光照寺の所在地: 東京都江戸川区本一色3丁目16−28
光照寺は、本一色にある真言宗豊山派のお寺さんです。
このお寺には、境内に庚申塔が2基あります。
実は、境外に墓地があり、そこにも庚申塔があります。このことが、筆者の中で大混乱することになります。
光照寺は、紫雲山 円勝院 光照寺と号します。
江戸川区史によれば、嘉慶元年(1387年)に草庵を結んだのが始まりと伝えられています。
奥宮山 青蓮院 慈眼寺と号していたが、延享2年(1745年)に光照寺と改称。
明治5年に廃寺となった「紫雲山 浄本院 円勝寺」の跡地に移転、「紫雲山 円勝院 光照寺」と号するようになりました。
庚申塔があるのは
参道の右側、本堂に近い場所に石造物が並ぶ場所があります。
地蔵菩薩が鎮座する地蔵堂の右横、ここに庚申塔2基が並んでいます。
右側の庚申塔から観察していきます。
右側の庚申塔
六臂の青面金剛が合掌し、邪鬼を踏みつける図柄です。三猿は確認できません。
文字が、色々、刻まれています。
青面金剛像の右側に刻まれているのは「奉供養庚申」「元禄四●未歳」。(●は多分「辛」)
左側には「●月●●」「為二世安●」(●は多分、「樂」)
ネットの情報を信じるなら「九月吉日」「為二世安楽也」。
元禄4年(1691年)の庚申塔でした。
左側の庚申塔
六臂の青面金剛が描かれています。右側と違うのは、合掌ではなく左手にショケラ、右手は宝剣です。
踏みつけられている邪鬼は横向きではなく、前向きで正座状態。三猿はいません。
庚申塔の正面には、文字はありません。側面を見ていきます。
右側面にあったのは「権大僧都法印栄厳代」という文字と、鶏1羽。
次は左側面。そこには文字「宝暦九己卯天壬七月一日」と鶏。
側面に鶏を配置しているところが、珍しいです。
宝暦9年(1759年)の庚申塔です。
法印栄厳代が、光照寺の住職なのか円勝寺の住職なのか分かれば、どちらのお寺さんにあった庚申塔なのか判明するのに...。
光照寺の境外墓地にある庚申塔
境外墓地にある庚申塔は、寛政12年。
筆者を悩ませたのは過去の資料
1980年発行の「江戸川区の庚申塔と道標」という資料には次のように書かれています。
光照寺には3基の庚申塔があり、寛政12年と元禄4年のものが本一色246番地に、宝暦9年のものが本一色423番地にある。
次に、2004年発行の「江戸川の庚申塔を歩く」という資料です。
光照寺には2基の庚申塔があり、境内に元禄4年と宝暦9年のものがある。それとは別に本一色には、円勝寺墓地に寛政12年の庚申塔がある。
かなり正確になりましたが、円勝寺という現存していない寺の名前や「円勝寺墓地」という名称が公式の名称かも気になります。
ということで、今回、お寺さんの方と墓地の方を確認させていただきました。
それにしても、江戸川区はデータの正確性が担保された庚申塔の一覧表が無いので、困ったものです。
光照寺へのアクセス
JR総武線 新小岩駅から徒歩15分 (1.2km)