北小岩で江戸時代の小岩を知る旅

北小岩(東京都江戸川区)を巡って、江戸時代の小岩を知る旅をしてきました。

小岩市川の渡し・関所跡

最初の向かったのが、江戸川の河川敷。
市川橋(千葉街道)から少し上流に歩いた場所に「小岩市川の渡し跡、小岩市川関所跡」の看板があります。

看板に書かれていたことの要約と私の調べたことを括弧内に書いておきます。

両国から堅川の北岸を東に進み、逆井の渡しで旧中川を渡り、小岩で江戸川を渡って房総に向かう道があった。「元佐倉道」と呼ばれていたが、明治8年に「千葉街道」に名称が変更された。

両国橋まで3里と「水戸佐倉道分間延絵図」に書かれている。(この場所から500mほど離れた千葉街道に一里塚交差点がある。現在の地図をもとに日本橋から一里塚までの距離を測るとおよそ16kmとなっている。両国橋からだと12kmくらい)

江戸から佐倉に向かう道は、「元佐倉道」の他に
千住から水戸街道を通り、葛飾区にある新宿あたりで分岐し小岩を経由する「佐倉道」があった。江戸時代は「佐倉道」の利用が多かった。
(この佐倉道は水戸佐倉道とか成田街道と呼ばれることもある。元佐倉道も佐倉道も江戸時代に出来た街道だが、元佐倉道は意識的に使わせなかったようだ。なぜ遠回りになる佐倉道を利用させたのか)

江戸を守るため、江戸川には橋が掛けられていなかった。渡しの小岩側に番所が置かれ常時4人の番士がいた。江戸の出入りを監視する東の関門になっていた。

「渡し跡の看板」を見学した後は、土手を下って、京成本線の「江戸川駅」方面に向かいます。

慈恩寺道石造道標

土手を下った先にあるT字路。このぶつかった道路が、先ほどの看板にあった「佐倉道」。一方通行の細い通りなのに、抜け道に使う車が多くいるので、注意しながら道路を渡ります。T字路から分かりにくいですが斜め左側の民家の境目に看板と道標があります。

御番所町の慈恩寺道石造道標の看板。道標の文字は読み取れませんが、看板の方に何て書いてあるか書かれています。

右に行くと(佐倉道で)千住・埼玉県岩槻市の慈恩寺、左に行くと江戸本所道(元佐倉道)、土手の方向は、市川道(小岩市川の関所)。

看板がなかったら、絶対見落とす道標です。道標の右側の文字なんて民家の塀で見えないし。

御番所町跡の看板

T字路の駅寄りのところに建つ「御番所町跡」の看板です。
このあたりに残る旧跡の地図が出ているので便利です。これが無いと、もう一つの道標を見落とすところでした。

伊予田北野神社

佐倉道を、駅に向かって行く途中にあるのが、伊予田北野神社です。

手入れの行き届いた境内です。
手水舎にも水があるし、ぶら下がっている手ぬぐいも綺麗。
鳥居の左側に江戸川区教育委員会が設置した看板があります。

「伊予田村」の鎮守だっただけに、拝殿は小さくても、歴史を感じさせるものでした。

「伊予田村」は、戦国時代の終わりころ、この地に逃げのびてきた里見の残党である篠原伊予によって開拓された。その名をとった「伊予新田」があった村です。
元々は稲荷神社だったことからも判るように、村人が豊作を祈る場だったんですね。
現在では、このあたりには、田んぼも畑もありません。

境内に力石の看板と石が3つ置いてあります。

力石

江戸から明治に掛けて流行った遊びらしいですが、何が面白くて流行ったのか...

