市川市堀之内にある伊弉諾神社に行った帰りに、庚申塔を探して近隣の町をウロウロすることにしました。
ターゲットは、稲越、曽谷、下貝塚の庚申塔です。
稲越では路傍の庚申塔を探し、曽谷・下貝塚ではお寺さんの境内にある庚申塔を探します。
稲越の路傍にある庚申塔
庚申塔の所在地:千葉県市川市稲越1丁目5-5あたり
稲越には、庚申塔が2つありますが、何度訪問しても見つけられずにいた庚申塔を遂に発見しました。
何度も通った道なのに見つけられなかったのは、地面ばかり見ていたから...
意外な場所にありました。
分かるだろうか、写真中央あたりの塀の一部に切り欠きがあって、石柱が顔を出しているのが。
近付いてみると、個人宅の庭に真新しい庚申塔があります。
嘉永4年とありますが、どう見ても新品の庚申塔です。
現在の庚申塔は、「嘉永四亥年」「八月吉日」と刻まれていますが、再建前と思われる昭和62年の市川歴史博物館による調査時点では、「嘉永四辛年八月十一日」と刻まれていました。
再建ですが、嘉永4年(1851年)の庚申塔です。
曽谷の安国寺で庚申塔を探す
安国寺の所在地:千葉県市川市曽谷1丁目35−1
ここ安国寺にやってきたのは、市川市で一番古い庚申塔を見るためです。
こちらの庚申塔は、結構ハードルが高いタイプです。探し始める前に本堂でお参りしておきます。
どういう訳か、本堂の写真を撮り忘れました。前途多難です。
写真に写る木にカラスでもいるのか、ゆっくりと木を突くような音が聞こえてきます。
カラスに襲われた時の嫌な思い出が蘇ってきました。
長谷山安国寺は、日蓮宗のお寺さんで、創建は健治年間(1275~1278年)といいます。(創建年は市川市のホームページから転記)。
但し、山門のところにある市川市教育委員会設置の看板には文応元年(1260年)とあるので、とにかく古くて定かでないと理解しました...
庚申塔があった場所は...
庚申塔を見つけた場所は、「歴代上人御廟所」
なぜ、こんなところに...
敷地の中に入るのは失礼と考え、遠くから写真を1枚だけ撮らせていただきました。
先ほどの写真を加工して、庚申塔の部分を拡大したのが、下の写真。
そうです、こちらの庚申塔は、釈迦如来像!
市川歴史博物館の調査資料によれば、庚申塔の裏側に文字が刻まれているそうです。
私たちのような素人では裏側を確認できないので、遠くから「へー」とか「ほー」とか言いながら眺めるのが正解です。
裏側に刻まれた文字を調査資料から転記しておきます。
「奉曽谷郷庚申待石佛造立趣處 身心安楽 大願成就」「明暦二年丙申 十一月吉日」
市川市最古の庚申塔は、明暦2年(1656年)のものでした。
下貝塚の本住寺で庚申塔を見る
本住寺の所在地:千葉県市川市下貝塚1丁目11−12
松立山本住寺は日蓮宗のお寺さんです。
市川市のホームページでは創建は正和元年(1312年)とありますが、松立山本住寺のホームページには文永年間(1264~75年)の創建と書かれています。良くあることなので気にせず先に進みます。
こちらの本住寺を訪問したのは、庚申塔3基と身延講の石造物を見るためです。
本堂前で手を合わせたあとは、目的の石造物のところへ。
本住寺の庚申塔は、分かり易い場所に、まとめて置かれているので助かります。
本住寺の庚申塔は、3つ並んでいました
庚申塔は本堂前の参道右側にあります。早速、左側の庚申塔から見ていきます。
左端の庚申塔は元禄10年のものです
三猿が描かれた上部に、文字が刻まれている庚申塔です。
石造物のコンディションが良いので、文字の判別もできます。
刻まれた文字は
「奉庚申待諸願成就所」「元禄十丁丑年」「十月廿五日」(赤字は推定)
元禄10年(1697年)の庚申塔です。
中央の庚申塔は、釈迦如来
安国寺同様、釈迦如来が描かれた庚申塔です。
石仏の左右に文字が刻まれています。左隣の庚申塔に比べると文字の判読が大変です。
庚申塔に刻まれた文字は、
右側が、「奉待庚申石佛造立所」「松立山●住●」(●は判読不能、赤字は推定)
左側が、「寛文四甲辰天二月吉●」
寛文4年(1664年)の庚申塔は、文字まで確認しないと庚申塔と判別できないタイプでした。
右端の庚申塔は
三猿が描かれ、上部に文字が刻まれた庚申塔です。
早速、文字を確認していきます。
「奉待庚申石佛造立所」「松立山本住寺 日達」「天和元年」「●●月大吉」
天和元年(1681年)の庚申塔でした。
身延講碑
一段高いところ(木の横)に身延講碑がありました。
台座のところに「身延年参講」と刻まれているので見つけやすいです。
こちらは、明治30年奉納の石造物。
市川市内には身延講の碑は、5つと少い数が存在しています。その殆どが明治時代。
市川市は日蓮宗のお寺さんが強い地域ですが、身延講は意外と流行らなかったようです。
袖掛の松跡にあった石造物
袖掛の松跡の所在地:千葉県市川市宮久保4丁目1−1あたりの路傍
本住寺を出て、県道51号線(市川柏線)を歩いていると、宮久保の白幡神社のところで石造物を発見しました。
石造物は全部で4つのようです。じっくり見ていきます。
大きなものから順に「袖掛松之碑」(昭和43年)、「妙法 袖掛松」(明和3年)、「村内安全」(年代不明・下部欠損)、「氏子 (複数人の氏名)」(年代不明)
注目は、左端の「妙法 袖掛松」でしょうか。崩し字で書かれているので年号の部分を読むのが難しいです。素人目には「昭和30」、実は「明和3年」。崩し字データベースも活用して判読してみてください。
「袖掛松之碑」「妙法 袖掛松」は供養塔です。
この場所には、名所案内なのか県道51号線を350m進むと弁財天祠があると出ています。
案内板に従って、弁財天祠を探すことにしました。
350m先にあったのは弁財天祠? 水神が祀られています
水神の所在地:千葉県市川市宮久保1丁目1−25あたりの路傍
袖掛の松跡から350mほど歩くと真間川にぶつかります。
探している弁財天祠を探してキョロキョロ。
橋の手前にある事務用品店の隣に、石祠を発見しました。
祠に彫られた文字は、「水神●」。弁財天ではなく水神です。
水神だけど、弁財天として扱われているのでしょうか。
左右の側面に、奉納年が刻まれています。
左側面には、「昭和五十五年六月吉日 施主 稲葉●」
右側面には、「文化十五寅六月吉日」
文化15年(1818年)に奉納され、昭和55年に再建された水神です。