2020年6月に、このあたりで神社巡りをしましたが、
前回、諸事情でじっくり参拝できなかった平田諏訪神社と神明社(鬼越)を再訪問。
更に前回のルートでは巡れなかった、
十二社神社、大六天社、北方八幡神社、北方子之神社、日枝神社を訪問します。
季節も初夏から晩秋と変化しました。街並みの変化などを楽しみながら7つの神社を巡っていきます。
出発地点は、JR総武線市川駅です。
平田 諏訪神社 (ひらた すわじんじゃ)
平田諏訪神社の所在地:千葉県市川市平田2丁目23-12
こちらの平田諏訪神社は、前回訪問した時は近所の保育園児たちが境内で遊んでいたため、子供たちの邪魔にならない範囲でしか見られませんでした。
今回は休日を選んで訪問したので、じっくり境内を見て回ります。

創建年など由緒に関することは不明なので、今日は、別な視点で見てみます。
ここは、小さい子供が遊ぶのには良い感じの場所なんです。
地面は砂地で転んでも汚れたりケガが少ない感じ。周囲を見渡すと境内だけでなく周辺に多数のクロマツの大木があります。このクロマツは、防砂林として植えられたもの。クロマツによる適度な日影もできてます。

少なくとも戦国時代には、平田諏訪神社が存在していたと言い伝えられているがそうです。
平田諏訪神社 境内社の天満天神宮
参道の左側、入り口に近い場所から順番に境内社を見て回ります。
まるでお稲荷さんのような赤い鳥居に赤い祠ですが、学問の神様を祀る天満天神宮でした。

平田諏訪神社 境内社の稲荷大明神
天満天神宮の右隣にあるのが、稲荷神社。
こちらは、お稲荷さんらしく赤い鳥居と祠、狛狐がセットです。

平田諏訪神社 境内社の出雲社と美保社
神額のところに、出雲社(祭神:大黒様)、美保社(祭神:えびす様)と入っています。
七福神で有名な神様がふたり。こうなると七福神巡りを期待してしまうのですが、残念ながら2人でお終いでした。

平田諏訪神社 境内社の湍津姫を祀る祠と不明社
鳥居の先には祠がふたつ。木製の祠の中を覗くと小さな石造りの祠があります。
文字の読める方は、「湍津姫命」(タギツヒコノミコト)と彫られています。もうひとつは残念ながら石がボロボロの状態で、そこに文字が彫られていたかすら判別できません。

湍津姫命は、航海の守護神だそうです。
この場所で、航海の安全を祈る神様を祀るのは、どんな事情があったのでしょうか。
個人的には鳥居の注連縄が切れて垂れ下がっているのが気になりました。どうして放置しているのだろう。
十二社神社
十二社神社の所在地:千葉県市川市八幡4丁目15-4
十二社神社に着いて、最初に目が行くのは、斜めに生えた松の木。参道左側から、凄い角度で右に倒れています。つっかえ棒がなければ、どうなるんだって感じです。
松の木の下を通って、十二社神社の社殿に向かいます。

境内の一部は「十二社神社児童公園」の扱いになっているようです。
社殿は大正5年に改築が行われ、現在に至っているといいます。
古八幡の産土神である十二社神社の御祭神は、天神7代と地神5代の合わせて12代。十二社神社と称する由縁だそうです。

起源は不明ですが、十二社神社に現存する寛政7年(1795年)の資料に、天神7代と地神5代の神名の記述があるそうです。
令和2年8月十二社神社 奉賛会作成の十二社神社に関する説明書きがありました。

説明書きに神様の名前が列挙されていました。
十二社神社の境内社 たぶん天満宮
説明書きはありません。
四方八方からヒントを探します。

石祠の前に、小さいですが牛の形をした石造物が置いてあります。
牛といえば、天満宮。

市川歴史博物館の調査資料にも、天神の石祠があることが記録されています。
十二社神社の境内にある庚申塔
町内から集まってきましたって感じで、庚申塔が並んでいます。
文字が読めるもの、姿かたちから庚申塔と分かるもの、全くもって不明な祠まで様々。

八幡神社
八幡神社の所在地:千葉県市川市北方3丁目4−2
住宅街に迫る山の上に神社があります。
何やら小虫が大量発生していて、既に山の中に入る前から、小虫(羽虫)がまとわり付いてきます。
虫が苦手な私には、苦行ですが、社殿を見るために階段を上っていきます。

階段の先にあった社殿は、現代風の建物。
社殿から一段低いところには手水鉢もあります。
境内を見渡しましたが、私が大好きな昔のモノは何もないようです。残念。

鳥居を見ると「北方共有地管理委員会」が昭和の時代に奉納したことが分かる。
明治時代の地図を見ると、ほぼ同じ場所に神社マークがあります。
歴史のある神社のようですが...
年寄りには、この階段は厳しいので、日々の管理まで手が回らないのかも。
北方子之神社 (きたかた ねのじんじゃ)
北方子之神社の所在地:千葉県市川市北方3丁目17−23
そろそろ脚に疲れを感じ始めたころに到着したのが、北方子之神社です。
先ほどの八幡神社からは300mほどですが、目の前には長い階段という試練が待ってました。
長い上り階段の先には、どんな社殿が待っているのでしょうか。
先ほどの神社のように小虫が大量に飛んでいなければ良いのですが...

