市川市二俣で石造物の写真を撮り直しに行った帰りに、高谷、田尻、稲荷木で庚申塔を中心とした石造物を見て回ることにしました。
とは言え、既にこの地区の神社など鳥居がある場所は、石造物を見終えています。
今回ターゲットにしたのは、お寺さん。
安養寺、常明寺、円福寺、雙輪寺を巡りました。
原木の路傍で資料に未掲載の馬頭観世音を発見
馬頭観世音の所在地:千葉県市川市原木2丁目2−20あたりの路傍
二俣から最初の訪問先である高谷の安養寺に向かう途中で、路傍に石造物がひとつあることに気付きました。
白く変色していますが、板面の文字が判読できる状態の石造物です。
刻まれた文字は、梵字の下に「馬頭観世音」。
「馬頭観世音」の文字の左右に奉納年が刻まれています。
「嘉永六●..」「六月廿三日」(赤字は推定)
嘉永6年(1853年)の馬頭観世音でした。
こちらの馬頭観世音は、市川歴史博物館発行の「市川市の石造物」(以下、「手元の資料」と略します)には掲載がありません。
安養寺で庚申塔と十九夜塔を探す
安養寺の所在地:千葉県市川市高谷2丁目16−35
海岸山安養寺は、真言宗豊山派のお寺さんです。
明治12年の寺院明細表には、高谷の羽黒神社、竜神社に関連する寺院として掲載があります。
手元の資料によれば、安養寺には、庚申塔2つ、十九夜塔がひとつあるそうです。
本堂に手を合わせたら、早速、境内をウロウロしてみます。
庚申塔 その1
本堂の右横の道を抜け墓地の入口付近に、最初の庚申塔を見つけました。
青面金剛像に三猿の像容の庚申塔です。
右側面に年号が入っています。
側面に刻まれていた年号は「宝暦四甲戌九月吉日」
宝暦4年(1754年)の庚申塔でした。
庚申塔 その2
墓地の中を2周ほど探し回りますが、見つかりません。
墓地を出て、本堂周辺にある無縁塔のチェックをしていくと...
何か違和感を感じる石仏がありました。
最初見た時は、馬頭観世音像だと思いましたが...
無縁塔の一部に組み込まれてしまった石仏です。違和感の理由は、青面金剛像とセットで見ることが多い、三猿や邪鬼が描かれていません。文字も擦れてしまってほぼ読めない状態です。
ジーと頭の部分を観察して馬頭でないことを確認。やっと、これが探していた庚申塔と判明します。
読める文字は青面金剛像の上の辺りに刻まれた「供養」くらい。
手元資料によると、寛文10年(1670年)の庚申塔でした。
十九夜塔は見つけられません
無縁塔周辺や墓地を探し回りますが、十九夜塔が見つけられません。
境内に如意輪観音がいっぱいあるのですが、墓碑だったり、文字が読み取れず判別できない状態です。
帰宅後、手元の資料で確認し、「奉造立如意輪観音」の文字をキーワードに探せば良かったと知ります。まあ、後の祭りですが、リベンジを誓って次のお寺さんに移動します。
常明寺で庚申塔を探す
常明寺の所在地:千葉県市川市高谷2丁目13ー16
同じ集落のお寺さん、距離的にも安養寺から離れていない場所に本日3つ目の庚申塔があります。
高光山常明寺は、日蓮宗のお寺さんで、寛永2年(1625年)の創建です。
本堂で手を合わせたら、境内を散策し始めます。
常明寺の庚申塔
常明寺も、また無縁塔のところに庚申塔が置かれています。
無縁塔に組み込まれていないだけマシという感じでしょうか。
像容は、青面金剛像に三猿。奉納年は、青面金剛像の左側に書かれています。石板の劣化があるため、一部が読み取れません。
「●●●十一月吉日」と年号の部分が判別できません。手元の資料によれば、「元禄十四辛巳天」「十一月吉日」なんだそう。
尚、右側の文字は比較的良い状態で残っていて「奉造立庚申供養現當二世安楽所」(赤字は推定)
元禄14年(1701年)の庚申塔でした。
円福寺でお稲荷さんを参拝
円福寺の所在地:千葉県市川市田尻4丁目12−17
成徳山円福寺は、日蓮宗のお寺さんです。創建は慶長9年(1604年)です。
他サイトでは慶長15年の創建としているので、正直、何が正しいのか分かりません。
(当サイトでは、市川市のホームページに書かれている内容で紹介しています)
円福寺に訪問した目的は、お稲荷さんを見たいと思ったからです。
お寺の中のお稲荷さんは珍しくはないですが、石造物好きな筆者は通り過ぎる訳にはいきません。
お稲荷さんのある場所は、住職の自宅の横。お寺の守り神として祀られているのでしょう。
稲荷堂再建記念碑があります。稲荷堂の再建は「平成24年」。
祠の中に置かれた石祠には、ふたつの稲荷大善神が刻まれています。
手元の資料から、昭和42年に勧請されたものと分かりました。
ところで、ここ田尻という場所には庚申塔が残っていません。
いや、そもそも庚申塔があったのかすら分かりません。何故なんでしょうか。
田尻の日枝神社には、境内社が6つあるのですが、全部、御祭神が分かりません。
その中に、庚申塔(猿田彦大神など)や道祖神などがあるのでしょうか。
もうひとつ、興味深いことがあります。
明治時代の地図を見ると、ここ円福寺があるあたりに神社マークがあります。
現存する田尻日枝神社以外の神社でしたが、大正時代に地図から消えてしまいます。
どこへ行ってしまったのでしょうか。
「市川市史 第二巻」には、検地水帳にあって現在(昭和42年時点)ない神社として、安永4年創建の「大六天」が掲載されています。
雙輪寺で庚申塔を探す
雙輪寺の所在地:千葉県市川市稲荷木3丁目10−2
稲荷山雙輪寺は新義真言宗のお寺さんです。創建は享保6年(1721年)。
雙輪寺は稲荷木稲荷神社の別当を務めていたと言われています。
明治12年の寺院明細表では、雙輪寺(双輪寺)ではなく「福王寺」と号していました。また、稲荷木稲荷神社に関連する寺院として記載があります。
尚、稲荷木稲荷神社は、寛永12年(1635年)の創建といわれています。
雙輪寺に来た目的は、庚申塔を見るためです。
実は、雙輪寺の入口が分からず、周辺をぐるっと一周してしまいました。
雙輪寺の庚申塔
雙輪寺の庚申塔は、事前学習をしていないと、見つける難易度が高くなります。
理由は、聖観音の形をした庚申塔だから。
このお寺でも、無縁塔の一部になっていました。無縁塔のてっぺんに鎮座している聖観音が庚申塔。
聖観音の右肩に文字が刻まれていて庚申塔と分かります。
刻まれている文字は「庚申供養爲二世安樂逆修也」。(赤字は推定)
左肩には年号が刻まれていますが、逆光でほとんど読めません。
撮影した写真を加工して文字を読み取ると、「寛文四年今月吉日」(赤字は推定)
「今月」ってどういうことだよ!と思わずひとり突っ込みします。
寛文4年(1664年)の庚申塔でした。
おやっ、お寺さんの創建より前の庚申塔です。