市川市の宮久保から稲越町まで歩いて神社や史跡を見て回る

今回はJR総武線本八幡駅を起点に、市川市北部で神社や史跡を見て回ります。

訪ねた町は、宮久保、曽谷、下貝塚、稲越町 & 時々、松戸市。

アップダウンのあるコースに苦戦しながらも、市川市北部を回って、神社や史跡など古いものに出会う歩き旅です。

白幡神社

白幡神社の所在地:千葉県市川市宮久保4丁目2−4

境内から大きな音がしています。嫌な予感を感じながら階段を上っていきます。

白幡神社
白幡神社

音の主は、しめ縄を作る男たち。
階段を上り切ると、男たちが参道でしめ縄作りをしていました。
そう、今は12月の初旬。コロナ禍であっても新年を迎えるには、神社の新しいしめ縄も必要です。

白幡神社 拝殿
白幡神社 拝殿

由緒書きはありませんが、境内探索マップが出ています。
そこに書かれていたのは「源氏の旗印の白旗が宮久保の台地にたなびいていた地に白幡神社が創建されたという、現在の宮久保・幼稚園の斜め前辺りでした。地元のお年寄りは「八幡様」と言っていた。大正7年、この場所に建立する際に近くに点在する社を合祀」

白幡神社 社殿
白幡神社 社殿

明治時代の地図を見ると、白幡神社は確かに別の場所にあります。
現在の場所にも、神社マークがあります。この場所にあった神社は何だったのか。

境内探索マップでは「八幡神社」「白幡神社」ともに元禄15年(1703年)の創建となっています。
境内探索マップにあった「天満神社」(創建は元文5年)が、境内に見当たりません。本殿に合祀されているようです。

私の推測は、「明治までは、この場所には天満神社があった。別の場所にあった白幡神社(別名八幡神社)が大正7年にこの場所に遷座した。」

白幡神社の手水鉢

手水舎は最近のものですが、手水鉢はビックリの天明6年(1786年)の奉納。
かなり綺麗な状態で残っている事が驚きです。

白幡神社の手水鉢
白幡神社の手水鉢

白幡神社の狛犬

狛犬は拝殿前と東の参道のところの2か所にあります。

拝殿前の狛犬は、溶岩石の上にいるジオラマ風のやつ。
獅子山というらしいが、奉納年などは確認できません。
市川市の調査資料から、「昭和2年の建設。建設には、石工と庭師が関わっていること」が分かる。

白幡神社の狛犬 拝殿前
白幡神社の狛犬 拝殿前

東の参道を守っている狛犬は年代物。奉納年を見ると天保10年(1839年)。
石工は「大吉」。縁起の良さそうな名前です。

白幡神社の狛犬 東参道前
白幡神社の狛犬 東参道前
白幡神社の狛犬 東参道前(右)
白幡神社の狛犬 東参道前(右)

白幡神社の境内社

境内2か所に「境内探索マップ」が張ってありました。
これを参考にしながら、境内社を見て回ります。

境内探索マップ
境内探索マップ

白幡神社の境内社 稲荷大明神

稲荷大明神は、亨和3年(1803年)の創建。

白幡神社の境内社 稲荷大明神
白幡神社の境内社 稲荷大明神

白幡神社の境内社 諏訪大明神

諏訪大明神は、宝暦2年(1752年)の創建。

白幡神社の境内社 諏訪大明神
白幡神社の境内社 諏訪大明神

白幡神社の境内社 辨才天宮

「境内探索マップ」では厳島神社(弁財天宮)となっていますが、辨才天宮は元文5年(1740年)の創建。

白幡神社の境内社 辨才天宮
白幡神社の境内社 辨才天宮

白幡神社の境内社 六明神守

「境内探索マップ」では「〇〇大明神」と表記されています。
「すべてを尽くして調べても何の神様が判明しない祠を合祀」とあります。

白幡神社の境内社 六明神守
白幡神社の境内社 六明神守

「六」っていうので「6つの祠」を合祀したのでしょう。
それにしても、ひとつの村の神社にしては、境内社が多いなあ。

白幡神社の境内社 妙正大明神

妙正大明神は、文化9年(1812年)の創建。

白幡神社の境内社 妙正大明神
白幡神社の境内社 妙正大明神

白幡神社の境内社 天照大神

「境内探索マップ」では天照皇大神と記載されてます。天照大神は、寛政12年(1800年)の創建。
市川市の調査資料では、「伊勢講碑」に分類されてます。石祠の奉納年以外の文字は判読不能。

