善養寺(小岩不動尊)の所在地:東京都江戸川区東小岩2丁目24−2
東小岩にある善養寺には、多数の庚申塔があります。
今回は、善養寺の庚申塔にフォーカスして見ていきます。
善養寺の概略
星住山 地蔵院 善養寺と号し、大永7年(1527年)に開山したといいます。
江戸時代は新義真言宗のお寺さんでしたが、現在は真言宗豊山派のお寺さんです。
境内の影向の松や不動尊が有名で、別名の小岩不動尊と呼ばれたりします。

不動門前の庚申塔
庚申塔の数が多いので、不動門の方にある庚申塔から見始めます。

公道から入って直ぐ右側に庚申堂があります。
余談ですが、庚申堂の右側にある石柱は「水神宮」です。
お寺さんに水神宮という組み合わせは珍しいと思います。

庚申堂の中には、3体の石造物が鎮座しています。
格子の間にスマホを差し込んで撮影しながら、観察することにします。
庚申堂の中、左側の庚申塔
駒型の石造物に、「青面金剛」と文字が刻まれています。
右側面には文字はありません。
左側面が確認できないので、手元の資料に頼ることにします。

文政8年(1825)の庚申塔のようです。
『「江戸川区の庚申塔と道標」1980年 社会教育課発行』によれば、文政8年12月。
『「江戸川の庚申塔を歩く」 2004年 庚申資料刊行会発行』によれば、三猿が描かれているはずなのですが見当たりません。
ネットで調べると、庚申堂の扉を開けて撮影された方がいて、左側面に「文政八乙酉年二月建立」と入っているそうです。
ということで、いきなり3つの資料に書かれていることがバラバラ。文政8年は間違いないのですが。
庚申堂の中、右側の庚申塔
六臂の青面金剛が邪鬼を踏みつける像が描かれています。
その下には、三猿も描かれています。
左側面に「十月吉祥日」、右側面はお堂の壁があって読み取れません。
興味深いことに、台石にも三猿が描かれています。
隣の庚申塔と台石が入れ替わってしまったのでしょうか。
再び、手元の資料に頼ります。

寛政2年(1790)の庚申塔のようです。
『「江戸川区の庚申塔と道標」1980年 社会教育課発行』によれば、寛政2年。月の記述なし。
『「江戸川の庚申塔を歩く」 2004年 庚申資料刊行会発行』でも、寛政2年。
ネットでは写真無しで、右側面に「寛政二庚戌歳」と入っていると記述があります。
青面金剛像の前にあるのは馬頭観世音
馬頭観世音の座像です。
上部が大きく欠損していますが、像の部分は綺麗に残っています。
紀年銘が確認できないのが残念です。

実は、この馬頭観音は青面金剛と勘違いしやすい部分があります。
多くの馬頭観音像は、三面六臂や三面八臂ですが、こちらは一面六臂。
第1手が合掌、第2手が法輪と斧、第3手・左手が宝剣、右手が弓と矢。
頭部に馬頭らしきものがありますが、欠損もあり頭蓋骨を載せているようにも見えます。
私は斧と馬頭らしきものの2点で馬頭観世音と判断しましたが、もし、この石造物が隣にある庚申塔の台座の上に乗っていたらと思うと...まあ、台座の模様を見ていて、ふと思っただけですが。
古い記録にはある庚申塔が見つかりません
『「江戸川区の庚申塔と道標」1980年 社会教育課発行』には、次のように記載されています。
・庚申堂の前に「寛政2年の庚申塔」
・庚申堂内に「文政8年の庚申塔」と「年代不明の庚申塔」
『「江戸川の庚申塔を歩く」 2004年 庚申資料刊行会発行』には「年代不明の庚申塔」記述はないので、この間に処分されたのか、馬頭観世音を見間違えたのか...
新四国巡りの入口にある庚申塔
仁王門の近くに、新四国遍路道の入口があります。
この入り口付近に、庚申塔が1基あります。

