前回の続きとして「湊水神宮」をスタートして、行徳駅周辺の神社や公園にある祠などを見て回ります。今回のゴールは、市川市香取の香取神社(かんどりじんじゃ)。
公園にある祠まで見て回るところが、ポイントです。
湊水神宮
湊水神宮の所在地:千葉県市川市湊1−22
江戸川の河岸にあるのが、湊水神宮です。
鳥居と手水舎、木製の祠とシンプルな構成です。
鳥居のところに案内板が出ているので、読んでおきます。
水神宮の由来は残されていないようで、説明書きは、お祭りの話しがメインになっています。
湊水神宮は、漁師の豊漁と航海の安全、水遊びをする子供たちの安全を祈願する水神宮です。
他の水神宮と違うのは、水泳の上達を祈願することが加わっています。
水泳が盛んな地域だったのでしょうか。
市川歴史博物館発行の市川市の石造物という書籍(以下、「市川市石造文化財調査報告書」)を使って湊水神宮の歴史に迫ります。
木製祠の中には、石祠が納められています。その石祠には「寛政6年(1794年)」の年号があります。
このあたりが、創建年ではないかと思われます。
神仏分離前に、水奏山 圓明院(市川市湊)が別当を務めていたことがあります。
押切稲荷神社
押切稲荷神社の所在地:千葉県市川市押切6−6
湊水神宮から行徳駅に向かって歩いて行く途中に、神社があります。
道路側からは、押切稲荷神社よりも、押切浅間神社の方が目立つ感じです。
押切稲荷神社
幹線道路側ではない方に、参道の入り口があります。
行徳駅が昭和44年(1969年)に出来て、駅前に道路が通りましたが、それ以前は、参道がある側に人通りがあったのでしょう。
その面影は全く残っていませんが...
幹線道路側の入り口のところに説明看板がでています。
色々書いてあって、良く理解できていないのですが、御神体は十一面観音菩薩像。
850年前に作られ奈良の長谷寺にある十一面観音菩薩像の写しだといいます。
いまから350年前に、この地に十一面観音菩薩像が鎮座するようになったそうです。
1600年代後半の創建ということでしょうか。
鳥居には、明和六年(1769年)、平成二年再建とあるようです。
本殿には見事な彫刻が施されています。
押切稲荷神社 拝殿前の狛狐
拝殿前の狛狐は、昭和32年の奉納。
本殿の前にも、狛狐が2組あります。こちらは、市川市石造文化財調査報告書によると大正4年と昭和53年の奉納。
境内社 押切浅間神社
由来書きは出ていません。
自然石を使った碑が出ています。
ひとつは「小御嶽大神」昭和9年6月、もうひとつは「富士講」昭和9年7月。
鳥居や手水鉢(丸形)には奉納年がありませんが、新しそうです。
手水鉢の奉納者が鳥居を奉納とあり、石六石材興業株式会社と名があります。
これらから、造営は昭和9年と想定しました。
社殿には、山小屋の形を模した神額が出ていて「浅間神社」とあります。
社殿に小さな文字で何か書いてあります。
「社殿改築40周年を記念し富士山を仰ぐ二頭の大亀を彫刻し奉納 平成29年」
和暦を西暦に直して、年代を確認しておきます。
平成29年(2017年)、その40年前は1977年(昭和52年)、一番古い石造物は昭和9年(1934年)
境内社 弁財天社(お浄め弁財天)
木製の祠のところに額がでています。右から左に向かって書かれていて「弁財天」と読めます。
祠の中を覗くと2体の立派な人形が鎮座し、その横に「お浄め弁財天」と書かれた紙が置かれています。
