今回は市川市北方町(ぼっけまち)の妙正寺と柏井町(かしいまち)の唱行寺の2か所を巡って、庚申塔や石祠などを見ます。
ふたつのお寺さんともに、日蓮宗で、創建年が西暦1254~1260年と歴史ある寺院という共通点があります。
どんな石造物があるのでしょうか、楽しみです。
妙正寺の庚申塔と龍神
妙正寺の所在地:千葉県市川市北方町4丁目2122
桜之霊場 龍経山 妙正寺というやや長めの名前です。
妙正寺が寺号、龍経山が山号、桜之霊場がキャッチフレーズというところでしょうか。
桜の霊場というくらい、桜の季節には満開の桜でキレイということらしいです。

市川市のホームページによると、創建は文応元年(1260年)。
日蓮が旧若宮館(現在の奥之院)で行った100日説法中に起きた「ある出来事」によって創建されたという日蓮宗のお寺さんです。
天保年間(1831~1845年)に発行された江戸名所図会に記載があります。
この頃は、妙正大明神祠と称していました。別称は、或姥神。疱瘡に罹患した人に霊験があると言われていたそうです。
明治から大正時代の地図では、妙正庵と記載されています。
近隣にある千足第2公園に、「妙正坂」と書かれた道標があります。
その道標には、以下のことが刻まれています。「大正9年4月落成 妙正寺 中興開山 鈴木日貞代」
文応元年の創建後、存続が危ぶまれるような状況を経て、大正9年に龍経山妙正寺として復活という歴史が資料から読み取れました。
七経塚と弁天の大蛇の伝説
諸説色々ありますが、妙正寺創建に縁起となった「ある出来事」は、「七経塚と弁天の大蛇の伝説」として後世に伝わっています。
この伝説に関わる石造物が、妙正寺の境内にありました。
八大龍王神
「八大龍王神」と書かれた立派な石碑の横に、木製祠があります。
伝説の中でも「お経を盗んだのは、美しい女性に化けた白蛇」だったりと、日蓮宗のお寺には、白蛇が欠かせません。白蛇と言えば、龍神か弁天様。妙正寺さんは龍神の方が祀られていました。

「八大龍王神」と書かれた立派な石碑は平成元年の奉納。
手元の資料(「市川市の石造物」市川歴史博物館発行)では、他にも「永徳大龍神」と書かれた明治43年奉納の石祠があるようです。
七経塚の石碑
駐車場のところに、七経塚の石碑が7つあります。
7つとも、同じ文面の石碑です。違うのは奉納者名だけ。
刻まれた文字は「南無妙法蓮華経 七経塚 大僧正日運」、明治38年の奉納です。

妙正寺の庚申塔
境内には、様々な石造物がありますが、庚申塔は2つです。
青面金剛像に三猿の庚申塔
分かり易い、青面金剛像と三猿が描かれた庚申塔から見ていきます。
石造物のコンディションが良いので、刻まれた文字も判読できます。

「奉供養庚申講成就所」「亨保四己亥歳十月下浣一日」
亨保4年(1719年)の庚申塔でした。
文字だけで判断するタイプの庚申塔
青面金剛像の左横にある石造物も、庚申塔です。
文字だけで判断する難易度が高い庚申塔ですが、刻まれた文字が判読できるので、かなり楽です。
妙正寺の庚申塔は2つとも、年代が古いのにコンディションが良くて助かります。

板面で読み取れる文字は、「奉勧請庚申」「寛文九己酉天」「十一月朔日」。奉納者名は省略。
寛文9年(1669年)の庚申塔です。「朔日」という聞きなれない表記が登場しましたが、これは陰暦で1日(ついたち)のこと。
唱行寺前の石造物は庚申塔、お地蔵さん、馬頭観世音
唱行寺の所在地:千葉県市川市柏井町1丁目1696 唱行寺の南側参道下
唱行寺の山道を上る階段脇の歩道に石造物が並んでいます。
その数は、7つ。なぜかお地蔵さんにだけお花が供えられています。

石造物を右端から順番に確認していきます。
庚申塔 右端
三猿が下部に描かれ、上部には文字が刻まれています。
比較的状態が良いので、一部の文字は目視で判読可能です。

中央部分は「妙●奉待帝釋天王」、左に「十一月吉●」、右に「宝永元甲申年」
宝永元年(1704年)の庚申塔でした。
庚申塔 右から2番目
三猿が下部に描かれ、上部には文字が刻まれています。
文字部分の劣化が進んでいるので、目視では、ごく一部の文字しか判読できません。

手元の資料を確認すると、寛文11年(1671年)の庚申塔であることが分かりました。
刻まれた文字は、「奉造立為庚申石佛二世安樂也」「寛文十一年」「亥三月吉日」だそうです。
赤字が、辛うじて読める文字です。
庚申塔 右から3番目
青面金剛像と三猿が描かれた庚申塔です。
大部分の文字は判読できました。

