鎮座している。ここまで、歩道に飛び出しているのも珍しい。
道路工事中で交通整理の方が、写真を撮りまくる自分を不思議そうに見ていた。

青面金剛の側面の文字は、右は「東 八わた十六丁 中山一里」、左は「西 市川八丁 江戸領国三り十丁」と書かれているそうだが、ほとんど読み取れない状態になっている。
新田春日神社
新田春日神社の所在地:千葉県市川市新田5丁目1−7

建設現場の横に新田春日神社の長い参道がある。
注意深く歩いてないと見落とす感じ。
境内には、保育園の園児たちと宮司らしき人がいた。

口が赤い狛犬です。
新田春日神社は、ひっきりなしに人が出入りするので、写真を撮るタイミングが難しいかった。

境内に公園があるため、小さいお子さん連れが多い気がします。
宮司さん夫婦と何やら親しげに話した後、小さいお子さんを連れたお母さんが参拝していました。

手水鉢には、天保の年号が入っています。
境内は児童公園になっていますが、公園の松の木の根元が見たことが無いような状態になっています。
クロマツが夜中に歩き出す夢を見そう...

新田春日神社の境内社 天満宮
お賽銭を投入するところに、天満宮と表示がありました。
市川市の調査資料では、石祠には「南無天満大自在天神」と彫られ、天明2年(1782年)の奉納。

ちょっと寄り道 六所神社
六所神社の所在地:千葉県市川市須和田2丁目22−7
六所神社の入り口にある社号が刻まれた石柱は、文化5年(1808年)の奉納。

元々、六所神社は、国府台公園の陸上競技場のあたりにありました。
国府台公園には「下総総社跡」の立派な石碑や看板があったので、さぞや立派な神社があるのかと思い寄り道。

かつては下総の国の総社として国司による祭礼が行われていたといいます。
ただ、ここへ移転することになった明治19年は、すでに下総の国はなく、須和田、真間、根本、市川の鎮守だったといいます。
六所神社は、普通の神社でした。

参道の横に地域の自治会館があり、近所のお年寄りが続々と集まってきました。
お参りしてから会館に入る方もいて社殿の前で人が切れるのを待って撮影しました。
六所神社の境内社
境内には、石柱、石碑という形も含めて多数の境内社があります。神道系だけでなく仏教系のものも集められています。順番に見ていきましょう。

左側から右への順で紹介していきます。
詳細不明ですが、狛犬まである境内社
木の祠の前に、サイズが合わない狛犬が鎮座しています。
木の祠の中を覗くと、小さな石造りの祠がありました。

庚申系の境内社
写真左側が、庚申塔。「國底立大神」と読める文字が入っている。庚申塔だと思っていたが、何だろう。市川市の調査資料では、庚申塔に分類。青面金剛像と3猿。文化9年(1812年)奉納。
写真右側は、「猿田彦大神」と彫られた石碑。文久3年(1863年)奉納。

石碑の形をした登山系の境内社
写真左、「浅間神社」と彫られてます。大正10年奉納。
写真右、「阿夫利神社」と彫られてます。「大山阿夫利神社」のことでしょうか。明治26年奉納。

石仏(天神)と「天津祖大神」
写真左が、石仏。左横に安永8年(1779年)の年号が刻まれている。市川市の調査資料では、仏様に見える部分は天神が描かれているのだそうです。文字じゃなくて像容で判断するパターンは難易度高い。さすが専門家。
写真右が、「天津祖大神」と書かれた石柱。右側面が道標になっている。「左 いちかわ」は読めるが、「右」が読めない文字がある「みやく●」。色々調べて「みやくぼ」と判明。
左側面には年号があり天保14年(1843年)の奉納。

六所神社の境内社 白山姫神社
一番上の文字が、非常に読みにくいが、「白山姫神社」と書かれているようだ。
加賀の「白山比咩神社」(しらやまひめ じんじゃ)のことだろうか?
市川市の調査資料では、白山信仰に分類。嘉永4年(1849年)奉納。

3文字、草書で書かれていますがさっぱり読めません
日本語なの?って思ってしまうくらいの達筆。
真ん中は多分「天」
市川市の調査資料で該当しそうなのは「水天宮」。明治28年の奉納。

六所神社の境内社 不明社
文字も無く詳細不明な祠。
更に右隣(鷲大明神)後ろにある、小さな祠も詳細不明。

六所神社の境内社 鷲大明神
鷲神社(おおとりじんじゃ)の関係でしょうか。右横に安永8年(1779年)の年号が刻まれている。

六所神社の境内社 月●之神社 (二十三夜塔)
現代の漢字ではないのか「月」の後ろの漢字が読めません。雰囲気は「讀」(よむ)なのですが...
市川市の調査資料では、二十三夜塔に分類され、「月讀之神社」と彫られているそうだ。
側面に、文政2年の年号と「二十三夜講中」と入っているそうだ。