弁天さんといえば琵琶をもった女神を想像するのですが、ここは着物をきた翁。
どういうことでしょうか。
弁天公園にある行徳弁天と浅間神社
弁天公園の所在地:千葉県市川市行徳駅前2−19
20数年前に行徳に住んでいたので、妙に懐かしい場所です。
弁天公園の近くに富士見屋さんという団子屋さんがあって、よく食べてました。
公園の一角に、鳥居と祠があります。祠は、木製の祠が2つ。
弁天公園というくらいなので弁財天があるのが普通。何があるのか見ていきます。
行徳弁天
鳥居の正面にある祠から見ていきます。
祠の中を覗くと、琵琶を弾いている弁天様の石像と石の祠が見えます。
石の祠の正面には文字がありません。何か表面に塗ってあるのでしょうか、妙に白くてツルツルしています。
市川歴史博物館の石造文化財調査報告書では、どちらの石造物にも奉納年がないそうです。
江戸名所図会には、
弁財天祠...湊村にあり。昔は、塩除堤の松林の下にあった。
と記述されているそうです。
浅間神社
次に、右奥にある木の祠を確認します。
祠がある土台部分に奉納年(昭和15年)が書かれています。
昭和15年は、木製の祠の奉納年と思われます。
石柱がありました。
文字が刻まれています。
「神社」という文字がはっきり読み取れます。その上の文字は、擦れてはいますが「間」。
さらにその上は...紙垂が邪魔して読めません。
こんな時は、石造文化財調査報告書に頼ります。
「浅間神社」と刻まれた石柱です。右側面に明治44年と年号が刻まれているとのこと。
さて、ここでひとつ大きな問題があります。
市川市の資料(地名の由来:湊・湊新田編)によれば、この祠は「船霊の宮」と呼ばれていたそうです。
私の中では、船霊(航海の安全を願う神)と登山信仰とも言える「浅間神社」が結びつきません。
行徳駅前公園の弁天さまと龍神
行徳駅前公園の所在地:千葉県市川市湊新田2丁目4
行徳駅前公園にやってきました。
SL広場があったり、子供を遊ばせるにはちょうど良い公園です。
小さい子供を連れたお母さんが沢山います。
公園の片隅に、セブンティーンアイスの自動販売機があり、その並びに、目的の祠があります。
祠は全部で2つ。木製の中型の祠と、小さくボロボロの石祠です。
木製の祠は、弁財天
祠の中を覗いてみます。
見えたのは、小さな卓上型の鳥居と石像。
その場で、判断できなかったので写真にとって自宅で分析します。
石像の頭の形から、女性を表したものということが分かります。
手は、体の前で拝んでいるのかと思いましたが、良く見ると何かを持っているだけのようです。
拡大したりして手に持っているものを判別、琵琶のようにも見えるし、違うようにも見えて曖昧。
縦にして抱えているので何とも...
鳥居とのセットなので、弁財天だと推測していますが、真実はどうなのでしょう。
石祠は通称しろへび様(龍神)
側面に年号が入っているはずなのですが、確認できません。
こんな時は、石造文化財調査報告書の出番です。
そこには
通称しろへび様と言い龍神が祀られていると記載されています。
奉納年は、文政8年(1825年)です。
湊新田胡録神社
湊新田胡録神社の所在地:千葉県市川市湊新田1丁目10−24
20数年前に、この神社の裏あたりに住んでいました。
懐かしいと言いたいところですが、全然記憶がありません。当時興味がなかったことは記憶にも残らないんですね。
ということで、新鮮な気持ちで参拝出来ました。
入り口のところに説明書きがでています。しかし...