白幡神社の境内社 天照大神
白幡神社の境内社 天照大神

白幡神社の境内社 日枝大神

「境内探索マップ」では日枝神社と表記されています。日枝大神は元文5年(1740年)の創建。

白幡神社の境内社 日枝大神
白幡神社の境内社 日枝大神

稲荷神社

稲荷神社の所在地:千葉県市川市宮久保4丁目5−10

白幡神社の階段で足に疲労を感じ始めているのに、目の前には再び階段。
なぜ高台ばかり選んで神社を作るのか...

高圓寺というお寺さんの横にある道から階段を上がっていきます。

稲荷神社に続く階段
稲荷神社に続く階段

階段を上がり切ったところには原っぱが広がっています。
原っぱの左右はお墓。原っぱの先は雑木林が広がる未開発地です。
そんな原っぱにポツンと小さな祠があります。鳥居はありません。

原っぱに小さな祠
原っぱに小さな祠

祠の中を覗くと、狛狐が1対。蝋燭立てのようなものも確認できます。
稲荷神社であることは分かるのですが、個人所有なのか、寺持ちなのか、さっぱり分かりません。

稲荷神社
稲荷神社

市川市の調査資料を見ると、稲荷明神のところに、高円寺の石祠という記述があります。
石祠自体には、何も彫られていないようで報告書でも空欄。残念。

賀茂神社

賀茂神社の所在地:千葉県市川市曽谷1丁目28−16

由緒書きなどはありません。
社殿は、集会所を兼ねているような感じの建物です。

賀茂神社
賀茂神社

御祭神は、加茂別雷命。
神社ですが、「南無妙法蓮華経」を唱えながら太鼓を叩いて社をめぐる神仏習合の習俗があります。

賀茂神社 社殿
賀茂神社 社殿

いつものように手水鉢の奉納年を確認します。
「文久4年2月」(1864年)と確認できました。ちょうど元号の変わり目です。

賀茂神社 手水鉢
賀茂神社 手水鉢

曽谷 春日神社

曽谷春日神社の所在地:千葉県市川市曽谷2丁目7−5

鳥居の横に社号が出ていました。「村社 春日神社」とあります。
曽谷村の鎮守ということでしょうか。

曽谷 春日神社
曽谷 春日神社

境内には由緒書きなどはでていません。ネットに頼ることにします。

市川市ホームページから、
『寛文11年(1671年)に大改築が行われた記録が残っていること』
『明治12年の地図には「八幡 祠」の記述で、明治36年の地図では春日神社になっている』
という2点が分かりました。

曽谷 春日神社 社殿
曽谷 春日神社 社殿

曽谷 春日神社の境内社 古峯神社

曽谷 春日神社の境内社 古峯神社
曽谷 春日神社の境内社 古峯神社

曽谷 春日神社の境内社 八幡大神、大六天魔王、山王大権現

神額には4行書かれています。内三行はお馴染みの神様「八幡大神、大六天魔王、山王大権現」
迷わせたのは「奉勧請子神」の一行。
ここには、4人の神様がいるのでしょうか、3人なのでしょうか?

祠の中には4つの石造りの祠があります。「奉勧請子神」とは、どんな神様なのでしょうか。
市川市石造文化財調査報告書では「子神」と分類され、石祠に「奉勧請子神氏子中守護神」と刻まれ、亨和3年(1803年)の奉納と記載されてます。
報告書によれば、八幡大神の石祠は昭和61年の奉納。山王大権現が亨和元年(1801年)、大六天は石祠が2つ(亨和2年と明治37年)あるようです。数が合いませんが、裏に隠れているのを見落としたかも。

曽谷 春日神社の境内社 八幡大神、大六天魔王、山王大権現
曽谷 春日神社の境内社 八幡大神、大六天魔王、山王大権現

境内は猫だらけです。この境内社の前にも猫が一匹。
近付くと逃げていきます。猫でも分かるんですね。私は犬派!