六所神社の境内社 「下総葛飾郡●社」
2つとも、正面に文字はなく、右横に「下総葛飾郡●社」と書かれていますが、一文字が読めません。市川市の調査資料では「下総葛飾郡惣社」寛延2年(1749年)の奉納。不明社に分類されてます

六所神社の境内社 水神宮
一番右端の奥にある祠は傷みがありますが、一番上の文字が「水」とはっきり読み取れます。
市川市の調査資料でも「水●●」としか読み取れてませんが、「水神」に分類されてます。

新田胡録神社
新田胡録神社の所在地:千葉県市川市新田1丁目3−1
千葉街道に戻り、少し歩くと新田胡録神社があります。

新田胡録神社の境内を駐車場として貸しているようで、多数の車が停まっています。

狛犬が、まるでウルトラシリーズのピグモンみたいです。
口が赤くて立派なたてがみが、そんな気にさせるのでしょうか。
新田胡録神社の境内社
稲荷神社があります。稲荷神社の両脇に小さな祠がありますが、詳細不明です。

新田胡録神社の境内社 疱瘡神
詳細不明と思っていた稲荷社の右側の石祠ですが、その後「疱瘡神」と判明。
「疱」の字が確認できますが、その下の2文字は読み取るのが難しくなっています。

新田胡録神社の境内社 不明社
稲荷神社の左側にある小さな石板は、何もかも分からない境内社。

道標(市川市平田2丁目)

道標が2つ建っています。
左側の背の低い道標には
「左 宮久保山道」と書かれてます。右側面にも文字(東京開運女人會と読める)がありますが意味不明。東京というくらいなので、比較的新しい道標なのか...
右の道標の側面には、「左○○の近道」と読める文字があります。ある方のブログによれば○○部分は「すが」だそうです。確かに、左に曲がると「菅野駅」に最短で行けます。ブロック塀で見えないところにも文字があるらしく、「右 やわた道」とあるそうです。この道標は「弘法大師道標」というらしい。
さらに調査を進めたところ、驚きの結果が!
道標の左側面の文字は、「春可野道」。草書体なのか崩し字なのか、斜め上をいく結果に驚愕。
しかも、「春」と書いて「す」と読ませる変体仮名使い。ひらがなで書けば「すがの道」ですが、もはや、道標として役に立ったのかすら怪しい難解漢字の道標でした。
正面に描かれているのも、弘法大師なのか地蔵菩薩なのか専門家でも意見が割れているようで...
寛政11年(1799年)の造営。見えていない右側面の文字は「や王多道」。
平田諏訪神社
平田諏訪神社の所在地:千葉県市川市平田2丁目23−12

千葉街道から続く長い参道。参道の横には立派なクロマツがあります。
千葉街道のところにあるのが平田諏訪神社の一の鳥居。

二の鳥居。先ほどの道標があったところから繋がる道にあります。
境内は、クロマツを中心とした木々でいい感じになっています。
参道の左横に良い感じの広場があり保育園児たちが遊んでいました。
鳥居を入って直ぐ右に「村社」と書かれた石柱がありました。

物語になりそうな狛犬です。この険しい山に這い上がって来いと子犬に言っているよう。

左の狛犬も、こんな感じで良い味を出しています。
まるでアジサイの花につられてやってくる小動物を狙っているかのよう。
京成本線 菅野駅前の道標や石碑
ここからは千葉街道を離れ、平田諏訪神社の前の道を菅野駅方面に進みます。

「菅野停留所設置記念」の石碑があります。
京成電気軌道の菅野停留所が、1916年に開業したことを記念したものと思いますが、なぜ「停車所」ではなく「停留所」なのでしょうか。

「菅野停留所設置記念」の石碑の側面に「西平田市川新田道」と書かれています。
これから向かう白幡天神社へ続く道の名前のようです。
この時は気が付かなかったのですが、帰宅後調べると市川市の「広報いちかわ」に「東菅野宮久保道」や駅設置の発起人の名前も刻まれていると書かれているとありました。こういう時は裏側まで嘗め回すように見ないとダメですね。

正体不明の石碑でしたが、一応と思い写真に収めました。
こちらも「広報いちかわ」に「瀬戸彦八翁頌徳碑」と書かれています。地域の果物販売に尽力された人物とのこと。ここら辺では梨と桃が作られてました。
クロマツの街路樹が続く

平田諏訪神社やその裏の緑地、さらにこの道沿いはクロマツだらけ。
道路のクロマツは、防砂林の役割で古くから植えられていたそうです。
周りの住宅が近代的なのに、古道感が出ています。
白幡天神社
白幡天神社の所在地:千葉県市川市菅野1丁目15−2