神社の由来は、一切書かれていません。書かれているのは、お祭りや花火大会の由来。
しかたがないので、湊新田胡録神社の情報をネットで収集しますが、情報は皆無。
明治時代の地図を見ると、「胡録祠」と記載され、田畑の中にポツンとあったことが分かります。
境内でヒントを探ります。
卍マークが入った手水鉢
卍マークが入った手水鉢ですが、関ヶ島の胡録神社でも見ました。
胡録神社って、卍マークが普通なのでしょうか。
私の知識のなかでは、
大六天という仏教色の強い神社が、神仏分離の際に胡録神社に改称した例が多かったと記憶。
手水鉢は文政7年(1824年)の奉納。
調べると、神社にある手水鉢で卍マークがあるのは、ここも含め市内に3か所。
湊新田胡録神社、関ヶ島胡録神社、宮久保の白幡神社。
宮久保の白幡神社の場合は奉納者が、別当の高円寺さんなので理由は明確。
一応、湊新田にあるお寺さんを調べておきます。
現在の湊新田にはお寺さんはありません。隣町の湊の方にお寺さんが3つほどあったので、ピックアップしておきます。
善照寺(創建:1625年)
圓明院(創建:1560年、湊水神宮や行徳駅前(弁天公園と思われる)の弁天様の別当を務める)
法伝寺(創建:1553年)
湊新田胡録神社の狛犬
修理痕のように見える白いものは、鳥の糞。
行徳の町の中に入った途端、ハトだらけ。何故なんでしょうか。
こちらの狛犬は明治44年の奉納。
湊新田胡録神社の境内にある庚申塔
左側は、三猿が刻まれているので一目で庚申塔と判断できます。
問題は、右側。書かれた文字を読まないと何か判断できないタイプの石碑型のもの。
写真に収めて、自宅で分析します。
部分的に読めないところもありますが、石造文化財調査報告書と照合した結果
左側の三猿付が、寛文8年(1668年)の庚申塔、
右側の石碑は、寛文4年(1664年)の庚申塔と判明。
香取神社
香取神社の所在地:千葉県市川市香取1丁目9−23
行徳街道沿いにあるのが、香取(かんどり)神社。
境内には、町内の女性が数名集合して、にぎやかにしゃべっています。少しすると更に集まりだして、10名ほどに。まあ、うるさい、うるさい。
女性たちから見たら、こちらの方が部外者。神社に参拝して心を落ち着かせます。
香取神社は、今から600年ほど前に創建したと言い伝えられている神社です。
千葉県香取市にある香取神社を勧請。江戸時代から欠真間、香取、湊新田、湊の4村の鎮守だったそうです。現在でも「四ヵ村大祭」として3年に一度、立派な神輿がでるそうです。
600年前の創建ということは、西暦1400年前後。
本当に、そんな前に神社ができたのでしょうか?
行徳は寺町と言われていますが、多くの寺は1500年代(戦国時代)の創建。
お寺さんより100年も早く神社ができることはあるのだろうか。
塩業は、戦国時代に本行徳村、湊村、欠真間村の3村が技術を習得して始めたといいます。
農業での発展は、江戸時代に内匠堀(たくみぼり)という用水路ができてから。
つまり、創建年を、150年くらいサバ読んでるんじゃないのかって疑ってる...
香取神社の手水鉢
三巴紋しか入っていない手水鉢。
それなりに使い込まれているので、古そうだが、何も情報が得られない手水鉢でした。
香取神社の狛犬
拝殿の前に年代物ぽい狛犬が鎮座しています。
残念ながら、奉納年は入っていません。
優しい顔をした狛犬さんです。
香取神社の境内社 水神宮
拝殿前にあるのが、水神宮です。
境内社にしては一等地に鎮座しているので、目立っています。
木製の祠の中には、石祠があります。
石造文化財調査報告書によれば、石祠の右側面に奉納年があり、天保7年(1844年)と分かるそうです。
社殿左横にある境内社3つ
木札が出ているので、容易に御祭神を知ることができます。
左から順に見ていきます。
香取神社の境内社 天満宮
左端は、天満宮。
新しそうな石祠が中にあります。
石造文化財調査報告書によれば、石祠には文字が無く、木製の祠に「天満宮」と書かれているので天満宮としています。
香取神社の境内社 庚申塔
中央は庚申塔。
えっ本当? 石祠の庚申塔は初めて見ました。文字も、三猿などの図柄もありません。
石造文化財調査報告書によれば、石祠には文字が無く(判読不能)、木製の祠に「庚申塔」と書かれているので庚申塔としています。
香取神社の境内社 稲荷大明神
右端は稲荷大明神。
左端の天満宮と同じ石祠が鎮座しています。
石造文化財調査報告書を見るまでもなく、木製祠の文字で判断するパターンです。
香取神社の境内にある庚申塔
三猿があるので、一目で庚申塔と判断できます。
寛文5年(1665年)奉納のものです。板碑型の庚申塔ですが、文字は読み取り辛くなってます。
石造文化財調査報告書によれば、文字は「奉造立 庚申供養 同行女人二十六人 同行男十三人」
男女比が分かって面白い庚申塔です。
また奉納者として「下総國葛飾郡八幡庄行徳香取村」と入っています。