曽谷 春日神社の境内社 道六神

境内に入る入り口付近にあります。
道祖神かと思いましたが、よく見ると「道六神」と石の祠に彫られてます。
道祖神と道六神、何が違うのでしょうか。

曽谷 春日神社の境内社 道六神
曽谷 春日神社の境内社 道六神

道祖神と道六神は同じの一言で片づけることは簡単ですが、なぜ奉納者は「六」の字の方を使った?

市川市の資料によれば安永6年(1777年)の奉納年が入っているとのこと。

文字だらけの石柱の正体は...

道六神の向かい側には、文字だらけの石柱があります。よく見ると、道標になっています。
台座からして、仏式でお参りするものが祀られている感じ。詳細に見ていきます。

微発馬匹紀念碑
微発馬匹紀念碑

文字だらけの正面には、「維持明治二十有七年八月一日...」で始まる長い文書が書かれています。
文面から、日清戦争に愛馬(農耕馬)を軍馬として微発したことの紀念碑。「微発馬匹紀念碑」という石造物でした。
石柱の左右の側面は、道標になっていて、
右側面に「東 大野 鎌ヶ谷」、左側面に「西 市川 東京」となっています。

下貝塚 春日神社

下貝塚春日神社の所在地:千葉県市川市下貝塚2丁目32−21

貝塚の上に鎮座する神社です。
「村社 春日神社」と社号が出ています。

下貝塚 春日神社
下貝塚 春日神社

境内に2本イチョウの巨木があり、遠くからでもよく見えるので、下貝塚 春日神社に行くときの目印にできます。
貝塚の上にありますが、階段の段数は少なめなので助かります。

下貝塚 春日神社 社殿
下貝塚 春日神社 社殿

創建年や由緒は不明です。
境内にあるもので年号を確認すると明治40年代のものがいくつかあります。
イチョウの木の幹の太さから見て、江戸時代には鎮座していたのでは。

村社ということですが、明治12年の時は貝塚村という村名でした。流山にある貝塚村と区別するため、この場所を下貝塚、流山の方を上貝塚としました。貝塚村という地名も貝塚の発見により付けられた地名です。明治2年より前の地名は、何だったのでしょうか。

下貝塚 春日神社の狛犬

良い感じの狛犬がいます。(下手ウマ系ですが、私の好きなタイプ)
奉納年はありません。石工が自分の名前を入れてました。
「中山 石工 山口一心」と読めます。
(奉納年は劣化により読めなくなったようで市川市の調査資料に明治40年とありました)

下貝塚 春日神社の狛犬(右)
下貝塚 春日神社の狛犬(右)

右側に鎮座する狛犬の顔を最初に見た時は、スターウォーズに出てくる「ヨーダ」かと思いました。
左側の狛犬は、もう犬なのか獅子なのか、いや猿?
もはや何の動物がベースなのか分からない、さすが!想像上の生物だ。

下貝塚 春日神社の狛犬(左)
下貝塚 春日神社の狛犬(左)

とにかく見ていて飽きない狛犬でした。良いものを見れた。

唯、一言いいたい。「そんな目で見るな!」
一生、目が忘れられない狛犬たちでした。

追伸
明治の後半の製造ですが、へたくそぶりが、たまらない味を出してます。石工は天才クラス。

下貝塚 春日神社の境内社

社殿の左に木製の祠があり、3つの石造りの祠が収められている。
右側の石柱には文字が入っているようだが、判読できない。
他の2つは、文字も無く、完全にお手上げ。

下貝塚 春日神社の境内社
下貝塚 春日神社の境内社

市川市の調査資料を見ても、3つのうちのどれかに、文化13年(1816年)の年号があるようだが、そこまで。
紙の資料を順に見ていくのは大変な労力が掛かるのが難点です。データでも売って欲しいものです。