すごく境内を綺麗に掃除されています。
丁度この時も、年配の女性が箒で庭を掃いていらっしょいました。
白幡天神社は、派手さはないですが、落ち着いて参拝できる良い神社でした。

拝殿は、コロナ対策で鈴緒が外された状態でした。
公式ホームページによると境内は2000坪あるそうです。
隣接する神社の公園では、小さいお子さんが遊んでいました。
白幡天神社の狛犬
妙に前足が細くて長い狛犬が鎮座しています。前足に比べて後ろ足は...
顔つきも面白いです。おじいさんの顔というか。どこかで見たことがあるパターンです。
これとよく似た狛犬が下貝塚の春日神社にいます。作成の年代も石工も違うのに似ることがあるんですね。

奉納年を探しましたが、見つけられません。市川歴史博物館の調査資料によれば、天保6年(1835年)の奉納。石工は河原の治兵エ。市川市内の神社にある狛犬を結構手掛けている石工の作。現在も小林治兵衛石材店として子孫の方が商売を続けています。
永井荷風の文学碑
東参道のところに永井荷風の文学碑があります。

白幡天神社の境内社
拝殿の右奥に境内社が5つあります。

古峯神社(中央)、浅間宮(前列右)、白山妙理大権現(前列左)、小御嶽石尊大権現(後列右)、稲荷神社(後列左)。
古峯神社が立派な木製の祠、浅間宮が石板、それ以外が石祠となっています。
稲荷神社を除く4社は、登山信仰系。

立ち入ることができないので、市川歴史博物館の石造物調査資料で詳細を確認していきます。
浅間宮は奉納年がなく「浅間宮 講中」の文字のみ。
稲荷神社も奉納年がなく「稲荷大明●」の文字のみ。
白山妙理大権現の奉納年は弘化2年(1845年)。「白山妙理大權現」と刻まれています。
小御嶽石尊大権現の奉納年は万延元年(1860年)。「小御嶽石尊大権現 大天狗 小天狗」と刻まれています。
八幡小学校旧門(八幡町立尋常高等小学校)

八幡小学校の校庭にあったのがこれ。
「八幡小学校旧門の石柱」には「八幡町立尋常高等小学校」(左側)、「八幡国民学校」(右側)と書かれた木製の看板が下がっています。
荷風ノ散歩道

京成八幡駅から繋がる商店街には、「荷風ノ散歩道」と書かれたのぼりがぶら下がってます。
葛飾八幡宮
葛飾八幡宮の所在地:千葉県市川市八幡4丁目2−1

千葉街道のところにあるのが葛飾八幡宮の一の鳥居です。

京成線を渡る直前のところに「改耕碑」が建っています。
「このあたり(菅野、須和田)は、低湿地帯であったため田畑に適さなかった。耕地整理のプロジェクトが始まり、真間川の改修と低湿地の埋め立てにより耕地に生まれ変わった」ことを記念した石碑だそうです。

線路を渡ったところにあるのが葛飾八幡宮の二の鳥居。

葛飾八幡宮の随神門。朱塗りの立派な門があります。
随神として左大臣と右大臣が鎮座しています。
門を抜けて振り返ると、白い神馬と四神が置かれていることに気付きます。

神社の建物ではありません。
「市川市中央公民館」です。歴史のある旅館のような佇まいにビックリ。
昭和26年から27年にかけて新潟から移築されたものだという。

拝殿が立派。その右隣の千本イチョウの木も見事。
今から1100年前に創立された神社だそうです。この辺りは海だったんじゃないのか?

銀杏が綺麗なのは11月中旬から11月末。この時期は、七五三の方が多いので、平日の参拝がおススメです。

神楽殿大絵馬。案内板には幕末に奉納されたと書いてあった。
とにかく見どころ満載の神社で、葛飾八幡宮だけで十分観光スポットになる。
葛飾八幡宮の狛犬
随神門の前に鎮座しています。見るからに年代物。
台座に刻まれた奉納年を確認すると、安永6年(1777年)。

葛飾八幡宮の境内社
葛飾八幡宮の境内社 厳島社
水神信仰。そのためか、橋を渡っていく演出になっている。
市川市の調査資料では、石祠に書かれた文字は判読不能となっている。

葛飾八幡宮の境内社 浅間社

葛飾八幡宮の境内社 道祖神と青面金剛(三猿)
写真右は、青面金剛、台座には3猿が描かれている。こちらも道祖神。亨保15年(1730年)奉納
写真左は、道祖神と彫られ台座に3猿が描かれている。文政7年(1824年)の奉納

葛飾八幡宮の境内社 八坂社

葛飾八幡宮の境内社 道祖神(三猿)と石祠
写真右側の道祖神は文政6年(1823年)の奉納。台座に三猿。
写真左側の石祠は詳細不明。

葛飾八幡宮の境内社 尾上稲荷社

葛飾八幡宮の境内社 天満宮