庚申塔は、六臂の青面金剛が邪鬼を踏みつける像です。
三猿は摩滅で、かなり薄くなっていますが確認できました。
左右の側面に紀年銘が入っています。

右側面に「亨保三戊戌天」、左側面に「九月吉日」
手元の資料とも一致しました。
亨保3年(1718)の庚申塔です。
無縁塔付近の庚申塔
無縁塔と仁王門の間に、仏様が並んでいる場所があります。
この仏様のところにも、庚申塔が2基あります。
こちらは石造物に刻まれた文字を判読しなければ、庚申塔であるか分からないタイプです。
幸い2基とも、肉眼で文字が判読できるコンディションの石造物です。
(見つけられない時は、「三界萬霊」と刻まれた石碑の左右にある仏様が庚申塔です)
阿弥陀如来像の庚申塔
阿弥陀如来像の右側に文字が刻まれています。
目視で判読できたのは「奉造立庚申待結衆二世成●●●」 (●は判読不能)
ネットの力を借りて、判読不能部分を補うと「奉造立庚申待結衆二世成就而巳」

阿弥陀如来像の左側に紀年銘が入っています。
「天和二壬戌九月吉祥日」(赤字は推定)
「庚申待」という文言から、天和2年(1682)の庚申塔と分かります。
地蔵菩薩像の庚申塔
地蔵菩薩像の右側に文字が刻まれています。
目視で判読できたのは「奉供羪庚申待二世安樂祈●」 (●は判読不能、「羪」は養の異字体)
ネットの力を借りて、判読不能部分を補うと「奉供羪庚申待二世安樂祈処」

地蔵菩薩像の左側に紀年銘が入っています。
不思議なことに、まるで昨日、文字を彫ったような鮮明さで判読できます。
「元禄十五壬午年九月吉日」
しかし、地蔵菩薩像の周りから表面の剥離が始まっています。やがて文字の部分も剥離してしまいそうで心配です。
「庚申待」という文言から、元禄15年(1702)の庚申塔と分かります。
不思議に思うのは、元禄の頃は青面金剛像の庚申塔が人気の頃。
この時代に、地蔵菩薩で庚申塔を作るか?
表参道(仁王門外)の庚申塔
仁王門を出て、参道を南下していきます。

参道の入口を出たところに、小岩不動尊と書かれた寺標、庚申塔、出羽三山供養塔などが並ぶ場所があります。
仁王門に向かって右側の庚申塔
石造物が3基並んでいます。
左の「小岩不動尊」と書かれた寺標は下部が道標になっています。
「小岩不動尊 市川向石造道標」といい、江戸川区登録有形文化財です。

右端の庚申塔から見ていきます。
文字塔「青面金剛」
駒型の石柱に、「青面金剛」の文字が刻まれた庚申塔です。
右側面に紀年銘が刻まれています。左側面には何も刻まれていません。
台座には三猿も描かれています。
台座の左右の側面には「講中」の文字が確認できます。

紀年銘ですが、肉眼では部分的にしか判読が出来ません。判読できたのは、
「文政第」「七月」など極僅か。
ネットの力を借りて調べると「文政第五壬午歳」「七月樹立」と刻まれているそうです。
「青面金剛」と刻まれた文政5年(1822年)の庚申塔です。
文字塔「庚申塔」
駒型の石柱に「庚申塔」と刻まれています。
石柱の右側面に紀年銘があります。左側面には何もなし。
台座には、邪鬼が刻まれています。(一猿という説もあります。猿顔の邪鬼って感じの図柄なので)

紀年銘は「文政十三庚寅十一月」。
文字塔「庚申塔」は、文政13年(1830年)の庚申塔でした。
仁王門に向かって左側の庚申塔
こちらには、4基の石造物があります。
右から、小岩不動尊の寺標、出羽三山の供養塔、2基の庚申塔
小岩不動尊の寺標は、先ほどと同様に下部が道標。こちらは「小岩不動尊 逆井道向石造道標」です。