道祖神

道祖神の所在地:千葉県松戸市高塚新田160−63

googleマップ上で、神社マークといっしょに「靖国碑」と表示される場所に立ち寄ります。
市川市で神社巡りをしているつもりでしたが、いつの間にか松戸市になっていました。

道祖神と靖国碑
道祖神と靖国碑

行ってみると、靖国碑と道祖神がありました。
道祖神は、鳥居があって、立派な木の祠に納められてます。

道祖神
道祖神

交通安全を願った碑が建っています。
こちらの道祖神は、昭和47年に改築されたものです。
木の祠の中に納まった石造りの祠に奉納年が入っていますが、肝心の年号が正しく読み取れません。
心の目まで動員しても「天文●辰年」と書かれているらしいところまで
本当に天分なら戦国時代の1532~1555年。

馬頭観音

馬頭観音の所在地(現住居表記):千葉県市川市稲越1丁目5-5あたり
馬頭観音の所在地(旧住居表記):千葉県市川市稲越町111あたり

果樹園の道路側にずらっと馬頭観音の石碑が並んでいます。
奉納年はバラバラ。
年号が確認できた中で、一番古いものが文政5年(1822年)。

馬頭観音
馬頭観音

全ての馬頭観音碑の前に、ニンジンがお供えされています。

市川市 文化振興課の資料によると日清、日露戦争に徴用された愛馬の供養のために祀られたものが多いそうだ。馬頭観音は、村境に祀られることが多く、この場所も松戸村との境になる。

ここで少し寄り道(遠回り)します

馬頭観音があった場所から階段を下ると厳島神社の参道が目の前に現れます。私が、初めて訪問した時は、階段を下りて近道をしてしまいました。

帰宅後、市川市の観光ガイドを見ていたら、このまま、道路沿いを歩いたほうが楽しいことが分かりました。
いわゆる、後の祭りというやつである。
ということで、1週間後に再訪問。

道六神

道六神の所在地(現住居表記):千葉県市川市稲越稲越2丁目11-22あたりの交差点
道六神の所在地(旧住居表記):千葉県市川市稲越町269あたりの交差点

道路沿いを進み2つ目の坂との交差点の角にあります。
ここは見つけやすいので、大丈夫だと思いますが、残り2つは...

道六神
道六神

道六神の側面が道標になっているそうですが、木の祠に納められているので見ることはできません。
こんな時は、市川市の調査資料です。
右側面に「松戸道」、左側面に「八幡道」

白山大明神

白山大明神の所在地(現住居表記):千葉県市川市稲越稲越2丁目11-22あたりの交差点
白山大明神の所在地(旧住居表記):千葉県市川市稲越町269あたりの交差点

道六神のところで周りを見渡してください。

ここで問題です。下の写真には、白山大明神が写っています。どこでしょうか。

白山大明神はどこだ
白山大明神はどこだ

アップした写真がこちら。

白山大明神
白山大明神

塀の中に鎮座しています。

こちらのお宅の氏神様なのですが、地域の人たちが「歯痛の神様」として信仰しているのだとか。

市川市の調査資料では白山信仰に分類され、「白山大明神」の銘文と亨和元年(1801年)と書かれているらしいことが分かる。

交通量が多く、狭い道なので、見学の際は、クルマに十分注意してください。

帝釈天王と彫られた庚申塔

庚申塔の所在地(現住居表記):市川市稲越2丁目13-37
庚申塔の所在地(旧住居表記):市川市稲越町208あたり

道六神のある坂を下っていくと右側にあります。坂を下っている時は気が付きますが、上りの時は気付けません(実践済み)

松丸邸の敷地の角にありますが、塀の外なので見学は大丈夫。

帝釈天王
帝釈天王

帝釈天王と書かれている石柱の側面が道標になっています。
「北 まつどミち」「東 やわたふなばし ミち 西 さくば ミち」と入っているそうです。
奉納されたのは嘉永6年(1853年)。