「正徳五●●天」「十一月四日」
正徳5年(1715年)の庚申塔でした。
庚申塚の石碑
この場所に庚申塔を移設することになった経緯が石板に書かれています。

元々は、柏井2丁目1434番地1に土地があり、そこに庚申塔があった。その土地を昭和40年に処分して得たお金で、八幡神社の拝殿兼姥山会館を建設。庚申塔は唱行寺住職の許可を得て、この場所に移設したそうです。
明治時代の地図(今昔マップon the web)で記載の場所を調べてみると、庚申塔があったのは、姥山と瓜作という2つの集落の境あたりと分かりました。
お地蔵さん 2体
よだれ掛けが付いているので、見えない部分がありますが、右側のやや大きい方が明治39年10月奉納の地蔵菩薩。手元の資料によれば、子供の座像だそうです。
左の地蔵菩薩は、手元の資料によれば「●保五● ●月吉日 同行五●●」と刻まれた立像だそうです。江戸時代のものらしいです。

馬頭観世音
部分的に読めない文字がありますが、馬頭観世音です。
読めない文字を手元の資料で補うと、板面に刻まれた文字は
「南無 馬頭観世音 兵馬無縁之霊」

石板の裏に、明治14年と奉納年があるそうです。
唱行寺は石造物の宝庫でした
唱行寺の所在地:千葉県市川市柏井町1丁目1696
唱行寺は、石造物が豊富にあるお寺さんと聞いていたので、是非、一度訪れてみたいと思っていました。
かなり広い境内に石造物がゴロゴロあります。
歴史のあるお寺さんですが、本堂は近代的な建物です。
唱行寺 本堂
かつて、このあたりは今島田と呼ばれた地区でした。
建長6年(1254年)に創建した日蓮宗のお寺さんです。
山号は「今島山」です。

妙光法光両霊神
「妙光法光両霊神」と書かれた石碑があります。
その隣には、「妙光」とだけ刻まれた小さな石祠。
「妙光法光両霊神」とは、何なのでしょうか。

ネットで得られた情報では、唱行寺の妙光法光両霊神は「夫婦のむじなの霊を祀っている」のだそうです。祀るようになった物語は分かりません。
小さい石祠の方も、同じ霊神を祀ったものらしいです。「妙光」の下(土の中)には続きがあって「今島山」と刻まれていると手元の資料にあります。
鐘鼓塚(しょうこづか)
変わった塚があります。「鐘鼓塚」とは何なのでしょうか。
他にも文字が刻まれています。「宗門最初皈伏」「授法之旧地也」

題目唱行において日蓮宗で初めて鐘鼓ではなく太鼓を用いたことから、唱行寺が「太鼓の霊場」と呼ばれるようになります。
それまで使用していた鐘鼓を埋めた場所に「鐘鼓塚」があります。
畜霊塚
「畜霊塚」とだけ刻まれた石碑がありました。家畜関係の供養塔です。
隣には、馬の供養塔らしきものもあります。

女人塚
「女人塚」と彫られた石碑があります。
奉納は昭和13年。「女人塚」とは何なのでしょうか。

調べましたが、詳しいことが分かりません。
ネットで探しまくって出てきたのは、「女人の霊を祀ったのが女人塚」。
知りたいのは、女人の霊を祀ることになった物語の方なんだが。
今島山神
「今島山神」と書かれた大きな石碑と、それを囲むように、多数の石祠があります。
今島山神とは、いったい何なのでしょうか。
唱行寺の守護神?、それとも境内社のようなもの?

こちらの石碑の奉納年や奉納者から見ていきます。
昭和41年の奉納で、奉納者は唱行寺の住職でした。
次に、石祠の方を見ていきます。
七面明神と稲荷大明神
左側の石祠が「七面山」と彫られた七面明神。
七面明神は、法華経の守り神です。
「七面山」と書かれた上に、すっすらと蛇の絵が描かれています。奉納年はありません。

右側の石祠は、「奉勧請妙照稲荷大明●」「昭和二年」「四月吉日」
いかにも日蓮宗のお寺さんらしい名前の稲荷社です。
古い石祠に押し込まれた「妙蛇弁財天」、その隣は龍神
こちらの弁財天も、日蓮宗のお寺さんらしく「妙蛇弁財天」と書かれています。
そのお隣にある石祠は、「得乗大白龍大神」と書かれていて龍神と分かります。

これ以外にも、祭神不明の石祠として奉納日が大正元年12月18日という日付だけ読めるものが2つなど、部分的に確認できるものが多数。
謎の祠
今島山神の隣にありますが、何の表示も無いので御祭神が不明です。
立派な台座で、特別扱いで高い場所に祀られているので気になりますが、何も手掛かりがありません。残念。

馬頭観世音
祠の中を覗くと石祠に「馬頭観世音」と書かれていました。

本堂前に比較的新しい石祠があります
黒い石に刻まれた文字は「鹿島龍神」「疫神稲荷」「地付一切霊」。
その隣の石祠は、「水神祭朋神」
更に、囲いの外(裏)にも石祠があります。そちらは「妙法地●神」

これら3つの石造物は、手元の資料に出ていないことから、石造物調査が行われた昭和61年以降の奉納と思われます。