道標

京成本線のガード下をくぐった先に道標があります。喫茶店の店先にある上に看板もありません。道標が見つけられずに、このあたりをグルグル回ってしまいました。

全部で3つの道標が建っています。

最近建てたばかり風な右奥の道標には「伊予田の観世音道」や「江戸川区」の文字が読めます。

残りの2つの道標は書かれている文字が達筆すぎて私には読めませんが、

一番大きな道標には「伊予田」や「○ん世○ん」の文字が読めるので、こちらが昔からある「伊予田の観世音道」の道標。江戸川区によれば、以前はもう少し北側にあったが、ここに移設したそうです。「左にいしく道」「右舟ばし迄3り」「是よりあさくさくわん世おん道」といったことが書かれているようです。

手前にあるのが、「中小岩の成田道」の道標のハズ
江戸川区の資料によれば「左成田ミち」と書かれているそうです。「左」の下の文字が「成」には読めないんだよな。
この道標は近年ここに移設されたそうです。「中小岩村」のどこかにあって、左に行くと成田道という表示で、成田山に行きたい人向けの道標だったらしい。

観音堂

佐倉道を北に進んでいくと、児童公園内に何か訳ありな建物があります。
看板も出ているようなので、立ち寄ってみました。

「光ヶ嶽観音堂」だそうです。よく見ると古びた感じにした近年の建物でした。

由来が書かれた看板の情報とネットの情報から
小岩田村の観音堂として、弘法大師といわれる光ケ嶽観音が祀られている。
昭和16年に正真寺の境外仏堂となった。
平成19年の堂の再建を機に、その由来を記する。

ここは、もう旧小岩田村。伊予田村は意外と小さかった。

小岩田天祖神社

観音堂からは、いったん江戸川の河川敷に戻りました。
佐倉道をそのまま北上しても良かったのですが、道の狭さや交通量から河川敷の方が歩きやすいので。

土手の左側に、いかにも神社がありそうな木々が見えてきたら、土手を下ります。
庭に鳥居がある大きな民家も目印になります。この辺りで、庭に鳥居があるお宅を数軒みかけました。

「小岩田天祖神社」です。
神社公園の中にあるので、境内の左手では、小さな子供が遊んでいます。
そこそこの広さがある境内は、小さな子供が遊ぶには十分なスペースです。

「小岩田」は、かつてこのあたりあった村。村の鎮守様という感じか。

趣のある拝殿です。江戸時代の終わりころ焼失により再建されたもの。

小岩田天祖神社を見学した後は、一路、西に向かいます。

上小岩遺跡

「上小岩親水緑道」の途中にあるのが、この石碑。
普段は地図を見ないで歩き回るのですが、ここに来るのは、スマホの地図頼りでした。

「中学生が自宅の裏庭で土器を見つけたのがきっかけで、弥生時代後期から古墳時代前期の遺跡が見つかった」とあります。自分だったら、土器と壊れた植木鉢のかけらの区別がつかないので、こんな大発見にならなかったなぁ。

上小岩天祖神社

遺跡の碑から更に西に移動すると、上小岩天祖神社があります。

境内の広さに驚かされます。
右手には大きな社務所兼自治会の集会所らしき建物。ここは、上小岩天祖神社ということを示す石柱はありません。拝殿のところに「天祖神社」って看板(扁額)がある程度。

銀杏や欅など境内の木がみんな立派。なぜか東の方に傾いている木が多い。西風が強いのか?

上小岩村の鎮守様だったとか。歴史を感じさせる拝殿ですが、安政の大地震で倒壊し改築後、明治39年に改修したそうです。

今日は、江戸川区北小岩にかつてあった3つの村の旧跡を見て回りました。
最後に、この場所から少し北に行ったところにある「小岩公園」に寄ることにしました。

小岩公園の力石

小岩公園内にあるのが「甲和亭」。無論ここは旧跡ではありません。

「小岩」という地名の由来になったと言われているのが、
昔々、このあたりは「甲和里(こうわのさと)」と言われていた。「甲和(こうわ)」が変化して「小岩」になった。というもの。

なので、ここに来れば、何か旧跡があるかなと...
甲和亭の横にありました。

また、力石です。
小岩村の住民は、どんだけ、この遊びが好きだったのでしょう