左側2つの庚申塔を観察していきますが、こちらの庚申塔は、かなり厄介。
江戸川区南小岩6-27にあった庚申堂からの移設らしいのですが、資料と一致しないものがあります。
「庚申堂」と刻まれた石柱
「庚申堂」と刻まれた石柱と、その前に、拝む猿が描かれた石造物がセットです。
石柱の裏側に奉納者の氏名がずらり。

この石柱を庚申塔としている方が多いのですが、私は年代不明の標石と捉えました。
奉納者の名前が庚申堂周辺に多い姓(池田、石井、石川)であることから、南小岩の庚申堂から移設されたものに間違いないと思います。
唯、手元の資料では、同じ文字塔でも刻まれているのは「庚申」の2文字、「庚申堂」ではありません。資料に誤記がある線も捨てきれませんが...
ずーと悩んでいたのですが、後日、写真を見ていて気が付きます(2021年4月追記)。
「堂」の文字があるあたりだけ、妙に石の表面が綺麗です。もしかして、南小岩の庚申堂にある頃は、「堂」の字を隠すように、合掌猿が置いてあったのではないか。だから、古い資料では「庚申」なんじゃないかと。
「庚申」しか見えていなかった時は庚申塔、「堂」まで見えるようになったら標石扱いなのか?
青面金剛像が描かれた庚申塔
六臂の青面金剛像が描かれています。邪鬼は石ころみたいな描かれ方で明確ではありません。
台座には三猿が描かれています。
台座と青面金剛像の間の部分に奉納者名が刻まれています。ここでも「池田、石井」などの姓が確認できます。

青面金剛像 頭部の上に文字が刻まれています。「奉造立庚申」「元禄四辛未年」
青面金剛像 右側に「尊像一体為二世安樂也」
青面金剛像 左側に「十一月九日」「敬白」
青面金剛像は、元禄4年(1691年)の庚申塔でした。
南小岩6丁目の庚申堂にあったが、善養寺にない庚申塔
今回の訪問で見つけられなかった庚申塔は
・天保10年、駒型、文字塔「庚申」、三猿
摩滅が進んでいた庚申塔のようなので、移設せず廃棄されたのかもしれません。
出羽三山供養塔
折角の機会なので、出羽三山供養塔も観察していきます。
石柱の正面に刻まれているのは、「羽黒山」「湯殿山」「月山」「供養塔」

右側面は「天下泰平」「國土安穏」「一結講中」「二世安樂」
左側面は「維持文化六龍集己巳年」「春三月」(赤字は、訪問時は判読困難だったので、ネットで見つけた画像から文字を起こしました)
庚申信仰の方が寄進した手水鉢
不動堂の横に手水舎があります。この手水鉢を良く見てください。
庚申信仰の方が寄進したものです。

手水鉢の中央部分に、「奉寄進庚申講中」
一番右側に「同行」
紀年銘は「天●●壬戌歳」「八月吉●」(赤字は推定)
摩滅により、一部の文字が読めず、紀年銘がハッキリしません。
数字が書かれているらしい文字は「八」か「九」に見えます。
元和八年(1622年)か天和二年(1682年)なのでしょうか。
善養寺の庚申塔(まとめ)
2021年4月時点で、善養寺の境内では、8基の庚申塔を見ることができます。
情報が錯綜しているために謎の多いものの、庚申塔好きには、たまらない場所です。
移設されたことが明確な1基を除き、これだけ多くの庚申塔が、ここ善養寺にあるのは何故なのでしょうか。
他にも見どころが沢山ある善養寺はお薦めです。
善養寺の見どころは、こちらをご覧ください
善養寺へのアクセス
JR総武線 小岩駅から徒歩18分 (1.3km)
JR総武線 小岩駅から瑞江駅(一之江駅)行きバス。江戸川病院下車、徒歩5分 (300m)