市川市柏井町と奉免町・南大野で路傍の石造物を見て回る

道端の石造物を探して、市川市柏井町、奉免町、南大野あたりをぶらぶら歩き回りました。

路傍で見つけた石造物は、庚申塔、道祖神、お地蔵さん、龍神、馬頭観音など様々。
今回も見つけられなかった石造物もありましたが、楽しく散策出来ました。

柏井町2丁目の庚申塔、道祖神、お地蔵さん

庚申塔の所在地:千葉県市川市柏井町2丁目1291−3あたりの路傍

道路からは数段の階段を上がった場所に3つの石造物がありました。
前回、柏井町を訪問した時も、この道を通ったのですが、存在に気が付けませんでした。

明治時代の地図で確認すると、この場所は、歩橋(かちばし)という集落と瓜作(うりざく)という集落の境。昔から庚申塔がある場所のようです。

柏井町2丁目の庚申塔、道祖神
柏井町2丁目の庚申塔、道祖神

左端から順番に石造物を見ていきます。

柏井町2丁目の道祖神

左端の石造物は「道祖神」。
右側面の文字は判読不能です。左側面には「二月吉日」とあります。

柏井町2丁目の道祖神
柏井町2丁目の道祖神

手元の資料では、右側面は「●政八乙酉歳」。文政8年(1825年)の道祖神です。
資料によれば、台の右側面に「姥山女人構中」とあるそうですが、隣の石造物との間隔が狭く目視での確認はできません。

柏井町2丁目の庚申塔(貞享4年)

中央の石造物は、刻まれた文字で判断する必要がある笠付角柱型石造物です。
文字が薄い上に、太陽の位置が最悪。逆光で写真を撮ることすら、ままなりません。

柏井町2丁目の庚申塔(貞享4年)
柏井町2丁目の庚申塔(貞享4年)

目視で判読できた文字は、「●亨四丁●天」「●法 奉●帝釈天」「十一月吉日」。
手元の資料と照合して、「亨四丁卯天」「法 奉帝釈天」「十一月吉日」と判明。
貞享4年(1687年)の庚申塔でした。

柏井町2丁目の庚申塔(文政6年)

右端の石造物も、刻まれた文字で判断する必要がある駒型石造物です。
文字はくっきり刻まれているのですが、側面はカビによる変色で読み辛いです。

柏井町2丁目の庚申塔(文政6年)
柏井町2丁目の庚申塔(文政6年)

正面に刻まれた文字は「南無妙法蓮華経 帝釋天王」。
右側面は「文政六癸未年」、左側面は「二月吉祥日」。
文政6年(1823年)の庚申塔です。

柏井町2丁目の庚申塔は2つとも「帝釋天王」と書かれた日蓮宗系の庚申塔でした。

柏井町2丁目の上部欠損の石造物

3つの石造物から少し離れた場所に、激しく欠損した石造物があります。
一部の文字が残っているのですが、欠損が大きすぎて何が祀れているのか判断できません。

柏井町2丁目の上部欠損の石造物
柏井町2丁目の上部欠損の石造物

かすかに判読できる文字は「庄七」。奉納者でしょうか。

手元の資料によれば、柏井町2丁目には「お井戸様」と言われる石造物が路傍にあるそうです。
路傍の神様を見つけるのは大変です。今回は「お井戸様」は見つけられませんでした。残念。

柏井町2丁目のお地蔵さん

庚申塔がある場所の柵の外側に、お地蔵さんがあります。
「交通安全」「昭和53年」と刻まれていました。

柏井町2丁目のお地蔵さん
柏井町2丁目のお地蔵さん

奉免町の庚申塔と馬頭観音

庚申塔の所在地:千葉県市川市奉免町7−38あたりの路傍

柏井町2丁目の庚申塔の前の坂道を下り、JR武蔵野線ガード下の道から奉免町に向かいます。

明治時代の地図で見ると、ちょうど奉免の集落の入口当たりに共同墓地があります。
道の両側に墓石が並んでいると思い込んでいましたが、良く見ると道の右側は、馬頭観音です。

奉免町の馬頭観音

数を数えてみると、10個ほどの石造物が馬頭観音でした。
手元の資料によれば明治26年以降の奉納、真新しいものもあります。

奉免町の馬頭観音
奉免町の馬頭観音

馬頭観音の中に、庚申塔を発見

青面金剛像に三猿という分かり易い庚申塔を発見。
奉免町の路傍には、2つの庚申塔がありますが、その内のひとつです。
場所から見て、昔から集落の入り口である、この場所に鎮座しているのでしょう。

奉免町の庚申塔
奉免町の庚申塔

右側面に奉納年があります。「安永三甲午年十一月吉日」
安永3年(1774年)の庚申塔でした。

結局、この後、奉免町を歩き回りますが、もうひとつの庚申塔を見つけられませんでした。
どこにあるのでしょうか。

奉免山安楽寺の稲荷社

奉免山安楽寺の所在地:千葉県市川市奉免町127

庚申塔探しをしている途中で見つけた、歴史のありそうなお寺さんに寄り道していきます。

立ち寄ったのは、山号が奉免山、寺号が安楽寺という日蓮宗のお寺です。

奉免山安楽寺 本堂
奉免山安楽寺 本堂

創建は建長7年(1255年)。日蓮宗で最初の尼寺です。(現在は尼寺ではありません)
皇室にもゆかりがあるお寺と言うことで、菊の紋の使用が許されているとのこと。
(参道入り口脇の掲示板のところに、さりげなく菊の紋が付いていました)

賽銭箱がなかったので、本堂の前で手を合わせるだけの参拝になりました。お堂の中からお経が聞こえてきて、ちょっと得した気分です。

境内にあった三乗圓稲荷

神額に「三乗圓稲荷」と書かれたお稲荷さんがありました。
現地で確認を忘れしましたが、手元の資料では安政3年(1856年)の石祠(稲荷明神)があるそうです。

三乗圓稲荷
三乗圓稲荷

南大野2丁目の八大龍王

千葉県市川市南大野2丁目29−5あたりの駐車場

駐車場の一角に池があり、その畔に小さな祠があります。
前回、近隣の「いぼとり地蔵」を参拝した時に、探したのですが見つけられずにいました。
駐車場の奥なので、駐車車両があると表通りからは隠れてしまいそうです。さらに側面と裏面に覆いがあるので、「いぼとり地蔵」の方からキョロキョロしても見つけられません。

南大野2丁目の八大龍王
南大野2丁目の八大龍王

祠の中には、八大龍王の石碑と白蛇のオブジェ

祠の中を覗くと、右側に「八大龍王」と刻まれた台座の上に石碑が載っています。石碑には文字があるのかも判別できません。祠の左側には、白蛇のオブジェがあります。
左右、それぞれにお供えが置かれていました。

八大龍王の石碑と白蛇のオブジェ
八大龍王の石碑と白蛇のオブジェ

手元の資料によれば、石碑の方には「南無妙法蓮華経」と刻まれているそうです。八大龍王からも分かる通り、日蓮宗の龍神が祀られています。

この祠は、地元の方には「弁天様」と呼ばれているそうです。
八大龍王だけど弁天様というパターンです。なかなか興味深い。

この場所は、駐車場ということからも分かるように私有地です。このあたりの旧家が所有していて、周辺にある「いぼとり地蔵」や「妙見堂」も全部同じ旧家の所有物。