階段の下に鎮座する狛犬が「頑張れよ」とでも言いそうな感じで、こちらを向いていました。

階段の下にある石碑に由緒らしきものが書かれています。
「文永年間(1264~1275年)の建立と伝えられる」とあります。かなりの歴史がある神社のようです。
つまり、北方という集落は、鎌倉時代には形成されていたということか。
階段を上り切ると目の前に拝殿が迫ってきます。横には、社務所兼住居があります。

苦労して上ってきたかいがあるというか、眺めが良いです。
こうして上から見ると周辺は分譲地として一戸建ての家が多数あることが良く分かります。

この風景からは、鎌倉時代から人が住む集落の面影を感じ取るのは難しいですが、よく見ると平地が広がっていて、田畑で農作物を作るのには適した土地であることが分かります。
北方子之神社の境内社
神額に「三峯神社」「古峯神社」とありました。
古峯神社は、栃木の鹿沼にある神社の分霊なのでしょうか?

大六天社 (だいろくてんしゃ)
大六天社の所在地:千葉県市川市北方1丁目12−3
小さな神社ですが、大六天社の説明書きがでています。
由緒が書かれていないのが残念ですが、説明書きがあるだけで十分です。
御祭神は、「天照皇大神宮様の先代皇太子・大穴牟遅の命」と書かれています。

神様の話しは難しくて良く分かりませんが、大六天社の御祭神としては珍しいのではと思います。
鬼越 神明社 (おにごえ しんめいしゃ)
鬼越 神明社の所在地: 千葉県市川市鬼越1丁目26−18
前回訪問時は、工事中でビニールシートで覆われた状態だったため、早々に退散しました。
今回、工事が終わっていたので、じっくり境内を見て回ります。

工事では、瓦屋根を張り替えたようで屋根が綺麗です。
逆に言えば、それ以外の部分にやや傷みが出ていますが、それも含めて味わいのある社殿です。

神明社の入り口に説明書きがあり、由緒や御神木のことなどを知ることが出来ます。
元和2年(1616年)に伊勢神社から遷宮し村社として創建。
現在の社殿は、明治年間に造営されたもの。

説明板にあったクスノキの大木(樹齢400年)が、私には特定できません。
社殿左側にそびえるクスノキのハズなのですが、立派な御神木は参拝者から見ると右側。神様からは左。
本殿の左側にも大木があります。
草木に詳しくないのが原因ですが、右とか左とかは鬼門。「どっちから見て」が分からないと右左が明確になりません。
境内には、村内から集められた境内社が多数あります。大正時代まで村内各所にあったが区画整理でこの場所に遷座したといいます。順に見ていきましょう。
鬼越神明社の境内社 天神社
以前は案内板が出ていなかったようですが、説明板が出て分かるようになりました。
こちらは学問の神様(菅原道真)を祀る天神社。
祠の中に石造りの像のようなものが置いてあります。

鬼越神明社の境内社 諏訪社
水の守り神、商売繁盛の神様を祀る諏訪社。
大正時代に村内にあった小祠を遷座したもの。

鬼越神明社の境内社 浅間社
こちらの浅間社は、大正年間に富士山信仰のために作ったもの。
気のせいか、どうしたのって感じに鳥居が傾いている。

鬼越神明社の境内社 与力社、与世社
これは珍しい与力社、与世社。
与力(よりき)、与世(よなおし)と読むのだそうだ。
説明板には、ずばり「世直しの神」「御祭神は大物主命」とある。
尚、世直しの神の下にかっこ書きで「村内安●」と書かれているのだが、最後の一文字(●)は日本語なのだろうか。

鬼越神明社の境内社 道祖伸
こちらの境内社の説明板は境内に建っています。
大正時代に村境、道の辻に置かれていたものを遷座したそうです。
祠の裏には、昭和45年の文字が書かれています。祠は、昭和45年に造り直されたと思われます。

日枝神社 (ひえ じんじゃ)
日枝神社の所在地:千葉県市川市高石神1-10 高石神社の境内裏
前回は日枝神社の存在に気が付けず、同じ境内にある高石神社だけを参拝しました。
実際、高石神社の境内に着いてみると、日枝神社の存在に気が付かない理由が良く分かります。
やっと出会えたという気持ちと、期待外れの新しさ&シンプルさにがっかりという気持ちが入り混じります。

由緒書きが出ていた時期があるようですが、現在は見当たりませんでした。
過去に撮影された写真(googleマップ上の投稿写真)を見ると、
「延宝元年2月(1673年)に当村八番舗五関寅之助祖先三左衛門なるものが自分の敷地に神社を作ったのが始まり。日枝社と称す。その後、村内末社となる」といった趣旨の文書でした。
日枝神社に関しては、意外と古いってことが分かったのが収穫。
日枝神社 燈籠の跡
参道をあるいていると、昔は燈籠がありましたって感じで台石だけあります。
今は境内社みたいな扱いになってしまいましたが、昔は、それなりの神社だったのでしょう。

日枝神社 思わせぶりな石柱
まるで境内社のような感じの石柱。さらに左側には倒壊した石柱もあります。
なめるように石柱を見回しますが、文字は書かれていません。
誰が何の目的で並べた石柱なのでしょうか。

まとめ
日枝神社を見終わった後、最寄り駅のJR総武線下総中山駅に向かいます。
下総中山は、法華経寺の門前町なので、このあたりを散策しても良いかと思います。
ただ、意外とパッとしない門前町なので期待しちゃあ駄目です。
私は、休日で人出が見込まれたので、今回は大人しく帰りました。
コロナさえなければ、もっと楽しめるのに。
一日も早い終息を願って、明日も神社巡りし続けます。