石柱の台座に3猿が入っています。

道標の横に目を向けると

広告付きの住所表示版
広告付きの住所表示版

見たことがないパターンの住所表示版があります。昭和の匂いがしますが、いつの時代のモノなんでしょうか。
2021年2月1日に住居表示が変更となり、稲越町xxxという表示から稲越1丁目から3丁目という表記になりました。この住居表示看板も無くなる運命のようです。

厳島神社 (稲越嚴嶋神社)

厳島神社の所在地(現住居表記):千葉県市川市稲越2丁目4-16
厳島神社の所在地(旧住居表記):千葉県市川市稲越町377

天気が良いのに、なぜか参道脇の土の部分は、泥道状態。
その理由は、後で分かりました。

厳島神社
厳島神社

境内は広いのに至ってシンプル。鳥居と手水鉢、社殿。
社殿の北側に池がある。何だろうと思ってジーと池を見ていたが、特別なことはなかった。
調べると、池の水は、階段の近くに湧き水としてでているものを引いているそうだ。参道のあたりが湿っているのも、湧き水の影響なのだろう。

厳島神社 社殿
厳島神社 社殿

市川市 文化振興課の資料によると、昔は池の中の島に社殿があり、水神の要素が強かったそうだ。

厳島神社 手水鉢
厳島神社 手水鉢

手水鉢の奉納年は天保12年(1841年)。

境内にある奉納記念碑には松丸姓の名前だらけ。
この町は、松丸さんの比率が高いのだ。

弁才天

弁才天の所在地(現住居表示):千葉県市川市稲越1丁目1 市営駐輪場の隣
弁才天の所在地(旧住居表示):千葉県市川市稲越町308 市営駐輪場の隣

国分高校の近くにある自転車置き場の横にあります。
ここも見つけにくいので注意が必要です。

弁才天
弁才天

石祠には、「奉請妙法弁財天」と明治の年号が刻まれています。
それ以上は、何も分かりません。

帰路につきます

国分高校前のバス停から、京成バスでJR総武線の市川駅にでることができます。

初回訪問の時は、まだ歩き足りない気分だったので、市川駅まで歩いてみました。

2回目の訪問になった時は、京成バスのお世話になりました。高校生の帰宅時間帯に当たらなければ、すいていて快適。

正直言って帰路で選んだ道は、見どころが乏しくて疲労感しかありません。なので、バスで駅に出るが正解だと思います。

(おまけ)浮嶋弁財天

浮嶋弁財天の所在地:千葉県市川市真間2丁目7−12 手児奈橋公園

特に見どころを見つけられないまま、歩き続けます。

やっと、良いものを見つけたのは、駅も近い真間川沿いを歩いていた時。浮嶋弁財天の派手な幟に気が付きます。

浮嶋弁財天
浮嶋弁財天

由緒書きが出てます。

創建は、天保12年の記録があるが、おそらくそれより古いとあります。
市川市の調査記録でも、石祠に天保12年と刻まれているとしているので、間違いないでしょう。

以前は、対岸の真間小学校の斜め前、真間川に突き出た島に鎮座していたそうです。
現在は真間山 弘法寺が管理しているようで、大祭や縁日のお知らせが張ってありました。

社殿の右横に石造りの祠があります。観察してみます。

浮嶋弁財天の石祠

右側面に、年号があり「天保12年(1841年)」のものと分かりました。
正面の部分ですが、文字がはっきりしていて、年代との違和感を感じます。

浮嶋弁財天の石祠
浮嶋弁財天の石祠

帰宅後、写真を見ていて気が付きました。正面の部分は近年新たに、はめ込まれたものです。
市川歴史博物館の調査資料によれば、調査した平成7年の時は、「辨財天」とだけ入り、上部が欠損していたとあります。

それでは、現在の正面には何て彫られているのでしょうか。様々な文字が彫られていますが、抜き出してみます。

「梵天玉魔天」「三十番神」「八大龍王龍行神」「大日天玉」「鬼子母十女神」「堅牢地神」「南無白龍大善神」「大目天玉」「天照八幡大井」「浮島弁財大天女」「水神」「宇賀●神」など