円蔵院の所在地:東京都江戸川区南小岩6丁目16−28
神明山円蔵院(以下、円蔵院)には、2基の庚申塔があります。
円蔵院は、真言宗豊山派のお寺さんです。江戸時代に書かれた新編武蔵風土記稿によれば、当時は新義真言宗のお寺さんでした。
江戸川区史には、開山が天文年間(1532~1555)、開山当時は神明山延命寺と号していました。
隣にある沖天祖神社の別当を務めていたそうです。
庚申塔は、山門前にある地蔵堂の中
庚申塔2基は、門手前の地蔵堂の中に鎮座しています。
地蔵堂には、延命地蔵、子育地蔵、庚申塔2基。合計4基の石造物が並んでいます。
地蔵堂の左端にある庚申塔から見ていきます。
「青面金剛」と書かれた庚申塔
梵字の下に、「青面金剛」と彫られた庚申塔です。
台座の方に三猿が描かれています。
庚申塔の正面には、他の文字は見当たりません。
右側面を確認すると紀念銘が入っています。
判読できる文字は「寛政九丁巳九月吉日」「沖講中」
「寛」の字がやや判読しにくいものの、状態が良く、まるで後世に機械で彫り直したかのようです。
左側面には文字は無さそうです。
青面金剛像が描かれた庚申塔
左から2番目にある庚申塔には、青面金剛像が描かれています。
駒形の石柱の上部が一部欠損していますが、石造物の状態は悪くないです。
六臂の青面金剛像が邪鬼を踏みつける像容で、三猿も描かれています。
庚申塔の正面には文字は刻まれていないようです。
右側面には文字はありません。
左側面に紀念銘が入っています。
地蔵堂内の暗さもあって肉眼では読み取れません。
写真に撮った後、写真の明るさ調整をして、一部分がやっと判読できました。
刻まれた文字は「宝暦九●●天七●..」
ネットの力も借りて判読できなかった文字を補うと「宝暦九己卯天七月一日」
円蔵院の庚申塔(まとめ)
2基ある庚申塔は、
文字塔「青面金剛」の庚申塔が、寛政9年(1797年)奉納
青面金剛像が描かれた庚申塔が、宝暦9年(1759年)奉納
でした。
江戸川区で、青面金剛像が描かれた庚申塔がブームになったのは江戸時代の中期(1681~1780年)、江戸時代後期(1781~1867年)からはシンプルな文字塔が主流になってきます。
円蔵寺の庚申塔は、この2つのタイプの移り変わりが確認できます。
寛政9年(1797年)の庚申塔に刻まれていた「沖講中」。
このあたりは、江戸時代は、下小岩村の「沖」という地区でした。
「沖」や「沖耕地」「沖中道下」という字名がありました。
下小岩村は、広くて世帯数の多い村だったので、地区ごとに講ができたのでしょう。
(新編武蔵風土記稿には、広さは東西15町✖南北26町、屋敷数215の村と記録されています)
円蔵院へのアクセス
JR総武線 小岩駅から徒歩6分 (500m)